83.「何かがおかしい」
成瀬家で食事をご馳走になる。
成瀬真弓、神宮寺楓のお手製カレー。
「今日ね~地理の授業があって、先生に誉められたの」
「まあ、葵ちゃん偉いわね。どんな問題だったの?」
「葵さん凄いんです。チェコの首都、プラハなんて私覚えて無かったな~」
「えへへ~昨日見てたの覚えてたの~」
「お前記憶力良いよな神宮寺。地理の教科書見てたのか?」
「違うよ、地球儀」
「地球儀?」
源氏物語大好き少女の部屋には地球儀があるらしい。
そんなもの見て世界の首都なんて覚えられるのか?
てか、なんで昨日地球儀見てたんだよこの子。
「お前暇さえあれば地球儀見てるのか、世界征服でもするつもりか?」
「う~ん……そだよ」
「もし達成出来たら、世界の半分を俺にくれ」
「分かった」
「ちょっと高木君」
「冗談だって成瀬~」
「お勉強増やします」
「マジかよ~」
「あはは」
「ふふっ」
また余計な一言を言ってしまった。
神宮寺家に寝返る成瀬結衣。
なんでもハイハイ言う神宮寺葵に余計な一言を言う度に、成瀬先生から報復の課題が上積みされていく。
すでにカバンには神宮寺楓先輩がわざわざ運んできてくれた現代文のプリント満載。
土日バイトあるのに、これ以上英語の課題まで増えたらマジ死ぬ。
「高木、ライン私のも登録しとくね(ピコン)」
「ちょっと真弓姉さんやめて下さいよ」
「このパンダ、ゆいちゃんにバラされたいわけ」
「ぜひ登録して下さい」
「ちょっとさっきからパンダってなんの事?」
「なんでもないから成瀬」
俺の天敵、成瀬真弓。
昔から俺の弱味を掴んでは最大限に利用してくる。
楓先輩が俺に話しかけてくる。
「夕子が感謝してたの。守道君が足りなかった部員を1人連れてきて下さったそうよ」
「そうなんだ高木。あっ、もしかしてさっきのラインに出てたパンダの子?」
「クラスメイトです。バイト先も一緒だったんで一応声かけただけですよ。本当に入るとは思ってませんでしたけど」
「高木グッジョブ!あんたもたまには役に立つのね~」
「たまにですよ、たまに」
岬を誘って正解だった。
どうやら南夕子部長が楓先輩と何か話をしたのだろう。
楓先輩たちの役に立てて俺も嬉しい。
「楓も登録しとく?」
「そうね」
「えっ、ちょ、ちょっと待って下さいよ姉さんたち」
「(ピコン)はい高木。あんた分かってると思うけど、勘違いして変な気起こすんじゃないわよ」
嘘だろ!?
神宮寺楓と赤点男の俺がライン交換!?
あり得ない。
楓先輩は太陽の憧れの先輩。
太陽が楓先輩とライン交換したなんて話、俺はこれまで聞いた事もない。
こんなにあっさり女子とライン交換なんてできるものなのか?
あのスポーツ万能、成績優秀の朝日太陽が、中学3年間思い続けてきた神宮寺楓先輩。
あの太陽が、まだ告白すら躊躇する想い人に、俺がこうもあっさり親しい関係になれるものなのか?
「楓〜これでいつでも高木をパシリに呼び出せるでしょ?」
「真弓、そんな事しちゃダメよ」
「良いのよ楓~高木が散々世話になってんだから~」
今にして気づく。
あり得ない……何かがおかしい。
「あはは」
「ふふふ」
まだ平安高校に入って2週間。
新しい高校、環境もがらりと変わり、人との繋がり広がって。
源氏物語だって、パンダだって、たったの2週間だけど、信じられないほど人との繋がりが広がって。
赤点取って、みんなが助けてくれて、こんなバカな俺に、みんなが優しくしてくれるって、単純に考えてて。
「ちょっと楓まで何言い出すのよ~」
「そんな事ありません」
「嘘~」
みんなが優しくしてくれる。
太陽だって、数馬だって。
みんなの優しさだって、おかしいと思うくらいに、優しくしてくれて。
今週を振り返っただけで、異常なほどの俺と言う人間への優しさ。
今にして思えば、おかしいだらけの毎日。
今日だって何だよ、俺なんでこんな女子の輪の中に男1人だけでいるんだ?
