75.「見られてる」
平安高校の図書館で数学の宿題を終わらせた俺と岬れな。
2人で並んで歩き、駅前にあるバイト先を目指す。
岬は茶髪で個性がとても強い女の子。
ほっそりとしたモデルのような女子。
顔も小さいし、まるでダメな俺と並んで歩いている事が信じられない。
綺麗なバラにはトゲがある。
この子にジト目で見られると心臓に悪い。
「キモイんですけど」
「悪かったなキモくて」
ストレートな意思表示。
裏表がまったくない彼女の意見はいつも新鮮に感じる。
優しい嘘より大分マシ。
今まで中学生時代、ずっと優しいだけの成瀬結衣と過ごしてきた。
女子と言えば俺にとって成瀬結衣。
岬は俺が今まで出会った事のないタイプの女子。
毒舌も半端ない。
「あんたね、いつもクラスでも言われっぱなしでちょっとは言い返したらどうなの」
「俺は本当にバカなんだからしょうがないだろ」
「アホ」
俺がクラスで赤点男と揶揄されている事は、岬の耳にも当然入っている。
彼女はそんな俺の現状を知っていて、なお俺にこうして話しかけてくれる。
言い方はアレだけど、結構こいつ良いやつだって俺は勝手に思ってる。
入学2日目に受けた、あの転機となった学力テストの結果が出た日。
俺の悲惨な赤点最下位の点数が校舎の掲示板に張り出されたあの日。
学力テストの平均点は290点、俺の点数は140点。
赤点ボーダーラインの145点に届かず、S2クラスに入った俺にクラスメイトからの冷たい視線が注がれる中。
(バンッ!!)
『ひっ!?』
『お・は・よ・う』
『お、おう』
『グジグジいじけてんじゃね~し』
今思えば。
真っ先にカツを入れてくれたのが、この岬れなだ。
それは太陽でも成瀬でも無かった。
出会ったばかりの赤点男に、この子は周りの視線を気にせず、いじけて下を向いていた俺を叩き起こしてくれた気がする。
「なあ、岬」
「なに」
「俺さ、お前に言っときたい事があってさ」
「キモ」
今の俺は色々な人から優しくされ過ぎている。
俺自身がそう感じている。
周りから見ればもっとそう感じられているに違いない。
「サンキューな」
「は?」
「俺が赤点張り出された日。お前に気合入れてもらって、なんか今、頑張れてる気がする」
「本当キモイ」
「うるせえよ。それだけだよ」
それからしばらく会話が止まった。
岬は俺の事をどう思っているのか、俺にはさっぱり分からない。
女の子はとにかく宇宙。
成瀬も神宮司も、同級生の女の子すら誰1人分かっちゃいない。
先輩たちだってみんなそうだ。
スポーツが出来て頭も良い。
おまけに性格はもっと良い太陽と数馬。
同じ男として人として、2人がうらやましいよ本当。
グダグダと考えている間に駅前まで到着。
今日はいつもの御所水通り店ではなく、店長の弟が経営する駅前店に向かっていた。
駅前にはいくつものお店。
小学校から変わらない祇園書店。
ここで俺は、白い未来ノートを手に入れた。
あの日からもう3か月の時が過ぎる。
俺の未来はノートの力で、本当に姿を変えてしまった。
「あんた、店長とポケベルでやりとりしてるっしょ」
「おう、良く知ってるな」
「昨日聞いた。石器時代かっつーの」
「本当お前、俺の事良く分かってるな岬」
「自慢すんじゃねーし。スマホは?」
「あるにはある」
「は?」
俺はカバンから、蓮見詩織姉さんから渡されている紫色のスマホを取り出す。
「あんじゃんスマホ」
「これラジオ英会話聞くためだけの再生機に成り果ててるんだって」
「それじゃタダの金属の塊っしょ」
「その通り、分かってる岬」
「アホ。それ結構最近の機種じゃん。シムカード入れてそのまま使えし」
「それ俺よく分かってないんだよ」
「アホ」
駅前にスマホのショップがいくつか見える。
所持品はポケベルと未来ノート程度しかない俺。
当然スマートフォンの知識はない。
「石器時代、こっち」
「えっ?」
岬に引っ張られて石器時代の俺がスマホショップに連れて行かれる。
色々なスマホが並んでる。
これが本当に使えれば、誰とでもいつでも電話もできる。
「スマホ無しであんた、高校生活これからどうやって生きていくっしょ」
「いつもその日暮らしだったんだよ」
「日雇い労働者かあんたは」
詩織姉さんのスマホを岬が勝手に俺の手から奪い取る。
さっと眺めて、店の奥にあるシムカードの販売コーナーに向かう。
「はいこれ」
「えっ?なにそれ。マイクロチップ?」
「シムカードだっつーの」
「店員呼ばなくて勝手に取って良かったのかよ」
「バイトのアホに探させるより私が見た方が早いっつーの」
スマホショップの店員よりもスマホに詳しい岬れな。
「でも俺金ないし」
「メインは何で使いたいわけ?通話?」
「ボッチの俺が誰と電話すんだよ」
「はいはい、エッチな動画見たいわけね」
「そんな事できんのかこれ!」
「死ね」
石器時代の原始人が、はるか未来をゆく現代人にスマホのレクチャーを受ける。
「やっぱ検索とか便利そうだし。辞書無いんだよ俺んち」
「なに調べるわけ?」
「それはテストの……」
「テスト?」
ヤバ。
思ってる事そのまま言ってしまいそうになった。
最近岬と打ち解けてきたせいで、太陽や成瀬と同じ感覚で何でも話してしまいそうになる。
「……旅行とか行った時も便利そう」
「無いと死ぬし」
「旅行行くのか岬?」
「海外」
「マジかよ。異世界の歩き方とか持ってるのか?」
「デジタル版をスマホに入れてる」
「そんな事も出来るのか!?」
「本当あんた石器時代で止まってんじゃねえっつーの」
何も知らない俺が質問しても、最近の彼女は嫌がらずに何でも答えてくれる。
「小説も見れるのか……そりゃそうだよなスマホだし」
「小説サイトはたくさんあるし」
「このEってなんだ?」
「エブリスタ」
スマホ知識ゼロの俺に色々なアプリや機能をレクチャーしてくれる。
もはやスマホショップの店員。
やはり最後に気になるのがお値段。
「俺やっぱ金あんまりなくて」
「ほれ、そこに月額料金載ってるっしょ」
「嘘だろ!?こんな安いの?1日バイトしたらすぐじゃん」
「もうシムカード買えし。そんな金属の塊持ち歩いててどうすんの」
「そ、そうだな」
どうする?
