4.「他人でない他人」
昨日成瀬の告白の一件以降、口を聞いていなかった3人。
学校の屋上で和解と呼べるか分からないが、一応の和解をする。
「なあ結衣。シュドウも来月平安の入試受ける事にしたんだよ。なっ、シュドウ」
「高木君本当?」
「記念受験だよ」
平安高校の特別進学部を受験する。
昨日父にもそう宣言した。
受かろうが受かるまいが、今さら受験しないわけにもいかない。
すでに推薦入学が決まっている成績優秀な2人と、これから一般入試を控える受験生である平均以下の俺。
この会話のやりとりすら自分が惨めに思えてくる。
全部自分のせい、それは分かってるんだけど。
「高木君」
「えっ?ああ、なに成瀬?」
「受かると良いね」
「はは、絶対無理」
それ以上俺が県下トップクラスの進学校である平安高校を受ける事に話題を広げなかった。
俺が落ちる可能性の方が高い話。
2人なりの優しさだと感じる。
来月2月の平安高校の受験が終われば、次の3月には公立高校の入試も控える。
俺にとってはそちらの方が本命。
元々受験勉強をまともにやる気も無かった。
それを奮い立たせてくれた太陽には感謝しかない。
地元の公立高校まで落ちたら目も当てられない。
「悪い2人とも。俺、先に図書館行って勉強してるわ」
「そ、そうかシュドウ」
「もう行っちゃうの?」
「悪い成瀬。いま俺、全然余裕なくて」
「う、うん。頑張ってお勉強」
「サンキュー、じゃあな2人とも」
2人を残して先に図書館へ1人で向かう。
俺は未来が約束されている眩しすぎる2人から、逃げるようにその場を後にした。
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図書館に到着。
この時期の図書館は俺と同じような境遇の受験生が多くいる印象。
カバンから昨日太陽と一緒に書店で買った平安の過去問を取り出す。
受験科目は全部で5科目。
過酷な作業の繰り返し。
受験勉強がこんなに苦しいなんて思ってもみなかった。
元々それを成瀬も太陽も、俺の見えないところで2人は努力してきたからこそ推薦入学を勝ち取っている。
2人をネタむのは筋違いだ。
今俺は2人が走ってきた道を、何周も周回遅れで追いつこうとしている。
カバンから過去問の次にノートを取り出そうとする。
白いノート。
そういえば昨日の夜、1限目の社会の小テストと瓜二つの問題が印字されてたような気がする。
白いノートが気になり、社会の小テストと瓜二つの問題が印字されていたはずの1ページ目を開く。
あれ?
無い。
昨日の夜、間違い無くここに社会の問題が載ってたはずなのに!?
なんで消えてる?
というか別の国語の問題に変わってる!?
おかしいおかしい。
絶対におかしい。
次のページまでペラペラとめくる。
次のページも。
その次のページも。
なんだよこれ?
昨日は夜遅くまで勉強してた。
普段やらない事をやって相当疲れたのは確かだ。
俺は何かを勘違いしているだけなのか?
そうだよな。
社会の問題が突然消えたり、突然国語の新しい問題が出たりするわけが無い。
昨日から今の今まで、この白いノートは間違い無く俺以外触っていないはず。
誰がどう細工も出来ない。
白いノートの1ページ目まで戻り、テストの問題と思われる1問目に目をやる。
これは社会では無く、間違いなく国語の問題。
思い当たることがあった。
昨日の夜、平安高校の過去問を解き続けた。
この出題形式、平安高校の過去問に似てる。
平安高校の入試は『国語・数学・英語・理科・社会』の5科目。
1ページ目が国語、偶然だよなこれ。
白いノートに印字された問題を見ながらページをめくる。
国語の出題、出題形式がそっくり。
いや、気のせいだろ。
数学はどうだ?
やっぱり似てる。
あまりにも昨日解いた過去問と形式が似た出題だったので、とっさに書店で買った本物の過去問集を隣に置いて見開く。
問題は同じものでは無かった。
でも出題形式が瓜二つだ。
なんだよこれ。
どういう事だ?
