誘拐《クラリス side》
えっ?どこ?私、確か馬車の中で眠っていたわよね?
ちょっと埃っぽい空間を見回し、私は困惑する。
だって、明らかに馬車の中ではないため。
『凄く広くて、色々ものが置いてある……』と分析しながら、私は身を起こそうとした。
が、全く体を動かせない。
「────し、縛られている……」
手足を拘束する縄にようやく気づき、私は目を白黒させた。
な、何で?どういうこと?
さすがの私も『不味い』と分かる状況を前に、目を見開く。
と同時に、表情を強ばらせた。
まさか……監禁?一体、何のために?いや、それよりも────ウィルは無事なの?
先程から姿の見当たらない恋人を心配し、私はガタガタと震える。
最悪の未来を想像して。
『私の事情にウィルを巻き込んだから……』と自責の念に駆られていると、不意に足音を耳にした。
「────あっ、やっとお目覚め?」
聞き覚えのある声が耳を掠め、私は反射的に顔を上げる。
すると、いつものようにニッコリ笑うウィルが目に入った。
「ウィル……!良かった!無事だったのね!」
彼の登場や発言に疑問を覚えるより先に、私は安堵を感じる。
だって、『もう死んでしまったかもしれない』と思っていたので。
泣き笑いのような表情を浮かべて脱力する私の前で、ウィルはフッと笑みを漏らした。
「君って、本当相変わらずだね」
「えっ?」
「この状況、分かっている?」
どこか小馬鹿にした様子でこちらを見つめ、ウィルは近くの棚に寄り掛かる。
いつもと少し雰囲気の違う彼を前に、私はハッとした。
「そうだ!この縄、解いてちょうだい!あと、事情説明を……いや、それよりまずは脱出かしらね!」
今のところ私達以外に人は居なさそうなので、『逃亡する絶好のチャンスだ』と考える。
が、ウィルは動こうとしなかった。
ただただ、呆れたように溜め息を零すだけ。
「馬鹿だ馬鹿だとは思っていたけど……まさか、ここまでとはね」
『能天気にも程があるでしょ』と言い、ウィルはおもむろに膝を折る。
と同時に、私の額をツンッと人差し指で軽く突いた。
「あのね、クラリス・アスチルベ・フィオーレ。君を誘拐・監禁したのは、この僕なの」
「……はっ?」
全く想定してなかった事態に、私は固まる。
でも、そう考えれば辻褄は合った。
「な、んでそんなこと……」
絞り出すような声で問い掛けると、ウィルはニッコリ笑って人差し指を立てる。
「上からの指示でね」
「う、上から……?えっ?」
これまた予想外のワードが飛び出し、私は目を白黒させた。
────と、ここでウィルが天井を見上げる。
「当初の予定では誘拐や監禁なんてなかったんだけど、君の妹のせいで狂っちゃったんだよね」
やれやれとでも言うように頭を振り、ウィルは嘆息した。
ちょっと疲れた様子を見せる彼の前で、私は頭を捻る。
「どういうこと……?」
いまいち事情を呑み込めずに居る私に対し、ウィルは少しばかり目を剥いた。
「あれ?ここまで言っても、気づかない?僕は────最初から、君を利用するために近づいたんだ。愛なんて、これっぽっちもなかった」
「!!」
ハッと大きく息を呑み、私は大きく瞳を揺らす。
『私とウィルは愛し合っている』という前提を崩され、目の前が真っ暗になった。
喉がカラカラに乾くような感覚を覚える中、私は震える唇で言葉を紡ぐ。
「ど、どうしてそんな……」
「ラニット公爵家とフィオーレ伯爵家の婚姻を阻止するには、こうするのが一番手っ取り早かったから。君みたいな年頃の子には、特にね。実際、僕がちょっと甘い言葉を囁けばコロッと行ったでしょ」
「……」
事実なので反論出来ず押し黙る私に、ウィルはクスリと笑みを漏らした。
と同時に、自身の顎を撫でる。
「おかげで、とても楽な仕事だったよ────君の妹がラニット公爵家へ嫁ぐまでは、ね」
『そこから、全部おかしくなったんだ』と語り、ウィルはおもむろに前髪を掻き上げた。
「本当はさ、君と公爵の破談が決まり次第適当に別れ話を切り出して、破局する算段だったんだよ。でも、『公爵と結婚したレイチェル嬢の説得に使えるかも』ってことで、一旦保留になってね。まあ、結局全然役に立たなかったけど」
黄緑色の瞳に落胆を滲ませ、ウィルは小さく肩を竦めた。
かと思えば、スッと目を細める。
「それで、趣向を変えることにしたんだ」
「変えるって、まさか……」
さすがの私でもこの状況を見れば、何となく予想はつく。
故に、血の気が引いた。
『嗚呼……』と項垂れる私を前に、ウィルはゆるりと口角を上げる。
「────君を人質に取って、レイチェル嬢を脅すことにした」
無情なまでに厳しい現実を突きつけてくるウィルに、私は顔を歪めた。
一筋の涙を流しながら。
私はまたレイチェルに迷惑を……あれだけ、注意されていたのに。
ごめん、なさい……ごめんなさい。
自己嫌悪と後悔でいっぱいになり、私は強く奥歯を噛み締める。
己の短慮を責めつつ、どうしようもない現状に心底絶望した。