49.「49106」
土曜日。
今日は1日久しぶりの休日。
日の光が部屋に差し込み目を覚ます。
夜は億劫になる自宅アパート。
とても静かな俺の家。
朝から勉強を始める。
まずは紫色のスマホを取り出す。
ラジオ英会話のテキスト、今日はレッスン3。
(レッツ・スピーク・イングリッシュ~)
『Listen and Get the Outline~ストーリーを聞いて、おおまかな内容を理解しましょう~』
英語能力検定4級受験だってよ。
マジか。
本当は中学生とか、もっと若い子が受けるレベルのはず。
受験会場とかどこであるんだ?
小学生とかいたら、俺、不審者と間違われるに決まってるよ絶対。
隣の受験生が小学生だったらどうしよ。
そんなの嫌だよ。
やっぱりやめようかな英語能力検定4級受けるの。
『ご褒美、なにが良い?』
よし。
頑張るか。
詩織姉さんのご褒美が待ってる。
やめるの、やっぱりやめよう。
昨日の夜の事を思い出す。
俺。
昨日、成瀬の家で勉強してて。
成瀬結衣先生から。
とんでもない事を言われていた。
~~~~~昨晩、成瀬家、高木守道と成瀬結衣、英語のレッスン中~~~~~
「ねえ高木君」
「えっ?なに先生?」
「朝日君がいない間に、言っておきたい事があって」
なんだろ先生。
太陽に聞かれたくない話?
太陽が席を外している間に声をかけられる。
「これ」
「嘘だろ先生!?その応募要項、英語能力検定4級じゃんよ」
「そうです」
さっき詩織姉さんから同じ試験受けろって言われたばかりなのに、まったく同じ申込用紙。
成瀬先生まで同じ事言い始めたよ。
どうなってんだよこれ。
「実はさ先生」
「許しません」
「うっ」
どうしたもんか。
実は詩織姉さんからも試験受けろって言われてるって正直に話すか?
詩織姉さんは家族になる人だし、別に勉強教えてもらうの普通だし。
「実は英語能力検定4級受けるつもりで、ちょうど申し込もうと思っててさ」
「本当?ぜひそうして下さい」
申し込み用紙はさっき詩織姉さんに書いて提出してしまった。
申し込み手続きをしてくれると言っていた詩織姉さん。
どの道受ける試験。
恥ずかしさは半端ない。
中学生たちと、いや、下手したら小学生に交じって受けるかも知れない英語能力検定4級。
「必ず合格して下さい」
「先生、必ずはちょっと」
「許しません」
「え~」
「ご褒美、ちゃんと用意します」
「えっ?」
成瀬先生もいきなり団子ぶら下げてきた。
やり方が古典的過ぎる。
合格出来たら先生からご褒美?
詩織姉さんに言われてもうとっくにやる気になってるって。
「あ、あのさ先生」
「ご褒美、なにが良い?」
「マジか」
成瀬先生からもご褒美だと?
俺、もう高校1年生だぞ?
子供じゃないんだって。
「何が良い?」
クソ。
そんなの。
絶対。
『超頑張るに決まってる!!』
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英語能力検定4級。
その1つの試験を、同時に2人の家庭教師から進められる。
合格すればご褒美が待っている。
1つの試験に合格して、2人の家庭教師からご褒美が2つもらえる。
赤点取って突然女子からモテ始めた?
意味分かんないよこの状況。
午前中に英語のレッスンを終わらせる。
詩織姉さんから渡された紫色のスマホ。
続いて紫色のCDプレイヤーを取り出す。
このCDは、成瀬結衣先生から渡された2年前のラジオ英会話の音声が収録されている。
(レッツ・スピーク・イングリッシュ~)
『Listen and Get the Outline~ストーリーを聞いて、おおまかな内容を理解しましょう~』
2年前のラジオ英会話スタート。
マジか。
平安高校に入学して初めての土曜日。
朝から英語を勉強するなんて、初めての経験。
何やってんだろ俺。
なんでこうなった俺?
朝から英語の勉強。
リスニングを聞いて、テキストの英語をノートに書き写して、音読して、来週の金曜日に備える。
それも2年分。
英語の先生は2人もいる。
蓮見詩織姉さんと、成瀬結衣先生。
なんでこうなった?
