68.「旧図書館」
(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
6限目。
本日最後の授業。
教壇に立つ、白いスーツを身にまとったスレンダー美人教師。
平安高校特別進学部、S1クラス担任。
英語担当教師、叶月夜。
「ふふっ」
えっ?
なんか今一瞬、叶月夜先生と目が合ったような気がする。
俺の席は教室一番後ろの中央の席。
一番前の席の生徒を無視してわざわざ俺の方を見ないで欲しい。
先週俺は、この英語の授業で未来ノートに映し出された英語の問題が、この英語の授業で実施されるものだとばかり勘違いしてしまっていた。
だが、実際には叶月夜先生の英語の授業では無く、ローズ・ブラウン先生が担当する英語コミュニケーションⅠでのリーディングのテストが未来ノートに映し出されていたと判明した。
完全に俺の勘違い。
同じ英語の授業が、高校のカルキュラムでは複数の教科に分かれて発生する。
未来ノートに英語の問題が浮かび上がったからといって、この英語と英語コミュニケーションⅠのどちらの教科の問題なのか予測が難しい。
未来ノートの弱点と言っていい。
先週からこの英語の授業では小テストが実施されていない。
今日の授業終わりにでも未来ノートをチェックしておかないと。
また叶先生と目が合った。
今日の授業中、やたらと先生と目が合う気がする。
『成瀬のいるS1クラスの担任ってどんな先生?』
『う~ん……女王様?』
『は?』
『クイ~ン』
成瀬が言ってる事が未だによく分からない。
担任の顔と英語の授業の顔を分けてるのかな?
クイーンってなんだよ。
『英語の発音がわたしの理想的スピーチ。わたし叶先生憧れちゃうな~』
『成瀬が憧れる先生なんてよほど凄い先生だな』
『憧れ~』
「That's the most beautiful sunrise I have ever seen――」
凄いネイティブのスピーチ。
とても同じ日本人とは思えない。
透き通るような声にクラスの誰もが聞き入ってしまう。
ローズ・ブラウン先生の英語コミュニケーションⅠとはまったく違う教科に感じる。
それにしても、えっと、今先生なんて言ったんだろ。
あれ?
なんか、分かるかも言ってた事。
――あれは私が今までに見た中で一番綺麗な朝焼けです。
あれ?
なんで俺、先生のネイティブスピーチ。
いつの間に聞き取れるようになってるんだろ。
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(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
今日1日の授業が終了する。
藤原宣孝先生の現代文の授業からたくさん課題と宿題が出されている。
自宅アパートに帰ったところで課題や宿題を調べるための国語辞典も無ければ参考書もない。
図書館直行だなこれは。
「やあ守道君、今日は宿題たくさん出てるね」
「本当だよ数馬。これから野球部だろ?頑張れよ」
「ありがとう守道君」
「数馬はいつもいつ宿題やってんの?」
「練習が終わってからさ。激しい練習が終わった後はクールダウンも必要だからね、大体いつも9時過ぎてから始めてるかな」
「そんな遅いのかいつも!?偉いなお前」
「はは、守道君も頑張って。じゃあね」
爽やかイケメンボーイの結城数馬が野球部の練習へ向かうためクラスを出ていく。
夜中の9時から男子寮の部屋で宿題始めるのか。
同級生で同じクラスメイト。
結城数馬はスポーツと勉強にほぼ日中のすべての時間を割いている。
それは朝日太陽も同じ話。
本当に2人は、赤点男の俺と違って必死に努力する尊敬できる友人の2人だ。
ん?
俺のいるS2クラスの左隣、3階の一番奥に位置するS1クラスの方からポニーテールの2人組が小走りに数馬が消えて行った方へ走り去ったな。
まあ、どうでもいいか。
「あのさ」
「えっ?ああ、どうした岬?」
「明日、ちょっと夜予定空いててさ」
「おう」
「バイト、シフト入れようと思ってて」
「おう?」
窓側の席に座る岬れなが、俺のいる席に近づいて話しかけてきた。
明日の夜シフト入れたいって、そんなの俺に構わず好きにバイトしたら良いに決まって……ああ、そういえば岬のやつ、夜は苦手だったっけ。
「分かった、じゃあ俺も明日バイト入れるわ。店長に言っといてよ、俺が明日入るから休んで良いですよって」
「了解、じゃ」
「おう」
バイト先が同じコンビニの岬れな。
店長は俺がいない日は毎日夕方からシフトに入っている。
明日は岬と夜バイトに出て、店長を休ませる事にする。
夜道が苦手な岬をちょっと遠回りして送って帰ればいいだけの話。
(がやがや)
「凄い」
「神宮司楓先輩よ」
えっ?
なんで楓先輩の名前がクラスメイトから出るんだよ。
「シュドウ君」
「うわ!?なんだよ光源氏」
「えへへ」
神宮司葵が突然現れた。
成瀬はどこ行った?
ああ、そういえば美術部今日から始めるって言ってたっけ。
神宮司も美術部に元々すでに入部してるって言ってたよな。
なんでこの子ここにいるんだ?