「ゆいちゃん毎週高木の勉強見てあげるの?」
「毎日報告させます」
「おかしい~」
「おかしくありません」
「おかしくありません」
いや、おかしい。
スマホだって契約してからも、人づてに次々とラインが交換されていった。
さっき真弓姉さん、楓先輩にまで俺のライン交換させた。
真弓姉さん、小学生の頃だって、夏祭りで浴衣を着た成瀬結衣に近づこうものなら、全力で俺を排除しようとしてきた。
俺が成瀬を泣かせたら、全力で俺に報復してくる怖い成瀬の姉ちゃんだった。
真弓姉さんが良い人なのは十分知ってるが、厳しくも優しく接し続けたのは、親友で幼なじみの朝日太陽も同じ話。
そうだ。
真弓姉さんより何より、小学3年生から7年以上ずっと同じクラスだった幼なじみの成瀬結衣。
『――私、朝日君の事が好きなの』
後にも先にも、成瀬結衣が自己主張をしたのはあの一度きりだったはず。
もうすっかり、かすれるような記憶しか残っていなかった。
俺が今いるこの成瀬の家のリビング。
食卓を囲む女子4人のいる輪の中で、天国のようなこの場所に至り、激しい違和感に襲われる。
そういえば。
成瀬結衣は今朝授業が始まる前に朝一番で、神宮寺葵にお願いしたのか、勝手にこの子がそうしたのか、俺に手紙を届けてきた。
『高木君。今日学校が終わったら、すぐにうちに来て下さい』
中学時代3年間、彼女のクッキー1つで嬉しくて舞い上がっていた俺。
そういえば、なんだよ今朝の手紙。
俺の知ってる成瀬結衣は、あんな手紙すぐに書くようなラフな女の子じゃ無かったはず。
「なあ成瀬」
「ふふふ、ん?なに高木君」
「ちょっと話があってさ、あっちでも良いか?」
「ちょっと高木、何うちのゆいちゃん口説いてんのよ」
「そんなんじゃありませんって。良いか成瀬?」
「良いけど?」
食卓を囲む成瀬と、少し離れたリビングのソファで2人で話す事にする。
今いる4人の女子の中で、俺が7年以上の付き合いで一番よく知っている成瀬結衣。
違和感の答えが、彼女の中に眠っている気がした。
俺は成瀬に聞きたい事があった。
成瀬結衣も、神宮寺葵も、真弓姉さんに至っては神宮寺楓先輩まで連れてきて俺の勉強指導をさせている。
先週、学力テストで赤点取って、みんなが勉強教えてくれるのは優しさだとばかり軽く考えていた。
俺は今朝TOEICも最下位。
おまけに学力テストで最下位。
ただの赤点男。
中学時代から何も変わらない、勉強が出来ない高木守道のままなのにどうしてこうなる?
『未来ノートを手に入れて突然モテ始めた』
入学してたった2週間。
おかしい、俺がこんなに女子たちからモテるわけが無い。
「どうしたの高木君?」
「あ、あのさ成瀬。お前に1つ聞きたい事があってさ」
「なに?」
成瀬結衣と7年以上過ごしてきた俺、そして朝日太陽。
神宮司楓先輩、神宮司葵、成瀬真弓姉さん。
ここにいる3人以上に、圧倒的に長い時間を一緒に過ごしてきた、幼馴染の成瀬結衣。
「どうしたの?」
「あのさ」
「ふふっ、なに?」
入学前、入試の前だって、中学時代からこんな風に成瀬と俺、普通に親しく話せていただろうか?
余裕がまったく無いので、全力予習してテストに臨む毎日。
成瀬とこんなに親しく話せてるの、モテてるんじゃないかってくらいバカな事考えてた。
思い出せ、昔の成瀬を。
可愛くて可愛くて、仕方が無かった中学時代の成瀬結衣を。
『高木君、待ってたよ』
『えっ?待ってたの、太陽じゃないのか?』
『違うよ!お勉強夜から頑張るの知ってたからここに来たの』
『どうして……』
違う。
俺が学力テスト、赤点取って苦しんでて。
太陽が勉強しようって言ってくれて、夜太陽の家に行ったら、なぜか成瀬結衣まで玄関の前で立ってて。
あの時成瀬は、珍しく声を荒げた。
凄く自己主張した。
それだ。
俺がおかしいと感じる違和感はこれだ。
成瀬結衣は、あんなに自己主張する女の子じゃなかったはず。
7年一緒にいた俺には違和感でしかなかった。
だから様子がおかしいって思った。
赤点取ったショックで、その時の俺は自己主張する成瀬の変化に気がつけなかった。
思い出せ。
成瀬は太陽が好きだったはず。
入学初日、太陽の大事なテストがあった日。
平安高校野球部の入部テストが行われたのは、入学式初日の話。
俺は勉強、太陽は入部テスト。
『ようシュドウ』
『た、太陽!?何でお前がS2に来てるんだよ!』
『いきなり大声出す事ないだろシュドウ。俺これから野球部の入部テストだからさ。ラッキーボーイのお前の幸運を頂きに来た次第さ』
入学初日のあの日、太陽が好きな成瀬結衣、これから太陽が入部テスト受けるっていう入学初日に俺になんて言った?
