93.「芸術の爆発」
未来ノートを捨てた日から、俺の日常に変化が起きた。
偶然廊下で出会った成瀬結衣は、俺と先週の金曜日に会った事そのものを忘れていた。
グラウンドで再び成瀬を見つけた時、中学3年まで見続けてきた、可愛くて仕方が無かった成瀬結衣に再び再会出来た事が裏付けとなり、俺は未来ノートがただ問題が浮かび上がるだけのノートではないという大きな疑念を抱くようになっていた。
成瀬は太陽の記憶を失ったように感じた。
だから俺と親しく接し、話しかけてくるようになったと思った。
成瀬はあんなに積極的な女の子では無かったはず。
成瀬の変化は、ノートの力のせいだと感じた。
未来の問題が浮かび上がっては消えていくように。
成瀬の太陽の記憶が無くなっているかのような発言。
そう、幸せのネックレスと同じように。
未来ノートは他人を不幸にする力があると俺は疑念を持った。
グリム童話のような話、紫穂が持っていた本の幸せのネックレスのお話といくつも共通する点を想像させた。
考えてみれば、赤点男の俺に、急にこんなに女の子たちが優しくしてくれるはずがない。
未来ノートを使った事がすべての原因だと考えるようになった。
それと同時に。
平安高校に入学してからの友人関係が、すべて未来ノートによって水増しされていた関係だという絶望感にさいなまれていた。
未来ノートは不幸のノートだった。
ノートを捨てたその日から、太陽とさえも関係が途絶えたかとさえ思い、他人が信じられなくなっていた俺。
勝手に俺がそう思っていた、その時。
深夜に俺の自宅アパートに訪ねてきた朝日太陽。
1日遅れの突然の来訪。
親友は俺を裏切らなかった。
俺は大事な親友を疑い、勘違いをしてしまっていた。
太陽との関係すら、未来ノートで水増しされた人間関係だと俺は疑ってしまった。
人が信じられなくなっていた俺に、優しく声をかけてくれた初めての男。
やはり太陽だった。
未来ノートを捨てた俺に、一番に声をかけてくれた男。
太陽はやはり、昔からずっと変わらない、俺の一番の親友だった。
来訪した親友の太陽に、俺は成瀬の最近の変化を打ち明けた。
考え過ぎだと諭され心がとても軽くなった。
その後。
突然ラインメッセージを流してきたのは、太陽の憧れの先輩の妹、神宮司葵。
未来ノートを捨てた後、なお繫がる人との関係に俺はとても安堵した。
未来ノートを持たない俺は、ただの高木守道。
そんな俺に優しくしてくれるという事実が、何よりも嬉しかった。
未来ノートがある無しに関わらず、消えない人との繋がりが何より嬉しかった。
だが続く関係と、続かない関係があった。
平日の昼休憩。
「数馬、一緒にご飯」
「お迎えに上がりました」
「お迎えに上がりました」
「おっと、すまない守道君」
結城数馬。
また双子の女子が昼も授業終わりも隣のS1クラスから数馬を迎えに来るようになった。
未来ノートを捨てた次の日から、数馬と一緒に昼食を食べる事が無くなった。
太陽の話では、あの双子は野球部のマネージャーらしい。
特別進学部のS1クラス。
秀才女子マネージャー2人のお誘い、数馬も断れないのだろう。
だが同じ野球部の太陽が誘われてる姿を見た事はない。
双子姉妹が誘うのは、決まって結城数馬だけ。
そんな数馬を見送ると、S2クラスの眼鏡をかけた女子が俺に話しかけてくる。
この子。
あの親睦会事件があった次の週の月曜日。
クラスに残った5人の中の1人。
「高木君」
「末摘さん?」
「あのね、岬さん。最近機嫌悪いでしょ?」
「凄く悪いよ。なにか知ってるのか?」
「あのね。仲良くしてたお友達、今度行くつもりだった旅行、一緒に行けなくなっちゃったって」
「旅行に行けなくなった?」
最近、岬が機嫌が最悪だった理由が分かった。
あいつ、コンビニで毎日バイト頑張ってたの、地元の公立高校に進学した中学の時の友達と一緒に海外旅行行くためだって言ってた。
ゴールデンウィークまであと少しって時に急に。
末摘さんに聞いて、理由が分かる。
そりゃあ岬も、虫の居所が悪いはず。
まさかこれも、あの白い未来ノートのせいなわけ無いよな?
