48.「終わらない3人の物語」
詩織姉さんお手製のカレーライス。
金曜日の夜。
紫穂と詩織姉さん、3人で過ごす小さな幸せを噛みしめる。
「詩織お姉ちゃんのカレー美味しい~」
「超旨いです姉さん」
「あらあら、ふふっ」
俺と紫穂。
兄と妹だった俺たち2人の兄妹に、1つ年上の姉さんが新しく増えるかも知れない。
それ自体はとても嬉しい事。
「お兄ちゃん。これわたしとお姉ちゃんで漬けたの。はい、らっきょう」
「マジか。そういうのは早く持って来いって紫穂」
「お兄ちゃんが早くこっちに引っ越せば良いでしょ」
「それとこれとは話が別だって」
「なんでよ~」
「ふふっ」
家族は温かい。
家族とずっと一緒にいたいとすら感じる。
詩織姉さんの存在。
俺と紫穂にとって、詩織姉さんはもう、かけがえのない家族の一員になっているのかも知れない。
紫穂が1階の台所で食器の片づけをしてくれる。
手伝うと言ったのが、父さんたちと鉢合わせになりたくない俺の気持ちを察して、食器の片づけを申し出てくれる紫穂。
『俺が洗うって紫穂』
『お父さんたち帰ってくる前に帰りたいんじゃないの?』
『うっ』
『詩織お姉ちゃん。お兄ちゃんにお勉強教えて上げてるんでしょ?』
『ごめんなさいね紫穂ちゃん』
紫穂に甘える。
父さんたちが帰ってくる前に、俺は家を出たい事情があった。
1階のリビングから2階へ上がる。
詩織姉さんの部屋は、2階に上がってすぐ左。
細長く綺麗なステンドグラスがドアに埋め込まれた扉を開く。
姉さんの部屋にある小さな机。
俺と姉さんは、小さな机に並んで座る。
(レッツ・スピーク・イングリッシュ~)
『Listen and Get the Outline~ストーリーを聞いて、おおまかな内容を理解しましょう~』
今日も英会話のレッスン。
姉さんに渡されている、イヤホンを付ければどこでも聞けるラジオ英会話の音声データが入った紫色のスマホ。
去年1年分の音声データが入っている。
1レッスン、1日たったの15分。
これを、毎日聞く。
テキストの英文をノートに書き写し、音読する。
未来ノートの未来の問題を調べているわけでもない。
明日行われるテストの答えを調べるわけではない。
未来ノートに手を染めていた、俺にとって苦行ともいえる行為。
普通の勉強。
みんなが毎日しているはずの、普通の勉強。
「守道さん」
「はい」
「試験を受けます」
「はい?」
ん?
試験?
なに言ってるんだ詩織姉さん?
「これを」
「これって!?英語能力検定ですか!?」
詩織姉さんが受験要項の紙を差し出してくる。
英語能力検定?
そういう試験があるのは知っていた。
突然の話にとまどう俺。
「4級、来月5月末です。申し込みは今月末締切」
「ちょ、ちょっと待って下さい姉さん!?」
「許しません」
さすがにそれは許して欲しい。
詩織姉さんが英語能力検定4級受けるように俺に迫る。
「中学2年生レベルです」
「中2!?」
「紫穂ちゃんも受けるわ」
「紫穂も!?」
紫穂と同じレベル。
中学2年生レベルの試験に俺も受けろと言い始めた詩織姉さん。
「必ず合格」
「必ず?」
「許しません」
「え~」
「ご褒美もあります」
「えっ?」
いきなり姉さんが人参をぶら下げてきた。
やり方が古典的過ぎる。
合格出来たら詩織姉さんからご褒美?
子どもじゃないんだから。
「頑張って守道さん。これ、申込用紙」
俺、もう高校1年生だぞ?
