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Ep.22 潜入騎士団員の秘密のお仕事・前

 王太子カミル殿下直属の騎士隊は騎士団から特にカミル殿下への忠誠心が篤いものを選抜した少数精鋭の部隊である。

 主な仕事は殿下の手となり足となって密命をこなすことだ。

 そんな私、ノエル・グレンジャーが殿下の執務室に呼ばれたのは春先の午後のことである。


「王立病院の薬剤師室に潜入、ですか?」


 カミル殿下はそれなりに薄くない報告書をこちらに寄越す。

 ざっと目を通すと、そこには「フィオナ・ベルウッド」の名前と身上書があった。

 そして、ピンク色のガラスの小瓶を二つ取り出し、机に並べる。


「今、王都に『妖精の小瓶』と『妖精のいたずら』という、名前も色も香りもよく似た二つの薬が出回っていてね」


 小瓶をそれぞれ蓋を取り匂いを嗅いでみる。

 王都に出回っている樹液を原料としたシロップの匂い……。

 自分の好物だ。ワッフルにひたひたにかけて食べると実に美味しい。

 瓶の蓋を戻し、机に置く。


「片方は知り合いのところを通している安全な薬だが、もう片方は麻薬の可能性がある」


「麻薬……ルピナスですか?」


「まだ、確定はできない。だが、報告によるといかがわしいパーティーで使用されているそうだからそうかもな」


 殿下が椅子に沈み込む。


「4年前に逃げられているからな。今回は内通者を先に押さえたい」


「で、こちらの女性が容疑者ですか?」


「いや、違う。尻尾切りの尻尾だ。食いつかせたいから餌に使え。あと、オリヴァー叔父様の庭だ。抜かるなよ」


 尻尾か……。若いのに可哀想に。

 最初の感想はそれだけだった。




 それからまもなく王立病院の薬剤師室長の部屋を訪ねた。


「ノエル・グレンジャーね。護衛任務の経験は?」


 ぼさぼさ頭にヨレヨレのローブ、曲がってかかった丸メガネ。王弟だと知って見ていなければけしてそうとはわからないだろう。

 だが、メガネの奥の紫色の瞳は王族特有のものだ。

 いつもの騎士服ではない、真新しい薬剤師のローブを身につけ『室長』の前に立つ。


「カミル殿下、妃殿下の護衛を勤めたことがあります。他には宰相閣下の外遊に同行しました」


「潜入はないんだね」


「ありません」


「ちなみに、選考理由を聞いたかい?」


「顔がいいと若い女性受けがいいだろうということでした」


「へぇ、うちのフィオナさん相手にバカにしたもんだ。カミルの考えそうなことだな。まぁいいや。見習いとして入れるから、薬剤の知識は入れ込んだね?」


「問題ありません」


 室長の後をついて階段を下り、調剤室に入ってすぐに分かった。

 身上書にあった特徴の通り。癖のない栗色の髪は長めに切り揃えてあるのか後ろでひとまとめにされている。大人しそうだが化粧映えしそうな顔立ち、そして緑の瞳。薬剤師室の中では一番若いのだろう女性。


「ノエル・グレンジャーです、よろしくお願いします」


 挨拶をしても興味のなさそうな顔は変わらない。

 どちらかというと毛虫でも見つけてしまったような嫌そうな顔だ。

 自分でもそれなりに整っているという自覚はあるこの顔を見てその反応は珍しい。

 指導係に指名されてもしぶしぶといった表情は抜けない。

 何か顔のいい男にトラウマでもあるのだろうか?


「えーっと、グレンジャー君で合ってる? フィオナ・ベルウッドです、よろしく」


 歩み寄って握手をしようとして後退りかけたのが見えた。

 やはりだ。


「ノエル・グレンジャーです。よければノエル、と呼んでください」


 手を握ると女性特有の柔らかな手なのに、薬のせいか指先がかさついている。

 これから、この人を護衛し、さらに餌にしなければならない。

 だが、気になる。

 このずっと香っている自分の大好物のシロップの香り。

 誰も気づかないのだろうか?

