姉のお節介
◇◆◇◆
「お忙しいところ、失礼します。屋敷の正門前に────奥様の姉を名乗る方が、おいでです」
『如何なさいますか』と尋ねるセバスチャンに、私達は咄嗟に反応出来なかった。
まさか、本当に来るとは思ってなかったため。しかも、こんなに早く。
『フィオーレ伯爵家は一体、何をしているの?』と考える中、夫が手に持った書類を置く。
「レイチェル・プロテア・ラニット、この窓から相手を確認しろ。本当にクラリス・アスチルベ・フィオーレ本人なら、先程話した方法で対処する」
執務机の真後ろにある窓を指さし、夫はこっちへ来るよう促す。
なので、私は来た道を引き返して彼の方へ歩み寄った。
と同時に、窓を覗き込む。
『えっと、正門は……』と視線をさまよわせ、目当ての場所を見つけると、私は目を凝らした。
お父様譲りのオレンジ髪に、お母様そっくりの翠眼……間違いない────
「────お姉様です」
迷いのない口調でそう告げる私に、夫とロルフは一つ息を吐く。
本当に来たのか、とゲンナリしているのだろう。
「分かった。至急、フィオーレ伯爵家へ連絡する」
「騎士や使用人には、僕から話をしておきます」
夫とロルフは招かれざる客の対応に当たるべく、それぞれ動き出した。
非常事態でも冷静な彼らを前に、私も何かしようと思案する。
────と、ここで大きく揺れるオレンジ髪を見た……ような気がした。
何かしら?
反射的に正門前へ視線を向ける私は、思わず立ち尽くす。
何故なら────姉が地面に倒れていたから。
お姉様は平均に比べて、体が弱い……成長と共にある程度体力と免疫力がついたから、最近は健康だったけど、環境の変化のせいで悪化した可能性は捨て切れないわ。
逃亡生活の最中は、安全で質の高い医療を受けられなかっただろうし。
最悪の事態を想定して身を震わせ、私は唇に力を入れた。
と同時に、顔を上げる。
「旦那様、一つお願いがあります────迎えが来るまでの間だけ、お姉様を屋敷へ招いてもよろしいでしょうか?」
舌の根も乾かないうちに何を言っているんだと自分でも思うが、さすがに体調不良の家族を無視する訳にはいかなかった。
『応対は私がやりますので』と言い、深々と頭を下げる。
もし拒否されたら近くの宿屋まで姉を連れていこうと画策する中、夫がチラリと窓の外を見た。
「好きにしろ」
「ありがとうございます」
すんなり許可してくれたことにホッとしつつ、私は急いで部屋から出ていく。
そして、正門へ向かうと、騎士に介抱されている姉を保護した。
『一先ず、玄関から一番近い応接室に連れて行こう』と思い立ち、私は姉を引き摺っていく。
あら、思ったより軽いわね。逃亡生活のせいで、痩せたのかしら?
