夫と過ごす一日
◇◆◇◆
────これからも夫と一緒に居ることを決意した翌日。
私はいつものように一人で朝食を摂る……筈だったのに、何故か夫が同席していた。
いや、それ自体は別に構わないのだが……急激な変化に戸惑う。
だって、昨日までの夫は執務室で軽く摘めるものを食べていたから。
朝なんて、特に。
『夕食は何度かご一緒したことあるけど』と考えつつ、私はカトラリーを動かす。
書類を持ったロルフと、何やら話し込んでいる夫を眺めながら。
『お仕事の話かしら?』と内心首を傾げる中、夫がこちらを見た。
「レイチェル、このあとの予定は?」
「二度寝、昼食、昼寝、夕食、就寝です」
時系列順に予定を並べると、夫────ではなく、ロルフが反応を示す。
「寝るか、食べるかですね」
「たまに散歩もしますよ」
『庭の花が綺麗に咲いている時とか』と補足しつつ、私はスープを一口飲んだ。
と同時に、夫がカトラリーを置く。
「出掛ける予定がないなら、別にいい」
義弟の接触を気にしているのか、夫は少しばかり肩の力を抜いた。
かと思えば、使用人に食事を下げるよう要請する。
ナプキンで口元を拭いながら。
────でも、決して席を立とうとしなかった。
食後のデザートでも、待っているのかしら?
普段は全くと言っていいほど、甘味に興味を示さないのに。
『一応食べるから、嫌いではないと思うけど』と頭を捻り、私は使用人の様子を窺う。
が、一向に誰も動こうとしない。
────そうこうしている間に私も食べ終わり、カトラリーを置いた。
「では、お先に失礼します」
もうお腹いっぱいなのでデザートは控え、さっさと席を立つ。
その途端、夫も立ち上がった。
『あら?たまたま、タイミングが被っただけ?』と困惑する私を前に、彼はこちらへ手を差し伸べる。
「行くぞ」
「えっと、どちらに?」
「レイチェルの自室に決まっているだろう」
「送ってくれる、ということですか?」
今までこんなことなかったので混乱を隠し切れずに居ると、夫は
「いや、少し違う」
と、首を横に振った。
かと思えば、真っ直ぐにこちらを見据える。
「私は今日一日、レイチェルの傍に居ることにしたんだ」
「はい?」
動揺のあまり夫のことを凝視し、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
と同時に、納得する。
先程こちらの予定を聞いてきたのはこのためか、と。
外出する場合は、スケジュールを合わせづらいものね。
今日一日ずっと一緒に居ると言ったって、旦那様には仕事があるでしょうし。
室内の方が何かと都合がいいのは、当たり前。
だけど────
「────一体、何故そんなことを?」
至極当然の疑問をぶつける私に対し、夫は迷わずこう答える。
「少しは妻のことを知っておくべきだ、と思ったからだ。他人からの伝聞でも書面の報告でもなく、自分の目や耳で」
赤い瞳に強い意志を滲ませ、夫は一歩前へ出た。
恐らく、これは彼なりの歩み寄りなのだろう。
「なるほど、事情は大体理解しました。そういうことであれば、今日一日よろしくお願いします」
少しばかり表情を和らげ、私は夫の手を取った。
すると、彼は『ああ』と言って歩き出す。
私の自室を目指して。
『旦那様にエスコートされるのも、少しずつ慣れてきたな』と感じる中、目的地へ辿り着いた。
「ほら、寝ろ」
夫はベッドの方へ案内し、おもむろに手を離す。
と同時に、ベロニカの持ってきた椅子へ腰を下ろした。
眠るところを見届ける気なのか、両腕を組んでこちらを見つめている。
えっ?寝る時も傍に居るの?てっきり、隣室で待機するのかと……。
いや、夫婦だから別に問題はないけど、正直寝づらいわね。
真横から突き刺さる視線に内心苦笑しながら、私は一先ずベッドに寝転んだ。
「おやすみなさい、旦那様」
念のため一声掛けてから目を瞑り、私はただじっとする。
ここで変に動いたり、話したりすれば更に寝られなくなるため。
