98.「葵祭」
来週から中間テストがスタートする。
今の俺は未来ノートを捨てた、ただの高木守道。
中学3年生に祇園書店で手に入れた白い未来ノート。
本当にあの白い未来ノートは何だったんだ?
持ってても捨てても、何だか以前とあまり変わらない人間関係。
みんなが俺を心配して、楓先輩まで使い終わった問題集を俺に山のように与えてきた。
神宮司姉妹。
藤の花フラワーパークでの、5月大型連休の不思議な1日。
ゴールデンウィーク、俺の唯一の遠出の思い出。
遠出と言うよりは、半日のお勉強ツアー。
家庭教師は無料のお友達。
未来ノートがあろうと無かろうと、変わらないものがある事に気づいた俺。
人との関係を、未来ノートの力だって疑って。
それでも変わらない、友人と言える人たちとのやりとり。
変わらない事に気づけたからこそ、続けられるものもある。
英会話レッスン、かける2年分。
相変わらず毎日のルーチンとして続けている俺。
中間テストは2週間後に迫る。
今はただ、勉強するしかない。
蓮見詩織姉さんの課題と、成瀬結衣の課題をひたすら毎日続ける。
去年のラジオ英会話、2年前のラジオ英会話。
紫色のスマホと、紫色のCDプレイヤーが自宅アパートの俺の机に並ぶ。
ラジオ英会話を聞いて、英会話をノートに書き写して、英単語を覚えて、テキストの問題解いて。
毎日繰り返すうちに、それが当たり前のようにも感じてくる。
勉強が当たり前とか、今までの俺には無かった。
少なくとも中学3年生までは、こんなラジオ英会話なんて、聞こうとも思わなかった。
ラジオ英会話が終わり、成瀬結衣の紫色のCDプレイヤーを置く。
その近くには、現代文の問題集。
『ここから始まる!現代文の解き方』
次の文章を読んで、設問に答えよ。
あの日から俺は、ラジオ英会話2年分とは別に、暇さえあれば現代文の問題演習も始めた。
まともに問題集すら無かった俺の自宅に、今は現代文の問題集が満載された、緑色のキャリーバックが置かれている。
机の上、目に付く緑色の短冊。
神宮司楓先輩に渡された、緑色の短冊。
今、部屋の机で勉強している俺。
透明な保護シートが1枚。
机と保護シートの間。
写真や、カレンダーや、色んなものを挟んでいた。
中学時代3年間、美術部だった成瀬。
文化祭で美術部の成瀬が配っていたカラーコードの一覧を挟んでいる。
成瀬が配っていたカラーコードの一覧の隣に、楓先輩の緑色の短冊を挟んでいる。
ふいにそのカラーコードに目が行く。
青でもない、紫でもない色。
――藍色――
あの日。
入学して2日目に行われた学力テスト。
結果は赤点だったけど、いまだにあの時白い未来ノートに起こった事を不思議に感じる。
古文の未来の問題と思われる設問に浮かび上がった藍色の答えのようなもの。
古文を全く理解出来ていなかった俺に、それが答えであるかのように白い未来ノートに藍色の答えが浮かび上がった。
藍色の答えが空欄だった設問の枠の中に、確かにハッキリと浮かび上がった。
まるで私が答えだと言っているように。
未来ノートを4月の中旬に捨ててから、今は5月の第1週。
もうかなりの時間が経過した。
俺はすでに、あの呪われた白いノートとは完全に決別している。
白いノートはもうとっくに捨てた。
だから俺の周りで不幸な事が起こらなくなった。
俺は勝手にそう思っている。
未来の問題はもう浮かび上がらない。
あんな頼りにならないノート、紫穂に言われた通り捨てて正解だったんだよ。
俺は神宮司楓先輩から渡された現代文の問題集に取り組む。
中間テストは来週。
勉強するしかないんだよ、勉強するしか。
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(チュンチュン)
5月15日、今日は休日。
朝から穏やかな晴天に恵まれた1日。
自宅アパートで朝からを始める俺。
来週の中間テストで、平安高校の特別進学部、身の丈を遥かに超える高校に入学してしまった俺の運命が決まってしまう。
(ピンポ~ン)
あれ?
