94.「本音と建前」
4月、最後の授業の日。
明日から大型連休に入る。
本来であれば楽しいはずのゴールデンウィーク。
中間テストは5月中旬、3日間の日程で実施される。
この大型連休が明ければ、中間テストは目前。
俺の特別進学部残留をかけた、審判の日が迫る。
すでに入学2日目に実施された学力テストで赤点を取った俺。
学年の平均点、そのさらに半分の点数が赤点ライン。
次の中間テストで、2回目の赤点を取れば、俺は問答無用で総合普通科へ転落。
その後に、未来は無い。
俺の未来は潰えようとしている。
身の丈を遥かに超えた進学。
最初から、無理があった。
今さら気付く計画性の無さ。
もうどうあがいても、過去には戻れない。
S2クラスに登校する。
今日も1人で登校。
蓮見詩織姉さん。
4月最後の登校日にさえ、ついに姿を見せる事は無かった。
バイト先が同じ岬れな。
彼女も4月最後の週の月曜日から、早朝バイトには姿を見せなくなっていた。
働く理由が無くなったのか、理由は俺には分からない。
S2の教室に先に登校していた岬に挨拶する。
「おい岬」
「うるさいし」
最近ずっと機嫌が悪いままの岬。
前からこんな感じだったが、口調はいつもより厳しくも感じる。
ゴールデンウィークの大型連休中、岬はバイトのシフトを入れていない事を俺は知っていた。
最近岬と仲良く会話する姿を見かけるようになっていた、同じクラスの眼鏡をかけた女子の末摘さん。
彼女の教えてくれた話では、岬は海外旅行を予定していた中学時代の友達と旅行に行けなくなったらしい。
海外旅行をキャンセルしたのかは分からない。
バイトのシフトを彼女が入れているかどうか分かる俺。
来月5月からの予定が真っ白の岬の予定表を見て、彼女との関係が途絶える事を思う。
岬れな、そもそも友達との旅行費用稼ぐためのアルバイトをする理由が無くなった。
もしかしたら、バイト辞めるかも知れないな。
(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
朝、ホームルームの時間。
担任の藤原先生が教壇に立つ。
先生は2週間前、あの親睦会があった日以降も、自分の担任するS2クラスの生徒たちに温かい言葉をかけ続けた。
『今回の事を教訓にして、次に生かせば良いのです』
藤原先生が毎朝かけ続ける温かい言葉。
担任の藤原先生の温かい言葉が救いになっている生徒もいるはず。
その証拠に、生徒に近づき、寄り添い、何か声をかけている藤原先生の姿。
朝のホームルームが終わるたびに、生徒のケアをする先生の姿を、俺は教室の一番後ろの席から毎日のように見続けていた。
「明日から大型連休に入ります。くれぐれも平安高校の生徒としての自覚を持って行動するように。良いですね皆さん」
このS2クラスのほぼ全生徒が身に染みる言葉。
藤原先生の言葉は重い。
「あなたたちは特別進学部の狭き門を突破した立派な生徒だ、自信を持ちなさい」
先生の温かい言葉でさえ、未来ノートの力によって入試問題を事前に知ったうえで入試に挑み、合格した俺にとってはとても受け入れられない言葉。
4月が終わろうとしているこの瞬間でさえ、あんなノートを使ったせいで、俺には特別進学部の生徒としての自信など持てるはずも無く。
『高木ちゃん。あなた、自分にもっと自信を持った方が良いわね』
『えっ?』
『さっきのあなたの作品作りでよく分かったわ』
初めての美術Ⅰの時間。
初対面だった御所水流先生に俺が特別進学部の生徒としての自身を持てていない事を、一発で見抜かれた。
それは担任の藤原先生も一緒。
平安高校の先生は、みんな生徒の気持ちがすぐに分かってしまうのだろうか?
学内で噂話をされるS2クラスの生徒たち。
人の悪口はすぐに学内に広がる。
それが悪ければ悪いほど。
人は悪いニュースにあまりにも敏感だ。
その噂話を過敏に感じる生徒も多いだろう。
学外でトラブルに巻き込まれた。
言われて良い気持ちはしない。
俺はそもそもS2のクラス内で赤点男として浮いていた存在。
クラス内がバラバラになったところで、今さら何がどうなるという事はない。
むしろそのバラバラのクラスの輪の中に自然といる生徒。
今の俺のクラス内の立ち位置はそんなものなのだろう。
みんな学内で肩身が狭くなっている。
変化はお昼休憩の時間。
クラス内に残る生徒の多さを、教室の一番後ろの席から見て取れた。
第二校舎の学生食堂を利用するS2の生徒が明らかに減った。
事件の前は昼休憩の度に人が僅かしか残らないはずのS2のクラス内。
あの事件以降、食堂でも陰口を叩かれるのだろうか?
