それも今日まで
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「────というのが、前公爵夫妻の死の真相だ」
淡々とした口調で当時の状況を話し終え、夫は真っ直ぐ前を見据えた。
かと思えば、ロルフの淹れた紅茶へ手を伸ばす。
「その後の流れは大体予想出来ると思うが、事件の調査を行った皇室から取り引きを持ち掛けられた。若くして当主となった私をサポートする代わりに事件の真相を公表しないでほしい、と。恐らく、前公爵夫人の不貞を周囲に知られるのが嫌だったんだろう。皇室の威厳にも関わるからな」
皇帝陛下の妹である前公爵夫人の出自を話題に出し、夫は紅茶を一口飲んだ。
と同時に、スッと目を細める。
「正直納得いかない部分もあったが、当時の私は知識も経験も乏しく、一人で家を切り盛り出来る状況じゃなかった。だから、取り引きを受け入れたんだ」
『決して、悪い話ではなかったしな』と語り、夫はティーカップをソーサーの上に戻した。
なるほど、旦那様らしい合理的な判断ね。
でも、凄く勇気のいる決断だった筈。
だって、黙秘を選べば確実に自分が悪者にされるから。
『実際、そうなったし』と世間の反応を思い返し、私はそっと目を伏せた。
全ての泥を被った夫に、同情とも尊敬とも捉えられる感情を抱いて。
『もし、自分が同じ立場だったら……』と思案する中、夫はおもむろに腕を組む。
「一先ず、私から話せることはこれで全てだ。他にも気になる点があれば、出来る限り補足を……」
「────嘘だ、こんなの!」
義弟は夫の言葉を遮り、テーブルに拳を叩きつけた。
僅かな焦りと不安を露わにしながら。
「デタラメ、言わないでよ!どうせ、自分の罪を隠すための作り話でしょ!?」
暴露された真相を受け止められないのか、義弟は半ば喚き散らすようにして反論した。
────と、ここでシャノン皇太子殿下が口を開く。
「残念だけど、全て真実だよ。ラニット公爵の話の正当性は、私が保証する」
『当時、きちんと皇室が調べて裏付けも取れたんだから』と言い、シャノン皇太子殿下は厳しい現実を突きつけた。
すると、義弟は苦しげに顔を歪めて俯く。
と同時に、奥歯を噛み締めた。
「そんな……じゃあ、僕は────元からラニット公爵家を継ぐ資格なんてない、ただの居候になるじゃないか」
これまで兄から当主の座を奪い取ろう、と……自分の在るべき場所へ戻ろう、と奮闘してきたのに『完全にお門違いのことをしていた』と悟って、義弟は絶望する。
たとえ、兄を当主の座から引き摺り下ろしたとて、ラニット公爵家の血を一切引いていない自分では家を継げないから。
少なくとも、真実を知っている皇室は爵位継承及び当主交代を認めないだろう。
そうなると、アヴニール帝国の仕組み的に当主就任はほぼ不可能となる。
基本、皇室から承認してもらわないと世代交代を行えないので。
凄く面倒なシステムだけど、お家乗っ取りや皇権弱体化を防ぐためには必要なのよね。
などと考えていると、義弟が一筋の涙を流した。
「僕は一体、何のために……こんなのあんまりだ」
自身の膝に何度も何度も拳を叩きつけ、義弟はやるせない心情を吐き出す。
まるで迷子になった子供かのように泣きじゃくる彼の前で、私達は一様に口を噤んだ。
どう声を掛ければいいのか、分からなかったから。
それに今、誰が何を言ったって彼の心に届かないだろう。
「……あれほど兄さんの血筋について、文句を言っていた僕が一番ラニット公爵家から遠い存在だったなんて」
『皮肉にもほどがある』と零し、義弟はゆっくりと顔を上げた。
かと思えば、鋭い目付きで夫の方を睨みつける。
「ねぇ、滑稽だって嘲笑っていたんでしょ……!だから、これまで僕が反抗しても全く意に介さなかった!結局、全部無駄に終わることを分かっていたから!」
『僕が足掻く様を見るのは、さぞ気分が良かっただろうね!』と叫び、義弟は目を吊り上げた。
行き場のない怒りや悲しみをぶつけてくる彼を前に、夫は一つ息を吐く。
「被害妄想も甚だしいな。私がこれまで貴様の愚行を見逃してきたのは、偏に────前公爵夫妻への恩と義理を果たすためだ」
