脅迫
◇◆◇◆
「────久しぶり、義姉さん」
そう言って、ニッコリ微笑むのは義弟のフェリクス・イミタシオン・ラニットだった。
デニス皇子殿下の代理としてラニット公爵家へ来たと言う彼は、おもむろに足を組む。
そのせいか、以前と少し雰囲気が違った。
こうして、またフェリクス様と顔を合わせることになるとは思わなかったわね。
しかも、旦那様が仕事で不在というタイミングで。
おかげで、まんまと引き摺り出されてしまったわ。
本来、皇室の使者の応対は当主の仕事なので私の出る幕などない。
やるとしても、せいぜいサポート程度。
『それなのに……』と苦悩しつつ、私は向かい側のソファへ腰掛ける義弟を見据えた。
「ごきげんよう、フェリクス様。本日はデニス皇子殿下の代わりにいらしたとのことですが、あいにく旦那様は席を外していまして」
遠回しに『出直してほしい』と申し出る私に、義弟はスッと目を細める。
「そっか。じゃあ────ここで待たせてもらおうかな」
こちらの要求に気づかないフリをして、義弟は居座ることを宣告した。
『やっぱり、そう来るか』と肩を落とす私の前で、彼は侍女の淹れた紅茶へ手を伸ばす。
「せっかくだから、義姉さんとも話したいし」
完全にこちらの退路を断ち切った義弟に、私は内心苦笑を漏らした。
皇族の使者直々に指名されては自室へ下がれない、と考えて。
まあ、たとえ指名されなくても退室するのは難しいだろうが。
公爵夫人としてきちんと持て成さなくては、夫の顔を潰してしまうため。
『旦那様はあまり気にしなさそうだけど』と思いながらも、私は応接室に留まることを決意する。
「そのように仰っていただけて、大変光栄です」
胸元に手を添えてお辞儀し、私は礼儀正しく振る舞った。
────と、ここで義弟が壁際に立つ給仕役の使用人の方を見る。
「ねぇ、彼らは下がらせてくれない?」
「それは致しかねます。男女二人きりという状況は、避けたいので」
『外聞が悪い』と主張し、私はキッパリと断った。
人目のある状況じゃないと、何をするか分からないため。
別に襲い掛かってくるとは思っていないが、離婚云々の話を掘り返されるのは間違いないだろう。
『面倒だから、出来ればその話題には触れたくない』と考える私に、義弟はこう切り返す。
「僕と義姉さんは家族なんだから、二人きりでも大丈夫だよ。変な勘繰りをする人は、居ないって。それに軽く仕事の話もするかもしれないし……ねっ?」
こちらの不安という名の建前を潰しながら、部外者を追い出す大義名分まで提示する義弟に、私は何も言えなくなる。
『仕事の話』を持ち出されては、了承せざるを得ないから。
「……分かりました。彼らは下がらせます」
「ありがとう。義姉さんなら、そう言ってくれると思っていたよ」
嬉しそうに頬を緩める義弟に対し、私は内心溜め息を漏らす。
と同時に、使用人達へ合図を送った。
すると、彼らは『失礼します』と一言断りを入れてから退室していく。
おかげで、あっという間に義弟と二人きりになった。
「さて、邪魔者は居なくなったことだし、早速本題へ入ろうか」
案の定とでも言うべきか、義弟は呑気に世間話をするつもりなどないようだ。
恐らく、兄が帰ってくる前に用件を終えたいのだろう。
『旦那様が来れば、私の居る必要はなくなるものね』と思案する中、彼は表情を引き締める。
どこか、物々しい雰囲気を放ちながら。
「時間もないから、単刀直入に言うね────兄さんと離婚してほしい」
もう後がないからか、義弟はハッキリと要求を口にした。
かと思えば、おもむろに両手を組む。
「もちろん、すんなり『はい』と言ってくれるなんて思っていない。義姉さんはもう残留を決めたか、少なくともまだ迷っている状態だから」
『こちらの望む答えなんて、今すぐ出せないだろう』と言い、義弟は少しばかり身を乗り出した。
「なので、一つ条件を付け足す」
そう前置きしてから、義弟は真剣な面持ちでこちらを見据える。
「離婚しなかった場合、ペナルティとして────クラリス・アスチルベ・フィオーレ伯爵令嬢の命をもらう」
「!?」
ハッと大きく息を呑む私は、動揺のあまり目を白黒させた。
『何故、ここでお姉様の名前が……?』と混乱する私を前に、義弟はゆるりと口角を上げる。
「先に言っておくけど、今からクラリス嬢を保護して匿うのは無理だよ。だって────もう僕の部下に拐わせて、人気のない場所に閉じ込めてあるから」
『いつでも、殺せる状態だ』と主張し、義弟は無駄な悪足掻きをしないよう釘を刺した。
大人しく従うことを求める彼に対し、私はこう言い返す。
「貴族令嬢が姿を消せば、きっと直ぐに捜索されます。私がわざわざ動かなくても……」
「うん、そうだね。フィオーレ伯爵家の者達が、今頃懸命に探してくれている筈だよ。でも、果たして見つけられるかな?だって、彼らはきっと誘拐じゃなくて家出だと思っているだろう?」
「!」
駆け落ちという前科を持つ姉のことを考え、私は小刻みに震える。
誘拐と失踪では、捜索範囲も方法も違うから。何より、そこに掛ける熱意が全く異なる。
きっと……いや、確実に見つからないわ。
────と諦めかけたとき、私の脳裏にある可能性が過ぎる。
と同時に、ハッとした。
「……確かにただ姿を消しただけでは、家出か誘拐か判断がつきませんよね」
半ば独り言のようにボソリと呟き、私は強く手を握り締める。
「なので、フェリクス様がお姉様の家出を誘拐と偽って脅しの材料に使っている線もありますよね?」
ややピンク寄りの赤い瞳を見つめ返し、私は『どうか、そうであってほしい』と願った。
不安と期待の入り交じる視線を送り、唇を強く引き結ぶ。
一縷の望みに掛ける私の前で、義弟はパチパチと瞬きを繰り返した。
かと思えば、
「あはははっ!そういう考え方も出来るのか!」
と、大笑いする。
『その発想はなかった!』と口にする義弟は、余裕の態度を一切崩さなかった。
思わず表情を強ばらせる私を前に、彼はトントンと一定のリズムで膝を叩く。
「じゃあ、誘拐したことを信じてもらえるよう幾つか補足……いや、暴露しようか」
『この際だから、全て明かそう』と言い、義弟は自身の顎を撫でた。
「まずね、クラリス嬢を拐わせた部下というのが────彼女の駆け落ち相手なんだ」