まだ解いていない過去の年代の問題の1問目をすべてチェックしてみる。
無い。
過去問集のどの年代にも同じ1問目は存在しない。
この白いノートに印字されている問題は、5年分載ってる過去問集を見る限る該当する問題は1つも無い。
少なくとも過去5年分の平安の過去問というわけでは無さそうだ。
そんな事は今はどうでも良い。
早く勉強に取り掛かろう。
お昼の12時を過ぎてから俺は、平安の過去問題集を勉強する。
平安高校、特別進学部の問題。
過去問5年分をやってみての感想。
無理。
新しい問題がこれと同じレベルで出たら無理。
絶対合格なんてできない。
最低ラインが正答率9割以上。
俺が受験しようとしているのは、平安高校の総合普通科じゃない。
超が付くほど高いレベルの特別進学部の受験問題だ。
時間は14時過ぎ。
やみくもに一度解いた過去問をもう1周勉強し始める。
一度解いた過去問題集。
すでに答えがある程度分かっている。
一度答えを見て、分かっている問題。
そんな問題を解くのは、とても簡単な作業。
だからこそ、錯覚する。
俺は点数が9割取れる。
2回目に解く問題の答えが、一瞬で分かる事で自分が偉いと錯覚してしまう。
過去問に模範解答は当然書かれている。
模範解答を見て、問題が簡単に解けるとものだと完全に脳みそが勘違いしてしまう。
受験の日の本番で特別進学部の問題を目の当たりにした時。
果たして俺は、2周目に突入した問題集に書かれた問題を読み解くように、同じ感覚で本番に出題されるテストの問題をスラスラと解くことが出来るだろうか?
「守道さん?」
「詩織姉さん!?」
驚いた。
蓮見詩織姉さん。
平安高校の1年生。
制服の冬服を着ている。
綺麗な長い髪。
名前を呼ばれるのが気恥ずかしくなるくらい綺麗で透き通るような声。
小さな顔に、パッチリとした大きな瞳。
他人であれば、俺が声をかけられる事がまずないとても美人の先輩。
机に座る俺の顔を覗き込む。
髪がサラサラと流れ落ち、その流れ落ちる髪を人差し指ですくい耳に掛ける。
何気ない仕草にドキリとさせられる。
俺の姉さんになる予定の人。
片手に抱えた本を机に置き、俺の席の隣に座る。
「守道さん、お勉強偉いわ」
「俺、受験生ですし」
偶然中央図書館で出会う。
当然連絡先などお互い知らない。
そもそも俺はスマホも持っていない。
「ありがとうございます、声かけてくれて」
「だってわたしたち……ううん、ごめんなさい」
「いえ、良いんです。ごめんなさい、俺の都合で困らせて」
「そんな事ないわ。困らせてるのはこっちの方」
優しい詩織姉さん。
困らせてるとか、困らせてないとか。
なんで詩織姉さんが俺に謝るんだよ。
「詩織姉さんはどうしてここに?」
「本を借りに来たの」
「高校の図書館があるじゃないですか?」
「今耐震工事で閉まってるの。本が読みたくなって、ここに来ちゃって」
「そうなんですね」
自習室で大きな声が出せない。
小声で俺の耳元にそっと近づき、ささやくように話す詩織姉さんの吐息が伝わる。
他人だけど他人ではない詩織姉さんに声をかけられ、胸がドキドキする。
姉さんとこんなに打ち解けて話をする機会がこれまでなかった。
人影がまばらな自習室。
小声で詩織姉さんとヒソヒソと会話する。
まるで秘密の話をしているようで、少し気恥ずかしい気持ちになる。
「平安高校の過去問よねそれ」
「そうなんです。難しくてこれ」
「分からないとこある?」
「えっ?」
詩織姉さんが俺の隣を離れようとしない。
ここ最近、家族という関係を失っていた自分。
家族だけど、家族じゃない。
それでも優しく接してくれる詩織姉さんに。
甘えてしまった。
過去問題集の分からない数学の解法。
尋ねてしまった。
模範解答では、数学の解法が略式でしか表記されていない問題があった。
中学生3年間。
勉強を怠ってきた俺には、この過去問題集の模範解答に記された数式の解法。
なぜこの答えに行きつくのか理解できなかった。
「ここはね、こう解くの」
「えっと」
「ここはこう」
「え?」
「じゃあこっちから一緒に解いてみましょう」
「はい……」
恥ずかしい。
過去問題集の模範解答がどうしてこの正答に行きつくのか分からないなんて、恥ずかしくて誰にも聞けない。
家族だから。
姉さんになる人だから。
別に聞いても平気なはず。
矛盾する俺の考え。
家族になるのを拒んでいるのに、都合のいい時だけ家族だなんて考えて。
「次はどれ?」
「えっ?でも」
「遠慮しないで。わたし時間あるから」
「ごめんなさい」
「大丈夫よ、謝らないで」
とても優しい姉さん。
絶対にこの人、悪い人じゃない。
同居する事を拒んでいるのは俺なのに。
そもそもなんで詩織姉さんは、俺の平安高校特別進学部の過去問を勉強するのに付き合ってくれてる?
