33.「成瀬の覚悟」
~~~~~成瀬結衣視点~~~~~
まな板の上でカットされる特大のチョコレートケーキ。
一人前に小分けするため包丁でカットする。
(とん とん とん)
よし。
これで良いでしょう。
授業が終わり、家に帰ると、すぐに台所で準備を開始した1人の女の子。
台所を覗き込む、1人の姉の姿。
「ゆいちゃん~気合入ってるわね~」
「知りません」
「またまた~」
今日学校で、高木君凄く苦しんでそうだった。
今も絶対苦しんでる。
わたし、あの時、何も声をかけて上げられなかった。
『成瀬、ごめん。もう俺たち、話さない方が良い』
高木君にあんな事言われて、わたし、なにも出来なかった。
朝日君がうらやましい。
あんな事言ってあげられる朝日君はとても勇気がある人。
友達を大事にしてあげられる人。
それなのに、わたしはこれっぽっちも勇気がない。
今日も高木君になにも言ってあげられなかった。
『分かった、分かったよ。じゃあ何時から?』
『9時だな』
『9時!?ふざけんなよそれ。どこで勉強やるんだよ、どこで!?』
朝日君、勇気の無いわたしと違って、高木君応援しようと頑張ってる。
「ゆいちゃん、こんなでっかいチョコレートケーキ作ったの!?誰に食べさせるの?やっぱり朝日君?」
「そうです」
「やだ~」
「高木君と2人分です」
「な~んだ」
「お姉ちゃんうるさい!」
あの日、失敗したわたしを見捨てなかった高木君が苦しんでる。
あんな事したわたしを無視しないで、それでもわたしと仲良くしてくれた高木君。
わたしたち3人と同じ高校に通いたいからって。
あんなに毎日頑張って勉強して、入試に合格して、本当に信じられなくて。
学力テスト、結果は本当にわたしもビックリしたけど。
絶対高木君、入試が終わってからお勉強全然やってなかったからに決まってる。
わたしと朝日君には分かってる。
みんなは知らなくて、わたしと朝日君は、高木君が努力してるって知ってる。
だからわたし。
朝日君と同じ気持ち。
高木君を応援したい。
次の中間テスト、赤点また取っちゃったら、高木君どうするのか分からない。
もしかしたら。
他の高校に。
だめ、考えたくない、そんな事。
いま伝えないと。
いま応援しないと。
絶対わたし、ずっとずっと後悔する。
今日、朝日君があんな大声で夜勉強するぞって言ってた。
それなら絶対。
わたしも一緒に。
絶対、絶対。
わたしも行かなきゃ!
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はぁ~。
まさか詩織姉さんがあんな鬼スパルタ講師だったなんて知らなかった。
未来の問題知ってたのバレた事で頭が一杯になってた。
父さんたちと鉢合わせは御免だった。
夜の7時。
一度1人で暮らすアパートに戻ってくる。
カバンが重い。
詩織姉さんから、去年姉さんが使っていたというラジオ英会話の1年分、12冊のテキストを渡された。
部屋に入り、机の上にテキストを置く。
こんなにたくさん。
これ、詩織姉さん、毎日欠かさず聞いてるんだな。
カバンに1つ、紫色の古いスマホ。
古いかどうかは俺には分からない。
スマホも無い俺。
姉さんから与えられなかったら、絶対に手にする事が無かった代物。
もう夜の7時か。
あんなに昼間降ってた雨もすっかり上がってる。
なんか月が凄く光ってたな。
雨上がりだから空気が綺麗に違いない。
空がとても綺麗に見えて、月もとても綺麗に見えていた。
昼間の雨。
小さな紫色の傘。
朝、バイト先から傘を学校に持ってこなかった俺。
詩織姉さんは折り畳みの小さな傘をカバンに入れていた。
不用意な俺に、姉さんがその傘を差し出してくれた。
1つの傘はなるべく姉さんが濡れないように、隣に寄り添う姉さんになるべく寄せて持っていた。
結局制服は濡れてしまった。
さっき実家で、玄関に入ると黙ってタオルをさし出してくる姉さん。
あの人、必要な事しか言わないから、なんかとても不思議で、神秘的。
未来の問題。
平安高校の入試問題を知っていた事を一切問い詰めなかった。
昼間、学校の屋上で。
あの日姉さんは、中央図書館で未来ノートに映し出された入試問題に触れてしまった。
今になって。
俺が事前に入試問題を知っていた事実。
その事実を知ってしまったと言われただけ。
その後、その話題には一切触れない。
しまいにはラジオ英会話始めろって、なんなんだよこれ。
もう俺なんかじゃ、あの人が何を考えているのか全然分からない。
雨で濡れたし、一回シャワーでも浴びてから太陽の家に行くか。
早めに行って、先に詩織姉さんからもらったテキスト早く読み進めておこう。
そういえば太陽は一体なんの科目の勉強するつもりだ?
ラジオ英会話のテキスト読むだけで時間かかりそう。
バイトもあるし、余裕ないよ俺。
1週間分のテキスト内容の音読、書き取り、そして今後抜き打ちで行われる詩織姉さんのチェック。
学校のテストより緊張する。
詩織姉さんに見つめられながら英語の音読とか、これ、一体、なんの拷問なんだよ。
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夜8時。
雨上がりの夜空。
輝く星の中で、月が綺麗に輝いていた。
太陽の家に早めに到着。
太陽の家の両親とは、小学校1年生の時からの知り合い。
俺が呼び鈴を鳴らせば、顔パスでいつでも入れる関係。
はっきり言って、太陽の家は俺の家も同然。
太陽の部屋に泊りもしょっちゅうしてきた。
太陽の両親は、野球漬けの太陽に全面協力した生活を送ってる。
夏休みに全国で行われる試合だって、車を飛ばして高速道路を夜中走らせて太陽を送迎。
体育一家。
いつも笑顔が絶えない太陽の家を俺はうらやましくも感じていた。
太陽が野球の練習の日は、勝手に部屋に入って漫画読んで帰るだけ。
太陽の母さんはいつも俺にジュースを出してくれる。
それも楽しみの1つ。
俺の甘えの1つ。
大切な人たち。
俺が平安高校に合格したと知った時、太陽の両親は自分の事のように飛び跳ねて喜んでくれた。
3月末の平安高校の入学式。
恥ずかしいので正門にいた太陽の両親をスルーしようとした俺は、すぐに太陽の母さんにキャッチされ、太陽と成瀬と並んで3人で写真を撮られてしまった。
今日も俺が太陽の家に行けば、いつものジュースが出てくるに違いない。
そんな日常。
俺と太陽の家族にとって当たり前の感覚。
目をつむっても来れる、太陽の家。
あれ?
段々近づくにつれてハッキリと見えてくる。
太陽の家の前に。
誰か立ってる。
白い洋服に、紫色のカーディガン。
女の子の姿。
紫色……詩織姉さんとは、さっき別れたばかりなのに。
太陽の家の玄関に近づく。
「高木君」
「成瀬、なんでこんな時間に……」