『朝日君行っちゃったね』
『えっ?あ、ああ。今日野球部の入部テストのためにあれだけ練習頑張ってたもんな』
『そうだね……ねえ高木君。明日学力テストもあるし、朝日君の入部テストの時間まで一緒に図書館で勉強しない?』
違う、もうあの時すでに、あの子は俺の知ってる成瀬結衣じゃなかった。
中学時代の成瀬結衣なら、太陽の入部テストが始まる前に、真っ先に太陽を追いかけていったはず。
あの日以降、何かおかしいって思ってた。
なんで成瀬が太陽より俺を優先するようになってしまったんだ?
「結衣ちゃん~シュドウ君と何話してるの~」
「ほら高木君、葵さん呼んでるから早く言ってよ。どうしたの?」
「な、なあ成瀬」
「ふふっ。はい」
成瀬は太陽が好きだった。
太陽は中学3年間、寝る間も惜しんで毎日練習してきた。
俺だって、当然同じ高校に通う事が決まってた成瀬結衣だって、平安高校野球部の入部テスト太陽が受けるの、絶対に分かってたはず。
「成瀬、先週の月曜日さ」
「先週って、オリエンテーションがあった初日?」
「ああ。何があったか覚えてる?」
「初日でしょ~あっ部活紹介があったオリエンテーション、ふふっ。なんかパンダが出てきてビックリしちゃった」
「そう、だな。それから?」
「う~ん。あっ、叶月夜先生、凄い担任の先生だな~ってビックリしちゃった私」
「そ、それから?」
「えっ?他に何かあったかな……」
嘘だろ。
どうしたんだよ成瀬結衣は。
今朝のTOEIC満点女子だぞこの子。
先週の月曜日の事、覚えてるだろ。
お前が7年間、ずっと見続けてきた男の晴れ舞台を。
(「――私、朝日君の事が好きなの」)
成瀬がずっと見続けてきた、朝日太陽。
先週月曜日、初日の大事な太陽の大舞台。
お前は行ったはずだよな?
お前が好きだった、朝日太陽の平安高校野球部の入部テストに。
「高木君に図書館で一緒に勉強しようって言ったら断られた」
「悪かったよそれ。俺が聞きたいのはその後」
「その後?う~ん……」
「成瀬?」
言ってくれよ成瀬。
わざと忘れたフリとかやめろって。
頭の良いお前なら、先週の月曜日、何したのか覚えてるよな?
太陽の入部テスト行ったんだよな応援に?
「う~ん……とくにそれくらい、かな」
「な!?」
「なに?他に何かあったかしら」
「結衣ちゃん、私も一緒にお話したい~」
「葵さん。高木君、もういいかな?」
「最後に1つだけ良いか成瀬?」
「も~なによ」
「成瀬お前、太陽の練習の応援、最後に行ったのいつだ?」
「えっ?」
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金曜日の夜。
陽が落ち、外はすっかり暗くなっている。
思いがけない成瀬結衣の回答に、俺の頭は真っ白になっていた。
「葵ちゃん、そろそろおいとましましょう」
「お姉ちゃん~もっと遊びたい」
「まあ、この子ったら」
「泊まってく楓?」
「あら、良いのかしら」
「平気~母さんたち夜まで帰らないし~ね、ゆいちゃん」
「葵さん、私の部屋で一緒に寝る?」
「うん、やった~」
女子会が夜通し続くらしい。
今の俺は、それどころではない。
「シュドウ君も泊まってく?」
「……俺、この後用事あるから帰る」
「高木君も泊まっていけば良いのに」
「ゆいちゃん、いつからそんなに高木に甘々なの~」
「幼なじみだから良いんです」
「おかしい~」
「お姉ちゃんうるさい~」
成瀬の言う事が明らかにおかしい。
俺には分かる、彼女は男に泊まっていけなんて言うラフな女の子じゃ無い。
ついこの間まで確かに存在した。
小学生、中学生、今日まで。
ずっと見続けてきた、成瀬結衣。
俺の知ってた、好きだったはずの成瀬結衣は。
一体どこに消えちゃったんだよ。