朝から誰だ?
玄関のドアを開ける。
「は~い」
「守道君、楓です」
「楓先輩!?」
驚いた。
連絡も無しに、楓先輩が突然俺の自宅アパートを訪ねて来た。
玄関のドアを開け、目の前にいた神宮司楓先輩の隣からヒョコっと顔を出す小動物。
「シュドウ君」
「げっ!?お前も一緒かよ、何しに来た?」
「お勉強」
「勉強?」
「ね?お姉ちゃん」
「ふふっ、そうね葵ちゃん」
S1クラスの神宮寺葵も一緒。
暇なのかこの姉妹?
「守道君、来週中間テストだし一緒にお勉強どうかしら?」
「楓先輩」
未来ノートを捨てた俺を、楓先輩が本気で俺の事を心配してくれてる。
マジかよ、信じられない。
「シュドウ君入るね~」
「あっ!?勝手に俺の家入るなよ」
「シュドウ君はわたしのおうち来たでしょ?わたしはダメ?」
「うっ」
「ごめんなさい守道君、良いかしら?」
「ど、どうぞ」
神宮司葵が先に俺の家に入る。
それに続けて楓先輩がアパートの部屋に入ってきた。
この前の太陽と成瀬に続いて、今度は神宮司姉妹の2人が俺の家にきた。
2人からは現代文と古文の勉強を教えてもらっている。
わざわざ訪ねに来てくれて、嫌ですとはとても言えない。
「シュドウ君、はい」
「なんだよそれ神宮司?」
「古文」
「古文?」
「守道君、それ中間テストの対策問題です」
「本当ですか!?」
「えへへ」
古文の問題集にフセンがたくさん貼られている。
楓先輩の話では、神宮司葵が今度の中間テストで出題される範囲を調べたらしい。
「神宮司、お前、なんでそこまでしてくれるんだよ」
「う~ん……お友達だから?」
「友達……だもんな、俺たち」
「うん!」
「ふふっ」
未来ノートを捨てた俺は、やはり1人ぼっちではなかった。
神宮司にとって、俺は源氏物語の読み友達らしい。
俺はそう言われる事がとても嬉しかった。
休日の今日、朝から自宅アパートで古文と現代文の勉強を始める。
「シュドウ君、それ違うよ」
「うっ」
「ふふっ」
無料の家庭教師、俺の古文の先生、神宮司葵先生。
俺は先生の子分。
俺が机で勉強していると、楓先輩が俺の机に目をやる。
「守道君、お勉強頑張ってるのね」
「は、はい」
『ここから始まる!現代文の解き方』
国語なんてまともに勉強してこなかった俺。
楓先輩に渡されて、本気で始めた現代文の勉強。
「偉いわ守道君」
「いえ、全然ダメなんで俺」
勉強が出来ない俺。
勉強する事が偉いと言われる、とても恥ずかしく感じる。
朝から勉強を続け、少し休憩する事にした。
「ねえシュドウ君、今日何の日か知ってる?」
「5月15日……葵祭か?」
「うん、一緒に行く?」
「俺、勉強あるから……」
「行かない?」
「でも」
視線の先に楓先輩、俺と神宮司の話を黙って見ている。
神宮司は俺の返事を待ってる。
わざわざ朝からここに来て勉強教えてもらってる子に、とても嫌とは言えない。
「す、少しだけ」
「本当?やった!」
「ちょっとだけだからな」
「ふふっ、良かったわね葵ちゃん」
「うん」
今日は5月15日。
京都三大祭り、葵祭がある日。
平安装束を身にまとった500人が京都御所を出発し初夏の古都を練り歩く。
平安王朝の優雅な行列、葵祭。
「シュドウ君、来年お姉ちゃん斎王代やるんだよ」
「斎王代って、お祭りのヒロインじゃないですか楓先輩」
「守道君、この事はまだ誰にも」
「分かりました」
源氏物語にも登場する、下鴨神社、上賀茂神社の例祭。
その祭りで、ひと際輝くのがヒロインとして京都の街を回る斎王代。
