97.「大きな勘違い」
「守道君」
「楓先輩」
藤の花フラワーパーク。
5月大型連休の不思議な1日。
たくさんの人が藤の花の祭典に想いを寄せる。
藤の花のトンネル。
神宮司葵と、成瀬結衣は、少し離れた場所でむらさき藤の花房を見上げていた。
俺に歩み寄る、神宮司楓先輩。
どうしたんだ。
なんかさっきから、幻ばっかり見えてくる。
神宮司楓先輩まで、十二単を着ている幻を見てしまう。
風が優しく吹き抜ける。
あたり一面の紫色の景色を背に、神宮司楓先輩が俺に歩み寄ってくる。
長い髪が風に流れる。
透き通るような白い肌が、藤の花の背景の中で、俺に十二単を身にまとう幻想を見せる。
ダメだ、俺。
こんな綺麗な藤の花の景色と、とても綺麗な女性を目にして、頭がおかしくなったに違いない。
神宮司葵も、成瀬結衣も、十二単着ているような幻を見てしまった。
さっきの2人、もう何も言えなくなるほど、とても綺麗で、とても美しい女性の姿に見えてしまったばかりなのに。
神宮司楓先輩まで、十二単を着ている幻を見てしまう。
全部。
全部この咲き乱れる藤の花のせいだ。
天井を覆いつくす、紫色の藤の花が、俺に幻を見せてくる。
この人は美し過ぎて、この世界に生きている同じ人間とは思えない女性だ。
俺にゆっくりと歩み寄る。
もう目の前のこの美しい人を、俺はとても直視できない。
逃げ出したいとすら思ってくる。
太陽、お前、なんて女の人を好きになってしまったんだよ。
俺ダメ、もう無理。
綺麗過ぎて、とてもこの人を直視できない。
これもきっと未来ノートの呪いのせいだ……違う。
俺、もうノート捨ててる。
ノートを持っていない、今はノートの所持者じゃなくなってる。
俺の目の前にいる、この美しい女性は。
ノートを持っていない素の俺に、笑顔で話しかけてくる。
風が吹き止む。
藤の花の揺れが落ち着くと、俺の見ていた十二単の幻想も止む。
「守道君、今日は無理にお連れしてごめんなさいね」
「いえ、勉強教えてもらって、感謝してるのはこっちの方です」
白い未来ノートを捨てたはずなのに。
それでもこの俺に、勉強頑張れって言いたいのかこの人たちは?
「御所水先生からお聞きしました」
「御所水先生?美術の先生ですか?」
「神宮司家で華道のお稽古をお願いしている先生でもあります」
「華道?」
この前神宮司、お茶の稽古がなんとかって俺にラインのメッセージを送ってきた。
御所水先生。
稽古か何かで神宮司の家に行って、なにか楓先輩に話をしたのだろうか?
「お勉強は好きですか?」
「あまり……好きではありません」
「平安高校に入って、毎日楽しいですか?」
「あまり……楽しくはありません」
楓先輩、なんでそんな事、俺に聞くんだろう。
「あなたにこの歌を送ります」
「楓先輩」
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春日さす 藤の裏葉の うらとけて
君し思はば 我も頼まむ
――――――――――――――
「これをあなたに」
「和歌ですかこれ?」
以前、3年生が入る第二校舎の中庭で。
曲水の宴。
楓先輩たちが集い、和歌を詠む不思議な昼休憩。
神宮司楓先輩から、和歌が書かれた短冊を渡される。
短冊を渡されるのはこれで2回目。
俺は以前、短冊を1つ渡された事がある。
楓先輩の妹、同級生の神宮司葵から。
あの時の短冊をどこにやったのか思い出せない。
楓先輩から手渡された短冊は、緑色の短冊だった。
「どうしてこれを?」
「だって守道君は、葵ちゃんの大事なお友達ですもの」
「友達って」
平安高校に入学してから、不思議な出会いがたくさんあった。
その最たる出会いが、神宮司姉妹との出会いだった。
太陽の憧れる、3年生のとても綺麗な女性。
歳が2つも上の先輩に、いつも俺は驚かされてばかりだ。
「玉木さん」
「はい、楓お嬢様」
玉木さんが何やら旅行用のキャリーバックを持ってくる。
なんだよそれ。
「守道君、これを」
(ドサッ!)
「か、楓先輩?」
旅行用のキャリーバックが俺の目の前に置かれる。
色は緑。
先程、楓先輩から渡された緑色の短冊を手に立ち尽くす。
何が入ってるこれ?
(パカッ)
「わたしが使ってた本」
「えっ?」
緑色のキャリーバックの中身には、満載の本が詰まっていた。
楓先輩がその中の1つの本を手にし、俺に見せてくる。
『ここから始まる!現代文の解き方』
「お勉強、足りないと思って」
「まさか、これ全部読めなんて言いませんよね先輩」
「足りないかしら」
「なんでそんな切なそうにいつも言うんですか!?それにこの量ヤバいですって」
残りの連休、これやって勉強しろって事か?
