162.「わたしの一番好きな歌」
(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)
「それでは次の授業でテストを実施します」
「百人一首だって~」
「うわ~全部かよ~」
7限目、枕草子先生の古文の授業で告げられた予告テスト。
百人一首の全歌暗記、予告するだけあって問題量も半端ない。
次回の授業で行われる出題範囲は100問、この中から50問が出題される筆記テスト。
クラス全員が未来の問題を知り暗記にさっそく取り掛かる、与えられた条件はみんな同じだ。
ホームルームが終了し下校時間を迎える、俺の席の前に来る氏家翔馬。
「守道~古文のテスト、えらい問題出しよるな~」
「ヤバいよ翔馬」
「またまた~期末テスト900点オーバーがよく言いよる~」
「もう終わった事だって、次赤点だったら意味ないからさ」
「せやな、偉いで守道」
大きなテストは残り3回、次の目標は来月10月の中間テスト、文化祭が終わった次の週に3日間の日程で行われる。
小テストや課題も年間評価の対象になる、古文の授業で出された百人一首の課題もおろそかにはできない。
続いて俺の席に来る結城数馬、話題は当然古文の課題。
「守道君、枕草子先生の課題、強敵だね」
「どうする数馬?」
「1000本ノックあるのみだね」
「結局それかよ~」
「ははっ、せやな」
野球部の結城数馬、夜の1000本ノックで出題範囲の100問をただひたすらノートに書き写して暗記するつもりのようだ。
古文の話題で盛り上がっていると、氏家翔馬が教室の後ろの入口に視線を向ける。
「おっ?守道、お姫様来よったで」
「誰が来たって翔馬?」
教室の後ろへ振り向くと、S2クラスの教室をのぞき込むウサギが1匹。
ヒョコっと顔だけのぞかせていた彼女は、視線が合うなりピョンピョン跳ねながら教室の中に入って来る。
「シュドウ君、うっす」
「なんだ神宮司か、脅かすなって。最近うっす好きだよなお前」
「テレビで野球部の人が出てたの、うちの学校の人」
「岬主将だろ?だからうっすか、面白いなお前」
「うっす」
「ははっ」
可愛い子は何を言っても可愛い。
女の子に笑顔で「うっす」とか言われたら秒で死ぬ、マジ死ぬ。
野球部の男子球児たちのモノマネをしている神宮司葵。
阪神甲子園球場で行われたU―18野球日本代表の試合。
いつも行動を共にする神宮司姉妹、お姉ちゃんと一緒にテレビで観戦したようだ。
しばらくすると何やら廊下からざわつきが聞こえてくる。
「あっお姉ちゃんだきっと」
「マジか、お前ここ来るなって」
「なんで?」
いつも行動を共にする神宮司姉妹、廊下のざわつき、嫌な予感しかしない。
「守道君、ごきげんよう」
「げっ!?楓先輩」
(「キャー」)
(「神宮司先輩よ、綺麗~」)
華の3年生、神宮司楓先輩の登場にS2クラスに残る生徒が沸き立つ。
突然現れた可憐な先輩の姿に激しく動揺。
「楓先輩、おっす」
「シュドウ君それ違うよ、うっすだようっす」
「うっーす」
「ふふっ、楽しいわね2人とも」
「ほな守道」
「達者でね守道君」
「俺を1人にするなって2人とも」
翔馬と数馬がクラスを後にする、席に座る俺は神宮司姉妹に挟まれる。
ひと夏を超えて楓先輩はさらに美しくなられたご様子。
楓先輩が姿を現すだけで場の空気を一瞬に変えてしまう3年生の圧倒的オーラ。
そのお姉ちゃんに負けない美人の妹が衝撃の一言。
「シュドウ君、今日うち来る?」
まだ帰宅していないS2のクラスメイトたちがざわつく。
小耳を立てるクラスメイトたちは帰宅を中止し俺の発言を注視する、神宮司が話すだけで破壊力抜群。
じゃあ行きますなんてこの場で言えるわけがない、答えはノー、絶対にノーだ。
「源氏物語の続き、一緒に読まない?」
「テスト対策で忙しいのにそんな長編小説読んでられないだろ」
「テスト?古文の百人一首?」
「S1もあるのか古文のテスト?」
「そだよ」
どうやらS1クラスでも百人一首のテストは同様にあるらしい。
「わたし全部覚えてるよ」
「マジか!?いつ予習したんだよ」
「教えてあげようか?」
「俺世界史の予習が」
「世界史にする?それともわたし?」
「うっ」
古文の未来の問題はクラス全員周知の事実、百人一首のテストはすぐに実施される。
予習をしていたこの子と俺の差はすでに歴然。
隣で俺と妹の話を聞いている楓先輩が不敵な笑みを浮かべる。
3人で階段を降り、第一校舎1階の下駄箱を抜ける。
校舎を先に出て2人を待っていると、野球のユニフォームを着た2人組の男子の姿が目に飛び込んでくる。
「ようシュドウ、おはようさん。知ってるよな、うちの主将だ」
「会いたかったよ高木君」
「お兄さんどうもです」
太陽の隣にいたのは3年生の岬のお兄さん、先日の一件で俺の家まで付き添って帰ってくれて以来の再会。