あれって、普通の公募で選ばれるわけじゃなくて、どこぞのお嬢様が選ばれるって聞いたことがある。
平安高校の目の前にあるあんな立派なお屋敷に住んでる姉妹。
このボロアパートに姉妹がいるのが場違い過ぎる。
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古文と現代文の勉強を終わらせ、葵祭を3人で見に行く。
すでに朝から始まっている葵祭。
双葉葵の葉を頭飾りにつけ、平安装束を身にまとう列が京都の街を練り歩く。
行列は京都御所を出発し、下鴨神社経由、上賀茂神社へ向かう。
賀茂川沿い、北大路橋近く。
たくさんの人が沿道に詰めかける。
葵祭の列が見えてきた。
先頭は乗尻、3騎の騎馬が平安装束に身にまとう行列を先導する。
「シュドウ君、牛さん」
「そうだな、デカいな」
「デカい」
「ふふっ」
馬が過ぎ、さらに大人数の警護の列が終わると、大きな牛車が目の前を通り過ぎる。
牛車の先頭は2人の小さな平安装束を着た子供が紐を持ち、何人もの大人がそれに続く。
大きな大きな車輪、大きな黒い牛が引く大迫力。
牛車を後ろから手で押す人の姿も。
続いて大きな傘を持った列が見えてきた、綺麗な花が大きな傘にたくさんついている。
風流傘と呼ばれるらしい。
2つ目の黄色い風流傘が流れていくと、斎王代の列が見えてくる。
赤い傘をさしてもらっているのが命婦と呼ばれる高級女官。
白い装束の男性が傘をさし、平安装束を着た女性が高級女官が歩く。
「あっ、今度お姉ちゃんがやるお姫様見えてきた」
「そうね葵ちゃん」
(ザワザワ)
(わ~~)
ひときわ大きな歓声。
その美しい姿にざわめき立つ観衆。
御腰輿と呼ばれる車輪がついた駕籠に載る斎王代。
地元京都にゆかりのあるお嬢様だけが選ばれるという、葵祭のメインヒロイン。
斎王代役、祭りのメインヒロイン。
とても美しい平安装束を身にまとい、何人もの男性が担いでいる姿。
駕籠のような車輪のある御腰輿に乗る美しい女性。
周りには小さな平安装束の子供たちが付き添う。
優雅な十二単姿の神宮司楓先輩が現れると、沿道の観衆が一斉にざわつく。
京都の街が平安一色に染まる。
「綺麗~」
「そうね葵ちゃん」
葵祭の列は、京都の街、8キロの行程をゆっくりと練り歩く。
神宮司姉妹と俺は、その優雅な平安絵巻に見入っていた。
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(カァ~カァ~)
「楓先輩、こんな遅くまで本当にありがとうございました」
「お礼なら葵ちゃんに言ってあげて頂戴」
「神宮司、古文サンキュー」
「えへへ」
中間テスト直前。
現代文と古文の勉強をみっちりと対策出来た。
未来ノートには頼れない、自力で受けるしかない中間テスト。
2人の先生に感謝したい。
「シュドウ君」
「おう」
「葵とずっとお友達でいてくれる?」
「お、おう。もちろん」
「良かったわね葵ちゃん」
「うん」
神宮司葵。
姉の楓先輩に似た、とても美人の女の子。
思えば平安高校に入学して、すぐに図書館で出会った不思議な女の子。
「シュドウ君、バイバイ~」
「おう、じゃあな神宮司。さようなら楓先輩」
「守道君、お勉強頑張ってね」
赤点の危機にある、情けない俺。
こんなボロアパートに住む俺を、お屋敷に住むお嬢様の神宮司姉妹がわざわざ勉強を教えてくれる。
玄関のドアを閉め、再び机に向かう。
俺の事を応援してくれる人がいる。
そんな2人の優しい気持ちに応えたい、今日の1日を無駄にしたくない。
そう強く感じた、葵祭の1日だった。