帰還と突撃《クラリス side》
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────時は少し遡り、実家に戻る数日前。
私は潜伏先のホテルで、いつものように朝食を摂っていた。
はぁ……退屈ね。ここ最近、ずっと部屋に籠っているから。しかも、一人で。
あの人は外出ばかりしているのに。
『私だけお留守番なんて、狡い』と思いつつ、パンをちぎる。
でも、イマイチ食欲が湧かなくて直ぐに皿へ戻した。
『いつまでコソコソ暮らさなきゃ、いけないのかしら?』と溜め息を零す中、部屋の扉が開く。
そして、現れたのは赤髪の男性だった。
「────ウィル」
反射的に名前を呼ぶと、彼は黄緑色の瞳をうんと細めて笑う。
「クラリス、ただいま」
片手を上げてこちらに近づいてくる彼は、私の恋人であるさすらいの騎士だった。
泣きボクロがよく似合っていて、両耳にイヤリングをつけている。
また、顔立ちは中性的だった。
「おかえり。今日は早かったわね」
最近は深夜まで帰ってこないことが多かったため、私は少しだけ嬉しくなる。
やっぱり、愛する人との時間は格別だから。
『あと、一人だとつまらないし』と思案する私の前で、ウィルはそっと眉尻を下げた。
「今まで寂しい思いをさせてごめんね、クラリス。実はとある情報の裏取りをしていてさ」
「裏取り?」
「ああ。確証のない状態で、君には話せなかったから」
どことなく暗い面持ちで俯き、ウィルは懐へ手を入れる。
と同時に、顔を上げた。
「落ち着いて、聞いてほしい。君の妹が────ヘレス・ノーチェ・ラニットと結婚した」
そう言うが早いか、ウィルは懐から新聞を取り出した。
かなり前に発行したものと思われるソレを前に、私は呆然と立ち尽くす。
『ヘレス・ノーチェ・ラニット公爵とレイチェル・プロテア・フィオーレ伯爵令嬢が結婚!』と書かれた記事を凝視しながら。
頭の中が真っ白になるような……沸騰するような感覚を覚えつつ、ゆらゆらと瞳を揺らした。
「な、何で……!」
ヘレス・ノーチェ・ラニットの悪評は聞き及んでいたため、私は酷く狼狽える。
もし、妹に何かあったらと思うと気が気じゃなくて。
焦りなのか怒りなのかよく分からない感情が渦巻き、私は歯を食いしばった。
「そんなの絶対におかしいわ!お父様とお母様は一体、何を考えているの!?」
バンッとテーブルを叩いて立ち上がり、私は椅子に掛けてあったローブを羽織る。
と同時に、扉の方へ足を向けた。
「私、話をしに行ってくる!」
妹の一大事ということで居ても立ってもいられず、私は部屋を飛び出す。
後ろからウィルに呼び止められたような気がするが……気にせず、歩を進めた。
そして、実家に直行すると、早速両親に抗議を行う。
「何故、レイチェルをあんな男の元へ嫁がせたんですか!」
人目も憚らず両親に詰め寄り、私は思い切り目を吊り上げた。
すると、父は目を白黒させる。
「なっ……!?あんな男とは、なんだ……!」
「帰ってきて、一番に言うことがそれなの!?」
『もっと他にあるでしょう!』と叱り、母は私の肩を掴んだ。
爪が食い込むほど、強く。
いつも温和で、人を傷つけることなんてないのに。
「私達、ずっと貴方のことを心配していたのよ!?今まで、どこに行っていたの!?」
怒ったような……でも泣きそうな声で責め立て、母は顔を歪めた。
珍しく感情をぶつけてくる彼女の前で、私は一瞬怯む。
が、エントランスに飾られた家族の絵画を見て奮起した。
大切な妹をあんな男のところに置いておく訳にはいかない、と。
「話を逸らさないでください!何でレイチェルをあそこへ嫁がせたんですか!」
『私のことは今、どうでもいい!』と主張し、話を元へ戻す。
と同時に、母が何か文句を言おうとするものの……それよりも早く、父が口を開いた。