詩織姉さんのレッスンが終わったら、次は成瀬先生のレッスンをこなさなければならない。
毎週金曜日に、先生たちが俺がサボってないかチェックすると豪語する。
サボったら絶対に怒られる。
白紙のノートを2人の先生に出しみろ。
何を言われるか分かったもんじゃない。
詩織姉さんからスマホを。
成瀬先生からCDプレイヤーを預かっている。
それぞれ去年と2年前のラジオ英会話。
これなら時間に拘束されずに、いつでも自由な時間に聞く事ができる。
これを毎日1レッスン15分。
かける2回分で30分。
音読とノートにスペルを書き写すだけでさらに倍の時間はかかるはず。
マジ死ぬ。
全然余裕なくなってきたよ俺。
ただ時間は自由に選んで勉強できる。
無料の通信教育だと思えばいい。
毎週無料の家庭教師の家に行く必要もあるが、詩織姉さんと成瀬先生は無料で俺の勉強を見てくれる。
結局、塾と同じ事。
S2のクラスメイトと俺は、事情は違うがまったく同じことをしている。
クラスメイトは塾に行って、有料で勉強を教えてもらっている。
俺は無料で家庭教師の家に行って、勉強を教えてもらう。
なにも変わらない。
有料か無料かの違いだけ。
『ご褒美、なにが良い?』
よし。
頑張るか。
それに昼過ぎから今日は、太陽と成瀬と駅前で待ち合わせをしていた。
朝のうちに勉強終わらせておかないとな。
今日も平安高校野球部の練習がある太陽。
俺たち3人は、駅前のハンバーガーショップで今日も勉強会をする予定。
太陽からは化学や物理を教えてもらっている。
『選択科目』が選べる特別進学部。
月曜日に芸術の申告書をS2クラス担任の藤原先生に提出しなければいけなかった。
昨日あれこれと俺の『芸術』やら『選択科目』やら、さんざんあれにしろ、これにしろと太陽と成瀬から呪文のように言いくるめられた。
俺芸術の4科目の中だと、『美術Ⅰ』じゃなくて本当は『音楽Ⅰ』が良いんだけどな。
2人にああまで言われては、断るわけにはいかなかった。
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「おっ来たぞ結衣。お~いシュドウ」
「高木君、こっちこっち」
駅前で待ち合わせ。
視界にはすでにハンバーガーショップが見えている。
今日はあそこの2階で3人で勉強会。
「どうだシュドウ、朝勉強できたか?」
「ちゃんとやったよ」
「高木君、英語はちゃんと聞いてくれてる?」
「ちゃんと聞いてるって先生」
「来週金曜日チェックさせていただきます」
「マジかよ先生~」
「あはは、大変だなシュドウ」
成瀬結衣先生。
将来は確か学校の先生目指してるって言ってたな。
ふ~んと彼女の話を聞き流していた中学時代。
鬼教師、レッスンに関しては容赦がない事が判明。
成瀬、絶対先生向いてる。
「消化も順調のようだし、ペースを今の倍にしても平気みたいね」
「嘘だろ先生!?今でも余裕全然ないのに、これ以上テキスト進められたらまったく余裕なくなっちゃうって」
「ははは」
太陽が先生の話を笑って聞いている。
3人で笑いながらハンバーガーショップに歩を進める。
空は真っ赤に染まり、地平線に太陽が沈み始める。
3人で店の2階の席へ向かう。
良かった、いつもの窓側の席が空いていた。
フライドポテトを手に3人で座る。
太陽と成瀬が隣同士に座り、俺が2人の向かいに1人で座る。
中学時代、よくこうして3人で座っていた当たり前の光景。
まさか、高校生になってもこの3人との関係を続けていられるなんて思ってもいなかった。
太陽、成瀬の2人の笑顔。
俺が平安高校に入って良かったと感じられる瞬間。
話題は俺の選択する芸術や、選択科目に関する話題。
「シュドウ、よく聞け。お前に日本史の教師が見つかった」
「『日本史』?塾の話でもしてるのか太陽?」
「聞いて喜べ、無料だぞ無料」
「マジか。俺、無料大好き」
「ふふっ」
でも太陽は何を言い出した?
なんだよ無料の日本史の教師って?
「明日の日曜。学校来れるかシュドウ?」
「日曜は朝からバイトだから、3時には終わって夕方でも良いならいけるけど」
「それでいい。ちょうど俺も3時に練習終わるから。お前を無料の家庭教師に会わせてやる」
「太陽、お前じゃないのか?」
「まあな」
明日の日曜日、平安高校に来いって。
家庭教師と言うからには、学校の先生の事でも言ってるのか?
赤点男の俺はもう手段を選んでいられない。
太陽の申し出をそのまま受け入れる事にした。
夕日が2階の店内に差し込む。
俺と向かい合った席に座り、笑顔を浮かべながら俺と太陽の話を聞いている成瀬結衣。
顔が赤く見えるのは、きっと夕日のせいに違いない。
3人で会う時は話題の中心はいつも俺。
勉強会を始める前に、雑談に花が咲く。
2人の質問は、金曜日の昼間、楓先輩たちとのお茶会にも話がおよぶ。
神宮司楓先輩、妹の神宮寺葵、そして成瀬真弓姉さんとの謎の和歌を披露する席。
『曲水の宴』だったかな?
