チャーハンを食べたかった男
目を覚ますと、私は飛行機の中だった。
アメリカ・ロサンゼルス国際空港から日本・成田行きの飛行機に乗りこむと、私はすぐに睡魔に襲われていた。離陸したことにも気がつかず、今こうして目を開けると、すでに乗っている飛行機は高高度巡航に移っている。
ほとんどの窓が閉められていることから、機内は薄暗い。私の座る席の右側は通路で、左側にはひと席空けて日本人サラリーマンと思われるスーツを着た男性が座っていた。
隣の席が空いているのは嬉しい。エコノミークラスだと前後だけでなく左右のスペースもかなり狭いが、少なくともフライト中、隣に座る人に遠慮する必要はないということだ。
日本行きのフライトは長い。おおよそ11時間半もかかってしまう。私はあまり機内で寝られないタイプなので、どうやって時間を潰そうかと考え始めていた。
するとその時、通路の前方からこちらに向かってくる配膳カートが私の視界に入った。ディナータイムだ!
私は心の中でガッツポーズをする。一週間のアメリカ出張でピザやハンバーガーには飽き飽きし始めていた。
日本行きのフライトということは、確実に日本人好みのメニューで構成されているはずだ。
私は膝の辺りの収納ポケットに入っていたメニューの紙を取り出した。日本語と英語で表記されているが、どうやらディナーはチャーハンかパスタから選べるようだった。
(ここはチャーハン一択でしょう!)
私はアメリカにいた間、「現地の食を満喫しよう!」と勝手に決め、米を一切口にしていなかった。たった一週間だったものの、すでに口は米を渇望している。ロサンゼルスから積み込んだ機内食なので、味はそれほど期待していないが、それでも米であることに変わりはないし、実際、ロサンゼルスには日本人もたくさん住んでいるので、米の味だってそんなに悪くないのかもしれない。
配膳カートが徐々に近づいてくる。中に収められたトレイは次々と前方に座る人に配られているが、まだチャーハンもパスタも量は十分にあるようだった。
「ハロー!フライドライス オア パスタ?」
(来た!チャーハンは英語でフライドライスだ。)
「フライドライス プリーズ!」
…なぜかいつもより良い声が出てしまった。少し恥ずかしい。
私は前の席の背もたれに取り付けられたテーブルを開く。すると、キャビンアテンダントのお姉さん(結構可愛い黒髪美人)は、さまざまなお皿がすでに載せられているトレイを配膳カートから取り出し、そこにアルミホイルで蓋のされた容器を載せ、テーブルに置いてくれた。この後から載せた熱々の容器にチャーハンが入っているはずである。
私は小さな声で「いただきます」と言い手を合わせると、チャーハンのアルミホイルを取ろうとした。その時、
「チャーハン プリーズ!」
私の左側、ひと席開けたところに座っていた日本人と思われる男性が、キャビンアテンダントにそう言っていた。随分と元気な声だ。営業の人だろうか?
しかし男性の横に立っているキャビンアテンダント(結構可愛い金髪美人)は困ったような表情で、「フライドライス オア パスタ?」と返事をする。
それに対して男性は「チャーハン プリーズ?」と、ちょっと弱気なトーンで繰り返す。次第に男性は自分の「チャーハン」の発音が間違っているのかと思ったのか、「チャーアハン。チャハーン。チャ、ハァ〜ン?」と、色々なイントネーションでキャビンアテンダントに迫り始めた。
しかしキャビンアテンダントには理解できない。困った表情で「フライドライス オア パスタ?」と繰り返すだけだ。
確かに、「チャーハン」という言葉には「炒飯」と言う漢字があるものの(中国伝来だから当然だが)、カタカナで書かれることも多い。だから男性は英語でもチャーハンで通じると思ってしまった可能性がある。
なんて少し納得してしまいそうになっていた私だが、これ以上そのやり取りを見ていられなかった。とは言え、助け舟を出そうと思いもしたのだが、20代前半の若い日本人女性(結構可愛い)が日本人サラリーマンに英語の間違いを指摘するのもどうなのだろうか、なんて考えてしまい、なかなか声をかけられずにいた。
すると男性は何か大きなものを諦めたような表情で前を向き、小声で「…パスタ」と呟いた。キャビンアテンダントはパスタの容器を載せたトレイをテーブルに置くと、そのまま通り過ぎていった。
私はどうするべきだったのだろうか?英語の間違いを指摘したところで、男性の尊厳を踏み躙ることにはならなかったのだろうか?男性はそれほどチャーハンが食べたかったのだろうか?
そんなことを考えながら、そして男性に少し申し訳ない気持ちにもなりながら、私はチャーハンを口にした。
うん、うまいわ、このチャーハン。