41.「曲水の宴」
驚愕の事実。
学力テストから3日目にして、俺は自分の学力の現在地を再確認する事態に至った。
俺の今の学力は、500点満点のテストで130点。
1科目平均26点の赤点男。
救いようのない馬鹿な男だ。
始業式から5日目。
もはや心が折れるどころか、自分がアホ過ぎて笑えてくる。
これは未来ノートの呪いなのか?
答えだけ丸暗記して、身の丈を遥かに超える進学校に来てしまった。
未来ノートに頼る前提だった高校生活。
突然未来の問題を見せたり見せなくなったりしてきた未来ノート。
ハシゴを完全に外されてしまった気持ち。
やっぱり俺、もう、ダメなのかな。
『今日から中間テストまで毎週金曜日、わたしの部屋に来るように。1週間分の成果を毎週チェックします』
『ええ!?』
『ふふっ』
詩織姉さん。
今朝は俺のバイト先まで迎えに来てくれた。
姉さん、俺がズルして入試合格してるの知ってて、やっぱり俺に勉強頑張れって言ってるような気がする。
さっきも、姉さんのあんな気合入った紫弁当、もう食べちゃったし。
『中間テストまで毎週金曜日、1週間分ちゃんとやったかチェックします』
『ええ!?ちょっと待ってよ先生。俺、金曜日用事があってさ』
『アルバイト?夜でも良いから、うちに来て下さい』
『夜!?』
ヤバい。
思い出したよ、成瀬結衣先生との約束。
成瀬姉妹からの弁当、もうとっくに食べちゃったよ。
毎週金曜日、俺、先生2人から英語漬けにされるんだった。
『今日は結衣の家で勉強だよな。夜、俺も顔出すわ』
『嘘だろ!?なんでそれ知ってんだよ!』
『朝練で真弓先輩から言われたんだよ。シュドウ、お前が結衣と2人っきりだとお触りするから監視しろって先輩からの命令さ』
あ~もう、なんなんだよみんな。
太陽も今晩、成瀬の家で勉強会する気満々だし。
真弓姉さんに仕組まれた。
もう俺、今日も勉強するしかなくなっちゃってるよ。
はぁ~。
もう、やるしかないのか、勉強。
今さら嫌だなんて、太陽も成瀬も怒るよな絶対。
もう未来ノート使って、平安高校入っちゃったし。
今さら地元の公立高校に入り直す事なんて出来やしない。
『高木君、明日も英語の授業あるでしょ?』
『うっ』
『いつまで逃げるつもり?』
『逃げるって』
『もう逃げられないの。立ち向かって、頑張って、応援するから』
昨日の夜。
太陽の部屋で、太陽が野球部の練習から帰ってくる前に成瀬結衣に言われた言葉。
これまで勉強から逃げ続けてきた、心がまだ中学生のままになっていた俺に。
小学生の時から、ずっと可愛いなって思ってた、好きだった女の子から言われた厳しい言葉。
高校生になって、赤点取って。
S1クラスの才女となって成長した彼女は、神宮司葵と一緒でもはや今の俺にとっては雲の上の存在となった。
そんな彼女が俺を見捨てず、逃げるなと、応援するとさえ言ってくれている。
もうこれ以上、俺は勉強から逃げられない。
「どうした高木?」
「えっ?ああ、いえ。なんでもないです真弓姉さん」
「暗い顔すんな高木。あんたのアホヅラなんだから、もっとアホに見えちゃうわよ」
「余計なお世話ですって姉さん」
「あはは。元気が出て宜しい事で。じゃあ楓、最後はいつも通り歌で締めますか」
「はい」
なんだ?
歌で締める?
何が始まる?
「楓~高木は初参加だから。これってもしかして、このメンバー初の歌会始?」
「ふふっ、それもそうね真弓。葵ちゃん、『曲水の宴』を始めます」
「わ~い」
歌会始?
成瀬真弓姉さん、神宮司楓先輩、神宮司葵がカバンから何か短冊のような紙と筆を取り出す。
「おい高木。あんたもバック持ってきてるんでしょ?なんでもいいから、紙と筆出しな」
「紙?筆?なに始める気です姉さんたち?」
3人が紙と筆を手に、なにやら配置に着く。
「高木、今日は特別に葵ちゃんの向かいに座んな」
「えっ?この子の向かいですか?」
ちょっと待て、本当に待て。
一体何が始まる?