一応、二度寝を諦めるという選択肢もあるが……先程、宣言したスケジュールを覆すのは抵抗があった。
『それに旦那様が知りたいのは、普段の私だろうし』と考えつつ、全身から力を抜く。
すると、徐々に眠気が。
あら?思ったより、すんなり寝られそう。
意識が曖昧になっていく感覚を覚え、私はちょっとホッとする。
その刹那、深い眠りに入り────気がつくと、正午になっていた。
「昼食だ、レイチェル」
本当にずっと傍に居たのか、夫は目覚めた私へ声を掛けて立ち上がる。
近くの棚に置いた資料の山を少し整理しながら。
『仕事していたのか』と一人納得する私は、おもむろに身を起こす。
すると、夫がこちらへ手を差し伸べた。
なので、素直にその厚意を受け取り、ベッドから降りる。
「私は軽く身支度を整えてから、食堂に参ります」
『先に召し上がっていても、構いません』と告げ、私は隣室へ足を運んだ。
そこで乱れた髪や服を直すと、食堂へ直行。
夫と共に昼食を頂いた。
「次は昼寝だったな」
夫は私をエスコートして部屋へ戻り、またもやこちらを凝視。
────というやり取りを得て昼寝し、夕食もご一緒する。
あとは就寝だけね。なんというか、あっという間だわ。
『ほとんど寝ているせいかしら?』と思案しながら、私は食事を終えて自室へ戻った。
当然の如く、夫も一緒に。
『やっぱり、就寝まで見届けるのか』と思いつつ、私は再びベッドへ横になる。
そして、早速うつらうつらしていると────
「貴様、本当によく眠るな」
────と、夫に感心された。いや、引かれたと言った方がいいかもしれない。
まあ、この睡眠欲には私自身も驚いているので無理ないが。
「実家に居たときは逆に全然寝られなかったので、その反動かもしれません」
わりと真剣に自分なりの見解を述べ、私はチラリと夫の方を見やる。
と同時に、彼が少し頭を捻った。
「フィオーレ伯爵家では、眠りづらい環境だったのか?」
『騒音や寝具の影響か?』と考える夫に、私は苦笑を漏らす。
「いえ、そういう訳ではなく……実家の仕事を手伝っていた関係で、あまり睡眠時間を取れなくて」
身内の恥を晒すようなものなので姉のことには触れず、表面的な理由だけ明かした。
それでも、旦那様なら『訳あり』だと勘づきそうだけど。
娘……それも次女が家業を代わりにやっているなんて、普通は有り得ないから。
『違和感は持つ筈』と思案し、私は自身の口元に手を当てる。
────と、ここで夫が少しばかり身を乗り出した。
「そうか。それは────」
何を思ったのかこちらに手を伸ばし、夫は僅かに目元を和らげる。
「────よく頑張ったな」
ポンッと軽く私の頭を撫で、夫はこちらの尽力をただ評価してくれた。
飾りのない、真っ直ぐな言葉で。
「っ……」
つい泣きそうになる私は、唇を噛み締めて耐える。
ここで涙を流すのは、違う気がしたから。
「ぁ……ありがと、ございます」
震える声で礼を言い、私はうんと目を細めた。
これまでの自分の努力が、忍耐が、苦労が全て報われたような感動を覚えながら。
別に実家を支えてきたことに、後悔はない。
きっと時間を巻き戻しても、私はまた同じことをするだろう。
ただ、やっぱり……凄く辛かったの。それを、誰かに分かってほしかった。労ってほしかった。褒めてほしかった。
『負担を掛けてごめんね』と謝るばかりだった両親や何も知らずに活き活きしていた姉を思い出し、私はそっと目を伏せる。
と同時に、夫が私の目元へ手を当てた。
「私は当然のことを言ったまでだ。礼を言われる筋合いはない。それより、早く寝ろ────これまで頑張ってきた分、今は休め」
『ゆっくり心と体を回復させるんだ』と語る夫に、私は表情を和らげる。
その優しさが、ただ嬉しくて。
「はい。おやすみなさい、旦那様」
とても幸せな気分のまま目を瞑り、私は静かに船を漕いだ。
『ああ』と返事する夫の声を聞きながら。
────この日、いつもよりぐっすり眠れたのはきっと彼のおかげだろう。