2.「不思議な白いノート」
平安高校の特別進学部。
公立高校と違い、私学の高校では高額な費用が発生する。
その話も、平安高校の特別進学部ともなれば話は別。
総合普通科と違い学費や施設費が3年間免除になるうえ、付属の大学への特別推薦枠まで約束されている。
恵まれた条件であると同時に、当然それなりの学力や能力が求められる。
俺の大親友、朝日太陽はその選ばれた1人。
太陽のようにスポーツ推薦で入学出来る学生は特別な存在。
特別進学部にはS1クラスとS2クラス、そしてスポーツ推薦で集められた生徒のSAクラスの3つのクラスが存在する。
平安高校の総合普通科というだけでも偏差値が高いのに、特別進学部はそのさらに上のクラスを指す。
太陽が話をしているのは一般入試を受験してS2クラスを目指す話。
中学の3年間、内申もテストの成績もトップクラスだった成瀬結衣。
彼女もすでに推薦枠でS1クラスへの進学が決まっている。
これから来月2月に俺が受験するS2クラスの一般入試は弱肉強食の世界。
入学試験の成績によってランク付けもされ、全国から選抜された30名だけが入れる狭き門。
そこに毎年1000人を超える受験生が特別進学部のS2を目指して殺到する。
進学は偏差値のより低い公立高校を受けるつもりだった。
そう、今日この日までは。
駅前の祇園書店に太陽と2人で入店する。
ここの書店は俺と太陽にとってなじみのお店。
太陽は俺の受験勉強に向けた本選びに付き合ってくれる。
「あったぞシュドウ」
「やっぱり本気なのか太陽?」
「シュドウ、もう腹をくくれ。受験は目の前だぞ」
「分かった、分かったから」
高木守道、俺の本名。
小学生の頃からのあだ名で、俺は太陽からシュドウと呼ばれている。
今では太陽以外、その名で俺を呼ぶ友達は誰もいない。
小学生の時からずっと同じクラスだった太陽。
ランドセルにあるネームプレートを見て、太陽は俺の下の名前の読み方が分からなかったと言った事がある。
成瀬結衣の事は女なので名字で成瀬、朝日太陽の事は男なので下の名前で太陽と言っていた。
小学生時代、お互いをあだ名で呼び合う習慣があった。
太陽はあだ名で呼ぶ習慣を好んだうえ、俺の名前を間違って守道じゃなくシュドウとある女の子が間違って言った事をきっかけに、俺の事を小学3年生からシュドウ、シュドウと言い始めた。
間違って最初に呼んだのが成瀬結衣。
何度もシュドウと言い始めた太陽を叱かり始めた成瀬。
それ以来3人で話す事も多くなり、自然と3人だけで遊ぶ機会が増えていった気がする。
それも今となっては昔の話。
平安高校の特別進学部、そして公立高校の過去問題集。
どちらも太陽が見つけてくれた。
一か八かの平安高校はともかく、公立高校を目指すためにも受験は避けて通れない。
この2つの過去問題集は受験に向けた必要最低限の問題集。
太陽の言う通り、どちらの高校を受験するにせよ、もうやるしかない。
「シュドウ、これからみっちり書き込むだろ?ノートも買っとけ」
「了解」
祇園書店の文具コーナーに向かう。
店の奥の角に大小様々なノートが並べられていた。
いつものA4サイズの大学ノートを探して棚を確認する。
A4サイズ、A4サイズ……あった、あった。
あれ?おかしいな?
いつも学校用に購入していた青いノートの隣に、見慣れない白いノートが1冊並んで陳列されていた。
この大学ノートのシリーズ、色は青と赤しか見た事がないんだけどな……。
「決まったか?」
「ああ、すぐ行く」
なんで1冊だけ白いノートが売れ残っていたんだろう。
2冊購入するつもりだったので、青いノートと白いノートを1冊ずつ購入し祇園書店を後にした。
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「お兄ちゃ~ん」
「紫穂」
日曜日の夕方。
太陽と別れてしばらく。
ある人たちと待ち合わせをしていた。
この子の名前は高木紫穂。
俺の実の妹。
「守道さん、こんばんは」
「詩織姉さん……こんばんは」
透き通るような声で名前を呼ばれ、とても気恥ずかしい気持ちになる。
上品な仕草、綺麗な顔立ち、サラサラと流れるような髪がとても印象的な人。
この人の名前は蓮見詩織。
俺の新しい姉さんになる予定の人。
俺より1つ歳が上の女性。
義理とはいえ、本当の姉になる実感は当然わかない。
父親が再婚する予定の女性も、父と一緒に姿を現す。
ぎこちなくお互い会釈を交わす。
詩織姉さん。
再婚相手の一人娘。
平安高校の1年生だと妹の紫穂が言っていた。
平安高校……太陽と成瀬が推薦入学を決めている地元の進学校。
すでに向こうの家族と一緒に4人で暮らし始めている妹の紫穂。
家族の俺も当然一緒に住む。
俺以外のここにいるみんなそう思ったはず。
綺麗なレストランに入る。
食事の席に参加している。
父親と妹の紫穂。
再婚予定の母と詩織姉さん、そして俺の5人で席に座る。
「守道、もうすぐ卒業だな」
「うん」
俺は父親とある約束をしていた。
それと引き換えに、今でも母と住んでいた今のアパートに1人住み続けている。
「公立高校の受験、上手くいきそうか?」
「今勉強してる」
「そうか……」
父親の再婚。
俺にとって、わだかまりが残る。
「お兄ちゃんも一緒に早く住もうよ~」
「うるさいな紫穂」
妹と離れて暮らすのは寂しい。
だけど、なんで親の都合で生まれ育った家を出ないといけない?