義弟の八つ当たりを軽く受け流し、夫はトンッと人差し指でテーブルを突く。
「まあ、それも今日までだが」
『恩と義理はもう充分、果たしただろう』と主張し、夫はチラリと後ろを振り返った。
すると、ロルフが心得たように頷き、資料の束を持ってくる。
「シャノン皇太子殿下、こちら────フェリクス様が起こした騒動の報告書になります。証拠と証人も既に揃えていますので、後ほどお見せしますね」
『徹夜して、準備したんですよ……』と述べ、ロルフは資料の束を差し出した。
どことなく疲れた素振りを見せる彼の前で、私は衝撃を受ける。
昨日の今日で、もうこんな……正直、もっと掛かると思っていたわ。
『手際がいい』と素直に感心する中、シャノン皇太子殿下が資料の束を受け取った。
と同時に、内容を確認。
「……昨日の時点で軽く話は聞いていたけど、思ったより酷いね。しかも、ウチの弟まで一枚噛んでいるとは」
悩ましげに眉を顰め、シャノン皇太子殿下は『参ったね』と肩を竦める。
皇室の権威を考えると、皇族を罰するのは気が進まないようだ。
デニス皇子殿下はもちろんのこと、義弟も一応皇家の血を引いているため。
『どうやって、この問題を収束させようか』と思案する彼の前で、夫が口を開く。
「その件で裁くのは、フェリクスだけで構いません」
「「えっ?」」
思わずシャノン皇太子殿下と同じ反応を示してしまう私は、少しばかり戸惑う。
旦那様なら確実にデニス皇子殿下も潰す、と思っていたので。
『フェリクス様に一点集中したいってこと?』と困惑していると、シャノン皇太子殿下が自身の顎を撫でた。
「それはデニスを見逃してくれる、ということかい?」
「いえ、デニス皇子殿下には別の形で……個人的に罰を与えるつもりです」
『無罪放免なんて、有り得ない』と主張し、夫は人差し指を軽く動かす。
すると、ロルフがまた別の書類を取り出した。
「なので、皇室にはフェリクスの厳正なる処分とデニス皇子殿下に対する報復行為の黙認をお願いしたい」
『それを本件の落とし所とする』と示し、夫はロルフから受け取った書類をシャノン皇太子殿下へ差し出した。
恐らく、誓約書か何かだろう。今、話した条件に合意する旨の。
「先に言っておきますが、これが私の精一杯の譲歩です」
遠回しに『交渉はするな』と告げ、夫は腕を組む。
と同時に、義弟が身を乗り出した。
「いや、待ってよ!僕にデニス皇子殿下の分まで罪を被れ、って言っているの!?事が事だから罰を受けるのはしょうがないけど、これは明らかにおかしいでしょ……!」
『不公平だ!』と騒ぎ立てる義弟に、夫はチラリと視線を向けた。
「デニス皇子殿下の分まで、罰を与えるつもりはない。あくまで、貴様個人の罪のみ裁く予定だ。だから、もう騒ぐな」
『大人しくしておけ』と言い、夫は少しばかり威圧感を放つ。
思わず怯む義弟を前に、彼はシャノン皇太子殿下の方へ向き直った。
「それで、殿下のお返事は?」
合意するか否か問う夫に、シャノン皇太子殿下はニッコリ笑う。
「もちろん、その条件を呑むよ。こちらとしては、損のない……むしろ、有り難い取り引きだからね」
迷わず書類を手にするシャノン皇太子殿下は、ペンを構えた。
緑の瞳に、安堵と……僅かな憂いを滲ませながら。
「ただ、一つだけ。これはデニスの兄という立場からのお願いなんだけど────」
そこで一度言葉を切ると、シャノン皇太子殿下は少しばかり眉尻を下げた。
「────くれぐれもお手柔らかに、ね。あれでも、私の可愛い弟だから」
『手加減してあげて』と述べるシャノン皇太子殿下に、夫は渋い顔をする。
が、横目で義弟の姿を捉えるなり態度を軟化させた。
「まあ、善処します」
「ああ、ありがとう」
うんと目を細めて微笑み、シャノン皇太子殿下は署名欄にサインする。
そして、出来上がった書類をロルフに手渡すと、ソファから立ち上がった。
「それじゃあ、私は失礼するよ。裁判の準備やら、なんやらあるからね」
『令息も一緒に連れていくね』と言い、シャノン皇太子殿下は義弟の腕を軽く引く。
案外素直に起立する義弟を前に、彼は応接室を後にした。