結婚
「────伯爵家の次女レイチェル・プロテア・フィオーレとの婚約だ」
今度は私に白羽の矢が立ったことを語り、父はそっと目を伏せた。
喜んでいいのか、どうか分からないのだろう。
駆け落ちした姉の代わりに嫁ぐなんて、先行き不安でしかないから。
『そこら辺の仮面夫婦より、冷め切った関係になるでしょうね』と考える中、父は顔を上げる。
「詳細はまだ何も決まっていないが、あちらはレイチェルとの婚約を承諾してもらえるなら条件はクラリスの時と同じでいいと言っている」
つまり、予定通り援助を受けられる訳ね。それは有り難い。
『無事に今年の税金を収められる』と胸を撫で下ろし、私は肩の力を抜いた。
と同時に、父が表情を硬くする。
「これらを踏まえた上で、レイチェルの意見を聞かせてほしい」
『感情面も含めて』と申し出る父に、私はそっと眉尻を下げる。
もし、ここで『嫌だ』と……『嫁ぎたくない』と言えば、お父様とお母様はそうするでしょうね。
良くも悪くも、お人好しだから。
でも、今回ばかりはその優しさに甘えちゃダメ。
『相手方と和解出来なければ、こちらは……』と危機感を抱き、私は覚悟を決めた。
父譲りの金眼に、確固たる意志を宿しながら。
「本当にお姉様の時と同じ条件でいいのなら私は嫁ぎたいです、ラニット公爵家に」
────と、答えた数ヶ月後。
私は無事にラニット公爵家と婚約を結び、結婚式へ漕ぎ着けた。
目の回るような忙しさだったわね……お姉様の捜索で疎かになっていた仕事と、結婚の準備を同時に進めていたから。
正直、過労と睡眠不足で何度か倒れそうになったわ。
だけど、それも今日で終わり。
化粧台に取り付けられた鏡を見据え、私は綺麗にまとめられたピンク髪や純白のドレスを捉える。
『化粧のおかげで、顔もそれなりになったわね』と観察する中、不意に控え室の扉をノックされた。
「新婦様、お時間です」
扉越しに女性の声が聞こえ、私は慌てて席を立つ。
「今、行きます」
そう声を掛けてから、私は出入り口の方へ駆け寄った。
と同時に、扉を開ける。
すると、式場のスタッフと思しき女性が胸元に手を添えて一礼した。
「では、参りましょう」
その言葉を合図に、私達は会場へ向かって歩き出す。
関係者専用の通路を使用しているからか、道中誰かと出会すことはなく、無事に目的地へ辿り着いた。
どこか威圧感がある観音開きの扉を前に、私は小さく深呼吸する。
いよいよ本番ね、と意気込みながら。
『これ以上、我が家の評判を落とさないためにも完璧な式にしないと』と気負う中、
「────新婦の入場です」
ついに扉は開かれる。
真っ先に目につくのは、祭壇まで続くレッドカーペット。
『この先に新郎となる方が居るのね』と思案する私は、中へ足を踏み入れた。
すると、ピンクの花びらが会場内を舞う。
『ほう……』と感嘆の息を漏らす招待客を他所に、私は祭壇の前で立ち止まった。
と同時に、祭壇の上に立つ神官が口を開く。
「新郎新婦、両名にお尋ねします。健やかなる時も病める時も互いを愛し、敬い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」
穏やかな表情でこちらを見下ろし、神官は誓いの言葉を述べるよう促した。
その途端、隣に立つ男性が……新郎が顔を上げる。
「────誓わない」
ルビーの如く真っ赤な瞳に確かな意志を宿し、新郎はそう宣言した。
かと思えば、気怠げに前髪を掻き上げる。
「私はこの女を愛していないし、敬うつもりもないし、真心を尽くす必要性だって感じない。この結婚さえ成立すれば、それでいい」
そう言うが早いか、新郎は身を翻した。
後ろで緩く結んだ銀髪を揺らしながら。
「結婚式は終わりだ。これ以上、付き合っていられない」
『時間の無駄』と主張し、新郎はさっさと会場を後にする。
────これが、悪辣公爵と呼ばれるヘレス・ノーチェ・ラニットとの出会いだった。
◇◆◇◆
────最悪の形で終了した結婚式のあと、私は直ぐに公爵家へ連れていかれた。
と言っても、本邸には入れていないが。
私を公爵家の女主人として認める気はない、という意思の表れかしらね……別邸へ追いやられてしまったわ。
手入れこそ行き届いているものの、全体的に古い建物内を見回し、私は一つ息を吐く。
歓迎されるとは微塵も思ってなかったが、まさかここまで冷遇されるとも思ってなかったため。
『本当に結婚さえ成立すれば、あとはどうでもいいのね』と感じつつ、私はベッドに腰を下ろした。
と同時に、公爵家の使用人達が部屋へ足を踏み入れた。
ノックもしていないのに。
「レイチェルお嬢様、お初にお目に掛かります。別邸統括侍女のロベリアと申します」
そう言って、こちらを見下ろすのは赤髪の女性だった。
茶色がかった瞳に侮蔑を込める彼女は、他の侍女や従者を伴ってこちらへ近づく。
「ここは必要最低限の人数で回しているため、何かとご不便も多いかと思いますが、どうぞお嬢様の広いお心でお許しくださいませ」
言外に『ちゃんとお世話するつもりはない』と宣言したロベリアに、私は少しばかり目を見開く。
ある程度予想はしていたけど……ここでまともな生活を送るのは、難しそうね。
なんせ、仮にも公爵夫人となった私を『奥様』ではなく、『お嬢様』と呼ぶくらいだから。
あくまで、他所の人間という建前を通すつもりみたい。
『これも旦那様の指示かしら?』と思案する中、ロベリアはスッと目を細めた。
「それでは、これからよろしくお願いします」