Ep.09 訪問する時は事前に連絡するでしょうよ!
リリアンさんから譲り受けた薬を手に自宅に戻る。
家に入る前に3周くらい近所をぐるぐる回って誰にもつけられていないことを確認してから飛び込むように家に入った。
さて、職場の検査室ほどの設備はないから、簡易検査にはなってしまうけれども、飲んで安全なものかどうかくらいはなんとか調べられるだろう。
まずは瓶の中身を洗って干してあったフラスコにあける。瓶はピンク色のガラス製だが、中身の薬はシロップ特有のうすい黄金色だ。
匂いは……シロップの匂いしかしない。
元々私の薬は故郷のハーブを煮出して作った薬の原液を、薬効を感じられるギリギリまで薄めて使っている。瓶詰めする段階ではシロップの甘い匂いしかしない。そして、厄介なのがルピナスもまた無味無臭なことだ。
シロップに混ぜられて同じ瓶で流通されたら、素人には違いは全くわからないだろう。
(これは想像以上に厄介かもしれない……)
とりあえず、今目の前にある薬は私が作った本物なわけだから、ルピナスが入っていないことを確認すればいいはず。
ルピナスは特定の温度で揮発する特性がある。
煮沸して蒸留した物質から何も出なければシロ……
かたかたと手持ちの道具でなんとか実験装置を組み立てようとしていた時、玄関をノックする音がした。
びっくりしすぎてからんと道具が倒れてしまう。
……良かった。薬液はこぼさなかった。
玄関の扉の前で、恐る恐る声をかける。
「ど……どちらさま?」
「フィオナ先輩、いらっしゃいますか? ノエルです」
………………?
なんで、ノエル君……?
「ノエル君、何か急用かな?」
とりあえず私は今忙しい。急用でないなら次職場に行った時にしてほしい。
「先輩、体調不良で早退されたって聞いて、心配になって抜けてきたんです
こないだも熱で倒れたばかりなのに」
あー。確かに言った。先輩に体調不良で早退って。
「少し休めば良くなると思うから大丈夫だよ
ごめんね、心配かけて」
それより今はとっても忙しいから帰っていただきたい。
「フィオナ先輩、簡単な食事とか買ってきましたから、ここを開けてもらえませんか?」
そう、ここまできて私はまだ扉を開けてない。
片付けたとは言え元汚部屋の女子の一人暮らしである。
開けられるわけがないだろ!
彼氏いたのも遠い昔だけど、家に入れた事一回もないんだぞ。
「食事は……ありがとう、ノブにかけておいてくれたら後で引き取るから……」
なんとか断れないものか。
それにごたごたで忘れがちだが、相手は机に押し付けたり書棚で抱きしめたり挙句今日には給湯室で壁に追い詰めてきた危険人物だぞ。
「先輩……顔を見ないと安心できないです、ここを開けてください」
「顔みたいだけなんだね?」
念押しして確認をする。
「開けてくださるまでずっと待ってます」
くっそ。こういう時は絶対に引いてくれないよな。
しょうがない。
玄関の扉をうっすらと開けた瞬間、すごい力でドアを開けられたかと思うとパタリと閉められた。
呆然として何が起こったのか一瞬分からない。
分からないが、目の前にはにこやかな後輩が食事の入っただろう紙袋を手に立っている。強引に入ってきた?
「ノエル君……顔見るだけって……」
さすがの私も声が硬くなる。
「えぇ、強引だったのは謝ります
でも、フィオナ先輩ちっとも頼ってくださらないから」
「こんなことじゃなくても、しっかり頼りにさせてもらってるよ」
「そうじゃないんです、仕事だけじゃなくてフィオナ先輩個人に頼ってもらえるようになりたいって」
「それは……」
う〜ん。なんて答えてあげたらいいんだろうなぁ。
「あ、食事二人分あるので、ご一緒させていただいていいですか? 準備しますね?」
ちょ……! ちょっと待って!
「えぇぇえええと、テーブルはここ使おう
台所でお茶入れてくるからこっちやっててくれる?」
台所には分析を始めようと実験道具やら何やらを広げ始めたところだ。
薬剤師の自宅にあってまずいものは特にないが、あの薬と薬瓶はまずい。
不自然にならないように台所に引っ込み、ピンクの薬瓶をポケットに突っ込む。
薬液は……お菓子に使う予定のシロップだってことで誤魔化そう。
広げかけだった実験道具をまた端に寄せて、お茶のしたくを始めた。
「先輩、こっち準備できました。そちらでお手伝い必要ですか?」
ギリギリ……! ギリギリよ!