今さら中2レベルの英語能力検定4級なんて。
「ご褒美、なにが良い?」
クソ。
そんなの。
絶対。
『頑張るに決まってる!!』
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高木守道。
蓮見詩織に英語のレッスンを受けている同じ時間。
成瀬家に歩いて向かう男女の2人。
成瀬真弓、そして、同じ野球部の朝日太陽。
「悪いわね太陽君。今日はお父さんとお母さんたち気を利かせて、外でゆっくりディナーデートするみたい」
「マジっすか」
「今日はうちで高木、しっかり勉強見てあげて」
「うっす、ありがとうございます真弓先輩」
野球部の練習が終了し、平安高校から並んで帰る2人。
成瀬家に到着。
理由はもちろん、出来の悪い親友のため、勉強会のため。
「ただいま~」
「おかえり~、朝日君も一緒!?」
「よ、よう結衣。シュドウ来てるか?」
「ううん、まだ」
「マジか!?なんだよあいつ、まだこっち来てねえのかよ」
「あはは、高木らしいわね。まあそのうち来るでしょ。ちょっとうちで食べてって太陽君」
「う、うっす。ご馳走になります」
リビングに招かれる朝日太陽。
私服の成瀬結衣が向かい入れる。
食事をご馳走になる朝日太陽。
成瀬真弓、成瀬結衣との3人の食卓。
待てど暮らせど、高木守道、尋ね人来ず。
それから1時間が経過する。
リビングのソファーで待機する朝日太陽。
近くに座る成瀬結衣。
いつしか、成瀬真弓の姿が1階から消える。
~~~~朝日太陽視点~~~~
なんだよシュドウのやつ。
勉強するぞってあれだけ言っておいたのに、どこで道草食ってんだよあの赤点野郎。
電話してから結衣の家来るつもりだったのに、真弓先輩に誘われたから、練習終わって家に直行して来ちまったじゃねえかよ。
どうしたらいい。
くそ、シュドウのやつ、なにやってんだよ。
早く来いって。
結衣こっち見てんだろ。
真弓先輩どこ行った?
リビングで結衣と2人きりとか、なに話せばいいか分かんねえよ。
~~~~成瀬結衣視点~~~~
どうしよ。
朝日君と2人っきりになっちゃった。
なに話せばいいのか分かんないよ。
お姉ちゃんどこ行ったの?
朝日君こっち見てるし。
どうしよ。
どうしよ。
高木君早く来てよ。
お勉強するってあれだけ言ったのに。
一体どこでなにやってるのよ。
~~~~~高木守道ただいまレッスン中~~~~~
「続けて」
「はい……Will you go out with me,Shiori?」
「もう1回」
「え~」
「許しません」
「はい……Will you go out with me,Shiori?」
「Yes」
「じゃあ姉さん。今日はもうこの辺でお開きに」
「もう1回」
「え~」
「許しません」
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待てど暮らせど成瀬家にやってこない高木守道。
朝日太陽が思い立ち、成瀬結衣に声をかける。
「なあ結衣」
「うん、なに朝日君?」
「シュドウのやつ、来週の月曜締め切りのあれ、ちゃんと出してるかな?」
「あっ、そうだね。高木君、学力テストあんな結果だったし、絶対忘れてると思う」
「だよな」
朝日太陽がバックからなにやら紙を取り出す。
「芸術。来月の中間テストで1年生は終わりじゃない」
「そうだね。高校2年に上がる時も総合成績は大切、芸術も大事」
朝日太陽と成瀬結衣。
「高木君が取れそうなの、美術Ⅰなら同じクラスになるから課題とか一緒に手伝えそう」
「確かに」
3クラスある特別進学部。
芸術の『音楽Ⅰ』『美術Ⅰ』『工芸Ⅰ』『書道Ⅰ』はS1クラス、S2クラス、SAクラスの生徒たちを横断して実施されるものも多い。
中には総合普通科の生徒に交じり受ける科目もある。