『フィオナ先輩』はとても美味しそうな匂いがする……。




 歓迎会の後、二次会に行こうという先輩を断ってフィオナ先輩を追う。

 通りを見え隠れしていた頭が突然消え、慌てて走った。


「おっとぉ〜、おねえさ〜ん。今のはおじさんいたかったよぉ〜」


 酔っ払い3人に絡まれる先輩が見える。


「ちょっと! 離してください!」


「つれないこというなよぉ〜。一人で寂しく飲むよりおじさんたちとた〜のしぃことしようよぉ〜」


「そうそう。おじさん、こう見えてもコッチは自信あるからなぁ〜ぎゃはは!」


(彼女はお前らが触れていい女性ではない!)


 体は冷静に流れるように動く。

 護衛対象を確保。脅威を排除————。

 酔っ払いを追い払って振り返る。


「王都とはいえ夜に一人で帰るなんて危ないですよ、送ります」


「まぁ、おじさんたちも鬱憤溜まってたのかもしれないし、私も別になんともなかったから大丈夫だよ」


 ガードが固い癖にその脇の甘さはなんだ?


「先輩のことをそんないやらしい目で見る男とか許せません」


 思ったことがそのまま溢れでた。

 思ってもないことを言われたという顔をする。

 この人、自覚がないのか?

 薬剤師室でも結構な人数がフィオナ先輩を女性として見ているのに。

 あの『室長』でさえ。




 騎士団の通常の制服である濃紺の騎士服を着たカミル殿下の使いが来た日。

 以前から依頼していた二つの『妖精』の分析結果が出た。

 やはり片方の中身はルピナスだった。

 だが、もう片方はフィオナ先輩の作った安全な薬だとされているが王都にはないものだった。

 効能がわからない。

 そして、護衛任務の進捗報告をする。

 カミル殿下は「顔を使ってたらしこめ」と言っていたが、フィオナ先輩は難敵である。

 そして、想像以上に邪魔も多い。

 なんとかバイトとこの薬の効能について自白して欲しいところだが、上手く追い詰めたと思うと先輩や室長といった邪魔が入る。

 ここがカミル殿下の言う「オリヴァー叔父様の庭」だというのがよくわかる。


「ノエルがこういう任務で苦戦するのは珍しい」


 騎士隊の同僚は笑っているが笑い事ではない。

 このままでは埒があかない。

 フィオナ先輩には悪いがもっと直接的に切り込んでいくしかない。

 二つの『妖精』の分析結果の補完資料である甘味料のリストを手に資料庫に向かう。

 雷雨が降りしきる薄暗い資料庫で、資料を黙々と書き写しながらフィオナ先輩の気配を探る。


(……気付いた。)


 先輩はすぐにそのリストが全て王都に出回る甘味料であることに気付いただろう。

 そしてその中にいつも先輩から香るシロップの品名があることも。

 慎重に歩く先輩の後ろに立つ。

 稲光の中、閃光に驚いた先輩の手からはらりと落ちるリストを受け止めた。

 美味しそうな大好物のシロップの香り。

 美味しそうな先輩の匂い。

 思うままに貪ってしまいたい。

 ぎゅっと抱きしめて先輩の香りを吸い込む。

 だが……。

 先輩に見えるようにリストを掲げシロップの一点を指す。

 先輩の喉がひゅっと喉が鳴る音がした。


「これ、先輩と同じ匂いですね……」


 資料庫の中をまた稲光が焼く。


(これで自白してくれるといい……)


 そう思ったのに、そこまで追い詰めても先輩はまだ諦めなかった。

 シロップを特定しても、『妖精のいたずら』がルピナスだとわかっても。


「先輩、隠し事してませんか?」


 と、直接聞いた時でさえ。

 給湯室から逃げ出した先輩を追って街に出る。

 薬の下ろし先の春花亭かと思ったがいない。

 護衛対象を見失うとか自分は一体何をやってるんだ……。

 ジュリアンの店にもいなかった。

 自宅を確認すると、窓からちらりと栗色の髪が見える。


(良かった……)


