84.「最初の違和感」
用事のある俺は成瀬家を後にする。
冗談でも泊ればいいなんて、成瀬結衣が言うはずがない。
幼なじみの俺には分かる。
平安高校に入学する前の彼女はそうそう冗談を言うような女の子じゃなかったはず。
自宅アパートで荷物を整え、再び暗闇の中に歩を進める。
この後行く場所があった。
あの人の指示には、俺は絶対に逆らう事は出来ない。
ある場所に向かう。
俺の頭の中は、成瀬の信じられない答えで真っ白になっていた。
そう、未来ノートと同じ色に。
おかしい。
絶対におかしい。
成瀬結衣、彼女はウソをつくような子じゃない。
入学初日、オリエンテーション午前中で終わって、俺と成瀬は会って話をしてる。
さっきも成瀬の家のリビングで散々聞いたのに、なんで俺の求める答えを言ってくれない成瀬結衣は?
『高木君が私に変な事言った日の事でしょ?』
『そっちじゃ無くて、太陽の話。野球部の入部テスト、成瀬も見に行ってたんだろ?』
俺の目の前にいた成瀬結衣。
忘れてしまっていた。
入学初日に実施された、野球部の入部テストの応援に行った事を。
入学初日は野球部の入部テストがあった日。
学校の図書館で一緒に勉強しようって成瀬が誘ってくれた事、俺は今でもハッキリ覚えてる。
成瀬はあの後、太陽の入部テストの応援に間違いなく行ってるはず。
少なくとも4月1日、入学して初日、成瀬は太陽の入部テストには応援に行ってるの、俺も周りのみんなも知ってる事実。
『あっ太陽、そういえば昨日の入部テストどうだった?』
『まあボチボチだな』
『成瀬見に来てたか?』
『結衣か、まあな』
次の日、俺はクラスで朝日太陽と話をしていた。
太陽は見ていた。
入部テストに成瀬が応援しに行ってたのは間違いない事実だ。
成瀬、最後に太陽応援しに行ったの……なんであんなウソつくんだよ。
あんな普通にウソをつけるような女の子じゃない。
成瀬は超が付くほど真面目な女の子だ。
本気で言ってる。
入部テストに応援しに行った事、忘れてる、完全に。
何かがおかしい。
最近の友達との関係に、もの凄く違和感を感じ始める。
(ピコン)
なんだ?
ライン。
いつでも人と繋がれる。
たくさんきてる、ラインのメッセージ。
ラインのメッセージ。
成瀬結衣、ちゃんと勉強しろ、みたいな。
神宮寺葵、今度一緒に遊ぼう、みたいな。
成瀬真弓先輩、来週また呼び出す、みたいな。
神宮寺楓先輩、勉強無理するな、みたいな。
なんだろ。
まだ平安高校入って2週間。
俺がちゃんと勉強出来るやつなら、跳び跳ねて喜ぶ女子たちからのメッセージ。
(ピコン)
今度は誰?
岬……まだ南部長とパンダの話してたのかよ!?
どんだけパンダ好きだったんだよあいつ。
俺が今、なにしてんだ?みたいな。
家に帰ってるんだよ、家に。
何だってあいつまで。
あんなに俺の事キモいとか言ってたのに、こんなに
ラインメッセージ送ってくるようになったんだ?
今にして思えば、茶髪でいつもツンツンしてるこの子の行動が一番不自然にも感じる。
俺になんの魅力でもあるっていうんだよ。
この赤点アホヅラ男とつるむ理由なんてないはず。
俺の周りにいる人間で。
全く違和感を感じないのは、小学1年生からずっと一緒に過ごしてきた大親友の朝日太陽だけだ。
結城数馬、お前は俺の事本当は、どう思って俺にあんなに優しくしてくれたんだ?
中学3年間。
朝日太陽、成瀬結衣のただ2人だけの友人関係しか無かった俺。
中学校に入学してからも、あの2人だけは初日から俺に優しく接してくれた。
小学校からの幼なじみ。
それ以上の友人関係は、広がる事は無かった。
太陽は中学3年間野球部。
成瀬は中学3年間美術部。
俺は中学3年間帰宅部。
それが今はどうだ?
入学して2週間で、どんだけ友達増えてんだよ俺?
しかも絶望的な赤点男に、みんなが優しく勉強教えてくれてる。
中学1年生の時に難しい英語の授業が本格的に始まって。
中学3年間、成瀬結衣が自宅に呼んでまで勉強教えてくれる事なんて一度も無かった。
最後に成瀬の部屋に太陽と遊びに入ったのは、小学5年の百人一首、坊主めくりにハマってたあの時期が最後。
百人一首がたまたま太陽と成瀬3人の中で、成瀬の家にしか無かったから遊びに行った。
成瀬結衣に誘われて。
高校に入学して、違和感の跡をたどる。
岬れな、バイト先、わざわざ同じバイト続けるか普通?
