86.「始まりの書店」
(チュンチュン)
「守道さん」
深い眠りについていると、女性の優しく呼びかける声が聞こえた。
俺の事を2人だけの時、守道さんと呼ぶのは母さんだけのはず。
「母さん?」
「ごめんなさい、わたし」
「詩織姉さん!?」
「ふふっ、おはようございます」
「ど、どうも」
母さんに呼ばれたと勘違いして目を覚ます。
明るい室内。
詩織姉さんの部屋。
そうだ、昨日は深夜まで勉強して、紫穂と家族3人で寝てたんだった。
紫色のカーディガンを羽織る詩織姉さん。
隣には紫穂の姿。
そうか。
ここ、俺の自宅アパートじゃなかったよな。
「ちょっとお兄ちゃん、今日はアルバイトあるんじゃないの?」
「ああ!?今何時だ紫穂!?」
そうだったよ。
土日はバイト半日入れてる。
スマホのアラーム設定するの忘れてた。
ここは俺のアパートじゃないから、目覚まし時計が無かったんだった。
「7時です」
「はぁ~危ない。今日は駅前店で9時から」
「お兄ちゃんバイト少しは休んだら?」
「貯金できたら少し減らすよ」
初めて過ごした新しい自宅での1日。
次の日に目を覚ますと、誰もいなくなった俺のアパートとはまるで違う光景が広がっていた。
新しく家族になる詩織姉さんが優しく起してくれるし。
妹の紫穂、何より家族がいてくれる事が、こんなに心休まる事だなんて思ってもみなかった。
「守道さん。一緒に住みませんか?」
「うっ」
「そうしなよお兄ちゃん~」
平安高校に入学して2週間。
正直、蓮見詩織姉さんがこんなに優しい姉さんだったなんて思ってもみなかった。
毎日のようにサンドイッチ作ってくれるし。
勉強だって教えてくれるし。
学校でも俺を気にかけてくれて、昨日は食堂にまで一緒に連れて行ってくれた。
何より妹の紫穂が詩織姉さんを本当の姉さんのように慕っている。
同じ学校に通う詩織姉さん。
家族で1日を過ごして、とても安らぎを感じている。
まるで。
いなくなった母さんが、そばにいてくれるような安らぎを感じ始めていた。
「一緒に住んだら詩織お姉ちゃんが毎日勉強見てくれるよ?」
「毎日頼れるかよ。勉強は自分でするもんなんだよ紫穂」
「赤点取ってるお兄ちゃんが言わないのそれ」
「それ知ってたのか紫穂!?」
「お父さんに言うわよ」
「紫穂様、どうか、どうかそれだけはご勘弁を」
「ふふっ」
学力テストで1回目の赤点取った事、父さんには内緒にしてる。
この前は事前相談無くスマホも契約しちゃったし。
その上、来月の中間テストで赤点2回目取ったらもう合わせる顔が無い。
「朝ごはん作りましょう」
「詩織お姉様、私もお手伝いします」
「おい紫穂、お前いつからそっちに寝返ったんだよ」
「お兄様はお布団片付けておいて下さい」
「え~」
「お父さんにバラされたいわけ?」
「かしこまりました」
「ふふっ」
また逆らえない人が増えてしまった。
妹に絶対服従させられるお兄様。
布団を自分の部屋に戻す。
紫穂様の部屋に紫穂様の布団を運ぶ。
(「お兄ちゃん~ご飯できたよ~」)
「は~い」
1階から大きな声が聞こえる。
紫穂の声。
どうやら朝ごはんが出来たようだ。
俺も1階に降りるか。
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「うっーす」
「おはよう岬」
土曜日の朝。
今日は9時からバイト。
駅前にあるスマホショップ付近で岬れなと出会う。
今日は店長の弟が経営する店で半日働く事になっている。
駅前にあるコンビニの駅前店に2人で向かう。
その隣、ハンバーガーショップ。
ここの2階で、俺は中学3年間、成瀬結衣の可愛い笑顔に心を踊らせた。
その隣、祇園書店。
駅前には太陽とよく通っていた祇園書店がすでに朝からお店を開けていた。