「――で、何話してたんだ4人で?」
「和歌だよ和歌」
「和歌?なにそれ高木君」
「知らないよ。無理矢理真弓姉さんに和歌詠めって言われたんだぜ?57577だよ」
「ははは、面白そうだなシュドウ」
「全然面白くないよ太陽。なんでお前逃げた?」
「俺が行くわけねえだろそんな場所」
太陽も成瀬も前のめりになり、俺から『曲水の宴』の様子やら情報を引き出そうと質問してくる。
「お姉ちゃん、私の事何か言ってた?」
「成瀬はなんで来ないのかって聞かれたから」
「なんて答えたの高木君」
「成瀬は逃げたって言っといた」
「もう少し言い方があるでしょ?信じられないも~」
「ははは」
太陽が抱く楓先輩への想いを聞いてなお、奇妙なバランスで俺たち3人は繫がり合う。
その中心にいるのが今は俺だと言う太陽の言っている事が段々と分かってきたような気がする。
向かいの席に並んで座る太陽と成瀬。
お互い横に向き合い、笑顔で話をしている。
まるで成瀬が太陽に告白する前に戻ったような気分だ。
なんのわだかまりもない、俺たち3人が戻ってきたような気持ち。
太陽と成瀬、なんか凄く生き生きした表情になってる。
成瀬結衣の弾ける笑顔がとても眩しく感じる。
成瀬の横顔、俺、中学の時もずっと見てきたんだよな。
いつ見ても可愛い笑顔に、昔の自分を思い出す。
夕日はすっかり沈んだはずなのに、成瀬の顔は赤いままに見える。
本当に楽しそうな表情。
俺まで嬉しくなってくる。
「高木君?」
「ん?どうした成瀬」
「私の顔なにかついてる?」
「え?」
「ボっーと見てたぞシュドウ、どうなんだ?」
「別になんでも」
(ピピピピピピピ)
太陽と成瀬の向かいに1人で座る俺の隣の空いた席。
そこに置いたカバンの中から電子音が鳴る。
「あっ店長からだ」
「高木君?」
「どうしたシュドウ、お前いつの間にスマホ買ったんだよ?」
俺はカバンの中から機械を取り出し2人に見せる。
「そんなの無いよ、ポケベルだって」
「ポケベル?」
「何だよそれシュドウ」
ポケベルの番号には『49106』と表示されていた。
「ポケベルって、だいぶん昔の連絡手段でしょ?」
「バイト先の店長から渡されてる。俺スマホ無いから、店長が連絡を店に欲しい時これ鳴るんだよ」
「お前は何時代の人間だシュドウ?」
「知らないよ」
俺は店長から渡されたポケベルの暗号表をカバンから取り出す。
様々な数字が色々な意味を持つ。
全部で240も暗号があるらしい。
そんなにあっても使う事が無い。
「暗号表?」
「49106なんだ?」
「えっと……『至急TEL』だって」
「急いで店に電話よこせって事か」
「ここら辺、公衆電話あったっけ?」
「おいシュドウ、お前時代が一世代遅れてるぞ」
「私のスマホ使う高木君?」
「通信費は店の経費で落とすから現金しか使えないんだよ」
ビジネスマンと化した謎の高校生。
ポケベルには46106と表示される。
窓側の席に座る成瀬が駅前の通りを見渡し、絶滅危惧種、緑色の電話BOXを発見する。
駅前のマックの前に公衆電話が1つ。
2階の席に2人を残し、急いで公衆電話に急行。
スマホが無い俺は10円玉を3枚入れて、コンビニにいる店長に連絡を入れる。
(プルプルプル~カチャ!この電話は、20秒ごとに、10円の通話料がかかります……)
(「もしもし高木です、店長ですか?」)
(「おお、すまないね高木君。急で悪いんだけどこれから来れないかな?わたし、用事があってお店出ないといけなくて」)
(「大丈夫ですよ、任せて下さい」)
(「助かるよ高木君。今日新しいバイトの子が入ったから、私が帰るまで面倒見てやってくれない?」)
(「了解しました、すぐに向かいます」)
電話終了。
お世話になってる店長さんからの依頼。
これは店に寄らないわけにはいかないな。
マックの2階で待つ太陽と成瀬のところに戻る。
勉強も大事だが、事情を説明して今日の勉強会は中止する事になった。
「大変だなシュドウ」
「高木君これからバイト?」
「ごめん2人とも、せっかく勉強しようって言ってくれたのに。俺ちょっとバイト行ってくる」
「その事情ならしょうがねえだろ。明日は3時、忘れんなよ」
「分かった太陽、暗いから帰り成瀬頼んだぞ」
「おう、任せとけ」
「高木君頑張ってね」
「了解先生。じゃあ俺行くわ」
ハンバーガーショップの2階で2人と別れる。
俺の視界には笑顔で手を振る、太陽と成瀬の姿が見えていた。