結城数馬、あんなイケメン爽やかボーイが、太陽のライバルのクセして俺と仲良くするか?
成瀬真弓、やっぱりおかしい。
確かに頼れる成瀬の姉さんだけど、こんなに親しくしてくれるのは違和感でしかない。
神宮寺楓、神宮寺葵。
2人の姉妹は出会ったばかり、優しく接してくれるのはおかしい。
入学初日のあの日。
太陽が入部テスト受けるよりも、俺が優先した古文のテストを調べたあの日。
神宮寺葵、あの日からなんで俺に話しかけてくる?
あの子泣かせて、それでも今日も古文の勉強、源氏物語使って俺に律儀に教えてくれる?
こんなにもたくさんある、入学して2週間の違和感。
まだ俺の違和感の先にいる、大事な人が1人残ってる。
自宅にたどり着く。
2つある俺の自宅。
鍵を持っていない、もう1つの自宅。
玄関のチャイムを鳴らす。
(ピンポ~ン)
呼び鈴を鳴らす。
あたりは真っ暗。
紫穂も当然帰ってるよな絶対。
(ダッダッダッダッ、ガチャン!)
凄い勢いで家の中を走る音が聞こえる。
玄関の扉が開く。
「お帰りなさい守道さん」
「詩織姉さん」
やはりこの人だった。
違和感の先をたどっていくと、最後にこの人にたどり着く。
「遅かったわね」
「すいませんでした詩織姉さん、勉強してて遅くなりました」
「まあ、偉いわ守道さん」
「いえ」
待っていたのは私服の詩織姉さん。
紫色のカーディガンを羽織る。
この人ほど、紫色が似合う女性はいない。
可憐で、上品で、俺が憧れる頭の良い蓮見詩織姉さん。
家の中に入る。
玄関で靴を脱いでいると、2階から誰か降りてくる音が聞こえる。
紫穂だ。
「あっ!お兄ちゃん本当に来た~」
「紫穂、今日は邪魔する」
「もう~わたしがいくら誘っても来ないくせに、なんで詩織お姉ちゃんが誘ったら来るのよ~」
「うるさいな紫穂は」
「ふふっ」
今日の昼間。
詩織姉さんに言われて、俺は実家に泊まる事が決まっていた。
『今日はこちらへ』
『嫌ですって姉さん。父さんたちいるじゃないですか』
『今日はお2人とも帰りません』
『ええ!?でも』
『許しません』
今日、父さんと再婚予定の母さんは家には帰って来ないらしい。
リビングに通される俺。
すぐに匂いに気づく。
この匂い。
カレーの匂い。
「お兄ちゃん。今日は詩織お姉ちゃんとわたしが作ったカレーです」
「そ、そうか紫穂」
「守道さん、お腹空いてる?」
「もちろんです」
「まあ、急いで温めないと」
まさかのカレー2発目。
とても詩織姉さんに言えない。
ついさっき、成瀬の家でカレー食べてきたなんてとても言えない。
さっき女子4人に囲まれてましたなんて、とても詩織姉さんには言えない。
報告できない。
なんだよそれ、おかしいだろ。
蓮見詩織姉さんは、俺の本当の姉さんになる人。
今は他人かも知れないけど、もうここに一緒にいる時点で、家族のようなもの。
「守道さん、ご飯どれくらいかしら?」
言ってやる。
姉さんにハッキリと。
実はもうカレー2杯もおかわりしちゃいましたって、ハッキリと言って。
「はい守道さん、召し上がれ」
「いただきます」
今さらそんな事、言えるわけないだろ。
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(チャラララ~ン)
『今日の古典は、源氏物語の世界。光の君誕生――』
「あ、あの詩織姉さん」
「守道さん、集中」
「はい」
成瀬家のカレーおかわり2杯に続き、詩織姉さんと紫穂の合作カレーを、都合3杯目と4杯目のおかわり。
意外にいけた。
逆に今日がカレーでマジ助かった、普通に食べられたよ。
普通に美味しかったが、お腹はもうパンパン。
お腹いっぱいのところで、詩織姉さんの部屋に連れていかれた俺。
英語のラジオ英会話が始まるのかと思いきや、突然ラジオから源氏物語が流れ始める。
「姉さん、毎日聞いてるんですかこのレッスン?」
「今週から源氏物語が始まるの」
「へ~あっ、ここ俺読んだ事あります」
「あら、いつ?」
しまった。
また余計な一言、言っちゃったよ。
「図書館で自習を」
「偉いわ守道さん」
詩織姉さんは、俺が勉強と名の付く行動をすれば、なんでもかんでも褒めてくれる。
「はい、今ここ読んでるわ」
「は、はい」
生放送のラジオで流れる古典講座。
源氏物語が流れる事もあるんだな、たまたまか。
それにしても。
詩織姉さん。
近い。
(『1000年前に紫式部によって作られた源氏物語は、世界中で翻訳され日本を代表する古典文学の傑作の1つ――』)
「ふふっ」
「うっ」
詩織姉さんとテキストを共有する。
小さな机に置かれたテキストを2人で見る。
嫌でも距離が近くなる。
紫色のカーディガンを羽織る詩織姉さん。
超いい匂いがする。
詩織姉さんと一緒にいると、すべてを忘れてしまいそうになる。
俺が感じていた違和感も。
成瀬結衣の事も。
(トントン……ガチャ!)