「先方からの要請だ。レイチェルも承知の上で、結婚している。だから、この件ではもう騒がないでくれ。レイチェルの立場を思うなら、尚更」
『我々が手を出しても、今より良くなることはない』と告げ、父はそっと目を伏せる。
どこか思い詰めたような表情を浮かべる彼の前で、私は奥歯を噛み締めた。
まるで、レイチェルを心配する気持ちが否定されたような気がして。
「なに、それ……!不幸になるレイチェルを黙って見ていろ、と言うのですか!?」
感情のままに怒鳴り散らし、私は肩に載ったままの母の手を払い除ける。
「もういいです!私があの男と直接、話をつけてきます!」
『お父様達と話していても、埒が明かない!』と判断し、私は踵を返す。
────が、母に腕を掴まれ、父に行く手を阻まれ、使用人に玄関の扉を閉ざされ……私は家を出られなかった。
『ちょっ……何を!』と喚く私を前に、父は顔を上げる。
「クラリス、しばらく部屋で頭を冷やしなさい」
いつになく硬い声色で謹慎を命じ、父は使用人達に目配せする。
と同時に、私は自室へ引っ張って行かれた。
もちろん抵抗したが、大人……それも複数人の力に敵う筈もなく、あっという間に閉じ込められる。
ガチャンと鍵を施錠する音が鳴り響く中、私は目を白黒させた。
まさか、このような扱いを受けるとは思ってなかったので。
今までこんな強引な手段に出ることは、一度もなかった……叱られたり、泣かれたりはしょっちゅうだったけど。
でも、自由を奪うような真似はしなかった。それなのに……。
自分の知らない面が見えてきて戸惑い、私は唇を強く引き結ぶ。
『これも全部、あの男のせい』と考えながら。
「お父様、お母様、お願い!開けて!私はただ、レイチェルの身を案じているだけなんです!だって、あの男は簡単に人の命を奪うろくでもない人間なんですよ!?身内すら、手に掛けていると聞きます!だから、レイチェルだっていつどうなるか分かりません!」
『今からでも二人を引き離すべきです!』と訴え、私は扉を強く叩いた。
が、返ってくるのは冷たい沈黙だけ……。
どうしよう……!こんなところで、時間を取られる訳にはいかないのに!
『こうしている間にも、レイチェルが……!』と思案し、私は室内を見回す。
どうにかして、外に出られないか?と思って。
『ここは二階だから、飛び降りる訳にもいかないし……』と考え込んでいると、不意に窓をノックされた。
「────やあ、クラリス」
そう言って、ガラス越しにこちらを見つめるのは恋人のウィル。
ヒラヒラと手を振って笑う彼を前に、私は一瞬放心した。
「な、何でここに……?」
「心配になって、一応様子を見に来たんだよ」
『まさか、閉じ込められているとは思わなかったけど』と肩を竦め、ウィルは指先で窓を突く。
「どんな話し合いが成されたのかは分からないけど、この状況を見る限り上手く行かなかったみたいだね」
「ええ、残念ながら……」
取り付く島もなかった両親のことを思い出し、私は嘆息する。
そして、ウィルの方へ近づくと、窓を開けた。
「だから、直談判しに行くことに決めたわ。手伝ってちょうだい。私をラニット公爵家へ送り届けるまで、でいいから」
『話し合い自体はちゃんと自分でやる』と宣言し、私は片手を差し出す。
すると、ウィルはニッコリ笑って私の手を取った。
「もちろん、いいよ」
『クラリスのためなら』と応じ、ウィルは一度窓縁に腰掛ける。
と同時に、私の手を引いて軽々と抱き上げた。
かと思えば、近くの木の枝や建物の外壁を伝って下へ降りる。
────駆け落ちした時みたいに。
「さあ、行こうか」
腕に抱いていた私を優しく地面に下ろし、ウィルは歩き出した。
繋いだ手をそのままに。
「ええ、行きましょう。レイチェルが待っているわ」
今頃一人ぼっちで泣いているかもしれない妹を思い浮かべ、私は気を引き締める。
『必ず救い出す』と胸に決めて前を見据え、ウィルのあとをついていった。