前公爵夫妻の死の真相《ヘレス side》
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────十数年前のある晴れた日。
公爵夫人のエミリー・フィオナ・ラニットが、妊娠した。
結婚してから約十年なかなか子宝に恵まれず悩んでいたので、もちろん本人も周りも大喜び。
ラニット公爵家はお祭り騒ぎとなった。
まあ、スペアとして生まれた私からすれば少々複雑だったが。
自分の立場を、生まれた意味を、歩む筈だった未来を奪われた訳だから。
でも、特に恨み辛みといった感情はなかった。
公爵夫妻には、良くしてもらっていたので。
「本当にすまないな、へレス。こちらの事情に振り回して……」
そう言って、私の頭を撫でるのは公爵のダミアン・ニール・ラニットだった。
赤い瞳に『申し訳ない』という感情を滲ませる彼は、短く切り揃えられた銀髪をサラリと揺らす。
と同時に、自身の顎を撫でた。
「エミリーの妊娠は、こちらも予想外でな。いや、もちろん喜ばしいことではあるのだが……子供を半ば諦めていたところに、妊娠発覚したものだから動揺が……近頃は遠征などで忙しくて、子作りにも積極的じゃなかったし……って、子供の前でする話じゃないな」
『すまない、聞かなかったことにしてくれ』と言い、公爵は苦笑を漏らした。
かと思えば、コホンッと一回咳払いする。
「とにかくこういう結果になってしまったが、へレスの将来は保証するから安心してほしい。途中で世話を放棄したり、辛く当たったりすることは絶対にない。約束する」
『生んだ責任は取る』と断言し、公爵は私の手を軽く握った。
どことなく真剣な面持ちでこちらを見据える彼に、私はスッと目を細める。
公爵の……父の誠意と真心を感じて、不安や不満が嘘のように消えたため。
「ありがとうございます。それから夫人のご懐妊、心よりお祝い申し上げます」
────と、告げた約半年後。
夫人は無事に男児を出産。
体が弱いため万が一の事態を想定していたものの、幸い母子ともに健康だった。
これで本当に私の立場が、なくなるな。でも、悔いはない。
などと考えながら、私は育児に奔走する公爵家の面々を見守る。
そして、弟が生後二ヶ月ほどになった時────事件は起きた。
「エミリー、この子は本当に────私の子なのか?」
公爵はいつになく厳しい面持ちで問い掛け、自身の額に手を当てる。
どうか私の考え過ぎであってくれ、と願うように。
どことなく重苦しい空気が流れる執務室を前に、私は大きく瞳を揺らした。
と同時に、手元へ視線を落とす。
セバスチャンに頼まれて、書類を届けに来たんだが……出直した方が良さそうだな。
半開きの扉から様子を窺い、私は『明らかに入っていける雰囲気じゃない』と考えた。
なので、踵を返そうとするものの……書類を落としそうになって、立ち止まる。
急いで持ち方を変えようと画策する私を他所に、公爵は強く手を握り締めた。
「疑ってしまって、すまない。でも、どうしても不安なんだ。フェリクスの銀髪は少しくすんでいるし、瞳はどちらかと言うとピンクに近いから。銀髪赤眼の私と赤髪紫眼の君には、ちょっと似ていないというか……」
『それに顔や耳の形も……』と零し、公爵は悩ましげに眉を顰める。
どこか縋るような目を向ける彼に対し、夫人はひたすら黙りこくった。
かと思えば、絞り出すような声で
「貴方の子では……ないわ」
と、述べる。
その瞬間、場の空気は凍った。
「な、何で……私に不満でもあったのか?」
公爵はショックを受けながらも、務めて冷静に対応する。
浮気なんて、どんな理由があろうと許せないのが普通だろうに。
『心が広いな』と感じる中、夫人は強く奥歯を噛み締めた。
「貴方に不満なんて、ないわ……ただ、自己嫌悪で自棄を起こしただけ……」