「お茶をお持ちしまし……ごゆっくり~」
「ちょっと待て紫穂!」
紫穂まで消えようとしたので呼び止める。
古典を一緒に3人で聞く。
詩織姉さんにベッタリする妹の紫穂。
姉さんと紫穂は、本当に仲良しだ。
(『源氏物語の最大の魅力は、なんと言っても光源氏の圧倒的存在感―――』)
「詩織お姉ちゃん。光源氏って人、どんな人だったんだろうね?」
「ふふっ。守道さんのような人の事よきっと」
「え~お兄ちゃんダサいもん~」
「おい紫穂、ラジオ聞こえないから黙ってろって」
「ふふっ」
詩織姉さんは終始笑顔。
姉さんのご機嫌うるわしゅう。
姉さんの機嫌を損ねないように、俺は本日2回目の源氏物語のレッスンに入る。
(ズズッ)
詩織姉さんが、紫穂の入れたお茶をすする。
今日何杯目のお茶だ?
今日の学校のお昼休憩。
詩織姉さんのお茶をとっかえひっかえ次々と、誰とも知らない生徒が新しいお茶を持ってきていた。
今思えば不自然な光景。
姉さん、学内で偉い立場だったりするのだろうか?
「守道さん、集中」
「は、はい」
「お兄ちゃん、集中」
「うるさいぞ紫穂」
「守道さん」
「はい」
「ふふ~ん。詩織お姉ちゃん好き~」
「あらあら、紫穂ちゃんったら」
クソ。
紫穂が詩織姉さんにベッタリしてる。
いつから俺に反旗をひるがえすようになった紫穂は?
1対2。
家族で多数決を取れば俺が負けてしまう、圧倒的に不利な状況。
ラジオ古典が終了する。
源氏物語を今日はたくさん堪能した。
さらにお腹が一杯。
「詩織お姉ちゃんと一緒にお風呂入る~」
「あらあら」
昼間、あれだけたくさんの生徒からお茶を運ばれていた詩織姉さん。
その姿を、紫穂は知らないはず。
たくさんの生徒たちから慕われているのは間違いない。
俺が知らない、姉さんの人間関係。
こんなに頭が良くて、こんなに魅力的で。
俺の憧れる、蓮見詩織姉さん。
「それじゃあ守道さん、また後で」
「は、はい」
「覗いちゃダメよお兄ちゃん」
「誰が覗くかよ」
家族の2人が下の階に降りていく。
蓮見詩織。
違和感。
今にして思えば、最初の違和感。
俺が平安高校の入試に向けて、御所水通りの中央図書館で勉強していたあの日。
突然声をかけてくれた詩織姉さん。
『詩織姉さんはどうしてここに?』
『本を借りに来たの』
『高校の図書館があるじゃないですか?』
『うちの図書館、今耐震工事で閉まってるの。本が読みたくなって、ここに来ちゃって』
『そうなんですね』
――旧図書館は以後閉館となります――
以後閉館。
パンダ研究部がある旧図書館。
今の新図書館が閉まってる間、パン研の部室がある旧図書館が開いてたようだった。
詩織姉さん。
自分の高校の図書館開いてるのに。
わざわざ俺に嘘をついてまで、なんで平安高校にある、耐震工事中に開いてた旧図書館に行かなかった?
俺が姉さんなら。
わざわざ遠くて古い御所水通りの中央図書館には行かないはず。
旧図書館で本を借りる。
それが普通。
さっき、成瀬が野球部の入部テストで太陽の応援に行った事を忘れていた事。
違和感を追って、最後に気づいた、最初の違和感。
蓮見詩織。
姉さんは。
俺の最初の違和感の塊だ。