相変わらず屈強で大柄な体格、3年生のオーラが半端ない。
「岬主将、こいつが高木守道、俺の幼なじみのダチっス」
「そうか。高木君、ぜひ今度うちに寄ってくれ」
「家ですか?」
「この前のお礼がしたい」
「わ、分かりました」
「ははは、良かったなシュドウ」
平安高校野球部の岬主将は、つい先日行われたU―18ワールドカップ日本代表の4番打者。
アメリカ戦で敗れはしたが、甲子園出場が叶わなかった今年の平安高校野球部にとって明るい話題。
学校のスーパーヒーローの誘い、さすがに断れない。
「あら中将君、ごきげんよう」
「ごきげんよう」
「おう神宮司、妹も一緒か?」
3年生同士の会話、平安高校のヒーローと大和撫子が並び、周りを通る生徒たちが羨望のまなざしで見守る。
遅れてやってきた神宮司姉妹が合流すると、楓先輩の登場に太陽の顔が硬直する。
「か、楓先輩、うっす!」
「ふふっ、朝日君、今日も練習頑張って下さいね」
「おっす!行ってきます!」
楓先輩が一声かけると、朝日太陽は常勝園グラウンドの方向へとダッシュでその場から消えて行った。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平安高校第二校舎1階、職員室。
応接室に向かい合い座る教師が2人、古文担当枕草子先生、現代文担当橘則光先生。
「百人一首ですか、なつかしいですな」
「古文の授業では教材としてよく用いられております。夏休みで生徒たちの気も緩みがちです」
「特別進学部もいよいよふるいをかける時期を迎えましたか」
古文と現代文をそれぞれ担当する教師同士の情報交換。
「橘先生もさっそくテストを?」
「四字熟語のテストを実施しました、夏休みの間に遊んでいた生徒とそうで無い生徒の差はハッキリしております」
来月10月中間テストに向けた意見交換。
理事会で議論される試験実施方法の新たな動きを話し合う教師2人。
「来年にも導入を?」
「デジタル化の波はすぐそこまで迫っておりますな」
「そうなればいずれ我々教師も不要になりますかな」
「いえいえ、まだまだ機械に負けるわけにはまいりませんな先生」
「ははは、おっしゃる通りですな」
談笑が続く応接室、平安高校職員室を行き交う教師たちの仕事は終わらない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「ごめんなさいね守道君。無理矢理誘ったりして」
「本当ですよ楓先輩」
「ふふ~シュドウ君と一緒~」
神宮司姉妹と一緒に神宮司家へ向かう事になる。
平安高校の正門からすぐそこにある豪邸、神宮司家の正門には徒歩0分で到着。
神宮司が閉じられる自分の家の門に手をかざす。
「シュドウ君、見て見て。はぁ~」
「ハンドパワーか?」
「違うよ、わたしの魔法」
「そういえばお前魔法使いだったな」
「えへへ」
「ふふっ」
魔法の力でオートロックの門が勝手に開く、門が本来受け入れるのは神宮司姉妹だけ。
「シュドウ君、閉じちゃうから早く入って」
「分かった、分かったから」
神宮司家の門をくぐり、石畳の道を3人で進む。
豪邸に住む神宮司姉妹、2人の後をついていき家の玄関へ到着。
玄関先で待機するメイド服を着た綺麗な大人の女性。
「お帰りなさいませお嬢様」
「ただいま帰りました」
「ただいま~」
お出迎えされるお嬢様2人、ついでの俺。
「楓お嬢様、この者は」
「玉木さん、よしなに」
「かしこまりました……」
楓先輩が会釈すると、メイド服を着た玉木さんは黙って一歩引く。
俺は完全に異物扱い、神宮司家にとって迷惑この上ない訪問に違いない。
玄関を抜け家の中に入るとそこは別世界。
9月、外は残暑厳しい夏。
俺の家に入った瞬間のあのヌワ~っとドンヨリしたそれではない。
「どうしたの守道君?」
「いえ、うちとは違う綺麗な空気だったので」
爽やかな空気、管理された空調に激しく感動、一般市民の俺がここにいてはいけない気がする。
「じゃあお姉ちゃん、わたし先に入るね~」
「行ってらっしゃい葵ちゃん」
神宮司姉妹の謎の会話、妹は消え楓先輩と2人残る。
「神宮司どこか行くんですか?」
「葵ちゃんこれからお風呂なの」
「なるほどですね」
自由過ぎる神宮司葵。
同級生の俺が家に来ているにも関わらずお風呂に入りにいったらしい。
「ジメジメして暑いでしょ?葵ちゃん、帰った時と寝る前に2回入るの」
「何シャンですかそれ?」
楓先輩について行き、リビングに通され神宮司葵の夕シャンの帰りを待つ。
この後夜シャンもあるらしい。
「守道君」
「はい、何です先輩?」
「ふふっ。今日は私が守道君とお話したかったの」
「本当ですか?」
先輩があらたまって話を始める、何かあったのだろうか?