体型の分かりづらいローブ姿だったから、気づかなったわ。
『きっと、凄く大変だったのね』と考えながら、私は応接室に足を踏み入れた。
目の前にあるソファまで姉を運び、そっと寝かせる。
と同時に、肩の力を抜いた。
見たところ熱はなさそうだし、呼吸も正常。多分、少し寝れば治ると思う。
『でも、一応お医者様を呼んだ方が……』と思案していると────不意に姉と目が合う。
「えっ?」
まさか起きているとは思わず、目を見開いて固まった。
衝撃のあまり放心する私の前で、姉はおもむろに身を起こす。
「大丈夫だからね、レイチェル。貴方のことは必ず、私が助ける」
「はっ……?」
予想外の第一声に驚いてしまい、私はパチパチと瞬きを繰り返した。
状況についていけない私を前に、姉は立ち上がる。
「あの男と話をつけてくるわ」
「あの男……?いや、それよりも体調は?」
『もう動いても平気なのか』と気遣う私に対し、姉は小さく笑う。
「全然平気よ。だって────倒れたのは、演技だし」
「……はい?」
「ああでもしないと、屋敷に入れてもらえないと思ったのよ」
『騎士の人、すっごい頑固でね』と語り、姉はやれやれと肩を竦めた。
一切悪びれる様子もない彼女を前に、私は言葉を失う。
信頼を裏切られたような気がして。
昔から後先考えずに動く人なのは分かっていたけど、こうやって周りを欺くような真似だけはしないと思っていた。
いや、信じていた。
それなのに……。
憎いような……悔しいような心境に陥りつつ、私は強く手を握り締める。
と同時に、姉が扉の方へ足を向けた。
恐らく、『あの男』とやらに会いに行くつもりなのだろう。
「待ってください」
激しい感情で満たされる心とは裏腹に、落ち着いた声が出た。
『あぁ、案外冷静なのね』と何処か他人事のように考える私は、冷め切った目で姉を見つめる。
「この部屋から出られるのは、困ります。迎えが来るまで、大人しくしていてください」
『余計なことはしないで』と釘を刺し、私は姉の前へ立ちはだかる。
早くソファに座り直すよう促す私の前で、姉は
「それは出来ないわ」
と、キッパリ断った。
かと思えば、凛とした面持ちで前を見据える。
「レイチェルをこんなところに置いておく訳には、いかないもの」
こんなところ、ね……どうやらお父様の手紙に書かれてあった通り、お姉様は私と旦那様の婚姻について文句を言いに来たみたい。
ようやく呑み込めてきた状況に、私は内心溜め息を零す。
相も変わらず、見当違いな言動ばかり取る姉に辟易してしまって。
『“あの男”というのは恐らく、旦那様のことだろう』と予想する中、彼女が少しばかり身を乗り出した。
その際、私の肩に手を置く。
「望まない結婚を強いられて、辛かったでしょう?レイチェル。でも、もう大丈夫。私が……」
「────お姉様の助けは、必要ありません。むしろ、迷惑です」
おもむろに姉の手首を掴んで引き離し、私は拒絶の意思を表した。
と同時に、一歩前へ出る。
「私はこの結婚生活に満足していますから。ラニット公爵家に嫁いだことを後悔したことは、一度もありません」
一切言い淀むことなく断言すると、姉は大きく瞳を揺らした。
まさか、真っ向から自分の正義を否定されるとは思ってなかったようだ。
「う、嘘よ。ただ強がっているだけでしょ……?」
『あの男にそう言わされているのね?』と食い下がる姉に対し、私は小さく首を横に振る。
「いいえ、紛れもない本心です。確かに楽しいことばかりではありませんが、旦那様にはかなり良くしていただいています。おかげで、ゆっくりのんびり過ごせていますし。少なくとも────結婚前……お姉様に振り回される生活よりかは、ずっとマシです」
「……えっ?」
突然自分を引き合いに出されて驚いたのか、姉は目を見開いて固まる。
理解が追い付かない様子で視線をさまよわせ、口元に手を当てた。
かと思えば、絞り出すような声で
「……それ、どういう意味?」
と、問う。
どこか不安そうな素振りを見せる姉に対し、私は一つ息を吐いた。
周りを振り回していた自覚が、全くなかったのかと思うと……なんだか、脱力してしまって。
「お姉様が巻き起こすトラブルのせいで、私も少なからず影響を受けているんですよ。後始末に追われる両親に代わって、仕事をこなさないといけないので」
『いつも、過労と睡眠不足に悩まされていた』と語り、私は額に手を当てる。
今更ながらよく生きていたな、と思って。
「なに、それ……知らない」
姉はフルフルと頭を振り、後ずさった。
自分のせいで妹が苦労をしていたなんて、信じたくないのだろう。
「私も両親もとにかく目の前の問題を片付けようと必死で、あまりお姉様に注意出来ませんでしたからね」
あと、単純に家族へ苦言を呈することに抵抗があった。
体の弱いお姉様が相手だから、余計に。
病に伏せっている姿を思い出しては、言葉を呑み込んでいた。
「でも、これだけは毎回ちゃんと言っていた筈です────考えなしに他人の事情へ首を突っ込まないように、と」