「じゃあわたしらが見本示すから、高木はわたしと楓の歌をまず聞く」
「は、はあ」
ずっと終わらない俺の昼休憩。
上級生とお茶会とか、俺の人生では起こりえないメモリアルエピソード。
しかも超美人の楓先輩を加えた神宮司姉妹がご同席。
神宮司楓が正座する。
成瀬真弓と向い合せに。
3年生の入る第二校舎の中庭。
そよ風が吹き抜け、2人の生徒の髪を揺らす。
「出来ました」
「もう出来たの楓?」
「先に宜しいでしょうか?」
「もちろんです」
俺と向い合せに座る神宮司葵。
楓先輩と真弓姉さんたちが先に歌を作る様子を見ている。
俺、今みんなが何をしてるのか全然分かってない。
「おい、神宮司」
「なにシュドウ君?」
「お前の姉ちゃん、いま何してる?」
「お歌を作って相手に贈るの」
「マジか」
神宮司楓、本日最初の歌。
――――――――――――――
めぐり逢ひて 見しやそれともわかぬ間に
雲がくれにし 夜半の月かな
――――――――――――――
「あ~昨日の話ね。久しぶりとかそれ大げさだから楓~」
「ふふっ。突然真弓が来るんですもの、もうわたし、ビックリしちゃって」
「お気持ち紫式部に乗せましたか、そうきましたか。では小生も」
「ふふっ」
何を。
何をしてるこの2人?
歌の意味も全然分からないし。
昨日の話?
紫式部?
なにを話しているのか全然理解できない。
ふたたび妹に翻訳を依頼。
「おい、神宮司」
「なにシュドウ君?」
「お前の姉ちゃん、今なんて言ってる?」
「昨日わたしのおうちに真弓お姉ちゃんが来たの」
「マジか」
妹の翻訳を聞いてもまだ意味がよく分からない。
成瀬真弓姉さんが昨日の夜、神宮司楓先輩の家に行った事だけは理解できた。
だから何だよって話。
成瀬真弓、お返しの歌。
――――――――――――――
花の色は うつりにけりな いたづらに
わが身よにふる ながめせしまに
――――――――――――――
「あらあら、どうされたのかしら真弓?」
「今朝、朝練早かったでしょ?起きたらさ、お肌なんか超ヤバくて~」
「ふふふ、あらそう~」
肌がヤバい?
なに言ってる成瀬真弓は?
「おい、神宮司」
「なにシュドウ君?」
「真弓姉さん、今なんて言ってる?」
「これ小野小町の歌」
「小野小町?あの世界3大美女の1人の歌か?」
「花の色はね、美しいって意味なの」
「なるほどよく分かった。シワが増えて姉さん老けてくって意味だ―痛てぇててててて!?」
「こら高木!!誰が老けたって!?」
「はんでも、はんでもありまへん」
「あんたはいつもいつも一言余計だって言ってんのよ!」
「ふふっ」
野獣にほっぺたをツネられる。
余計な一言を言う事において、右に出る者はいない高木守道とは俺の事。
「ほら、今度はあんたの番」
「痛てて、乱暴なんですから姉さんは。俺に歌とか無理っすよ。和歌なんて1つも知りませんから」
「別に百人一首歌わなくても良いの」
「そうよ高木君。和歌の基本は57577。今の気持ちを素直に歌にするの」
「わたしたちの『曲水の宴』は自由なの」
このお茶会は普通のお茶会ではなかった。
いつの間にか、神宮司姉妹と真弓姉さんの自由すぎる和歌の歌会に俺は迷い込んでしまっていたらしい。
「ほら、ポンコツ光源氏、さっさと歌いな」
「ちょ、ちょっと待ってください。今考えますから」
誰がポンコツ光源氏だって?
