義弟との再会
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────姉の突撃訪問から、約半月後。
一難去ってまた一難とでも言うべきか、私は義弟のフェリクス・イミタシオン・ラニットと顔を合わせていた。
何となく庭を散策していたら、バッタリ出会したのよね。
通常であれば、こんなこと有り得ないのに。
だって、フェリクス様は普段分家のところに居るから。
本家には、余程のことがない限り来れないと聞いているわ。
ロルフに受けた説明を思い返し、私はどうしようか悩む。
『こんなことなら、ベロニカも連れてくれば良かった』と後悔する中、義弟は嬉しそうに笑った。
「やあ、義姉さん。会いたかったよ」
ややピンク寄りの赤い瞳をうんと細め、義弟はこちらへ近づいてくる。
相変わらず人の良さそうな雰囲気を放つ彼の前で、私は内心溜め息を零した。
やっぱり見逃してはくれないか、と思って。
「ご無沙汰しております」
一先ず挨拶を返すと、義弟はコクリと相槌を打った。
かと思えば、私の目の前で足を止める。
「元気にしてた?」
「はい、それなりに」
「なら、良かったよ。社交界に全く姿を現さないから、ちょっと心配していたんだ」
ホッとしたような素振りを見せる義弟は、僅かに表情を和らげる。
と同時に、自身の首裏へ手を回した。
「一応何度か会いに来ようともしたんだけど、兄さんに妨害されてね。今日だって、デニス皇子殿下の付き添い役じゃなきゃ追い返されていたよ」
『殿下に協力をお願いして、正解だった』と語る義弟に、私はスッと目を細める。
ラニット公爵家の本邸へ来れたのはそういうことか、と納得して。
『そういえば、今日は厄介なお客様が来ると仰っていたわね』と思い返し、私は顎に手を当てた。
一応、旦那様の許可を得てここに居る以上、フェリクス様をぞんざいに扱う訳にはいかないわね。
皇族の付き添い役ともなれば、尚更。
『ますます、逃げ出せなくなった』と考えていると、義弟が庭のガゼボを指さす。
「ねぇ、良かったらあそこで腰を落ち着けて話さない?義姉さんには、まだまだ話したいことがあるし」
『長時間の立ち話はお互いキツいでしょ』と言い、義弟はこちらに手を差し伸べた。
恐らく、エスコートしようとしているのだろう。
「分かりました」
いい断り文句が思いつかなくて、私は渋々義弟の誘いに応じた。
と同時に、手を重ねる。
すると、彼は機嫌良さそうに笑って歩き出した。
「義姉さんの手、小さいね。馬鹿力の兄さんなら、握り潰せそう」
『あの人、片手でリンゴを割れるからさ』と口にし、義弟はガゼボの中へ足を踏み入れた。
かと思えば、こちらを振り返ってベンチに座るよう促してくる。
なので素直に着席すると、彼はその向かい側に腰を下ろした。
「義姉さんは知らないかもしれないけど、兄さんは君の思う以上に危険な人物だよ」
一点の曇りもない眼で真っ直ぐこちらを見据え、義弟は少しばかり身を乗り出す。
真剣にこちらの身を案じている様子の彼に対し、私は
「そうですか」
と、相槌だけ打った。
その手の話はもう聞き飽きてしまったので。
何より、夫の残虐性と暴力性は別邸の事件を通して知っている。
きちんと己の分を弁えている者には、寛容なことも。
理不尽に暴力を振るう荒くれ者や無差別に命を奪う犯罪者とは、違う。
『まあ、それでも人によっては悪に見えるんだろうけど』と思案する中、義弟はこちらを凝視する。
「そ、そうですかって……それだけ?」
「はい」
間髪容れずに首を縦に振ると、義弟は目を白黒させた。
こちらの淡白すぎる態度に、衝撃を受けているようだ。
「怖くないの?いつか、兄さんが義姉さんにも牙を剥くかもしれないのに。もし、そうなったら君はただ泣いて助けを乞うことしかないんだよ?反抗とか、逃亡とか出来る余裕はきっとない」
『兄さんはそんな暇を与えないだろう』と述べ、義弟はこちらの危機感を煽る。
と同時に、私はそっと目を伏せた。
「そうですね。旦那様を怒らせれば、私はきっと為す術なく蹂躙されるでしょう。けれど────怖くはありません。旦那様は話の通じない機械でも、理性のない獣でもありませんから」
同じ人間で意思と感情があることを説き、私は義弟の目を見つめ返す。
「話せば分かり合えるとまでは言いませんが、私が変に出しゃばったり旦那様の行動を妨げたりしなければそのような行動に出ることはないでしょう。なので、いくらご忠告いただいても旦那様の傍から離れる気はありませんよ」
「!」
義弟はピクッと僅かに反応を示し、表情を引き締めた。
ちょっと雰囲気の変わった彼を前に、私は『やっぱり、離婚が狙いだったか』と確信する。
旦那様の……ヘレス・ノーチェ・ラニット公爵の唯一の弱点は、血筋。
半分とはいえ、平民の血が混ざっている以上血統を重んじる貴族社会じゃ異物同然だから。
大貴族の当主ともなれば、尚更。
なまじ力のある家門だから、表立って文句を言う者はそうそう居ないだろうけど、そこにある確かな綻びを付け狙う勢力は居る筈。
それこそ、分家とか……義弟のフェリクス様とか、ね。
なので、旦那様は自分の地位をより磐石なものとするために建国当初より存在する由緒正しき家門────フィオーレ伯爵家との婚姻を望んだ。
どんな形であれ青い血を補うことが出来れば、お零れに与ろうとする者達を牽制出来るから。
少なくとも、跡継ぎのことで血筋の問題を引き合いに出されることはないだろう。
それは子供を産んだ私……ひいては、フィオーレ伯爵家に対する冒涜となるため。
フェリクス様としては、お世継ぎが生まれる前に私を旦那様から引き離したいんでしょうね。
これ以上、力をつけられたら敵わないから。
春の祝賀会の際に夫が言っていた『くだらない野心』というセリフを思い出し、私は一つ息を吐いた。
何となく予想はしていたものの、現実になると悶々としてしまって。
『相手が離婚を企んでいる以上、私も無関係ではいられない』と思案する中、義弟は口元に手を当てる。
「……義姉さんの考えは、分かったよ。だけど、君は少し兄さんを買い被り過ぎている」
いつになく語気を強める義弟は、ガゼボに備え付けてあるテーブルへ手を置いた。
かと思えば、少しばかり眉を顰める。
「あの人はそこまで、知性や理性のある人間じゃないよ。だって、十数年前────」
そこで一度言葉を切り、義弟はややピンク寄りの赤い瞳に暗い感情を滲ませた。
「────特に理由もなく、前公爵夫妻を……僕の両親を殺したんだから」