「守道君」
「楓先輩……」
「その傷、痛そう」
(ツンツン)
「痛てぇ!?痛い、痛いっすよ先輩」
「ごめんなさい、わたし……」
「妹と同じ事しないで下さいって」
「葵ちゃんも?」
ふいにリビングに並んで座る先輩に近づかれ、傷口をツンツンされる。
「今日学校で中将君からお話を聞いて、守道君のお話になって」
「岬先輩と?」
「お互い妹がお世話になってるって、最近よくお話するの」
「なるほどですね」
言われてみれば神宮司妹と岬妹には何かと縁がある俺。
楓先輩は野球部のマネージャー、同じ3年生の岬先輩と学校でやり取りをしているようだ。
俺自身は大した事ない男だが、俺の知り合いには凄い人がこの高校にはひしめいている。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「よをこめて~」
「はい!」
神宮司家の和室に通され、突然始まる百人一首。
俺はいま、何をしている?
「すみのえの~」
「ほい」
「あっ、シュドウ君早い」
「お、おう」
俺の向かいに藍色の着物姿の神宮寺葵。
読み手は同じく緑色の着物姿の神宮司楓先輩。
誰がどう見ても百人一首、もうどうにでもなれ。
「はなのいろは~」
「ほい」
「あ~また取られた~」
「守道君お上手ね」
「え、ええ、はは」
最初は戸惑っていた俺も徐々にコツをつかんできた、札の場所と位置を覚える暗記となればこちらのもの。
「ゆふ」
「ほい」
「はい」
「あっ……」
「えへへ」
俺の手の上に神宮寺の手が重なる。
超絶着物美少女、至近距離の笑顔、マジで萌え死ぬ。
違うそうじゃない、俺の疑問点はそこじゃなかった。
なんで俺、神宮司より早く札が取れてる?
百人一首の枚数が少なくなるにつれて、神宮寺との距離がどんどん狭まる。
最初神宮司が独占していた札も徐々に俺が巻き返し状況は僅差。
「シュドウ君、最後の1枚」
「それお前にやるよ」
「本当?わ~い」
百人一首の最後の札。
その一枚を挟んだ目の前に座る真剣そうな彼女の顔を見て、俺は最後の勝負を放棄する。
「シュドウ君、この歌読んで良い?」
「好きにしろよ」
「めぐりあひて みしやそれとも わかぬまに くもがくれにし よはのつきかな」
「お前その歌……」
「これ、わたしの一番好きな歌」
以前彼女が手紙にしたためた和歌を思い出す。
あの歌は百人一首の歌、彼女すでにあの時から、百人一首を記憶していた事に気づかされる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「もう帰っちゃうの?」
「俺が勝ったら帰るからって約束だろ?」
「ぶ~」
「ぶ~じゃないよ。勝ちは勝ち」
百人一首を続け、3回目の勝負でようやく彼女に勝つ事が出来た。
「守道君、お勉強になったかしら?」
「お勉強?あっ、そうだった」
「ふふっ」
すっかり楽しんでしまっていた神宮司との百人一首、古文のテストが控えていた事を楓先輩に言われて思い出す。
神宮司にとっては遊びだったのかも知れないが、俺にとって大きなテスト対策になったのは間違いない。
「守道君、蓮見さんがあなたの事を心配されていたわ」
「詩織姉さんがですが?」
楓先輩の口から詩織姉さんの名前が出てビックリする。
どこか俺の知らないところで、2人が会っていたりするのだろうか?
「これからも頑張って下さい、あなたの事を応援しています」
「楓先輩……今日はありがとうございました」
「バイバイ~」
「じゃあな神宮司、今日はサンキュー」
着物姿の神宮司姉妹に見送られる。
夕日を背にする2人の姿が、俺の背中を押してくれる。
空が真っ赤に染まり、もうすぐ夜を迎える京都の夏。
家に帰ればまた勉強、今日の予習はまだ始まったばかり。




