65.「部活勧誘」
S2クラス、本日最後の授業、現代文が終了する。
平安高校、第二校舎。
陽が暮れ始め、窓から西日が射し込む職員室。
特別進学部S1クラス担任教師、叶月夜のデスク。
右隣のデスクに、S2クラス担任教師、藤原宣孝が座る。
現代文の小テストを採点する藤原先生。
採点を進める手が止まる。
深いため息をつく年配の教師。
左隣のデスク。
特別進学部、英語を担当する叶月夜が、隣のデスクから聞こえてくる深いため息に気づく。
「いかがされました藤原先生?」
「叶先生、大器晩成と言う言葉をご存知ですかな」
「あら先生、わたしの好きな言葉ですよ」
藤原先生の顔から笑みがこぼれる。
親しげに話を続ける叶先生。
「問題のある生徒ほど、昔から先生は気にかけられていますね」
「いえいえ、そんな事はありませんよ叶先生」
「あら、私はそうは感じませんでしたよ」
「昔の話はご勘弁願います」
「ふふっ、昔から変わりませんね藤原先生は」
ずっと昔からの知り合い。
気にかけられた者。
気にかけた者。
お互い深くは干渉しない。
互いに違う担任を持つ教師。
担任する生徒の指導は、担任する教師の役目。
仕事への誇り。
平安高校教師としての当然の自覚。
叶月夜のデスクの向かいに座る英語コミュニケーションⅠ担当、ローズ・ブラウン先生。
『ローズ先生、今週もS2クラスで先生の授業がありましたね』
「sure」
『例のあの子、また様子を聞かせて下さい』
「Yes,Miss」
流暢な英語のやり取り。
S2クラス担任教師の右隣のデスク。
SAクラス担任教師、枕草子先生の姿は見えない。
同刻。
職員室のさらに奥にある応接室。
西日が窓から射し込む。
応接室の椅子に座る2人の教師の姿。
枕草子先生、そして江頭中将先生の姿。
応接室の机の上には、S2クラスで実施された選択科目、日本史テストの解答用紙が置かれる。
「なるほど、結果は素晴らしい」
「本人の筆跡で間違いありません」
ある生徒の解答用紙が1枚、他の生徒たちのテストと並べて置かれる。
S2クラスで実施された日本史の小テスト。
満点を取れた生徒多数。
何人かの生徒が、低い点数にとどまる。
両極端な結果に分かれる。
満点の生徒と、低い点数にとどまる生徒の境目。
日本史担当、江頭中将先生が口を開く。
「こんな手を毎年使って、生徒の人間性を評価するなど。時代錯誤も甚だしい」
「江頭先生の意見はごもっともです。先生、わたしは理事長の考えは古いと考えております」
「私も同感です」
日本史の小テスト。
自分の意図するテストの実施では無い事を述べる江頭中将。
「すべての生徒に対してテストは平等に実施されるべきです。上下の繫がりしかり、友人関係しかり、情報格差を問う事はいささか筋違いかと」
「まったくですな」
理事長に否定的な意見を述べる2人の教師。
「例の生徒、その後いかがでしょうか?」
「身辺は右京君に伺わせておりますが、いささか行動履歴を把握しづらい生徒なものでして」
「というと?」
「先日神宮司家に出入りしている姿を私もこの目で見ております」
「神宮司家?まさか」
「ははは、本当です。たまたますれ違いまして。何をどうしたらあんな生徒が神宮司家に出入りできるのやら」
「枕先生は古典の家庭教師をされておられましたな」
本日行われた日本史の小テストで100点を取り、先日実施された古文の小テストで0点を取る生徒。
同じ生徒の別々のテスト結果が並べられる。
かたや満点、かたや0点。
「生徒を信じるのも結構ですが、藤原先生は生徒に甘い」
「叶先生は藤原先生の教え子でしたか。先日の職員会議でも、お2人は生徒を放任される気でいらっしゃる」
「来月の中間テストの結果を待つ……我々は言うべき事は言っております。取り返しのつかない事にならなければよいですな」
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図書館で1人で勉強をする事にした高木守道。
朝日太陽と結城数馬は野球部の練習へ向かう。
仲良くなったS1クラスの成瀬結衣、神宮司葵。