「今お茶入れたところ、持っていくね」
「僕がやりますよ」
後ろからやってきたノエル君にお盆をひょいっと攫われる。
「あれ? ご自宅でも実験を? 蒸留法ですか?」
くぅ。誤魔化せるわけないとは思っていたけれども、いちいち鋭いのよ。
「ん〜、職場で同定やってたでしょ? 家でも練習して思い出さないと、って」
「さすがフィオナ先輩、熱心だなぁ」
あくまでにこやかなノエル君。
もうここは腹を括ってさっさと食事をして帰っていただく方向で頑張るしかないのか……。
ダイニングに移動すると、屋台で買ってきただろう魚と芋のフライと燻製魚のサンドイッチ二人分が綺麗に並べられている。
「わぁ、美味しそうだね」
「適当に買ってきましたが、苦手なものはありませんか?」
「どれも好物だから大丈夫、ありがとう」
「フィオナ先輩が嬉しそうに食べてたメニューを思い出して買ったので、外れてなくて良かったですよ」
この子またさらっとストーカー発言しなかった?
私がいつも適当に食事してたのずっと見てたの? こわ!
できる限り急いで、もそもそとサンドイッチを頬張る。
「それに、思ったより顔色も良くて安心しました
熱出して病み上がりなんですから、あまり無理しないでくださいね」
う〜ん、熱出したのも今日逃げ出す羽目になったのも君のせいな気がするよ。
こういうのを「おまいう」って言うんじゃなかろうか。
なんで私を疑ってるかもしれない危険人物と自宅で食事してるんだろう?
解せぬ。
「あぁ、デザートにワッフルも買ってきたんです」
そういってガサゴソと紙袋を漁るノエル君。
ここまで食べてさらにデザートいけるってさすが男の子だなぁ。
「あ、台所にシロップありましたよね? あれ少し頂いても? ワッフルにシロップたっぷりかけて……」
「ぶふっ----------! げほ!」
だめー! それだめー!
驚きすぎて芋が気管支に……。
「だ……大丈夫ですか、フィオナ先輩?」
そっと差し出されたお茶を飲む。
はぁ、わざと? それわざとだよね?
「ごめん、あのシロップはお菓子用に分量測ったやつだから使われちゃうと困っちゃうかな」
「あ、そうだったんですね
図々しいお願いしてしまってすみませんでした
先輩もワッフル召し上がります?」
「いや、もうお腹いっぱいだから後で頂くよ、ありがとう」
ふぅ。早く帰ってくれないかな。精神力がどんどんと削られていく。
「あ」
今度は何?
「すみません、お手洗いお借りしますね」
そう言ってノエル君は立ち上がると『寝室』のドアを開けた。
ちょ……! おま……!
乙女の寝室を! 許可もなくいきなり開けるとか!
いや、そんなことじゃなくて!
そこは、ダメなんですってば! いや、どこもダメなんだけど!
「あ、失礼しました
こっち寝室だったんですね」
ねぇ、ドア開けっぱなしで私を見て確認する必要ある? ねぇ?
「う……うん。男性にあんまり見られたくないから閉めておいてもらえると……」
「へぇ、珍しい植物ですね
これ、ハーブ? ですか?」
だから! 乙女の寝室! はよ閉めて!
壁に吊るしてあるのは、くだんの薬の伝統ハーブである。
そう『妖精の小瓶』とかいうふざけた名前の薬の原料ですよ! それ!
「あ、あぁうん、故郷の伝統薬で使うんだ
自分用に送ってもらってて」
「そうなんですね、今度薬効とか教えてほしいな」
良かった! 在庫の山がなくて!
干してあるハーブもぎりぎり自分用って言い張れる分量で!
こないだ気合いで部屋を片付けておいたことを神に感謝した。
あのピンクの小瓶の在庫の山を見られたら完全に詰んでた。
ぱたりとノエル君が寝室のドアを閉める。
「あ、お手洗いこっちね」
反対側の扉を指すと、ノエル君は失礼しますといって入っていった。
それからのノエル君はおとなしく食事をして、ワッフルまで完食して、お茶を飲み干すと辞去の挨拶をしてくれた。
ふぅ。やっと帰ってくれるか。
立ち上がって玄関まで見送る。
「今日は色々とすみませんでした、その……先輩を疑うようなことを言ってしまって……」
あぁ、そうか。そうだね。なんか色々ありすぎて忘れそうになってたよ。
「いや、私もなんか心配させてたみたいで、ごめんね……」
ノエル君が真剣な顔になって私を見る。
「その……これだけは信じてほしいんですが、僕は先輩の味方ですから」
ほんとに……?
「ありがとう、また明日ね」
「……はい。おやすみなさい」
本当に信じてもいいんだろうか?
(だって、君は一度私に嘘をついている)
暗闇に去っていくノエル君を見送って、私は扉を閉めた。
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次話は翌日 AM9:00 予約投稿です。




