悪役令嬢の呪い
「リリス。俺は君の事なんて好きじゃない」
「……そうですか」
真正面から青い瞳が私を射抜く。
そんなことを言われなくても知っている。私は、嫌われ者だ。
私は母の命と引き換えにして生まれた時から、嫌われる運命を背負ったのだと思う。
母を殺したと父に疎まれ、そんな父を見て兄たちにも疎まれ、その姿に倣って使用人たちに見下される。誰かに愛して欲しい、認めて欲しいと思っても、何をどうすればいいのか分からない。やることなすこと、裏目に出る日々だ。
そんな中、父から婚約者が決まったと言われた時、もしかしたら今度こそ私を好いてもらえるかもしれないと思ったけれど、正面切って好きではないと言われてしまった。悲しくて落胆したけれど、同時にやっぱりかとも思う。
私を好きになる人などいないのだ。
「本当に、本当に好きじゃないから」
「はぁ。分かりました。……えっと、私と婚約を破棄したいというご相談でよろしいでしょうか?」
目の前で好きじゃないと繰り返す男、ルークに私は小さくため息をはく。別に嫌いだとわざわざ言わなくても婚約破棄の相談にはのるというのに。
「そんなわけないだろう。俺は結婚して、お前を監視しなければいけないんだ」
……監視?
私が嫌いだから、私が悪いことをすると思い込んでいるのだろうか? 確かに私には、悪い噂が付きまとっているようだ。
私に対してなら、何を言ってもいいという風潮から、勝手に【悪役】に仕立てられている気がする。悪いことが起きれば、それはすべて私の所為。
そうすれば自分はお綺麗でいられるから。
自分を守るために私を贄とする。
正直、どっちが薄汚いのかと思わなくもないけれど、それをどうにかするだけの方法を私は持っていない。
「どのような噂を聞いたのか分かりませんが、私は後ろ暗いことなど何もしておりませんので、監視されるいわれはございません。私を監視するためだけに結婚をするのだったら、人生をドブに捨てるようなものです。自分のことをもっと大切になさった方がよろしいのでは?」
そう言った瞬間、ルークがどんと壁に手をつき、間近から私を睨みつけた。
「そういうこと言うのやめてくれる?」
「そういうこと?」
いや、監視すると言われて、はい、よろこんでと受け入れる人は、たぶんどこか頭のねじが緩んでしまっている人ではないだろうか?
私だって監視され続ける生活など進んで受け入れたくはない。
「自分のことを大切にしろとか! そういうこと!」
「えっと、何がお気に召さなかったのかは分かりませんが、自己犠牲はあまりお勧めできませんが――」
「君が、それを言う?」
いや、私が言ってはいけない言葉なのだろうか?
別に彼を否定するために行ったわけではないのだけど。
「自己犠牲をするなという言葉はリリスにこそ言いたい。そうやって我慢に我慢を重ねるから、最終的に大爆発をするんだ。いいか、もっと自分を大切にしろ。ないがしろにされてきたから、自分には価値がなくて、何をされても仕方がない存在だと思うな!」
んんん?