俺はいつの間にか。
なんでもかんでも、未来ノートが悪いと考えてしまうようになっていた。
昼休憩。
数馬は最近、一緒にご飯を食べる事が無くなった。
昼はいつも、太陽と2人だけで食べるようになっていた。
「ほらシュドウ、半分食べろよ」
「悪い太陽」
相変わらず購買部の競争は激しい。
第一校舎の屋上で、太陽の獲得した総菜パンを分けてもらう。
あの未来ノートを捨てた日から突然、詩織姉さんがまったく姿を見せなくなった。
紫穂のいる時に幸せのネックレスの本を見に行って以降、詩織姉さんたちが住む実家には一度も訪ねてはいない。
未来ノートの所持者にしか分からない変化。
未来ノートを捨てた瞬間、その日から、交流がまったく途絶える人がたくさん出てしまった。
まるで、未来ノートの力によって、テストの点数どころか、人との関係まで水増しされていたのではないかと、俺は深く疑いを持つようになっていた。
そもそも未来ノートが何なのか、いまだに俺はよく分かっていないし、理解し切る前に恐怖のあまり、小学校の桐の木の下に埋めて捨ててきてしまった。
あのノートは周りの人を不幸にして、俺だけ幸せにする不幸のノートだったと俺は勝手に思ってる。
S2クラスで起きた親睦会事件。
あの日以来、特別進学部S2クラスに対する、学内の厳しい目が注がれるようになっていた。
ただトラブルに巻き込まれただけとはいえ、親睦会に行っていた事実に変わりはなく。
高校生らしいと言えばそうかも知れない行動すら、一度問題が発生すれば周りの目は当然厳しくなる。
ただ学内はそうはいかない。
特別進学部の生徒が、親睦会に行ってトラブルに巻き込まれた。
当然良い噂ではない。
様々な憶測や噂話が、4月、学校の中を支配するようになっていた。
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成瀬真弓姉さん、神宮寺楓先輩。
蓮見詩織姉さんとも、最後に会ってから1週間以上会話をしていない。
まるで。
未来ノートを捨てたその日から。
3人との関係が途切れてしまったかのように。
俺は以前、蓮見詩織姉さんから渡された去年のラジオ英会話。
成瀬結衣から渡された2年前のラジオ英会話を毎日続けている。
毎週金曜日にチェックするとかしないとか。
まるですっかり、2人から忘れさられてしまったかのようだ。
みんな俺の事を。
いや、未来ノートを持っていない俺の事を。
忘れてしまったのかのようだ。
間もなくゴールデンウィーク。
今年は土日を含め、4月から5月第1週にかけて大型連休がある。
4月最後の美術Ⅰの時間。
S1クラス、S2クラス、SAクラスの生徒が混じる。
教師は御所水流先生。
「皆さん~今日はかまどで焼いちゃいま~す」
「え~~」
嬉しそうな悲鳴、生徒の声が美術室に響く。
今月最後の芸術の時間。
「3人1組になって~誰でもいいわよ~」
3人1組になって壺や花瓶をかまどに入れて焼くと言い始めた御所水先生。
「結衣ちゃんと一緒が良い」
「うん、葵さん。ね、ねえ朝日君。一緒にどうかな」
「おう、良いぜ結衣」
神宮司葵、成瀬結衣、朝日太陽が同じ班になる。
「うちらでやるっしょ」
「うん、岬さん。氏家君は誰かと一緒かな?」
「わいも一人やさかい、一緒でええか?」
「うん」
結城数馬はS1クラスの双子姉妹と会話を始める。
「結城君」
「結城君」
「おっと、一緒にどうだいお姫様たち?」
「お願いします」
「お願いします」
数馬はあの女子マネージャーの双子姉妹と班を作るらしい。
あの親睦会に行かなかったS2の5人で、班に加わる事が出来ていないのは俺だけになった。
「あら~高木ちゃん~」
「先生」
「結衣さん、皆さんをかまどにお願いできるかしら?」
「はい先生」
美術部に入部した成瀬結衣。