多くの生徒がクラスから外に出ず弁当を持参するか、購買部で調達してクラスの中で食べる者が多くなっていた。
S2のクラス内ではいくつもの集団が形成されていた。
その集団の横の繋がりは無く、楽しくお話がはずむわけもなく。
ただ俺1人は違う見方をしていた。
悪い意味で平和。
未来ノートを捨てたあの日から、大きな事件は何も起きていない。
俺の周りの平穏が保たれているように感じるのは、未来ノートの所持者であった、俺にだけ感じる平和であるような気がした。
S2クラスの平穏。
互いに交流の無い、静まり返った平穏の日々。
(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
4月最終日。
ホームルームが終了する。
教壇で何人かの生徒が藤原先生の周りに集まって話をしている。
先生はすべてのS2クラスの生徒の心の寄りどころとなっていた。
藤原先生が何人もの生徒と会話している。
教室の後ろから、今日も数馬は廊下で待っている双子の姉妹と3人で野球部の練習に向かってしまう。
バイト先が一緒だった岬もそうだけど。
結城数馬。
最近、話をあまりしなくなってしまった。
「高木君」
「藤原先生」
俺の席まで藤原先生がわざわざ来て話かけてくれる。
「なにか悩み事は無いかね?」
「い、いえ。なにも……」
「ふむ。少し話そうか?」
「はい」
藤原先生にはすぐに見抜かれてしまう。
俺が今、色々な悩みを抱え込んでいる事を。
S2クラスに残る生徒は俺1人になる。
藤原先生が、近くのイスに腰かけて俺の方を向いて話す。
「今日で4月も終わりだね」
「はい」
「学校生活は楽しいかね?」
「それなりに」
「ふむ」
正直、楽しいと感じる事はここ最近、皆無に等しい。
「わたしが赤点を取った話を覚えているかね?」
「はい。そのお話、とてもビックリしました」
「ははっ。悪い話ほど、人は記憶するものだ」
「すいません」
「謝る事ではない。あの話には続きがある」
「続き?」
藤原先生。
何を言い始めたんだ?
「私も昔この平安高校で、今はまだS1とS2に分かれる前の、1つしか無かった特別進学部に在籍しておってね」
「昔から2つのクラスに分かれていたんじゃないんですか?」
「その通り。私の時も、それは厳しい世界だった。私よりも頭の良い生徒がたくさんおってね」
「先生も最初から頭が良かったわけじゃないんですか?」
「ははは。ちょうど君を見ていると、昔の自分を思い出す」
藤原先生が、かつてこの平安高校の在学生であった事は、職員室にある応接の部屋で聞いた事がある。
昔、この平安高校の特別進学部が1つのクラスで出来ていたらしい。
「入学したばかりの私は、君と同じように入学直後に学力テストで赤点を取ってしまってね」
「俺と一緒?せ、先生。次の中間テストはどうだったんですか?」
「ははは、気になるかね」
「はい」
藤原先生は昔の特別進学部の先輩。
俺と同じように最初のテストで赤点を取った藤原先生は、今この平安高校の現代文の先生として教師をしている。
気になる、とても。
先生がその後どうなったのか。
「私はその後」
「藤原先生、ここにおられましたか」
「枕先生」
S2クラスに残って話をしていた俺と担任の藤原宣孝先生。
教室の後ろから突然声がかかり、そちらを振り向く。
SAクラス担任の、枕草子先生が立っていた。
「理事長がお呼びです。その後、臨時の職員会議も行われるそうです」
「分かりました、わざわざありがとうございます。では高木君、わたしはこれで」
「はい先生」
「最後に」
「えっ?」
「中間テスト、希望を捨てず、最後まで頑張りなさい。君が今できる最大限の努力を惜しまないように」
「わ、分かりました」
藤原先生が教室を出ていく。
立ち去るものと思っていたSAクラスの枕先生。
逆に俺の席に歩み寄ってくる。
「君に質問したい事があるのだが、大丈夫かい?」
「は、はい」
「どうか気を悪くしないでもらいたい。答えたくなければ、無理に答えなくても構わない」
「ええ、構いませんけど」
枕先生。
一体。
何を俺に聞くつもりだ?
「高木君、今年の2月の入試の日の天気を覚えているかい?」
「ええ、雪が降っていました。とても寒かったと記憶してます」
「受験会場はどこの教室だったかな?」
「ここです。このS2クラスの一番前の席でした」
「高木君」
「はい」
「2月の我が校の入学試験、最初の科目は何だったかな?」
枕先生の質問が続く。
この質問。
これって。
まるで。