「お前が公立高校へ進めば、もうあのアパートにいる理由はなにも」
「父さん」
「どうした守道?」
「俺……」
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鍵を開け、誰もいない部屋に入り電気を付ける。
時間は夜の8時。
俺、父さんに。
なんであんな事言っちゃったんだろ……。
『平安高校の特別進学部?それはお前には無理だ、あきらめなさい守道』
『まだ受けてもないのに、なんでそんな事言えるんだよ』
平安高校に行きたいなんて、嘘をついてしまった。
『私学の学費がいくらかかると思ってるんだ守道?詩織ちゃんは平安高校の1年生で特別進学部なんだぞ?』
『学費がかからないんだろ頭がいい人は?』
詩織姉さんは、黙って俺の話を聞いていた。
平安高校の特別進学部。
総合普通科とは違い、学費は免除される。
『お願いだよ父さん。特別進学部に行けたら、今の家に住み続けたいんだよ』
『もし本当に合格できれば認めよう』
『ちょっとお父さんってば。詩織お姉ちゃんも平安高校通ってるのにおかしいよ』
『紫穂は黙っていなさい。その代わり、平安高校の受験に失敗したら一緒に住むんだ、いいな守道』
『分かったよ』
父さんはいつもこうだ。
俺が必ず失敗すると分かって話を振ってくる。
どの道、受験には失敗すると思って言ってる。
それでも。
特別進学部に行けたら、今住んでいるアパートに残れる。
冷静に考えれば、再婚相手の家族と同居を拒んでる俺はただのわがままを言ってるだけ。
分かってる。
分かってるんだけど。
机に座る。
今は勉強に集中しよう。
太陽と訪れた祇園書店。
そこで買った平安高校、特別進学部の過去問題集のページを開く。
想像していたよりも遥かにレベルが高い問題ばかり。
問題集の冒頭にある、合格ラインの考察を見て愕然とする。
難易度の高いこの特別進学部の一般入試は、合格ラインが最低でも9割以上の得点が必要。
もしかすれば、勉強すれば、平安高校の総合普通科なら手が届くかも知れない。
だが俺の家庭環境では高額な学費の発生する私立高校には通えない。
特別進学部ならあるいは……身の丈を遥かに超える高校。
そんな場所を目指そうなんて、あまりにも無謀だったかも知れない。
『――私、朝日君の事が好きなの』
ダメだ、勉強中に何を考えてるんだ?
昼間のあの光景がフラッシュバックする。
もう成瀬の事は一度忘れよう。
いくら考えていても、進学先すら決まっていない俺には彼女の事を考えている余裕はない。
『おいシュドウ、月曜日に社会の小テストあるだろ?』
『なにそれ?』
思い出した。
太陽とのなにげない会話。
えっと、社会の教科書っと。
社会の教科書を取り出すためにカバンを開く。
カバンの中から……白いノート。
この売れ残りの白いノート。
本当にこれまで書店で見た事が無い。
表紙も白いし、本当に真っ白……あれ?
1ページ目を何気なく開き絶句する。
なんだよこれ……。
俺もしかして間違ったやつ買ったのか?
しまった。
中をちゃんと確認して買えば良かった。
白いノートには最初のページに印字された 何やら歴史の問題らしき文書が書かれていた。
失敗した。
何も書かれていないはずの、白紙であるはずの普通の大学ノート。
俺は一度白いノートを閉じる。
これ誰かのイタズラに違いない。
なんだよせっかくお金払って買ったのに……。
だが。
思い直す。
『忘れてたのかシュドウ?お前はしょうがないやつだな』
『もう内申点なんて関係ないだろ?』
やっぱり俺は受験生。
テストと名の付くものは今さらだけどやっておかないと。
公立高校も受験する。
俺の中学時代の成績だって、高校に通知されると聞いたことがある。
気分転換、何もやらないよりはマシ。
この白いノートに印字された問題解いて、社会の勉強を終わらせる事にする。
もう1度白いノートを開く。
本当なんだろうなこの問題?
えっと、なになに。
第1問、あれ、これなんだっけ。
分からない……もうちょっとで出そうで出ない。
教科書見るか……あったあった。
――『墾田永年私財法』――
第2問は、うーん……教科書見るか。
すぐに終わると思ったA4、1ページ分の社会の問題。
肩慣らしどころか、教科書の隅々を見回さないと答えに辿り着けず、ただ時間だけが過ぎて行った。