この美術室はほぼ毎日来て部活してるはず。
美術部顧問の御所水流先生とは同じ部活の先生と生徒。
勝手が分かっているようだった。
「結衣、どうしたら良い?」
「うん朝日君、あのね」
成瀬が何だかおどおどした感じで、太陽に話しかけている。
指示を聞いた太陽が率先して、美術室内にある小さなかまどに壺を並べ始める。
全員が太陽に続けて、前回ろくろで作り乾かしておいた自分の作品をかまどに並べていく。
「高木ちゃんはお外でわ・た・し・と」
「え~」
「あははは」
みんなに笑われながら、おピンクの髪の御所水先生に美術室の外に連れていかれる。
美術室の外には、桐の木が1本植えられている。
木の枝には紫色の桐の花が咲いている。
そのそばにある小屋には大きなかまど。
俺と先生の作ったデッカイ壺、すでに大きなかまどの中にセットされてる。
後は焼くだけって感じ。
「高木ちゃん、あなた、お友達の輪に入らないの?」
「えっ、その」
いきなり御所水先生に見抜かれた気がする。
だって今は、俺。
先生が薪を次々とかまどにセットしていく。
その先生の後ろ姿を見ながら、先生は背中を見せながら俺に話を続ける。
「高木ちゃん、あなたがお友達を信じようとしない限り。お友達だって、あなたの事を信じようとしないの」
「御所水先生」
未来ノートを捨てて、他人を信用出来なくなって。
仲良くしてくれていたのは、未来ノートの力で平安高校に入学出来たその一瞬だけ。
学力テストで赤点取って、TOEICも、全部全部最下位で。
それでもみんなが仲良くしてくれたのは、未来ノートを持ってる俺だからだって思って。
未来ノートを捨てた瞬間。
交流が途絶える人が沢山いて。
やっぱり未来ノートを持っていない、素の俺、実力の俺は、ただの高木守道なんだって自信を失ってて。
大きなかまどにすでに置かれていた俺と先生が作った大きな壺。
薪をかまどに入れ、セットが終わった先生が俺の方を向く。
「高木ちゃんあなた。来月の中間テスト、諦めてない?」
「うっ」
「高木ちゃん、あなた男の子でしょ?」
「えっ?」
「男の子が、戦わずして負けを認めてどうするの」
見抜かれてる。
毎日ラジオ英会話聞いたくらいじゃ、もうどうあがいても来月ゴールデンウィーク明けにある5月の中間テストは赤点必死だって諦めてる俺がいた。
この前の数学の小テストもそうだったけど。
どの科目の小テストも全部ダメ。
もう俺、この高校にいない方が良いとすら感じ始めていた。
「高木ちゃん、この前先生の言った事覚えてる?」
覚えている。
覚えているけど、見ないように、考えないようにしていた事を。
先生は俺に言った事を、ちゃんと全部覚えているようだ。
「俺の後ろには、入学したくても出来なかった、1000人を超える受験生がいます」
「そう、そうなのよ高木ちゃん。もう過去には戻れないの。あなたがこの高校に入学した事を後悔していたとしても、もうあなたは未来に進むしかないのよ高木ちゃん」
御所水先生の言葉は、いつも俺の心に突き刺さる。
先生の言う通り、過去には戻れない。
未来に進むしかもうすべはない。
俺は。
その未来を。
中間テストで赤点2回目を取って退学する未来を、ただその未来が来るのを、ただ待っていただけのような気がする。
「さあ、お話はここまで。みんなが待ってるわ、続き続き」
「えっ?」
「さあ、火をつけるわよ高木ちゃん」
「ちょ、ちょっと御所水先生。ちょっとその燃料多すぎじゃないですか?」
「ファイヤーよ高木ちゃん」
(シュボーー!!)
「せ、先生!?燃えてますって!激し過ぎますよそれ!」
「芸術の爆発よ高木ちゃん!芸術もお勉強も、もっともっと燃え上がるのよ!!」
(シュボボボーー!!)
御所水先生が火をつけた大きなかまどが激しく燃え上がる。
俺と先生の合作の壺は、激しい炎の中へと消えていった。




