78.「学生食堂」
(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
「お昼どうする~」
「学食行こうよ~」
午前中の授業が終わる。
週末の金曜日。
今日の授業が終われば、入学して2回目の土日を迎える。
まあ、俺はバイトなんだけどね。
「うっーす」
「よう岬。パン研の部長、昼間は旧図書館の部室にいつもいるらしいぞ」
「うっーす」
最近片言で分かり合えるようになった俺と岬。
岬が先にS2クラスを出ていく。
自由過ぎる1匹オオカミ。
今朝は謎のパンダ研究部に自ら身を投じるとか言ってたな。
1階の旧図書館の場所は岬に今朝伝えてある。
どうやら自分で入部届を書きに行くようだ。
続いて結城数馬が俺の席に近づいてくる。
教室の前を向いている俺。
数馬が教室後ろを見て、何かに気づいた様子。
「守道君、お客さん」
「えっ?」
(キャ~)
(綺麗な人~あの人誰?)
クラスに残る生徒から驚くような声が聞こえてくる。
誰だよ綺麗な人って?
数馬に言われて教室後ろを振り向く。
教室の後ろの入口。
同級生の女の子たちとは明らかに違う、大人の雰囲気。
姿勢正しく廊下の見える位置に立っていたその女性は、俺と視線が合うと無言でお辞儀をする。
2年生の蓮見詩織姉さん。
どうしてこんなところに……。
数馬と2人で廊下に出る。
ちょうど隣のSAクラスから朝日太陽も合流してくる。
男3人で、蓮見詩織姉さんと向かい合う。
詩織姉さんの上級生感が半端ない。
凛とした大人の雰囲気。
見ているだけで言葉を失うほど、制服姿が綺麗な上級生。
この1年生の特別進学部にいるだけで、詩織姉さん1人、明らかに際立って目立つ存在。
廊下を歩く男子たちが、詩織姉さんの姿を見てヒソヒソ話を始めている。
太陽は入学初日に詩織姉さんと会っている事もあり、姉さんが2年生の上級生だと知っている。
俺に声をかけるより先に、先輩への律儀な筋を通す。
「蓮見先輩、こんにちは」
「お邪魔してごめんなさい朝日君。それから」
「結城数馬です。守道君の友達です」
「蓮見詩織です」
俺とは苗字も違う詩織姉さん。
他人なんだけど、他人じゃない不思議な関係の家族。
ただ1つ言える事は、詩織姉さんが優しい人だって事。
太陽と数馬。
いつも詩織姉さんの作ってくれたサンドイッチを毎日分けて食べてる事もあり、そのお礼を言い始める。
「蓮見先輩。実はシュドウからこの前先輩のサンドイッチ分けてもらいまして」
「あら、それは恥ずかしいわ」
「凄く美味しかったです。なあ数馬」
「勝手にいただいてしまってすいません先輩。小倉サンド、凄く美味しかったです」
「いいのよ。ねえ守道さん」
「うっ」
姉さんが笑顔で俺に視線を合わせる。
満面の笑み。
俺には分かる。
『報告が無い』
詩織姉さんの満面の笑み。
絶対。
絶対、サンド3人で分けて食べてた事、報告してない事、怒ってる顔だ。
俺には分かる。
「朝日君、僕らはお2人の邪魔になるから退散しよう」
「だな。じゃあなシュドウ」
「ちょっと待てよお前ら」
「守道さん」
「ひっ」
「こちらへ」
「はい」
詩織姉さんには絶対服従。
姉さんには、何があっても逆らえない。
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「TOEIC」
「はい」
「残念でしたね」
「はい……」
英語を教えてもらっている姉さんにも、校舎の前で張り出された1年生特別進学部3クラスで実施されたTOEICテストの結果を見られてしまったようだ。
せっかく英語教えてもらい始めたのに、こんなバカな弟で申し訳ない気持ちで一杯になる。
姉さんと校内を一緒に歩く。
ここは家でも外でもない。
平安高校の校内。
第一校舎3階から2階に階段で降りる。
2階は主に2年生が入るフロア。
廊下をすれ違う生徒が、蓮見詩織姉さんの姿に視線を送る。
そりゃあ男も女も誰だって見るよ。
こんな綺麗な人、そうそういない。
しかも俺の前で未来ノートに映し出された平安高校の入試問題を、5科目一目で全問解いてみせた超頭の良い俺の姉さん。
詩織姉さん、2階の連絡通路で繫がる隣の第二校舎に向かうようだ。
第二校舎側に到達して、さらに1階への階段を下りる。
この方向。
学食と購買部がある方向。
「ごめんなさい守道さん」
「なにがです姉さん?」
「今朝、失敗しちゃって」
「えっ?」
失敗?