「守道君、ごきげんよう」
(「キャ~」)
(「神宮司楓先輩よ、素敵~」)
上品な言動と振る舞い。
ごきげんようと言われた俺が気恥ずかしくなる。
神宮司姉妹。
なんでここにいるんだよ。
「では守道君、お約束通りに」
「えっ?あれ本気なんですか楓先輩?」
「こちらの通りに」
楓先輩が、俺が昼間第二校舎中庭でサインしてしまったパンダの契約書を見せてくる。
「楓先輩、それやっぱりクーリングオフしたいんですけど」
「許しません」
「許しません」
妹の神宮寺葵が、ふざけてお姉さんの真似をする。
やっぱりサインするんじゃなかった。
俺、とんでもない契約書にサインしちゃったよ。
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神宮司姉妹と第一校舎の1階へと階段へ降りていく。
成瀬は美術部。
太陽と数馬は野球部へと向かった。
昨日この1階の掲示板の前でパンダの先輩に鬼気迫る勧誘を受けてしまった俺。
引っ付いて離れないパンダを引き離し何とか逃走したが、今日さっそくまたあの先輩に会わなければいけなくなった。
楓先輩についていき、到着したのは第一校舎1階の一番奥。
とても広い。
というかここ、図書館だ。
3年生の入る第二校舎の2階にリニューアルされたばかりの図書館があるのに、なんで同じ学校に2つも図書館があるんだ?
「楓ちゃん~」
「夕子、お連れしました」
「パンダのお姉ちゃんだ~」
「楓ちゃん。もしかして、もしかしてなの?」
「お名前だけでも良いかしら?はいこれ」
パンダの先輩が号泣している。
楓先輩が夕子と呼ばれるパンダの先輩に差し出したのは入部届2枚。
「ちょっと楓先輩、なんですその入部届」
「守道君と、葵ちゃんの分」
「お前も入るのかよ光源氏」
「えへへ」
「葵ちゃんもありがと~はいお菓子~」
「わ~い」
お菓子をパンダの先輩からもらって喜んでいる神宮司。
そのまま図書館のような場所に招かれる俺と神宮司姉妹。
図書館の中に入り、さらに奥にある別室に招かれる。
本当に広い図書館。
別室があってもおかしくないが、なんでここにパンダの先輩がいたんだ?
図書館とつながる別室に入り、椅子に座る俺と神宮司姉妹。
神宮司葵が俺の隣に座る。
「シュドウ君、良かったねこれ」
「嬉しくないよ」
俺の手元に無理矢理渡されたお菓子。
楓先輩と妹の神宮司も一緒に、パンダの先輩のいる部屋に入る。
駄菓子をもらって大喜びの神宮司と対照的に、俺の心境は複雑。
部活に興味が無くはないが、今の俺は赤点男。
来月にも総合普通科転落の危機に直面しているこの緊急事態に、パンダを研究している心の余裕などまったくない。
壁一面にパンダの写真が貼られる。
パンダのポスター。
コップもパンダ。
何から何までパンダで埋め尽くされている。
こんな部屋に毎日居たら、俺もパンダになってしまいそうだ。
「私たちの部室、今はここの旧図書館を間借りしてるの」
「旧図書館?」
旧図書館が部室。
どうやら俺はパンダの先輩のパンダ観測室へと連行されていたようだ。
この部屋の外には情緒あふれる昔ながらの図書館。
貸出などしていないのか、他の生徒の姿は1人も見当たらない。
「ここの図書館、来年廃館だったわね夕子」
「来年ですか?」
「新しくなった新図書館。第二校舎の地下に蔵書保管庫が整備されてるの。耐震工事が来年終わったら、ここの本は全部そちらへお引越しする予定です」
「来年の廃館と共にパン研は消滅ですね」
「こら後輩君、不謹慎な事言わないでよ」
パンダ研究部の間借りしているのが旧図書館にある一室。
とは言っても第二校舎に立派な新図書館がすでにリニューアルオープンしている。
そちらの方がネット環境もあるし、蔵書も豊富、おまけにDVDで映画視聴も出来る上雑誌に漫画まで置いてある。
ここの旧図書館は第二校舎地下にある新図書館の蔵書保管庫が整備されるまでの、一時的な保管場所に過ぎないらしい。
「たしかあと3人入らないと部として成立しないんでしたよね?元々の部員ってその」
「南夕子です、わたしの名前」
「ああ、どうも先輩。部員は先輩だけなんですか?」
「私と真弓もここの部員なの」
「嘘でしょ!?真弓姉さんと楓先輩は野球部のはず。もしかして掛け持ちですか?」
「お名前だけ」
「真弓姉さんと一緒にって事ですね」
「夕子ちゃん、パンダが無いと生きていけないの」
「そんな切なそうに言わないで下さいよ楓先輩」
どうやらパンダの先輩は南夕子という名前らしい。
パンダが無いと生きていけない。
楓先輩と南夕子先輩は友達関係だと容易にうかがえる。
さしずめこのパンダ大好きの先輩のため、真弓姉さんと一緒に部を維持するために名義貸しをしているのだろう。