詩織姉さんが使ってたスマホに、勝手にシムカード挿して大丈夫かな?
「早くしろや、バイト始まるっしょ」
「お、おう」
「ネット繫がったら、こんなアプリもあるっしょ」
「英語翻訳アプリ!?不正行為だろそれ!」
「海外行ったら必須。不正行為ってなに?」
「いや、別に……」
未来ノートで未来の問題を調べている俺。
ズルい手段は敏感に感じる今日この頃。
なんだよこの翻訳アプリって。
辞書で調べるものだと思っていた英語の長文問題も、スマホのアプリがあれば一瞬で翻訳されるらしい。
みんなこれ使って英語の宿題とかやってたのか?
未来ノートが壊れて未来の問題分からなくなった俺から言わせれば、同級生みんなズルしてんじゃん。
まあ、真面目に辞書で頑張ってるやつも当然いるよな普通。
(カシャッ!)
「写メして、ほら」
「すげ、一瞬で英語が日本語に……翻訳は結構いい加減だな」
「フランス行った時、ルーヴル美術館とかの英語の説明もこれで何となく分かった」
「フランス!?パスポート持ってんのかよ岬」
「うるさいし」
「おまえ頭良いな岬」
時代の最先端をいくデジタル女子に指導を受け続け、もうシムカードの購入に心が大きく傾いていた。
詩織姉さんには明日金曜日に会う予定だし、事後報告で大丈夫だよなきっと。
バイトも始まる。
もう買っちゃおう。
シムカード、意外に俺でも買える良心価格。
「エッチな動画ばっかり見てたら、月額料金ぶっ飛ぶっしょ」
「見ないよそんなの」
今日もハリネズミのトゲがビシビシと刺さり続ける。
シムカードを店員に言って購入手続きに入る。
美人のお姉さんがいる契約ブースに座る。
タブレットを取り出した美人店員。
最近は印鑑レスでサインするだけの電子契約が主流らしい。
「こちらにサインを」
「うっ」
「早くサインしろし」
「分かってるって。ちょっと心の準備をしてただけ」
「は?」
契約書アレルギーになった俺。
俺のようなモブ男は、美人の女性に騙されて色々な詐欺に合うらしい。
最近漢字技能検定4級とか、パンダの契約書にばんばんサインしてしまった。
きっと来週あたりに後悔しそうな予感がしている。
「ご生年月日を拝見させていただきましたが、お客様は未成年ですね?」
「ええ、そうですが」
「未成年の方は、原則契約行為に対して親権者の同意が必要となります」
「ええ!?」
「あんた、親いないわけ?」
「うっ」
マジか。
スマホ契約すんのに、高校生だと親の同意がいるのかよ。
「お母さんに頼んだら?今なら家にいるっしょ」
「……そもそもいない」
「……ごめん」
「いや、謝るなって」
別に岬が謝る事じゃない。
どうする。
親父に電話するのか?
でも電話しないと契約できないよな。
高校生って、なんでもかんでも自由じゃないのか。
「お電話、お貸ししましょうか?お電話での本人確認で結構ですので」
「……お願いします」
親父に電話したくない気持ちより、今目の前にあるスマホで色々な事を検索できる誘惑がまさった俺。
渋々、手帳に控えていた親父の携帯電話に電話をかける事にした。
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「すげえな、スマホか」
「子供かあんたは。さっきは……本当悪かったっしょ」
「気にすんなって岬。もうバイト行こうぜ」
「うん……」
「どうした岬?」
「ちょっと彼氏のフリして」
「はっ?」
携帯ショップを出ようとした時、店内で岬が俺に突然抱きついてきた。
「嘘だろお前」
「良いからこのまま」
「わ、分かった」
どういうつもりだ岬?
もう頭パニック。
女の子に抱きつかれるとか、俺の人生であり得ないシチューション。
至近に迫る岬が顔を上げ、俺と視線を合わせる。
口元が開き、小声でささやくように声を出す。
『見られてる』