未来ノート、俺が勝手にそう呼んでる未来の問題がたまに分かる白いノートを売ってたお店。
そのさらに隣のお店。
「なんだよあれ」
「ヤバいじゃん」
朝から何人もの警察官の姿。
ただ事じゃない。
「あれヤバくない?」
「うわっ!お店のガラス割れてるじゃん」
1階のガラスには穴があき、大きく蜘蛛の巣状にひび割れている。
応急のブルーシートが被せられていた。
お店のガラスが割れるなんて、一体何があったんだろう。
岬と2人で驚きながら、バイト先のコンビニに向かう。
「おはようございます店長」
「おはよう高木君、岬さん」
「おはようございます」
御所水通り店の店長の弟。
駅前店の店長と挨拶をする。
話題はすぐに、先ほど警察が集まっていたお店の話になる。
「あの警察何ですか店長?」
「ガラス割れてるの見た?」
「見ました見ました」
「どうも学生さんみたいだよ。私服着てたみたいだし、何処の学校の生徒さんか知らないけど、暴れてガラス割っちゃったって」
「もしかしてうちの学校ですか!?」
「ははは、まさか。平安高校の生徒さんがそんな事するはずないよ。警察に連れていかれたのも、その私服の学生さんみたいだったし」
どうやら割ったのはうちの生徒では無かったらしい。
物騒な世の中だ。
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朝9時から休憩をはさんで、昼の15時にはバイトが終わる。
従業員用のロッカーがある店のバックヤード。
バイトが終わり、身支度を整えた俺は店を出る事にする。
岬も帰り道は同じ。
2人で外に外に出る。
駅前は常に人通りがある。
コンビニの駅前店を出ると、1階のガラスが割れていたお店。
すでに警察の姿は無かった。
ブルーシートが痛々しいが、営業はしている様子。
その隣、祇園書店。
俺は少し気になる事があり、店に入る事にした。
「岬、俺書店寄ってくから先帰ってよ」
「うちも寄ってく」
「そ、そうか」
岬が書店に何か用事でもあるのか?
俺は岬と一緒に祇園書店に入る。
俺が気になっていたもの。
俺が平安高校に入学するきっかけとなった、ある物が置かれていないか、それを確かめたかったからだ。
平安高校の入試を見据えて、俺は今年の1月、朝日太陽とこの祇園書店を訪れた。
まだ蓮見詩織姉さんとちゃんと顔を合わせる前の話。
「あんた何探してんの?エロ本?」
「なんでお前のいる前でエロ本買わないといけないんだよ。ノートだよ、ノート探してんの」
「ふ~ん。意外に真面目」
「悪かったな意外で」
そう、俺はノートを探していた。
白いノート。
未来に俺が受けるはずのテストの問題が浮かび上がる不思議なノート。
祇園書店の文具コーナーに向かう。
店の奥の角に大小様々なノートが並べられている。
あの時と同じ。
今年の1月。
朝日太陽と一緒に訪れた時と同じ。
もっと以前から、俺と太陽が小学1年生の時からまったくと言っていいほど変わる事のない時が停止したままのお店。
A4サイズの大学ノートを探して棚を確認する。
赤と青のノートが陳列されているが、白いノート、やっぱり見当たらない。
この大学ノートのシリーズ、色は青と赤しか見た事がない。
「エロ本ならあっち」
「そっちに用はないの」
岬が俺をあらぬ道に誘い込もうとする。
確かにあっちも楽しい道かも知れないけど、俺が進みたい道はレジに昔からいる祇園書店の店長さんだ。
この人。
小学生の時からずっ~~っと同じ格好でずっとこの店にいる店長さん。
早朝から店を開ける祇園書店。
今日も新聞読みながらレジに暇そうに座ってる。
今日の俺が用事があるのはレジにいる店長さんだ。
「あんたボケたの?会計する本、何もないっしょ」