グニャリと顔を歪め、夫人は胸元を握り締める。
震える体を宥めるように。
「子供を産めない自分が、許せなかったの……不妊だという事実も、認めたくなかった。それで貴方以外の男性となら出来るかもしれない、と考えた。あくまで相性の問題だって、信じ込みたかったのね」
自嘲気味に吐き捨て、夫人は髪に挿してある棒状のものへ手を掛けた。
『あれは確か、異国の髪飾りで簪というやつだったか』と思い出す私を他所に、彼女はそっと目を伏せる。
「分かっているわ、馬鹿なことをしたって。でも、フェリクスを生んだとき本当に嬉しかったの。私でもちゃんと子供を作れるんだって、証明出来たようで……」
『それにやっぱり、我が子は可愛かったし』と述べ、夫人は視線を上げた。
と同時に、公爵の目を見つめ返す。
「だけど、いつかはちゃんと真実を打ち明けて罪を償わなければいけないと思っていた。だから────私の死を持って、贖うわ」
そう言うが早いか、夫人は髪から簪を引き抜いた。
先の尖ったソレを自身の首筋に宛てがい、小さく笑う。
どこか吹っ切れたような素振りを見せながら。
多分、出生の秘密を……裏切りをずっと隠して、生きていくのは辛かったんだと思う。
『これで、楽になれる』と安堵する彼女を前に、公爵は慌てて身を乗り出した。
「エミリー……!」
必死の形相で手を伸ばす公爵に対し、夫人はそっと眉尻を下げる。
「本当にごめんなさい、ダミアン」
────愛しているわ。
とは言わずに、一筋の涙を流す。
私にそんなこと言う権利ない、と自制するかのように。
でも、その眼差しからは嫌というほど愛を感じられた。
『夫人……』と呆然とする私の前で、彼女は簪を握る手に力を込める。
と同時に、思い切り首筋を突き刺した。
「あぁぁぁぁああああ……!!!!」
公爵は悲鳴とも絶叫とも取れる大声を上げ、夫人に駆け寄る。
倒れていく彼女を抱き留めながら。
「エミリー……エミリー!しっかりしてくれ!」
半ば懇願するような口調で話し掛け、公爵は患部を圧迫する。
恐らく、止血しようとしているのだろう。
でも、思ったより傷口が深いのか流れる血を……失われていく命を、止めることが出来ない。
「嫌だ、嫌だ……!居なくならないでくれ!浮気したことは、もういいから!全部許す!」
子供のように泣きじゃくりつつ、公爵は懸命に救命活動を行う。
が、素人の応急処置程度では無理みたいで……夫人は微動だにしない。
「っ……!だ、誰か医者を……いや、でも……」
こうなった原因を知られる可能性があるからか、それとも既に助からない状態だと悟っているからか……公爵は判断を迷った。
もはや息をしていない夫人を見つめ、肩から力を抜く。
「エミリー、私の方こそすまなかった。夫として、もっと早くお前の苦しみに気づくべきだったのに……」
『なんて不甲斐ない……』と卑下し、公爵は唇を噛み締めた。
かと思えば、抱き留めた夫人をソファの上に優しく寝かせる。
と同時に、床へ座り込んだ。
「だから────私も自分の罪を償うために、エミリーの後を追うよ」
夫人の額に軽くキスして、公爵は僅かに表情を和らげる。
そして、懐から護身用のナイフを取り出すと────一瞬の躊躇いもなく、自身の首筋に突き刺した。
「愛している、エミリー」
穏やかに微笑んで本心を伝え、公爵はソファに……夫人の顔の真横に倒れ込む。
とんでもない量の血を流しながら。
嗚呼、これは助からない……。
瞬時にそう悟る私は、ただただ立ち尽くすことしか出来なかった。
身近な人の死が、あまりにも衝撃的すぎて。
頭の中が真っ白になる感覚を覚えつつ、大きく瞳を揺らす。
「公爵、夫人……」
震える声で呼び掛けるものの……案の定、返事はない。
『死んでしまった』という現実をより強く感じる中、私は手に持っていた書類を落とした。