6限目最後の授業、現代文が終了し、廊下を出たところで2人に出会う。
『美術部の見学?』
『御所水先生が顧問だし、葵さんと2人で見学してきます』
『シュドウ君一緒に行く?』
『行かないよ。宿題たくさん出てるし、部活なんて見学してる余裕まったくないよ』
どうやら2人は御所水流先生が顧問をしている美術部に見学に行くらしい。
部活、俺には縁がなさそうだ。
そんな事よりも早く宿題終わらせないと。
未来ノートに未来の問題出てないか、ノートのチェックもしとかないと死んじゃうよ俺。
現代文の小テスト。
あの解答。
やっぱり藤原先生怒ってるよな……。
現代文ってどうやったらテストの点数良くなるんだろ。
現代文はおろか、英語だって数学だってテストの点を上げる糸口すらつかめない。
ここまで自信を持って迎えられたテストと言えば、太陽に教えてもらった化学と、数馬に教えてもらった日本史くらいなもんだよ。
俺1人じゃ、本当何やってもダメな感じ。
日々の授業では当然宿題が毎日のように発生する。
テストだけ実施されるわけもなく、課題を解くには辞書や参考書は欠かせない。
自宅アパートに帰れば辞書は無い。
図書館で課題や宿題を終わらせて帰る。
「あれ?」
宿題が出ていた日本史の副教材をS2クラスのロッカーに入れたまま忘れていた事に気づく。
図書館を出て第一校舎へ向かう。
第一校舎3階のS2クラス。
誰もいない教室に入り、教室の中にあるロッカーから日本史の副教材を取り出す。
「レフト行くぞーー!!」
「うっーっす!」
教室の窓の外。
野球部が練習をしているグラウンドの方から、大きな叫び声が聞こえる。
京都の名門、平安高校野球部の練習が続いている。
太陽や数馬が頑張って練習をしている。
成瀬や神宮司、2人も今日は美術部見学に行くとか言ってたっけ。
教室の窓の外を見る。
夕日が視界に見える。
グラウンドで練習をしている野球部員の中には、俺と同い年の生徒がたくさん交じっているはず。
同じ年の連中がみんな部活に入ってる。
部活への憧れ。
正直勉強に全力で取り組まないと、日々の授業にすらついていけないバカな俺。
勉強という名の予習を怠れば、来月5月に実施される中間テストの結果いかんでは退学する危険すらある。
分かってる。
それは分かってるけど。
太陽や数馬が毎日打ち込んでいるように、部活への憧れも正直ある。
日本史の副教材を手に、俺は校舎1階へと降りていく。
図書館は第二校舎の2階にある。
今いる1年生と2年生が入る第一校舎から、3年生の入る第二校舎へ移動する必要がある。
1階に降り、下駄箱が置かれた広いスペース。
壁には掲示板。
部活紹介をしている校舎1階の掲示板が視界に入る。
俺はいま、3年間しかない、一生に一度しか通る事の無い高校生活の真っただ中にいる。
部活紹介の掲示板の前で思わず足を止める。
成瀬と神宮司も美術部の見学をしている頃だろう。
部活……やっぱり憧れる。
体育会系は選択肢に入らない。
野球部は論外、インドア派の俺に高校球児は無縁の存在。
おまけにバイトも忙しい。
万に一つも入るとしたら、やっぱり勉強に集中できて、ゆるい感じの文化系の部活しかないな。
勉強に集中できる環境のある文科系の部活、そんなのあるのか?
そう言えば3月末に行われた入学式。
講堂で偉い人の訓示の後に、部活紹介のオリエンテーションやってたな。
もうほとんど忘れちゃってる。
掲示板に目をやる。
宇宙研究部……う~ん。
美術部……無いな。
中学3年間美術部だった成瀬はそのまま美術部入りたいとか言ってたな。
俺は絶対無理、授業が終わってさらに追加で御所水先生はきつい。
この前の美術の授業だって。
『御所水先生、こんなデカい壺作ってどうするんですか!?』
『いいわよ高木ちゃん~夢は大きく、もっと大きくよ~』
『あははは』
桐の木の近くにある小屋から、お粘土大量に持たされて俺だけバカでかい壺を作らされる羽目になった。
同じクラスのみんなには笑われるし、すっかり特別進学部3クラスのお尋ね者になってしまった。
御所水先生はもうお腹一杯、美術Ⅰの時間だけで十分だよ。
カエル研究部の張り紙、その隣。
なんだこれ?