「今まではこの部、パン研でしたっけ?どうやって部員維持されてたんですか?」
「私の上の先輩が3人卒業しちゃったの」
「それで3人足りないと。ちょうどいい機会ですから、一度廃部の方向で」
「守道君。パンダは夕子にとって命よりも大事なものなの」
「そう言われましても楓先輩」
「シュドウ君も入ろうよ。部活一緒だよ?」
「お前美術部どうするんだよ神宮司」
「う~ん……掛け持ち?」
神宮司姉妹。
姉妹揃って部活を掛け持ちする気満々の様子。
姉の神宮寺楓は野球部をメインにパンダ研究部に名前貸し。
妹の神宮寺葵は美術部とパンダ研究部を掛け持ち。
それにしてもパンダ研究部。
ここは俺の想像していた部活動と大分違う。
良い意味で文科系。
基本活動しているのはパンダの先輩ただ1人と言っていい。
楓先輩と真弓姉さん基本いないみたいだし。
刻まれるのはパンダの先輩によるパンダの生育日記のみ。
このパン研に青春を捧げるのはかなり違う気がする。
ただ気になる事が1つあった。
パンダの研究はともかく、今いる場所が図書館という事実。
旧図書館という事もあり本は古いが蔵書は豊富にある。
しかも他の生徒が新図書館に向かうため訪問者は皆無。
勉強に予習をするにはもってこいの場所にも感じる。
「あの、南先輩」
「なになに後輩君。何でも聞いて」
「ここで自習とかしてても良いんですか?」
「全然オッケー」
「先輩はその間なにしてるんですか?」
「わたしは平日王子動物園のサイトでタンタンのリモート映像チェックしないといけないから忙しいの」
部長はタンタンに夢中で特に邪魔にもならない。
部員である成瀬真弓姉さんに神宮司楓先輩は本職の部活は野球部での活動がメイン。
この旧図書館に部員として来るのは、これまで楓先輩たちも月に1度程度だったらしい。
妹の神宮司がどう動くか分からないが、基本お姉さんと一緒に行動するはず。
ここの部室は蔵書豊富な旧図書館。
未来ノートに映し出される未来の問題を解くのにも持ってこいの場所かもしれない。
皆無と思われたパン研の存在価値を徐々に感じ始める。
「いつでも自習が出来るなら、入部前向きに考えてみます」
「本当、後輩君!」
「うわ!?そんな興奮しないで下さいよ先輩。それに俺と神宮司入っても、1人足りませんよね?」
「そうなのよね~あと1人、あと1人探さないと。私の論文、平安高校の部として出したいし」
「論文ですか?」
先輩には何か部として活動したい目標があるらしい。
とはいえあと1人部員がいないといずれパン研は廃部の運命とのこと。
「楓先輩。俺、成瀬に話だけでもしてみますよ。名前だけなら成瀬も」
「掛け持ちはしないとのお考えみたいでして」
「なるほどですね」
確かに、そういうとこ律儀だから成瀬は絶対に二股許すようなタイプじゃないよな昔っから。
これで成瀬が入る事は無しと。
自習室としては良いかと思ったけど、やっぱりパン研廃部かな。
ん?
妹の神宮司が、パンダの先輩に親しげに話しかけている。
知り合いなのかなこの2人?
「葵の上、よくぞパン研へ参られた」
「えへへ」
「それ源氏物語ごっこです?先輩と神宮司は知り合いなんですか?」
「そだよ。うちによく遊びに来るの」
どうやらパンダの先輩は神宮司の家に遊びに行く仲らしい。
楓先輩の友達なら、当然と言えば当然かも知れない。
部の存続のために入部してくれる妹の神宮司とも顔なじみの様子。
さっきから妹の神宮司とパンダの先輩がおかしな話をしている。
この2人はフィーリングが合うらしい。
パンダと古典の話で盛り上がっている。
「古典書にパンダの記録?」
「古く中国唐の時代にパンダに関する記録が残ってるの」
「昔の古典にパンダですか……そういえば源氏物語にも犬や猫なら出てきますよね」
「凄いシュドウ君、ちゃんと見てる」
「ま、まあな。この前お前んち行った時出てたろ?」
「凄いね後輩君。現代の動物が過去どのように扱われていたのかを研究するのも大事な私の仕事なの」
「あなた本当に高校生ですか先輩?」
「ふふふ」
夏に国で主催するコンクールに向けて今まさに論文を書いているらしい謎の先輩。
パンダの先輩のパンダ研究は中国4000年の歴史までさかのぼっているようだ。
本当に青春のすべてをパンダに注いでいる。
ただ単にパンダ好きの危険な先輩というわけではなさそうだ。
南先輩はほぼ週末、神戸にある王子動物園へ愛しのタンタンの観察に向かうそうだ。
王子動物園の隣には、藤原美術館もある。
南先輩と妹の神宮司がその話で盛り上がっている。
「シュドウ君、鳥獣戯画って知ってる?」
「ああ、ウサギとかカエルの絵のやつだろ?」
「今ね、藤原美術館で特別展示されてるの」
「ふ~ん、お前そういうの好きそうだよな」
「一緒に行く?」