私は別に自己犠牲を発揮したことはないと思う。
家族から見向きもされない自分に価値があるとは思えないけれど……大爆発? 一体ルークが何の話をしているのか分からない。
「価値……。公爵家の令嬢ではございますが、公爵というのは父に付随している言葉で、父が私を認めていないので正しく公爵家の令嬢という価値はございません。ですが、確かに血は公爵家の者ですし、政略結婚の駒という価値は――」
「そんなの価値とかじゃないだろ! そうやって、自分をないがしろにするから、君は何度も何度も何度も死ぬんだ」
「……生きておりますが?」
何を言っているんだろう。
今しゃべっている私は幽霊ではなく、間違いなく生きている。生きているからしゃべっている。
そもそも人は何度も死ぬことはできない。これだけは平等だ。悪人だろうと正義の味方だろうと、死は一度のみ。二度死ぬということはあり得ず、それは一度は死にかけただけで死んでいないということだ。
それとも精神的な意味の死ということだろうか。
確かに私は【悪役】を押し付けられている為、名誉は何度も勝手に死んでいるだろう。まあ、そんな名誉など、存在しないかもしれないけれど。
「今は生きているな。確かに。でも、死ぬんだ。無実の罪を着せられて、簡単に死ぬ。何度も、何度も、何度も」
「いや、人間は一度しか死ねませんけれど?」
頭、大丈夫ですか? という言葉だけは呑み込んでおく。
私は何か無実の罪を着せられかけていて、処刑されかけていることを暗に伝えてくれているのだろうか? ただ正直……死ぬのも悪くはないと思う。
生きていたいと思えるほど、楽しい毎日ではない。今生きているのは、母の命を使って生まれたから、自死を選ばないだけだ。
「そうだよ。人生は一度だけだ。リリスは、何度も、何度も、何度も、一度だけの人生を繰り返して、そして無実の罪を着せられて死んでいるんだ」
「はい?」
一つの人生に対して死は一度だけ。
だからいくつも人生があるのならば、死がいくつもあるのも、一応おかしくはない。でもそもそも人生は一人に対して一度だけではないだろうか?
「あー……それが正しいとしても、私には今の人生しか認知できません。どうしてルークは私の人生が何度も繰り返していて、私が無実の罪で死んでいると分かるのですか?」
「繰り返しているからだ! 君が死ぬ度に、俺は時間を戻され、何度も何度も何度も同じ人生を歩んでいるんだ!」
私が死ぬ度に繰り返される人生を何度も歩んでいる?
やっぱり、頭、大丈夫ですか? という言葉が正しいような話だ。でも私が認知できていないだけで、絶対それが嘘であるとは言えない。
「それはなんというか……ご愁傷様です? でも何度も繰り返せるのならば、色々試して人生を楽しんでみてはいかがですか?」
「本当にそんなことができると思う? ある日突然君の死を起点に時間が戻って、俺が積み上げてきたものはなくなるんだ。知りあった者は他人となり、思い出の共有もできない。それが何度も起こり、この先も起こるだろうことが予測出来て、いつ終わるのかも分からない。少なくとも俺は、リリスが無実の罪で死ねば必ず戻るのだと思っている」
「私には思い出を共有する友がおりませんので、すべての気持ちを察することは難しいですが、確かに作りかけのパズルが途中で壊されることが何度も起こって、もうやめたいと思ってもやめられない状況と言われればなんとなく、ご不快な状況だとは察します」
知り合った者はたいていが私を蔑む相手なので、その人の記憶から消え去ることに何ら思うことはない。でも永遠に終わらない世界というのは、確かに恐ろしいとは思う。
「……悪い。別に自慢しようとかそういうわけではないんだ」
「謝らなくても結構です。事実ですから。それで、どうしてそのようなことになっているのですか? それに無実の罪で死なず、私が老衰したとしても、また時間が巻き戻る可能性はございませんか?」
「まだ老衰までたどり着いたことがないから、分からないけれど、たぶんこれはリリスからの呪いの結果だから、幸せな老衰までたどり着ければ、呪いも解けるのではないかと思うんだ」
私の呪い?