 自宅にいるなら好都合だ。

 見舞いを装って、家宅捜索して証拠を押さえてしまえばいい。

 案の定先輩はなかなかドアを開けようとしなかったが、そこは強引に入り込む。

 家の中は暖かなハーブの香りと先輩のシロップの香りがした。

 不自然にならないように各部屋を確認していく。

 台所に蒸留法の実験器具と黄金色のシロップ……。

 だが、これが薬だという確証はない。

 食事をして、シロップの反応を見る。


「あ、台所にシロップありましたよね? あれ少し頂いても? ワッフルにシロップたっぷりかけて……」


「ぶふっ----------! げほ!」


 当たりか。

 だが、なぜ蒸留法を? 自分が作った薬ならばルピナスが入っていないことを確認しようとした?

 続けて部屋を確認する。

 寝室は見たことのないドライフラワーがかけられていた。

 他は暖色のリネンが少し乱れたベッドが置かれているだけだ。

 お手洗いにも特に不審なものはなかった。


(他は空振りか……)


 あからさまに帰って欲しそうな先輩に不満を覚えている自分に気づく。

 こうして自宅に押し入って証拠を探したりストーカーまがいに迫ったりしているのに、一体何を期待しているのだろう?

 ルピナスの使用用途がセックスドラッグであることは以前から知られている。




「の……ノエル君は娼館でこういう薬を使ったことは?」


 言った後にしまったという顔をしているが、セクハラになるのは自覚があるのだろう。


「でも、先輩が乱れてるところは見てみたいな……」


 そうだな。ぐちゃぐちゃに泣かせてやりたい。


(……………………)


 想像してうっそりと笑みが溢れる。

 そうだ。薬などなくても自分の手でその綺麗な顔を快楽の海に沈めてやりたい。




 カミル殿下から呼び出されたのはそれから間もなくだった。


「明日発行のタブロイド紙に私のスキャンダルが掲載される」


 掲載される? 知っていて止めなかったのか。


「タブロイド紙がご親切にこのスキャンダルを買わないかと持ちかけてきてね。どうぞ掲載して下さいと言ってやったよ。

 ルピナスの件は意図的に名前を知っている人間を絞ってある。薬の特定をした叔父様、ノエル、哀れな生贄、そして私と叔父様との連絡に使っている騎士、そしてもう一人。捜索現場で押収したワインの分析報告書を受け取ったベケットだけ。

 騎士団の中でもまだこの薬は『妖精のいたずら』だ。これで内通者が特定できた。

 内通者は捜査担当のベケットだ」


「ベケットが、ですか?」


 ベケットは4年前の一斉摘発の時も捜査担当だったはずだ。

 王妃様の派閥であちらとは関わりがないとされていたからこそのルピナス捜査専任だったはずだ。


「こっちはベケットの周りから証拠固めに入る。ジュリアンの方はセーフハウスに避難させるが、問題はそっちだ。記事が出た以上あちらはルピナスの件は幕引きにかかるだろう。生贄が消される可能性がある」


「身柄を確保しますか?」


「いや、騎士団に逮捕させる方がいいな。ベケットにいつでも消せると油断させる方がこちらも時間が稼げる。」


「しかし、騎士団に逮捕させるのは……」


「どうした? 情が移ったか?」


 カミル殿下の目が鋭くなる。


「いえ……」


「それに騎士団内であれば、人目もそれなりにある。簡単にはいかんさ」


「しかし、なぜ今ルピナスなど仕掛けてきたのでしょう?」


「まぁ、逮捕して聞くのが手っ取り早いが、そうだな……私とエレーナが結婚して3年になる。だがまだ子は出来てない。私の次に醜聞の標的になるのはエレーナだったろうな。」


「まさか、エレーナ妃殿下を失脚させて返り咲きを狙ったのですか? 無謀な……」


「手元に金も薬もあるとなれば使って見たいのだろうよ。いい加減狸ジジイに好き放題されて叔父様に笑われるのも懲り懲りだ。4年前の借りを倍にして返してやる」


 カミル殿下は不敵に笑っているが、この先指し手の思った通りに盤面は進むのだろうか?

 不安はフィオナ先輩の予想外の行動で的中した。

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次話は翌日 AM9:00 予約投稿です。

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