精霊姫の涙、無断使用の件について
話は少しだけ過去に遡る。
ティミスがウォーレンへと向かい、ナーサディアの看病をしていた時のこと。何となく、本当に何かあった訳では無いのだが、ファルルスは宝物庫へと歩いていた。
嫌な予感がした、とはいえ他国のものが侵入したわけではなさそうだったので、杞憂だと思いたくて、不安を拭い去りたくて向かっていた。
「え、っ…?皇妃様!」
ファルルスがまさか来るとは思っていなかったのだろう。宝物庫の門番は慌てて背筋を伸ばし、最敬礼をする。別に構わない、というようにファルルスは手を挙げ、彼らの最敬礼を止めさせた。
「何かございましたか?」
「いえ…何と言えば良いのか…。胸騒ぎが…」
「賊などは勿論、一歩も近付いたりはしておりませんのでご安心を!」
「えぇ、いつもありがとう。貴方方がここを守ってくれているから、わたくしや陛下は安心していられるの」
「ありがたきお言葉にございます!」
入口にかけられている侵入者撃退用の防犯魔法にも反応の形跡はない。門番たちにも操られているような気配もなく、妙な魔力痕も探り当てられない。だが、首筋あたりの違和感というか、ざわついた嫌な感覚は未だに消えなかった。
「少し…中に入ってもよろしくて?」
「勿論です、少々お待ちください!」
担当の彼らが交代で守っているこの門の鍵は特殊な構造をしている。まず一つ、鍵を使うにあたって、錠と鍵それぞれにその人の魔力波長の登録が必要であること。もう一つは鍵を開ける時に一定の魔力を注ぎながら決められた手順で鍵穴横にある文字盤の操作を行わなければないないこと。
力任せに開けようとしたらその時点で鍵がへし折れ、穴に詰まることになっている仕掛けが組み込まれている。解除できるのは皇帝と、これを制作した魔導師のみだが、その魔導師は相当な高齢なのでおいそれと呼び出す訳にもいかない。
杞憂だったのだろう、そう思いながら解錠してもらい、宝物庫内へと入った。
ゆっくり歩きながら周囲を確認する。ファルルスの護衛も一緒に入ってきて、辺りをきょろきょろと見渡した。
「ファルルス様、特に妙なところはございませんよ?」
「…何だったのかしら…。未だにモヤモヤしているのよね…」
うーん、と唸る彼女の様子は未だに納得がいっていないようだ。
ファルルスの護衛は、一体何が不安なのか、何が気がかりなのか分からなかったが、こういう時の彼女のカンのようなものは、当たると知っている。
だから、納得がいくまで時間がかかろうとも共にあろうと思っていたのだが、不意に宝物庫を歩き回るファルルスが足を止めた。
「どうなさいましたか?」
「…………………いち、……に、……さん……」
「あ、あの、ファルルス様?」
「ごめんなさい、少しだけ静かにしてちょうだいね」
すみません、と小さく謝り、何があったのかと少し位置をずらしてファルルスが数えている物の正体を確認した。
「……精霊姫の雫……?」
カレアム帝国の秘宝中の秘宝。宝石姫の祈りにより稀に生み出される石を、じっと見つめて数えていたのだ。
だが、これも日々個数管理はきちんと行われているはず。どこがおかしいのかよく分からなかったが、いきなりファルルスの雰囲気が変貌した。
「………何故、足りないのかしら……」
「へ?」
「……誰か!!誰か来なさい!!」
カレアムでも評判の美姫として皆から賞賛されているファルルスの美貌が、まるで般若のような形相になっていた。例えるなら、美貌がどこかに家出したのかというくらいの変貌。
「あ、あの、あの、ファルルス様?」
「……黙っていらしてね。わたくし今、とぉっても怒っているの……」
口元がひくつきながらも、護衛に対してかろうじて微笑みは保っているが、迂闊なことを言えば首と胴が離されてしまいそうな雰囲気すらある。
ファルルスの声に慌てて宝物庫内に入ってきた門番は、怒りの表情に思わず『ひぃ』と悲鳴を上げかけるがそれは叶わず、襟元を掴まれてしまい恐怖でガタガタと震え出した。
「す、すす、すみ、ま、せん…!わ、我らは、何か……」
「何かどころではありません!どうして精霊姫の雫の数が足りないの!!」
「………………え?」
素っ頓狂な声の門番だが、慌てて首を左右に振った。
「そんなわけありません!わたしが昨日数えた時は十五個ありました!」
「嘘おっしゃい!十四個しかないわ!」
「な、なんで…」
「お待ちください!わたしも数えましたが確かに十五個ございました!」
「何ですって…?」
二人揃って数え間違える訳はないか…?と訝しげな顔になるが、「あ!」と叫ぶ門番の一人。
「何かあったの?」
「…関係あるか分かりませんが、いや、えぇと…」
「早く仰いなさい…!」
「ティミス殿下が、いらしてたんです。普段はいらっしゃらないのに」
「え?」
ファルルスの中で何かが結びついたらしい。そしてギリギリと歯軋りをしながらやり場のなさそうな怒りをどうしたものかと悩み、何かを殴る訳にもいかず、床に両膝をついて所謂膝立ちになると思いきり床を拳で打ち付けた。
「ファルルス様!!!」
護衛の悲鳴が響く。が、ほぼ同時に地を這うような低音が聞こえた。
「あの馬鹿息子めが…!………………帰ってきたらタダじゃおきませんわよ…………」
ひぇ、と誰が悲鳴を上げたかは分からないが、多分全員言ったので誰が言ったか分からなかっただけのこと。
あまりの迫力に驚きはしたものの、それよりもファルルス渾身のパンチでひび割れた床に心の中で「何かすまん」と謝る護衛。
なお、ナーサディアと共に帰国したティミスは、諸々の報告をする前にファルルスに捕まったそうだ。
ナーサディアはその時、疲れから眠っていたのでその悲鳴を聞いてはいないそうだが、アトルシャンもウィリアムも爆笑していたそうなので、余程情けない声だったらしい。
ぎっちぎちに締め上げられたが、結果オーライだったから許してもらえたようなもの。
最後に母から『使うならせめて許可をとりなさい』と言われた直後、思いきり脳天にゲンコツをくらって涙目になりながらも了承することしかできなかったティミスだった。
母、怒ると怖いの法則