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バレンタイン

「────バレンタイン?」


 商会のトップ マルセルから届いた手紙を見つめ、私はパチパチと瞬きを繰り返す。

だって、見慣れない単語が羅列してあったから。


 説明を読む限り、女性が好きな男性へチョコを渡すイベントみたいね。

元々は他国独自の文化だったようだけど、徐々に世界へ広まりつつあるらしい。

まあ、そのように手を回したのは間違いなく商人達でしょうけど。


 『チョコのような高級菓子が大量に売れれば、お金になるものね』と考え、私は肩を竦める。


 きっと、私にこの話をしたのも流行作りの一環でしょうね。

運良く興味を示してくれれば、周りに『ラニット公爵夫人もバレンタイン文化を楽しんでいる』と触れ込めるから。


 『宣伝効果アップは間違いない』と確信しつつ、私は自室のソファから立ち上がった。

正直バレンタインにはあまり興味ないが、この頃お疲れの夫に差し入れとしてチョコを贈るのはいいかもしれない、と思って。


「ベロニカ、マルセルに連絡を取ってくれる?」


 ────と、お願いした数時間後。

私はマルセルの経営する商会へ赴き、チョコの試食を行っていた。


「もっと苦いものが、いいのだけど」


 客室のテーブルに並べられたチョコを一瞥し、私は『この中にあるものじゃ、ダメね』と思案する。


 旦那様は決して甘いものが嫌いな訳じゃないけど、進んで食べるほど好きでもない。

だから、出来ればビターチョコを買いたいのよね。

どちらかと言うと、苦いものの方が好きみたいだし。


 『せっかくだから、本人の喜びそうなものを』と思い、私は顎に手を当てた。

────と、ここでマルセルが顔を上げる。


「分かりました。では────カカオ100パーセントのものを持ってきます」


 そう言うが早いか、マルセルは席を立った。


「ただ、こちらはもう本当に……本当に凄く苦いので注意してくださいね」


 ────という忠告のあと、用意されたのは他のものより明らかに黒いチョコだった。

見た目からして苦そうなソレを前に、私はスッと目を細める。

と同時に、マルセルが少しばかり表情を硬くした。


「どうぞ、ご賞味ください」


 黒いチョコの入った皿をこちらへ差し出すマルセルに、私はコクリと頷く。

そして、三つある粒のうちの一つを手に取り、口へ運んだ。


「!?」


 口内に広がるビターな味わいに、私は思わず目を白黒させる。

だって、あまりにも予想外……いや、予想以上だったので。

『本当に凄く苦い……!』と狼狽える私の前で、マルセルが慌ててコップを差し出した。


「水です、ラニット夫人」


「あ、ありがとう」


 マルセルからコップを受け取って中身を飲み干し、私は一息つく。

まだ若干チョコの後味は残っているものの、苦味は大分引いたので。

『後で口直しに何か甘いものを買おう』と考えていると、マルセルがそっと眉尻を下げた。


「やはり、カカオ100パーセントのものは紹介するべきじゃなかったですね……申し訳ありません」


 マルセルはシュンと肩を落として、謝罪する。

食べたい、と言い出したのはこちらなのに。

第一────


「いいえ、謝らないで。むしろ、私は貴方に感謝しているの。やっと、旦那様にピッタリなチョコを見つけられたから」


 ────こちらはもう買う気なんだが。

『この苦味なら、旦那様も満足する筈』と考える私を前に、マルセルは大きく目を見開いた。


「えっ……えっ!?本気ですか!?」


「ええ、もちろん」


「も、もしラニット公爵のお口に合わなかったらどうするんですか……!」


「別にそれでもいいのよ。いつかは笑い話になるもの」


 『そういう失敗も思い出になる』と主張すると、マルセルは大きく瞳を揺らす。


「ら、ラニット公爵に怒られたり嫌われたりする可能性はないのですか……?」


「ないわね。食べたものが口に合わなかっただけで、目くじらを立てるような方ではないから」


 『明らかに本人の口に合わないものを与えたなら、ともかく』と話し、私はソファから立ち上がった。


「とはいえ、気に入ってくれるか分からないものを大量に送り付ける訳にはいかないわね。だから、今日のところは少しだけいただける?」


 『旦那様が気に入ってくれたら、また買いに来る』と約束し、私は包装と精算をお願いする。

その後────私は直ぐに商会を後にして、自宅へ帰った。

と同時に、夫の執務室を訪れる。


「旦那様、こちらバレンタインチョコです」


 綺麗にラッピングされた袋を差し出し、私は『どうぞ』と促した。

すると、夫は一先ずソレを受け取る。

怪訝な表情を浮かべながら。


「……バレンタインチョコとは、なんだ?新商品の名前か?」


「いえ、バレンタインチョコというのは商品じゃなくて────」


 マルセルから聞いた話をそのまま口にすると、夫はスッと目を細める。


「つまり、好きな男へチョコを贈る文化に因んでバレンタインチョコと呼ばれているのか」


 チョコの入った袋をじっと見つめ、夫はリボンに手を掛けた。

かと思えば、丁寧にラッピングを解く。


「馴染みのない文化ではあるが、面白い。これはもらっておこう」


 袋からチョコを一つ取り出し、夫は迷わず口に入れた。

その瞬間、少しばかり目を剥く。


「菓子なのに、かなり苦いな」


「お口に合いませんでしたか?」


 『甘い方が良かったか』と思案する私に対し、夫は


「いや、むしろその逆だ」


 と、即答した。

ここで『美味しい』と素直に言わないあたり、実に彼らしい。


「お気に召したようで、良かったです。また今度、差し入れしますね」


 私は二つ目のチョコに手を掛ける夫を見つめ、小さく笑った。

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