なんだろ失敗って。
そういえば今週初めて、詩織姉さん、俺の早朝バイトしてるコンビニに迎えに来なかったし。
毎日もらってたお弁当のサンドイッチ。
紫色の風呂敷、そういえば今日はまだ見てない。
いつも太陽と数馬の3人で生存競争を繰り広げている購買部を素通りする。
今日も男子たちの熱い戦いが繰り広げられている。
本当ならここで今日、俺も戦ってははずなのに。
「こっち」
「でも姉さん。俺」
「いいから」
「はい」
姉さんには逆らえない。
まだ1度も入った事がない、大勢の生徒たちで溢れかえる学生食堂に足を踏み入れる。
総合普通科の生徒が大半を占めている学生食堂。
横一列の長い机にいくつもの席が並ぶ。
窓側の陽当たりが良いテラス席もたくさん見える。
トレーを持った生徒が、フードコートに並ぶかのように食堂に列を成していた。
「はい」
「えっ?」
詩織姉さんが入口にたくさん置かれた木製のトレーを俺に1つ取って渡してくる。
「姉さん、ここで食べる気ですか?」
「今日は失敗しちゃったから」
「失敗って、サンドイッチの事ですか?」
詩織姉さんが恥ずかしそうにコクリと頷く。
どうやら今朝俺のバイト先に来なかったのも、紫色の風呂敷が無かった事もこれで理由が判明した。
食堂に並ぶ生徒の長い列も、並んでみると意外に早く前に進んでいく。
少し前に進むと、ガラスのショーケースに今日の日替わり定食だの、カレーだのたくさんの献立が飾られていた。
食堂の人がデコってるのか、ラーメンには+30円のトッピングでコーンやメンマが増量されるらしい。
大盛はおろか特盛・鬼盛まで存在する。
オプションも豊富だ。
「ここで食券を買うの」
「は、はい」
平安高校の事をまるで分かっていない俺。
学生食堂の使い方を、詩織姉さんに初めてレクチャーしてもらう。
「守道さんはたくさん食べるからこれ」
「日替わり定食……290円!?」
日替わり定食は290円でボリューム満点。
今日のメインはデミグラスハンバーグ。
好きな総菜の小鉢をたくさんある中から3つも選んで良いらしい。
しかもご飯大盛無料。
カレーやラーメンはさらに安い。
信じられないこの安さ。
毎日この学生食堂が学年を問わず生徒で溢れかえるわけだよ。
他にもデザートまで充実している。
女性陣感涙の充実食堂。
甘党の結城数馬にも、今度ここの存在を伝えておきたい。
どうなってんだよこの平安高校。
地元の公立高校では考えられない超豪華な学生食堂。
外の購買部には自動販売機まである。
さすが私立。
「こっち」
「は、はい」
右も左も分からない俺。
手取り足取り姉さんが全部一から教えてくれる。
木製のトレーに日替わり定食を乗せて、蓮見詩織姉さんの後をついていく。
姉さんがどんどん、どんどんと学生食堂の奥へ奥へと進んでいく。
すでに窓側や通路側の席はおろか、外のテラス席だって全部生徒たちで埋まっている。
友達とかと連携して、先に席を確保しとかないとこの学生食堂で毎日食事をするのは難しい環境。
あれ?