問題集満載のキャリーバックを俺に渡してくる神宮司楓先輩。
ここから始まる1冊の本は手に持ったまま。
むらさき藤の花房を見ていた神宮司葵と成瀬結衣が戻ってくる。
「お姉ちゃん~あっちも見よ~」
「葵ちゃん、守道君お勉強しないといけないから、そろそろ帰るわよ」
「え~」
「守道君」
「はい」
「帰りはわたしが隣でも良いかしら?」
勉強する気満々。
本当に現代文の勉強をここから始めるつもりだこの人。
まさかの半日、お勉強ツアー。
何なんだよ、俺のゴールデンウィーク。
「結衣ちゃん~明日2人でまた来よう」
「はい葵さん」
「守道君はお勉強頑張りましょうね」
鬼だ、この人。
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5月第1週、藤の花フラワーパークのあの日から数日が経つ。
大型連休中の平日登校日。
大型連休があるからと言って学校が休みになるわけもなく、平日は普通に授業が行われる。
朝からバイトを入れている。
母さんに手を合わせて家を出る。
母さんがいなくなってから、ずっと続けている俺の大事な日課。
昨日は夜まで現代文の問題集を解き続けた。
勉強は確かにつらいが、中間テストまで後2週間しかない。
未来ノートなんてものは、俺はもう持ってはいない。
普通に高校生として、1人の平安高校の生徒として。
実力で2週間後の中間テストに臨まないといけない。
バイト先のコンビニに到着。
(ピコピコ~)
「いらっしゃま」
「うっーす」
嘘だろ。
今日俺と同じシフトの人、誰だか見ていなかった。
なんであの子がここに来るんだよ。
俺がレジで立っていると、店の奥からコンビニクルーの制服を着た岬れなが入ってくる。
「おい岬、なんでバイト来てんだよ」
「うるさいし。うちの勝手」
大型連休はもう終わった。
旅行に行く目的も無くなったはず。
まさか岬のやつ、バイト続けるつもりか?
朝のバイトの時間はあっという間に過ぎていく。
今朝も蓮見詩織姉さんが迎えに来る事は無かった。
コンビニの従業員用スペース。
もうすぐ俺と岬は平安高校に登校する。
バックヤードで先に身支度を整えた岬が俺に近寄ってくる。
連休前はあんなに機嫌が悪くて、完全に嫌われたものだとばかり思ってたのに。
岬が俺に話しかけてくる。
なにか手に持ってる。
「はい」
「なにこれ?」
表紙からして、どう見てもあれにしか見えない。
ただ、タイトルが英語。
なんだよこれ。
「いらないなら返して」
「いるって。なんだよこれ岬」
『THE TALE OF GENJI』
「英語……源氏物語じゃんよ!?なにこれ!?」
「お土産だっつってんでしょ」
神宮司葵がしょっちゅう俺に見せてくるから、表紙も英語だったけど、本のパッケージで源氏物語だってすぐに分かったよ。
でも、本当におかしいな。
岬が俺にお土産なんて信じられない。
それに岬、海外旅行、友達と行けなくなったって末摘さんが言ってたはずなのに。
何だよこの海外物の源氏物語。
どこの国から仕入れて帰って来たんだ?
「嘘だろ岬。俺の事、嫌いになったんじゃ無かったのかよ」
「おい」
「ひっ」
(グイッ!!)
制服の首元から締め上げられる。
い、息、出来ないっす、姉さん。
普通に死ぬ。
「いつ、うちがあんたのダチになったのさ」
「め、滅相もございません」
(パッ……)
息が止まるかと思った。
いつものごとく、俺はなにか余計な一言を言ったのかも知れない。
恐ろしいほどの殺意。
あっ。
この殺意。
粗大ごみを見るようなジト目。
なんか、懐かしいかも。
俺が未来ノートを捨てたように、俺も岬に捨てられたと勝手に思っていた。
この懐かしいジト目。
なんか、いつもの岬れなだこの子。
なんだかんだ言いつつ、海外旅行からお土産を買ってきてくれたらしい岬。
誰と何しに行ったんだこの子?
「あんた好きなんでしょ源氏物語」
「よく知ってるな」
興味も無いのに最近良く読むようになった源氏物語。
全部神宮司葵のせいだ。
原文そのままの古典を読んで、神宮司葵にその古典の出てる問題集を解かされ続けた。
嫌でも覚える、古文の単語の数々が、俺の脳裏に焼き付く。
俺が古文という科目を理解できるようになってきたのは、全部あの源氏の女子のせいに違いない。
岬れなのお土産は、英語に翻訳された、源氏物語の小説。
彼女、もしかして源氏物語好きなのかな?
バイト先から学校に向かう。
大型連休合間の平日。
中間テストまで残り2週間。
3日間の日程で行われる中間テストが始まる。
岬れなと2人で平安高校の正門を抜ける。
並木通りの1本道。
相変わらず姿を見せない詩織姉さんが気になるが、今朝は久しぶりに岬と一緒に登校した。
「御所水先生がパン研の顧問!?マジかよその話」
岬からゴールデンウィークにフランスに行って来た話を聞かされる。
それで英語版の源氏物語をお土産に持って帰ってきたらしい。
「フランス語が良かった?」
「中間テストで余裕ない俺が、フランス語の本なんか読んでられるかよ」
「きしし」
フランスの旅行記を俺に語る岬れな。
南夕子部長と、同じS2クラスの末摘花まで同行したらしい。
わざわざ4人で、何をしにフランスに行って来たんだ?
今日の岬は、超が付くほど機嫌が良い。
俺、未来ノート捨てたから、岬に嫌われたものだとばっかり勝手に思ってたけど。
なんだか段々と未来ノートを捨てる前に、人との関係戻ってるような気がする。
なんでだろう。
もしかして。
未来ノートを捨てても捨てなくても関係ない。
あの幸せのネックレスの話は、俺の大きな勘違いだったのか?