その通り、俺は赤点男、平均点26点のポンコツだって。
俺はバックからシャーペンと未来ノートを取り出していた。
というか、筆記用具もこれしかなかったし、歌読むなんて微塵も思ってなかったから、書くものが未来ノートしか持って無かった。
「あら高木君。その白いノート珍しいわね」
「え?ああ、はは。楓先輩、書店で見つけたノートです」
「そう」
1ページ目は大事なページ。
俺は未来ノートの最終ページを開く。
当然白紙。
シャーペンなら後で消せるから、ここに思った事を書いて歌えば良い。
この謎の歌会が終わったら、消しゴムで消してしまおう。
よし、できた。
まあ、こんなもんだろう。
「できました」
「わ~」
「あら早い」
「高木、真面目に考えたんでしょうね?」
「バッチリです」
ポンコツ光源氏。
高木守道、人生初の和歌を一句。
――――――――――――――
玉子焼き
タコさんウインナー
ハンバーグ
すぐに無くなる
どれもおいしい
――――――――――――――
「あら、ポンコツ光源氏にしてはやるじゃない」
「ふふふ、いい歌。でもちょっとおかしいかも」
「凄いシュドウ君!」
「そうか?真弓姉さん弁当、超美味しかったです」
「分かっていればよろしい。ゆいちゃんにも感謝して下さい」
「わたしもマネしよ~」
「真似?」
神宮司葵の歌。
――――――――――――――
桜餅
みたらし団子
チョコレート
抹茶カフェラテ
どれもおいしい
――――――――――――――
「あらあら、ふふふ」
「ちょっと高木!あんたが変な歌作るから、葵ちゃんマネしちゃったでしょ!」
「知りませんよ俺~」
「ふふっ」
「罰としてもう1つ歌いなさい」
「え~」
ふざけた歌だと真弓姉さんからおしかりを受ける。
もうこれ以外和歌なんて何も思い浮かばない……未来ノートがおかしい。
和歌を作るために開いていた未来ノートの最終ページ。
シャーペンで書いた玉子焼きの文字の隣。
藍色の文字が、浮かび上がってる。
「ほら高木、昼休憩終わっちゃうから、さっさと歌いな」
「え、ええ。じゃあ」
俺が作った歌じゃないけど。
なんか和歌っぽい。
百人一首っぽい歌。
もうこれで良いか。
その時俺は。
何も理解していないまま。
目の前に座る神宮寺葵に。
未来ノートの最終ページに映し出された和歌を歌ってしまった。
――――――――――――――
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の
われても末に あはむとぞ思ふ
――――――――――――――
「あら」
「う~ん……う~ん」
「ちょっと高木!葵ちゃん困ってるでしょ!」
「えっ?これなんか問題あります?」
「大ありよ!」
「お姉ちゃん~」
「ふふ、葵ちゃん。高木君頑張って考えたんだから、ちゃんとお返しして上げて下さい」
「でも~」
なんか楽しそうにしてた神宮司葵の様子が突然おかしくなった。
俺、いま何歌った?
未来ノートの最終ページ。
藍色に浮かび上がった和歌のような歌をそのまま歌ってしまった。
真弓姉さん怒ってるし。
妹の様子がおかしい。
俺、なにした?
未来ノートの藍色の答えを読んだだけ。
今なにが起こってる?
「う~ん……う~ん」
神宮司妹が熟考中。
様子があきらかにおかしい。
「う~ん……お姉ちゃん、これにする」
「まあ、お姉ちゃんも良いと思うわ」
「どれ?ダメよ葵ちゃん!?ちょっと楓、高木が変な事言ってごめん~もうやめようよ~」
「わたしたちの『曲水の宴』は、相手に歌を返して終わるルールです」
「ダメだって~」
姉さんたちの様子がおかしい。
神宮司妹が紙に歌を書き終わったようだ。
どうした神宮司妹?
向い合せに座る神宮司。
なんか恥ずかしそうに。
歌を書いた小さな紙で、隠しきれない小さな顔を隠しながらこちらを見ている。
――――――――――――――
由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え
ゆくへも知らぬ 恋の道かな
――――――――――――――
「あら、あらあら」
「ちょっと楓~やっぱり止めた方が良かったんだよ~」
「ふふふ」
全然なに言ってるか、意味が分かんない。
これも百人一首の1つなのか?
「はい」
「は?」
「あげる」
「この紙くれるのか?」
「うん。さっきタコさんもらったから」
「あ、ああ。じゃあ、遠慮なく」
どうやらタコさんウインナーのお礼らしい。
歌われても意味がまるで分からなかった、神宮司葵の最後の歌。
小さな便せんにしたためられた、妹の和歌を、未来ノートの最終ページに挟み込む。
もうすぐ休憩時間が終わる時間。
芝生に敷いたシートを片付け、初めて参加した『曲水の宴』は幕を閉じた。