「お前イチイチうるさいんだよ岬」
「きしし」
岬れながイチイチ俺の行動にケチをつけてくる。
だから早く先に帰れって言ったんだよ。
岬の言うように俺は会計するための本もノートも何も持っていない。
レジで新聞を読んでいる祇園書店の店長に話しかける。
「あの、すいません」
「ん?はい、お会計ですか?」
「いえ、ちょっと聞きたいんですけど。A4サイズの大学ノートあるじゃないですか」
「ああ、あの赤と青の」
「それそれ、そうです。白っていつ入荷されます?」
「白?あのシリーズは赤と青しか売ってなかったと思いますよ」
「それ本当ですか!?」
嘘だろ。
俺、ここで1月に白い大学ノートを確かに購入した。
それは未来の問題が浮かび上がる、白い未来ノートだった。
「俺、1月にここで買ったんです。あの時女性の方がレジされてましたから覚えてるはずです」
「ああ、その人なら先月で辞められたよ」
「そうですか……。同じ色のノートを探してまして」
「ちょっと待ってね」
祇園書店の店長が、レジ横にあるパソコンでメーカー在庫をチェックしてくれる。
「う~ん、そんな色は昔のシリーズにも無かったようだね」
「そ、そんな」
「別に色が白じゃなくても良いじゃんノートくらい」
「あ、ああ」
岬にとって色なんてどうでも良い話。
そりゃあそうだ。
ノートの色なんて、好みの話。
ある人にとっては色で演習する問題。
ある人にとっては授業の黒板を書き写す科目ごとにノートを分けている程度の話のはず。
俺が探していたのはそうじゃない。
白、未来ノートを探していた。
「ありがとうございました、また来ます」
「はい、まいど~」
無かった。
初めて祇園書店の店長に在庫やメーカーの過去のシリーズまで追ってもらった。
同じ大学ノートの、白いノートは過去に製造すらされた事が無かった。
昨日気づいた、小学3年生からずっと一緒に時を過ごしてきた成瀬結衣の異変。
連鎖した違和感。
詩織姉さんという、不自然なほど優しくしてくれる、突然現れた俺の家族。
事の発端、平安高校入学のきっかけ。
祇園書店で手に入れた未来ノート。
そんなものは最初から、この世に存在すらしなかった事がハッキリしてしまった。
祇園書店を出る。
すぐ隣には、朝日太陽、成瀬結衣と3人で中学時代によく通ったハンバーガーショップ。
地上からハンバーガーショップの2階席を見上げる。
外から見えるあの席。
小学生の時はそうはいかなかったが、中学生に上がり、3人だけでこのハンバーガーショップに訪れるようになった。
2階席。
あそこで窓側に朝日太陽が座り、その隣に成瀬結衣が座る。
成瀬結衣の向かいに俺が座る。
成瀬が太陽を横に見ながら、楽しそうに話をする。
俺はその成瀬の横顔を3年間見続けた。
何度思い返しても、楽しかったあの日の思い出。
彼女の横顔に胸をときめかせていた、あの楽しかった日の思い出。
『成瀬お前、太陽の練習の応援、最後に行ったのいつだ?』
『えっ?』
そうだよそう。
成瀬が俺も知ってるって分かってたくせに、本気で太陽の応援に行ったの、あんな大昔の事言い始めたから超ビックリしたんだったの思い出したよ。
詩織姉さん、やっぱり違和感の塊のような人だ。
成瀬結衣もおかしくなった。
……違和感の始まりは、蓮見詩織姉さんじゃない。
ノート。
全部白い未来ノートが始まりじゃないかよ。
当たり前の話。
なんで俺、もっとその始まりを考えようとしなかったんだよ。
あのノートを手にしてから、突然女の子が俺に声をかけるようになってきて。
「ねえ」
「えっ?」
どうした岬?
そういえばお前、なんでまだ先に帰ろうとしないんだよ。
「まだ時間あるじゃん」
「お、おう」
「ちょっと休んでいかない?」