来週から始まる、選択制の芸術。
お互いの得意科目を友達と合わせる作戦。
出来の悪い友達をフォローする作戦を立てる、朝日太陽と成瀬結衣。
高木守道の話に、会話の進む2人。
話は芸術と同じく選択制の、選択科目に話題が移る。
文系、理系。
自身で選択する授業、選択科目。
「高木君、数学得意だっけ?」
「なに言ってんだよ結衣。あのシュドウだぞ?この前化学を教えてやったが、元素記号教えるのに2時間もかかったぞ」
「2時間で覚えたんなら上出来です」
「まあな。そこだけは認める」
「ふふっ」
英語が得意な理系女子、成瀬結衣。
化学、物理、生物が得意な理系男子、朝日太陽。
「高木君って、どちらかと言うと」
「まあ、文系だな」
「暗記もの得意そうだよね」
「暗記だけは得意だな」
長い付き合いの幼なじみ。
腐れ縁の友達を冷静に分析。
「文系だろ?選択科目となると、やっぱりこれだよな」
「日本史かぁ」
「俺も結衣も理系だしな。どっちかっていうと」
「あんまり得意じゃないかも」
理系の科目を選択する予定だった朝日太陽と成瀬結衣。
さすがに高木守道に合わせてまで日本史の選択科目を選ぶ事はできない。
「塾はやっぱり」
「ダメだなシュドウは。そういえばいたな、シュドウがいるS2クラスに超文系で得意科目が日本史のマニアが」
「日本史が得意科目?高木君のクラスに?」
「しょうがねえ、シュドウのやつ金ないし。しかも同じS2クラスなら、もうあいつに頼むより他にねえな」
「高木君にお勉強教えられる子?」
「明日練習の時に聞いてみる。同じ野球部だしな」
「そうなんだ」
朝日太陽。
日本史と聞き、なにやら思い付いた様子。
「そういえば朝日君、将来大学でスポーツ栄養士目指してるんだよね」
「ああ、管理栄養士の国家資格もな。成瀬は教員だろ?」
「うん」
お互いの将来の夢をすでに知っている幼なじみ。
すでに出会って8年目。
小学3年生からクラスもずっと同じ関係。
「なあ結衣」
「ねえ朝日君」
「あっ」
「ごめん」
お互いの名を同時に言い合う。
しばしの沈黙。
見つめあう2人。
先に口を開いたのは朝日太陽。
「結衣。俺、お前にはすまないと思ってる」
「ううん。もう良いの、忘れて」
親友であり、幼なじみの2人。
告白して、断られた者。
告白され、断わった者。
2人には共通の親友がいた。
出来の悪い赤点男の親友。
推薦入学がすでに決まっていた2人を追って。
明らかに無理をして、県下随一の進学校についてきてくれた出来の悪い親友。
「なあ結衣。俺、中3のあの時、高木に無理させてこんな学校入学させちまって」
「それはわたしも同じだよ朝日君。一緒の学校に行きたいって言ってくれて。あの時わたし嬉しくて、頑張ってって応援しちゃって」
「お前もそう思うか?」
「うん。だからわたし、高木君を応援してあげたいの。わたしにも責任あるし」
「はは、そう言ってくれて嬉しいよ結衣。シュドウのやつバカだからさ、ほっといたらあいつ、絶対また中間テストで赤点取っちまう」
「うん」
出来の悪い共通の親友を想い、2人の親友が笑顔になる。
「やるか結衣」
「うん。やっぱり3人じゃないとだね私たち」
「はは、それ言えてる」
あの日。
中学3年の1月まで。
毎日笑いながら過ごしてきた3人の友人。
心はすでに決まっていた。
お互いが抱えていたわだかまり。
それがようやく晴れたように、2人の間に笑顔がよみがえる。
(ピンポ~ン)
「あっ」
「シュドウの野郎。ようやく来やがった」
「じゃあ迎えに行きましょう」
「こんな時間まで一体どこで何やってたんだよあいつ。みっちりシゴいてやるぜ」
「ふふっ」
リビングを出て玄関に向かう朝日太陽と成瀬結衣。
友人を迎えた2人の顔に、笑顔の花が咲いていた。




