夢の牢獄
ある晴れた日のこと。
お医者さんは散歩中に真っ赤なマフラーを拾いました。きっと誰かの忘れ物でしょう。
「ごめんくださーい」
その道すがら町の交番へ出向き、忘れ物を届けに来ました。
ですが、待てども人は出てきません。
「ごめんくださーい」
もう一度声を掛けます。
しかし、返事はありません。
「ごめんくださーい」
「どうしました?」
返事があったのは後ろから。丁度パトロールから帰ってきたお巡りさんでした。
「これはこれはご苦労様です。落とし物を拾って届けに来たのですが、お留守だったようですね」
すると、お巡りさんは驚いた顔をしました。
「あれ? もう一人いるはずですが・・・・・・」
ちょっと待っていてくださいと、お巡りさんは宿直室の方へ向かいました。
言葉の通りちょっとだけ待っていると、その部屋から大きな声が。
「おーい、起きろ!」
どうやら、そのもう一人は眠っているようでした。
さらに呼ぶ声は続きます。
「まだ寝ていい時間じゃないぞ! 早く起きろって!」
ぐっすり眠っているようで、起こすのに苦戦しているようでした。
「ふむ、ここは私の出番でしょうか」
お医者さんは勝手に宿直室へ。
部屋を覗き込むと、畳の上にうつ伏せで寝ている婦警さんの姿と、側で頭を掻く困り顔のお巡りさん。
「お困りですか?」
「ええ、普段昼寝するような人じゃないんですがね・・・・・・」
お医者さんは婦警さんの横に座ると、その表情を覗きます。
やはり、今回も寝苦しそうでした。
「なるほど。私にお任せください」
「えっ」
驚くお巡りさんをよそに、お医者さんは婦警さんの手を握って目を閉じました。
婦警さんの夢は、刑務所の中のようでした。
「あまり、楽しい夢ではなさそうですね」
牢屋の立ち並ぶ廊下を歩きます。カツーン、カツーンと、床を叩く靴の音が反響するほど、静かで薄暗い不気味な空間でした。どの牢屋も空っぽで、何だか寂しさも覚えます。
「誰かいませんか? 迎えに来ましたよ」
帰ってきたのは、お医者さんの呼びかける声だけでした。
「おかしいですね」
首を傾げながら歩いていると、地下へと続く階段が見えてきました。もしかしたら、この下にいるのかもしれません。
「少し怖いですが、行ってみますか」
お医者さんよりもずっと、怖い思いをしているかもしれません。頬をピシャリと叩いて覚悟を決めると、階段を降りていきます。
階段を降りた先には長い廊下が続きました。
少し低い天井から等間隔にぶら下がった小さな電球の薄明かりを頼りに、ゆっくりと歩を進めていきます。
どれだけ歩いたでしょうか。真っ暗だった廊下の先にうっすらと扉が見えてきました。徐々に近づく扉。それが古びた鉄製だとわかる頃には、その奥にいる人の啜り泣く声が聞こえてきました。
「今開けますね」
その扉を開けるための鍵を作って差し込むと、ガチャリと重厚な音を立てました。
「よいしょっと」
その音に見合った重量の扉を頑張って開けると、真ん中に大きな牢屋が構えられた、コンクリート調の冷たい部屋でした。
「あれれ? 捕まっているのは婦警さんじゃありませんね?」
その牢屋の中では、何故か囚人服を着た一人の青年が座り込んでいます。
薄明かりの中、目を凝らしてよく見てみると、それはこの前助けた心優しき真面目な青年でした。
「お兄さん、どうして捕まっているんですか?」
「私のせいなの」
「わわっ!」
お医者さんはびっくりして腰を抜かしてしまいました。
声の主へ振り返ると、鉄の扉の近くで膝を抱えた女の人がいたのです。
「なんだ、婦警さんでしたか。でも、どうして囚人服を着ているんですか?」
警官の制服ではなく、白黒の縞々模様が特徴的な囚人服を着た婦警さん。牢屋の中の青年とお揃いです。
「私が着たいから」
「そうですか。コスプレが趣味なんですね」
お医者さんのとぼけた言葉に反応はありませんでした。
「お兄さんは何か悪いことをしたんですか?」
「ううん。何も。悪いのは私」
「そう、悪いのはそこの婦警だ」
聞き慣れた声。小鬼の姿を探すと、今度は檻の上で胡座をかいていました。
「相変わらず高いところが好きなようですね」