パン研?
何だこの部活?
「そこの君」
「えっ?」
「入る部活探してるんでしょ?」
「違います」
「今見てたでしょ掲示板」
掲示板を見ていたのがバレてしまった。
とても小っちゃい女子生徒。
同級生?上級生か?
「うちの部どう?パン研、入らない?」
「パン研って食パンの研究でもしてるんですか?」
「そんなわけないでしょ!パンダ研究部!略してパン研」
俺の想像と大分違う部活。
勧誘だったのか。
という事は2年生?
この小っちゃい女子は上級生って事か?
「先輩はここの人ですか?」
「私はパン研の部長です。君、パンダ興味あるでしょ?」
「興味無くは無いですが……パンダ研究部って何するんです?」
「パンダの研究するに決まってるでしょ」
「先輩は毎日パンダ観察してるんですか?」
「そうよ。先週タンタンに発情の兆候が見られたの。今大事な時なの」
「それって毎日できたかできてないか観察してるって事ですか?」
「そんなやらしい風に言わないでもらえる?」
これはマズい人に捕まった。
宿題で悲鳴を上げてる俺。
余裕はまったくない。
パンダの出産が始まれば、もはや宿題どころでは無くなる。
「そういう事は先輩じゃ無くて飼育員の人に任せればいいじゃないですか」
「君、私がどれだけパンダ好きか知らないでしょ?」
「知りません」
「もう良いわ。とにかくパンダは興味あるんでしょ?パン研へようこそ」
「入るなんて一言も言ってませんよ」
「あなたに入ってもらわないと困るの」
「僕、用事があるので失礼します」
「ちょっと待ちなさいよ。私と用事とどっちが大事なわけ?」
「用事です」
意外にしぶとい。
先輩のペースに引きずり込まれそうになる。
こっちは日本史の宿題で苦しんでて余裕ないんだって。
それにしても鬼気迫る勧誘。
そんなに必死に勧誘する事情でもあるのだろうか?
気にはなるが、宿題は大事。
先輩には悪いがこの話、無かった事にさせてもらう。
「あなたに入ってもらわないと部員が足りなくて廃部になっちゃうの」
「それは先輩の都合であって僕には関係の無い話です」
「お願い。掛け持ちでも良いから」
「……ちなみに廃部を逃れるにはあと何人部員が必要なんですか?」
「3人」
「僕が入っても入らなくてもこの部はいずれ消滅しますよ先輩」
「そうならないように今私が必死にこうして頑張ってるの」
パンダ、パンダ……段々思い出してきた。
入学式の後に行われたオリエンテーション。
檻から抜け出した1匹のパンダ、俺は一度この平安高校でパンダを目撃していた。
「あっ、思い出した。オリエンテーションで出てたパンダの着ぐるみ。あれもしかして先輩が入ってたんですか?」
「そうよ、なによ」
「青春のすべてをかけてまでやる事では無いと思います」
「ちょっとあなた。体を張った私を馬鹿にしないでもらえるかしら?」
「あれじゃ何も伝わりませんって。ただパンダの着ぐるみが出てきて消えただけでしたよ」
「リアルのパンダを表現したの」
「あんな着ぐるみどこで売ってたんですか?」
「作ったのよ。あの日のために私が」
緊急退避決定。
この人絶対、ヤバい先輩だ。
「すいません。ちょっと用事を思い出しましたので失礼します」
「ちょっと待ちなさいよ。だからうちのパン研さ、あと3人以上部員入らないと廃部になっちゃうの」
「引っ張らないで下さいって先輩。別に部として存続しなくても、先輩が個人的にパンダの観察を続ければ良いじゃないですか」
「君ね、私がどれだけパンダ好きか知らないでしょ?」
「知りません」
「君、名前は?」
「……高木です」
「高木君、お菓子食べる?」
「僕はパンダじゃありません」
続く押し問答。
俺の手を掴んで離さない、謎の先輩の勧誘が続く。




