『形』と『名前』
「おさらいだ」
都会の片隅。再開発の進む街。まるで、取り残されたような一画。
とっくに建築費分なんて稼いだであろう、そんな、ビルの踊り場。
声を発した男――水野だ。彼の手のひらに掲げられるタブレットには、
赤やら青やら、まるで積み木のように幾何学模様が並んでいる。
「あいさー。せんせー」
問いかけられた女、竹宮は首をこくんと上下する。
その拍子に、ピンク髪のインナーカラーが微かに揺れた。
「じゃあ、行くぞ。この表……この数字はなんだ? プラン表読めなきゃ、ディレクター無理だからな」
水野は山型になっているグラフの一点を指した。
そこはまさに山頂の位置で、そこから標高はなだらかに下っていた。
「わかってる定期。えーとリリース前が一番高いから……初期開発費!」
「その通り、まあ、これは借金だな。これを返さないことにはずっと赤字だ」
その言葉に竹宮は、渋柿でも食べたように口をギザギザにする。
「最初っから借金とかふざけてる定期……。これ下げられたりしないんすか?」
竹宮の言いたいことはわかる。けれど、それは品質とトレードオフの構造だ。
「Vtuberを生身でデビューさせたら初期開発費いらなくねって言うのと同じだよ」
「それはさすがに暴論……。でも、ないか。確かに近ごろのVtuberは、いいおべべ着てますもんね」
Vtuberのデビューにもガワの制作という初期投資がいる。
生身のタレントにも衣装やレッスンは必要だが、こちらはランニングコストの意味合いが強い。
「そういうこと。とくにグラフィックは読み違えると見向きもされないしな」
「じゃあ、速攻で借金返したいっすね。やっぱガシャっすか? かわいい子のイラストなら自信ある定期」
水野は煙草に火を付けた。吐かれた煙が、長く長く、尾を引いて消えていく。
タブレットを竹宮に押し付ける。受け取った竹宮がうろんな表情で視線を向けてくる。
「俺の経験だとな。客の満足は必ずコスパに行き着く。払った分寄こせってな」
「それは……?」
「『俺はこれだけ赤スパした』、『等身大フィギュア買った』。こういうのは、エスカレートするんだよ」
竹宮には、ゲームを抽象化した話はまだ早い。
だから、例え話で進めた方が理解が進むだろう。
「少数の客が多額の金を払う構図は『踏み絵』になる。そうやって先鋭化したVtuberなら、イメージつくだろ?」
「あっ……。友達が推してるイラストVの人もそんな感じになってるって……」
客が数字を言い出したら危ない。演者と客、夢と現実の境が曖昧になっている。
ともあれ、だ――。
「真っ当なものを作って、真っ当にやるしかないんだよ」
「売れたゲームシステムとか音楽を借りたりできないんすか?」
水野は手のかじかむ感覚に煙草の火を指先に近づけた。
熱を感じる。けれど、温かみまでは足りない。再び、煙は帯のように伸びた。
「『歌ってみた』、『ゲーム実況』みたいに、有力コンテンツを摘まんでリスクとコストを下げるのはムリだ」
アーティストなら、自身独自の楽曲など、一次コンテンツ化を目指すだろう。
しかし、これは高コストだし、難易度が高い。
時折、ライバーが出資して楽曲制作――の話も聞くがハードルがある。
「特許とかあるって話は聞きましたっけ。喉元に剣を突きつけ合う抑止力って」
「〇〇エンジン。みたいなモンでもあるけどな。でも、だいたいIPで使う」
結局は、自分たちでコンテンツを、ゲームを作る痛みを引き受ける必要がある。
水野はいくつものゲームに携わってきた。
そこから得た結論は、『最後は時の運』だ。当たり前の品質ってやつはある。
だが、地雷原の回避率があがったとて、当たるかはわからない。
事前に計画して、想像して、遊びに悩むことは、もはや義務と言っていい。
「IPっすか……。あー、このロイヤリティって数字ですか?」
「そうそう。勉強用だから、こういう費用もかかるってのは覚えておいたらいい」
「んー。まあ、そうっすね。わかりました」
竹宮は顎に手をやって、細い指で数字を追っている。
あまり見ない姿だな、と水野は思った。
「……ずいぶん殊勝だな」
「ん?」
「いや、こういうの好きじゃなかっただろ」
「あー……」
言いつつ、竹宮は視線を上げた。虚空に何かを探すみたいに、目を瞬いた。
髪をかきあげて、タブレットに視線を戻す。
「さとPが、苦労してるんで」
「あぁ。転職したんだっけ。同い年だったか? 一筋縄ではなあ」
「Vtuber事務所ってタイヘンみたいすよ」
ゲーム業界からVtuber業界に移るものは意外と多い。
Vtuberで新しいゲームを作りたいと去っていったさとPだが、コンテンツ制作を内部化するのは事務所としてはリスキーだし、デメリットも多い。
「私見でよければいくらかは言えると思うぞ」
「直接さとPに言ってください定期」
「いいじゃないか。お前が言えば」
「はいはい。で?」
観念したように、竹宮は水野に向き直る。
「なんかな、誰かの視点からのライブとかを、漫画にしてほしいんだよ」
「……どういうことっすか?」
「んー、要はな。たくさんのライバーの活動を作品って形で切り出したらどうかって」
「切り抜き師じゃなくて?」
水野は首を振って、辺りに煙をまき散らした。
大体の切り抜き師はタレントに着いて、ライブ配信単位を対象にしている。
「膨大なライバーの活動すべてを収集し、選択し、適切に編集して提供して。編集みたいな」
いくつものゲームは電子の海の藻屑になって消える。
文字通り、誰も記録にしていない。
だけど、良かった瞬間、その一瞬だけでも、何か『形』と『名前』が付けば。
「そのひとつとして、組曲ってのがスタッフ発案なのは、画期的だよ」
「あぁ、この間やってましたね」
「その物語単位をIPにして、それが売れれば、いいんじゃないかな」
竹宮はスマホを取り出すと慌ただしく指を動かし始めた。
「まあ、素人意見だけどな」
「私よりマシ定期」
水野は煙草を揉み消すと、『まだいるか』と竹宮に訊ね、扉に手をかけた。
「もう少しだけ」
「風邪ひくなよ」
明るくて暖かいオフィスの中を水野は見渡しながら歩く。
馴染みの顔は、増えて、減っていく。
自動販売機の前まで来ると、ホットのミルクティに手を伸ばした。
「風邪ひかれちゃ、困るからな」