「お前のことは嫌いだけどな!」
嫌われているようで残念ですと、お医者さんは肩を落とします。
「どうしてお兄さんがここにいるんですか?」
「教えてやろうか?」
「やめて!」
婦警さんが叫びました。その表情は、今にもぐちゃぐちゃに崩れ落ちてしまいそうです。
「へへっ。それは、恋人を独り占めして閉じ込めておきたかったからなのさ!」
「ああ・・・・・・」
「僕が自ら叶えてあげたんだ! どうだ、偉いだろう!」
小鬼は腕を組んで、とても誇らしげに胸を張りました。悪いことをしたなんてちっとも思っていない、そんな感じに見えます。
「お姉さんは、後悔をしているんですね」
「私、彼を愛する資格なんてないの。一生懸命、子供達のために頑張っていたから、応援しなきゃいけないのに、忙しくて会えないから、夢の中だけでも会いたいって願ったの。そしたら、こうして閉じ込めちゃった」
私は最低だと、顔を両手で覆います。
「どうして泣くんだ? 願いを叶えたのに」
「そうか。そうだったのか」
不思議そうな小鬼に対して、お医者さんは何かに気がついた様子です。
小鬼に向き合うと、お医者さんはこう言いました。
「この牢屋も、お兄さんも、お姉さんの服も、みんな準備したのは君なのかい?」
「全部じゃないよ。でも、迷っていたから手伝ってあげたのさ!」
夢を形にするのはとても技術のいるものです。お医者さんだって、できるようになるまで何年もかかりました。だから、それを形にする技術を持つ小鬼が、欲望を叶えてあげていたのです。
「わかりました。じゃあ、今回も邪魔しますね」
「どうして! どうして邪魔ばかりするんだよ!」
小鬼が用意したのは、一丁のピストルでした。
「悪いことするなら、逮捕します」
お医者さんの掛け声と同時に、牢屋の上へもう一つの牢屋を作り、小鬼を閉じ込めてしまいました。
「出せ! ここから出せよ!」
「今回は逃しませんよ。そこで大人しくしていなさい」
ピシャリと言いつけると、婦警さんへと向き直ります。
「お姉さん、私の顔を見てください」
「無理よ。もう、人様へ顔向けできないわ」
「大丈夫ですから、私の顔を見てください」
渋々顔を上げた婦警さんへ優しく微笑みかけるお医者さん。
「いいですか。誰かを自分のものにしたいと思うことは、決して悪いことじゃ無いんです。お姉さんは警察官ですから、正しくいようとしたんですよね。私も医者だからわかります。いつだって、みんなの助けになる、立派な医者でいようと思っていました」
「でも、私は大事な人を苦しめた」
ポロポロと大きな涙を流す婦警さんへ首を振ります。
「私も同じです。自分の思い込みで苦しめてしまっていました。でも、人はやり直せるんです。お姉さんは警察官ですから、わかるでしょう?」
「うん」
「それに、これは夢です。心で思っていても、実際に閉じ込めたわけじゃ無いんです」
お医者さんの言葉と共に、夢の牢獄が音を立てて崩れていきました。
「誰しも、心の中に鬼を飼っています。でも、その鬼を否定しちゃダメです。それもまた自分なんです。受け入れてあげなさい。そうじゃないと、夢の中から出てこられなくなってしまいます。それも、悪夢から」
お姉さんの服は、いつの間にか警察の制服に戻っていました。もう、その表情も暗くはありません。
「現実で本物のお兄さんが待っていますから、会いに行ってあげてください。お姉さんがいつまでも寝ていると、寂しがってしまいます」
「私が寂しがらせちゃダメだよね!」
顔をゴシゴシ拭き取ると、腫れた目を細めて笑いました。
まだまだ痛々しいですが、きっと大丈夫でしょう。
「先生、先生!」
「う、うーん・・・・・・」
揺さぶられて、渋々目を覚ますお医者さん。
どうやら宿直室でぐっすり眠っていたようです。気がつけば、もう陽が落ちていました。
「いけませんね。散歩の途中だったのに、もう帰らなきゃいけなくなってしまいました」
「よければ、お礼に送っていきますよ!」
婦警さんがパトカーの鍵を取り出しましたが、
「近いので大丈夫ですよ。お気持ちだけ頂戴しますね」
あくび混じりで答えると、お医者さんはフラフラと帰っていきました。