なんだよあそこ。
学生食堂の奥で、小さな観葉植物が無造作に並んだ一角。
ぱっと見で、あそこは絶対入っちゃいけないスペースって感じがする。
あの小さな観葉植物が境界線になって、普通の人と、そうでない人を分けているようにさえ感じる。
入っちゃいけない事もないんだろうけど。
なんかあの奥にいる人たち、普通の人たちの集団じゃない。
「こっち」
「え!?姉さんあっち行くんですか?」
「そう」
「でも姉さん」
姉さんは必要な事を言うと、あとは黙って先に歩き出してしまう。
置いて行かれるわけにもいかない。
木製のトレーを持って、詩織姉さんの後をついていく。
超えてしまった。
小さな観葉植物の境界線。
学生食堂の一番奥。
全面ガラスのサッシで陽の光がとても心地よい場所。
左手に階段。
5段ほどさらに登ると机とイスが窓側に並ぶスペース。
大きなガラスのサッシ。
洋風作り。
女子たちがナイフとフォークでランチをしている。
かたや右手には畳の敷かれたお座敷のスペース。
和風作り。
左と右で和洋折衷、対照的な作り。
フードコートで良く見る、座って食事ができるスペース。
境界線を越えるなり、先に席に座っていた集団から視線が注がれる。
みんな驚いた表情を浮かべている。
明らかに普通でない顔。
俺を見ている生徒もいれば、詩織姉さんを見て驚いている生徒もいる。
あまり気持ちは良くない。
不自然にそこだけ席が空いている場所が1つ。
右手のお座敷の席に向かう詩織姉さん。
まるで。
いつもそこに座ってますと言わんばかりに、そのスペースだけ席が空いていた。
「いただきましょう守道さん」
「ここでですか?」
「この時間だと、ここしか空いてなくて。ごめんなさいね、こんなところまで」
「いえ」
詩織姉さんの言う通り、早めに席を確保していないと座る事すら難しい学生食堂。
座るためには食べ終わった生徒の席を、トレーを手に探し回る必要がある。
和洋折衷の不思議な空間。
お座敷の向かいの席に座る詩織姉さん。
いつもそうなのか、今日はそうなのか。
温かいきつね蕎麦を注文した姉さん。
お箸を持ち、髪を耳にかける仕草をしながら口にお蕎麦を運ぶ。
マジ綺麗。
向かいに詩織姉さんを眺めながら食べる学食の日替わり定食は、290円以上の価値を感じる。
「蓮見先輩」
「一ノ瀬さん」
突然、俺と詩織姉さんが向い合せに座っているところに話しかけてくる女子生徒。
詩織姉さんを先輩と言ってる。
だったら2年生、いや、1年生だなこの子。
「どうしてそんな男、ここに連れて来るんですか?」
「いけないかしら」
「でも」
明らかに俺の事を知ってる。
今朝のTOEICテストの結果だって、学力テストの結果だって散々目立つ順位で俺の名前はさらされている。
「美雪~よしなよ、みっともない~」
「明石さんは黙っていて下さい」
「本当お堅いんだから美雪は~」
また知らない女子が1人加わってきた。
俺が姉さんと同席している事に文句を言ってきた女の子を止めようとしてる。
「この人は蓮見先輩のそばに居て良い男じゃありません」
「一ノ瀬さん」
なんか俺、このスペースにいる人たちから邪険にされてる気がする。
詩織姉さんは普段からあまり自分の事は口にしない。
絶対勘違いされてる。
家族になる人だなんて、姉さんが他人に話すわけがない。
「一ノ瀬」
「郁人」
「お前、この前正門にいた」
「はは、覚えてもらっていて光栄だよ高木守道君。僕は右京郁人。蓮見先輩にはいつもお世話になっている者だよ」
「詩織姉さんが?」
「あなた、何が詩織姉さんですか」
「まあまあ一ノ瀬。それにしても、随分と親しげな呼び方だね」
余計な事をまた人がいる前で言ってしまった。
周りの連中は、俺と詩織姉さんが家族になる予定の人なんて事情知らないはず。
「私のわがまま。今日は許して」
「蓮見先輩」
「一ノ瀬、蓮見先輩がここまでおっしゃられてる。一ノ瀬だってこれ以上先輩の邪魔はしたくないだろ」
「郁人……分かったわ」
右京郁人に連れられ、女子2人は引き下がっていった。