何度も繰り返しているという話が本当ならば、私の記憶にないだけで、もう死んでいる私が呪ったということなのだろうけれど。でもどうしてそんな呪いをかけられたのか、色々謎も多い。
まあ、それは置いておくにしても、老衰を目指すとは、中々に気の長い話だ。健康に生きれればまだ六十年ほどある。
「老衰を目指すなど、気が長すぎませんか?」
「もうそれ以上の年月を繰り返しているんだから、別に長くない。むしろ同じ一年を六十回以上繰り返すよりはずっとマシだ」
……六十年以上繰り返しの世界に閉じ込められているならば、確かに老衰まで一度やってみようというのも分からなくない話だ。
「そもそも、どうして私に呪われたのですか?」
でも老衰を待つなんて悠長なことをせず、先にこっちを解消した方が早くないだろうか? すでに死んでしまった相手の呪いの解きかたなんて分からないかもしれないけれど。
「……冤罪に気が付かず、一度君を罵り殺したからだ。君の言葉を信用しなかった俺はリリスに『そんなに私が憎いなら、永遠に私の死を見ていろ』と言われたんだ。それからずっと、俺は繰り返している」
……確かに、そのような言葉でののしるということは、よっぽど腹に据えかねていたのかもしれない。
我慢以外の対処方法を私は知らないから、我慢に我慢を重ねることは普通だ。そしてその状態で、最期だからと何かを言って、拒絶され、気持ちが爆発したのだろう。
その結果、ルークは私の死を何度も何度も見ることになっているのか。
確かにそこまでの言葉を吐いたと言うならば、よっぽどのことを言われたのかもしれないけれど、その時の私はもういない。
永遠に抜け出せない世界で、彼は苦しみ続けているけれど、それを許してくれる相手は彼が殺してしまったからもういない。だから終わりがない。
私はその時の私の苦しみを知らない。でも同じ一年を六十回以上繰り返して、嫌いな相手と付き合って、老衰を見届ける方がいいと思えるぐらいの罰はもう与えられたのだ。私はもう許していいのではないかと思う。
「分かりました。なら、私がルークを【許します】」
「は?」
「ですから、かつての私はもう死んでしまって許すことができない状態ですし、同一的な存在である私が許すという方法で呪いは解けないでしょうか? もういいです。私はあなたを許します」
私は罰を受けるのが嫌いだ。
使用人たちにしつけと称されて与えられる苦痛を思うと、それを他人にしたいとは思えない。だから罰を受けずに済むならば、それがいい。
「ふざけるな!」
「ふざけてはいないつもりですが、これでも呪いが解けないのでしたら申し訳ありません」
こんな簡単に解けるはずはないと思っているからか、ルークの青い目が怒りに染まる。
「俺は君なんて好きじゃない」
「はい。お聞きしました。なので、ルーク様の人生が、嫌いな私で消費されないように呪いが解けないかと思ったのですが」
「嫌いなんて言ってないだろ!」
はい?
そう言えば確かに嫌いとは言われていない。
好きではないと言われただけで。
「無関心ということでしょうか?」
「そんなわけあるか! 無関心じゃないし嫌いでもない。でも俺は、好きじゃないはずだ。そのはずなんだ」
「……はあ。でも好きじゃないなら、私から解放されれば幸せでは?」
「そんなわけあるか。俺をいまさら切り捨てるな! 俺は絶対、君が幸せな老衰を迎えるまで、目を離さないからな。とにかくまずは一年後に死なないように、俺と婚約して絶対離れるな」
そうか。確かに同じ一年を繰り返したということは、私は一年後に死ぬ確率が一番高いということか。
確かにそこはルークとしても越えておきたいところだろう。すでにトラウマの域かもしれない。
「分かりました。では、まずは一年間、婚約をよろしくお願いします」
私はルークに手を差し出した。
その手をルークはじっと見つめ、ごくりと唾を飲み込んだ後、強く握った。大きな手は私より温度が高いようで熱かった。
こうして始まった婚約だったが、その後私は、ずるずるとその契約を結婚に切り替えることになった。
「俺は君の事は、好きじゃない。……愛している。だからもう一度君と話したいんだ」
そして命の終わりには、そう泣きそうな顔でささやいてもらえる関係へと変わった。呪いの継続を願うルークに私はルークの呪いが消えていることを願う。
きっと一人ぼっちでまた繰り返したら、こんどこそ彼が壊れてしまうかもしれないから。だからどうか、許してあげてと。
――でも呪われることを願うなんて、これこそ悪役令嬢の本当の呪いかもしれない。