姉の正義
「でも、これだけは毎回ちゃんと言っていた筈です────考えなしに他人の事情へ首を突っ込まないように、と」
『まあ、あまり効果はなかったけど』と思いつつ、私は小さく肩を落とす。
今思えば、私達の対応も甘かったのだと痛感して。
『だからこそ、ここでハッキリ言わないと』と考え、私は背筋を伸ばした。
「お姉様は正しいことをしているつもりかもしれませんが、実際はただ周囲を掻き回しているだけです」
「そ、そんなこと……確かに勘違いして、迷惑を掛けたことは何度かあるけど……でも、ちゃんと誰かの助けになったことだってあるわ。ほら、奴隷として売り飛ばそれそうになっている子供達を救った時とか……」
自分の正義を否定されるのが耐えられないのか、姉はしどろもどろになりながらも反論した。
『だから、私の行いは間違っていない』と証明するかのように。
「ええ、そういうこともありましたね。年に数回程度でしたが」
勘違いして迷惑を掛けた方が圧倒的に多いことをやんわり指摘し、私はスッと目を細める。
「その成功体験だって、私達家族に負担を強いてやっと成立したものですし」
「えっ……?」
困惑気味にこちらを見つめ、姉は『どういうこと?』と視線だけで問い掛けてきた。
どうやら、全部自分の力でやっていたと思っていたらしい。
「先程提示していただいた子供達の件で言うと、まず本当に奴隷として売り飛ばされそうになっているのかどうか立証しなければなりませんでした。子供達の証言だけでは、単なる言い掛かりだと判断されてしまうので。きちんとした物証を用意する必要が、あったんです」
『貴族も絡んでいたため、中途半端な調査じゃダメでした』と言い、私はそっと目を伏せる。
あのときは一歩間違えたら、一家離散だって有り得たので。
裏社会に手を出すというのは、それほど危険なのだ。
「それでも、何とか両親は事件を立証して子供達を救い出しました。ですが、これで終わりじゃありません。まだ子供達のアフターケアが、残っています」
「アフターケア……?」
「主に子供の身元を調べて親元へ返したり、孤児院や住み込みの仕事を紹介したりすることですね。帰る手段も行くあてもない子だって、きっと居るでしょうから」
『事件を解決すれば、全て丸く収まる訳じゃない』と主張し、私は表情を引き締める。
と同時に、真っ直ぐ前を見据えた。
「お姉様、ここまでやってようやく『誰かを救った』ということになるんです。賽を投げるだけ投げて、その先にある苦労や責任は一切負わないようじゃ『誰かの救いになった』とは言えません」
非情なまでに厳しい現実を突きつけ、私は自身の胸元に手を添える。
「もちろん、人を助けたいという気持ちは素晴らしいものだと思います。けれど、それだけじゃダメなんです」
『助けたい一心で突っ走って、どうにかなるのは物語の中だけ』ということを実感しているため、自然と言葉に力が入った。
ギュッと胸元を握り締める私の前で、姉は今にも泣きそうな表情を浮かべる。
『さすがにちょっと言い過ぎたかもしれない』と焦る私を他所に、彼女は膝をついた。
「分かっ、た……認める……私が間違っていたわ……」
これまで、決して自分の考えを……正義を曲げなかった姉が、折れた。
思わず瞠目する私を前に、彼女は目頭を押さえる。
「ごめんなさい、レイチェル……たくさん、迷惑を掛けて。これからは改めるわ。でも────」
そこで一度言葉を切り、姉は私の手を掴んだ。
かと思えば、
「────この結婚だけは別」
と、宣言する。
緑の瞳に確かな意志と覚悟を宿す姉は、握った手に力を込めた。
「レイチェルは知らないかもしれないけど、あの男は本当に危険なの。だって、幼い頃に家族を……」
「「────クラリス!」」
大声で姉の名前を呼び、応接室に駆け込んできたのは他の誰でもない両親だった。
息を切らしている様子の二人は、姉の姿を見るなり泣き崩れる。
どうやら、かなり心配していたらしい。
「もう!貴方って子は……!」
「どれだけ、周りを振り回せば気が済むんだ!」
ホッとしたら今度は怒りが湧いてきたのか、二人とも声を荒らげた。
いつになく厳しい顔つきの両親に対し、姉は何も言えなくなる。
恐らく、先程の話を思い出して頭が上がらなくなってしまったのだろう。
「とにかく、帰るわよ!これ以上、お邪魔すると迷惑になるから!」
「説教はそのあとだ!」
一直線にこちらまでやってくると、両親は姉の腕を掴む。
と同時に、無理やり立たせた。
『ほら、歩きなさい!』と叱咤する二人は、そのまま廊下へ向かっていく。
お父様とお母様がここまで手荒な真似をするのは、珍しいわね……普段は物凄く温厚なのに。
両親の豹変ぶりに唖然とし、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
『優しい人が怒ったら怖いというのは、本当だったのね』と見当違いなことを考えつつ、放心する。
────と、ここで両親がこちらを振り返った。
「レイチェル、今回は本当にすまなかった……!クラリスには、きちんと言い聞かせる!」
「正式な謝罪は後日、必ずするから……!ラニット公爵にも、そう伝えておいてちょうだい!」
矢継ぎ早にそう捲し立て、父と母はこの場を後にした。
多分、姉がまた何か問題を起こす前に帰りたかったんだと思う。
賢明な判断ね。お姉様はまだ私の結婚について、不満を持っている様子だったから。
変に長居して喋る隙を与えてしまったら、不味いことになっていたかもしれない。
先程と違って扉が全開だったこともあり、私は危機感を抱いた。
ラニット公爵家の人間に、姉の不用意な発言を聞かれていた可能性を考えて。
『想像しただけでも、恐ろしいわね』と思案する中、私も応接室を出ていく。
夫やロルフへ、姉の帰還を知らせるために。
恐らくもう使用人から話は行っていると思うが、『お騒がせしました』という謝罪も兼ねて一度訪問するべきだろう。
はぁ……ちょっと気が重いわね。
詳しい状況を聞かれたら、答えない訳にはいかないから。
お姉様の仮病や不用意な発言も含めて。
立場上あまり庇えないことを考え、私は一抹の不安を覚える。
────が、それは杞憂に終わった。
だって、執務室に入るなり『貴様はもう部屋に戻れ』と言われたため。
仕事が忙しかったのか、こちらを気遣ってくれたのかは分からないが、私としてはラッキー。
一応、また後日聞かれる可能性もあるのでしばらく警戒していたが……結局、この件はそれっきりだった。