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4. 内なる胎動

今後、多くの場面に登場させる予定のキャラが最後に来ます!

 ローゼン邸――かつては王都において王家と並び立つ名門として知られたその屋敷には、いまや新たな“国”の胎動が脈打っていた。


 深紅の紋章旗が掲げられ、中央広間では重臣たちが静かに集っていた。領内各地から急ぎ集められた参謀、学識者、衛兵団長、市政官――その顔ぶれは一つの国家を支えるに足る構成であり、もはや「家政」の範疇を超えていた。


「……本日を以て、我らノーグレイブは王政との一切の縁を断ち、ローゼン自治領としての歩みを始めます」


 レティシアの宣言は、静かで、確かな響きをもって広間に落ちた。


 その場にいた誰もが、深く頭を垂れる。

 それは服従ではない。誓いであり、選択だった。


「今後、我らは他の命令に従うことなく、独自の法と理念に基づいて治政を行います。外圧と侮りに屈せず、民と共に立つことこそ、我が家の誇り――そして未来です」


 静まり返る広間に、拍手の代わりに、全員が右拳を胸に当てた。

 レティシアは、壇上に置かれた一枚の布を剥がす。

 現れたのは、新たに制定された領章――かつて帝国時代に栄えたローゼン地方の象徴を再編した意匠だった。


「“ローゼン”の名は、かつて帝国と共にあった地域の象徴でもあります。私たちは過去を誇るために名乗るのではなく、理念を継ぐために名乗ります」


 その言葉に、老いた軍司令の一人が静かに頷いた。


「秩序の再構築は、いつの時代も混乱と共に始まります。だが今の王政が守ろうとしているのは、“秩序”ではなく“惰性”にすぎません。我らは、この動乱の中にこそ、未来を築く種を見出すべきでしょうな」


 レティシアはその言葉に、短く「ええ」と答えた。

 

 翌朝には、ローゼン自治領の誕生を告げる布告が、王都をはじめとする各地に貼り出された。


 交易商たちはざわめき、情報屋が血相を変えて走り出す。庶民の間でも、「あの完璧な令嬢が王家を見限ったらしい」と噂が広がっていた。


 特に動きが早かったのは、王都南部に拠点を持つ〈ヴァレンツ商会〉だった。もともとノーグレイブ家と密接な交易関係にあったこの大商会は、布告が出るや否や幹部会議を開き、翌朝には商隊をローゼン領へと向かわせていた。


「通貨の信用は? 自治通貨の発行予定は?」

「一部は王国通貨を用い、並行して信用状を発行する方針だとか」

「それなら取引可能だ。独立に伴う通商税の優遇も期待できる」


 情報が錯綜する中で、商人たちは敏感に風向きを読んでいた。かつて“秩序の象徴”とされた王家が信頼を失い、逆に離反した側へと資本が流れ始めていた。


 ローゼン自治領の初動は、驚くほど組織的だった。


 布告と同時に、旧ノーグレイブ領を含む東部四州の行政庁に指令が下され、各都市の議会が一時的に統合された。城塞都市ライルを新たな臨時首都と定め、通信網と幹線道路の管理が一元化される。


 そして何より注目されたのは、再雇用政策だった。


「旧王政下で解雇された書記官、軍務官、学術院の技術者――優先的に再任用するとのことです」

「軍は?」

「傭兵契約を整理し、各都市の自衛団を再編中。新たに『ローゼン衛士団』が創設される模様」


 その知らせに、民衆の表情が変わっていった。


 “遠くの王より、近くの行政”


 それは混乱の時代にあって、切実な願いだった。特に、王都周辺の農村地帯では、官吏の腐敗や徴税の過酷さに苦しんでいた者も多く、ローゼン側が「法と秩序の再建」を掲げたことに拍手が湧き起こったという。

 

 まだ正式な国家承認こそない。けれど、ローゼン自治領はすでに国家への第一歩として、確かな歩みを見せていた。


 そしてその姿勢こそが、王家の権威に対する、最も鮮烈な“返答”だった。


 そして、レティシアの身の回りにも変化が起きていた。


 自治領の行政中枢が再編されるなか、彼女は東部四州のうち最も東に位置する〈アルンヘルム〉へと拠点を移すこととなった。王国との国境に近いその地は、軍事と商業の要衝であり、今では“ローゼンの門”と呼ばれつつある。


 かつてない規模の準備が進むなか、レティシアの従者も大幅に増員された。元から仕えていた忠実な侍女や執事に加え、各地から集まった有能な文官、護衛、使者が日々屋敷を出入りし、その名のもとに新たな秩序が築かれ始めていた。


 新たな拠点となった城館、ルーヴェル邸の執務室。その朝も、レティシアの周囲には多くの従者たちが集まり、活気に満ちていた。


「……報告書はこれで全部です、レティシア様。北方の鉱山都市との交渉、初回は無事成立しました」


 そう言って書類を差し出したのは、若き書記官のエディン。黒髪に眼鏡、几帳面な性格で、ローゼン自治領の文書業務を一手に引き受けている。


「ありがとう。エディン、あなたがいなければ、この三日で倒れていたかもしれませんわ」


「滅相もありません。私は、レティシア様の理想にこそ仕えておりますので」


 彼の隣で、護衛隊の青年・カイルが口を挟んだ。鍛え上げられた体と真面目な瞳、剣術の腕も確かで、若くして小隊長を任されている。


「……俺からも報告があります。王都から越境者が出たとの報せ。商人に紛れていたようですが、監視は強化しています」


「ご苦労様。誰の命令かしら……王宮か、それとも……」


「特定にはもう少し時間をください」


 その時、扉が軽やかに開いた。


「レティシア様! お茶の時間です! 本日のお菓子は南部から取り寄せた“果実蜜パイ”ですって!」


 元気よく現れたのは、侍女のミリア。茶髪を三つ編みにまとめた快活な少女で、レティシアの身の回りを世話しながら、城館の空気を和ませていた。


「ありがとう、ミリア。……でも、食べすぎては太りますわよ?」


「きゃっ、だ、大丈夫です! ちゃんと護衛隊の訓練に交ざって動いてますから!」


 その発言に、カイルがむせた。


「ま、交ざってるというか……勝手についてきてるだけだろ」


 ミリアが、少しむくれたように笑う。


「……この前、訓練場にお茶菓子を持って行ったときも、皆さん喜んでましたのに。カイルさんだけ、眉をひそめてらして」


 カイルはわずかに目をそらす。


「甘い匂いの中で剣は振れない。訓練は、訓練だ」


「でも、おひとつだけは、ちゃんと召し上がってくださいましたわよね?」


 ミリアが意地悪く笑い返すと、カイルは少しだけ耳を赤くしながら咳払いした。

 

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