万一俺が平安高校合格したら、困るのはそっちの家族だろ?
父さんとの半ば喧嘩のような食事会。
黙って俺と父さんの話を聞いていた詩織姉さん。
俺はとっくに、姉さんに嫌われているものだとばかり思っていた。
「姉さん」
「なに?」
「どうして俺の受験勉強、手伝ってくれるんですか?」
「守道さん、この前受験頑張るって言ったでしょ?」
「はい……言いました」
「だから、守道さんが頑張るって言ったから、応援したくて」
姉さんの優しさに胸が苦しくなる。
合格すれば別居するって知ってて、俺に勉強を教えてくれる。
「分からなかった問題はこれだけ?」
「えっと」
……そうだ。
過去問がもう1年分あった。
あの問題。
俺にはとても解く事が出来ない。
調べられない。
平安の過去問かは分からないけど。
出題形式も、科目の並びも、問題数も瓜二つ。
模範解答付いて無かったからどうしようか困っていた。
「詩織姉さん。実はもう1年分過去問が載ってるノート持ってまして」
「見せてみて」
「これなんですけど」
俺は白いノートを詩織姉さんに見せる。
やっぱり俺にはまったく分からない問題ばかり。
どこの高校の入試問題か分からないけど、こんなの入試で出されたら俺受験失敗する。
5年分の過去問、2周目からすぐに解答が頭に浮かぶのとはわけが違う。
まったく新しい問題。
「この問題分かる?」
「いえ、正直まったく」
「これはね」
「姉さん、やっぱりいいです。こんな模範解答無い問題わざわざ姉さんに」
「いいからやってみましょう」
「はい……」
詩織姉さんに問題を手伝ってもらう事にした。
俺の席の隣に座る詩織姉さん。
「この問題は……ちょっと難しいわね」
「もういいですよ姉さん。本当、これ模範解答無いんでやめましょう」
「やりましょう一緒に」
「は、はい……」
詩織姉さんは俺との勉強をやめようとはしなかった。
「はい、数学おしまい。90点くらいかしら」
「十分ですよ姉さん。もう帰ってもらって」
「まだ3時……次はわたしの得意な英語にしましょう」「本当ですか?」
「簡単な英文、終わらせましょう」
全問では無いが、ほぼすべての問題を姉さんは俺に解説しながら丁寧に教えてくれた。
英語が得意……成瀬と一緒。
成瀬が英語の授業で100点以外取った記憶はない。
彼女ならこの英語の長文問題も、模範解答無しで解答出来てしまうだろう。
「守道さん、この問題は?」
「うっ」
「一緒にやりましょう」
この白いノート。
模範解答、なんでないんだよ本当。
本当に恥ずかしい。
簡単な単語もちゃんと覚えていない。
姉さんはスラスラと、英語の入試問題をあっさりと解いていく。
「この長文、見るところはここがポイント」
「はい」
英語の長文問題。
模範解答無しで設問に対する的確な解答を俺に指導してくれる詩織姉さん。
「はい、英語はこれで100点」
「姉さんすいません。俺の勉強に付き合ってもらって……」
「今は勉強に集中」
「……はい」
他の科目の問題もすべて姉さんに解いてもらう。
まるで、本当の姉さんのように。
「これでおしまい。あらやだ、もう5時」
「え!?いつの間に」
「勉強してると時間経つのあっという間ね」
「ごめんなさい姉さん」
「謝らないで。家族でしょわたしたち?」
「……はい」
中央図書館の出口で別れる。
時間は17時を過ぎていた。
「またね守道さん」
「詩織姉さん。今日は勉強付き合ってもらって、本当ありがとうございました」
「ええんよ。わたしも守道さんと一緒に時間が過ごせて、本当に嬉しかったわ」
「そんな……姉さん……」
無償の愛。
いつしか俺が忘れかけていた、家族という温かさ。
手を振り、家に帰る蓮見詩織姉さんの後ろ姿。
4月には同居するかも知れない俺の姉さん。
平安高校の制服。
憧れの先輩の後ろ姿を、俺は胸をドキドキさせながら、見えなくなるまで姉さんの後ろ姿を見つめていた。