私の決断
「────あっ、居た」
訓練場の中央で一人剣を振るう夫を見つけ、私は僅かに眉を上げた。
だって、素人目からも分かるほど洗練された動きだったから。
思わず息を呑む私の前で、彼は剣を振り上げる。
その際、剣身が雷のような光を放った。
あれはまさか────
少しばかり目を見開き、私はチカチカと点滅する剣身に釘付けとなる。
と同時に、夫が勢いよく剣を振り下ろした。
その瞬間、雷鳴のような……地響きのような音が鳴り響き、大理石で出来た床を割る。
また、切れ目を辿るようにバチッと花火のようなものが舞った。
とても人間業と思えない光景を前に、私は『やっぱり、そうだ』と確信する。
「────テンペスタース」
ラニット公爵家の人間のみ使える能力で、天候を操ることが出来る。
と言っても、万能ではないが。
何故なら、どのような天気にするか自由に決められる訳じゃないから。
能力の持ち主によって効果は変わってくるが、夫の場合どのような天気も雷に変えることが出来るみたい。
逆に言えば、雷にしか出来ない。そういう能力。
『さっきのやつは多分、その応用ね』と予測しつつ、私はひび割れた床をじっと眺める。
噂には聞いていたが、実際に目の当たりにするとなんだか圧倒されてしまって。
本来そこまで威力はないらしいけど、才能の問題かそれとも旦那様の努力の賜物か……通常より、高い効力を持っているとのこと。
能力を発現出来るだけでも、凄いのに。
だって、ラニット公爵家の人間が皆、天候を変えられる訳じゃないから。
歴史書などを見る限り、大体数代に一人くらいの割合。
正直、とても少ない。
まあ、だからこそ当主の座を守り続けられている訳だけど。
もし、普通の子供であったならば旦那様はこの地位に就けていなかったため。
仮に当主となれたとしても、フェリクス様が大きくなり次第その座を明け渡すことになっていただろう。
『フェリクス様が能力を発現出来なかったのも、ラッキーだったね』と考え、私は顔を上げる。
と同時に、夫と目が合った。
「貴様、そこで何をしている」
怪訝そうに眉を顰め、夫は手に持った剣を鞘へ収める。
どうやら、訓練はここまでのようだ。
「特に何もしていません」
『悪さしている』と疑われるのは困るので、私は両手を挙げて一歩後ろへ下がる。
すると、夫は呆れたように溜め息を零した。
「……質問を変える。ここへ何しに来た?」
「旦那様と接触するためです。ロルフから、訓練場に居るとお聞きしたので」
「そうか。なら、今度からは使用人を送れ」
『自ら出向くな』と釘を刺し、夫は前髪を掻き上げた。
かと思えば、こちらへ真っ直ぐ向かってくる。
「それで、接触してきた理由はなんだ?」
『何か重要な案件なんだろう?』と問い、夫は本題へ入るよう促してきた。
目の前で仁王立ちする彼を他所に、私はふと周囲を見回す。
「その前に一つ確認したいのですが、周りに人は居ますか?」
「居ない。私の鍛錬中は基本、誰も近寄らせないようにしてあるからな」
『盗み聞きされる心配はない』と述べる夫に、私はコクリと頷いた。
「それなら、遠慮なく話せますね」
『良かった』と安堵しつつ、私は一度深呼吸する。
覚悟を決めてここに来たとはいえ、緊張してしまって。
下手すれば、旦那様との関係が悪くなる可能性もあるからね……不安を抱かずには、いられないわ。
でも……それでも、聞かないと。自分の気持ちや考えを整理するために。
『そうしなきゃ、何も始まらない』と自分に言い聞かせ、私は赤い瞳を見つめ返した。
「実は今日、庭でフェリクス様にお会いしました」
「……なんだと?」
案の定とでも言うべきか、夫は渋い顔をする。
『やはり、あいつを中に入れるべきじゃなかったか』と思案する彼を前に、私は背筋を伸ばした。
「直ぐに報告出来ず、申し訳ありません。フェリクス様より聞いた話が、あまりにも衝撃的で……そこまで、気が回りませんでした」
ペコリと頭を下げて謝罪すると、夫は大きく息を吐く。
「まあ、いい。話を続けろ」
『大方予想はつくが』と呟きつつ、夫はこちらの出方を窺った。
どこかピリピリとした雰囲気を放つ彼の前で、私は口を開く。
「そのとき、フェリクス様から前公爵夫妻の死について聞きました。殺したのは兄さんに違いないから義姉さんも気をつけて、という忠告込みで」
慎重に言葉を選びながら説明し、私は自身の胸元に手を添えた。
と同時に、表情を引き締める。
「ですが、どうも違和感しかありません。なので、事件の真相を教えていただけませんか?」
『もちろん、他言はしません』と述べ、私はここだけの話として明かしてくれるよう願った。
が、夫は頑として首を縦に振らず……
「それは出来ない」
と、突っぱねる。
取り付く島もない即答ぶりに、私は小さく肩を落とした。
まあ、そう簡単に教えてくれる訳ないわよね。
夫婦とはいえ、まだ出会ってから一年も経っていないし。
『なので、こうなることは一応想定していた』と思案しながら、私は姿勢を正す。
「では、これだけでも答えてください────前公爵夫妻を殺めたのは、本当に旦那様なんですか?」
『はい』なら、高い確率でフェリクス様の言い分が正しいことになる。
でも、『いいえ』なら……。
ギュッと胸元を握り締め、私は速くなる鼓動を鎮める。
この場に張り詰めたような空気が流れる中、夫はただ一言
「────違う」
と、述べた。
その瞬間、私の中にあった不安は霧散する。まるで、最初から何もなかったみたいに。
「それだけ聞けたら、充分です。ありがとうございました」
肩の力を抜いて少しばかり表情を和らげ、私は深々と頭を下げた。
どこか、晴れやかな気分になりながら。
迷いが吹っ切れたわ。私は────これから先も、旦那様と一緒に居る。離婚はしない。
『もう揺るがない』と心に決め、私はスッと目を細める。
と同時に、夫が怪訝そうな表情を浮かべた。
「……私の言葉を信じるのか?」
『根拠も何もないんだぞ?』と言い、夫は額に手を当てる。
理解出来ない、とでも言うように。
赤い瞳に困惑を滲ませる彼の前で、私は小さく肩を竦めた。
「信じますよ。だって、旦那様は嘘をつかないじゃないですか。少なくとも、私に対しては」
ずっと誠実で居てくれたことを指摘し、私は柔らかく微笑んだ。
すると、夫は僅かに目を見開いた。
が、直ぐに元へ戻る。
「たかだか数ヶ月の付き合いだというのに、もうそこまで私を信用しているなんて、おかしな女だ」
フッと笑みを漏らし、夫は私の横を通り過ぎる。
恐らく、本邸へ戻るのだろう。
『私もそろそろ、部屋に帰ろうかな』と考えていると、夫は不意に
「レイチェル」
と、名を呼んだ。
これまでずっとフルネームか、『貴様』呼ばわりだったのに。
ビックリして思わず振り向く私に、夫は手を差し伸べる。
「何をしている?早く行くぞ」
途中まで送ってくれるつもりなのか、夫はエスコートを申し出た。
相変わらず行動の読めない彼を前に、私はパチパチと瞬きを繰り返す。
でも、特に断る理由もないので
「はい」
と、応じた。