150.「桃栗三年柿八年」
(ミ~ンミンミンミ~)
「良く出来ています」
「本当ですか姉さん!」
8月、真夏。
朝から気温はグングンと上昇。
今日も朝から勉強漬け、先月から始まった詩織姉さんの鬼レッスンは一ヶ月近く続いている。
姉さんの用意した英語のテストプリントは上々の出来。
「おほん」
(ポンポン)
アメとムチ、ご褒美は詩織姉さんの膝枕。
ご褒美タイム。
「こら」
「すいません」
動くと怒られる、謎の膝枕ルール。
俺と詩織姉さんだけの秘密。
「追加で10ページ」
「え~」
「許しません」
「分かりましたから」
「ふふっ」
詩織姉さんには絶対服従。
俺は姉さんの膝で猫のように甘える。
良い子にしていると頭を優しく撫でてくれる。
ひんやり冷たい、姉さんの優しい手。
「英語は毎日聴くこと」
「はい」
「予習を怠らない」
「はい」
詩織姉さんの膝枕、頭を撫でられながら呪文のように暗示をかけられる。
「私との勉強は……今日でおしまい」
「えっ?」
驚いて体を起こす。
もう1ヶ月近く詩織姉さんに勉強を教えてもらっていた。
今日でおしまいと言われて驚く。
「一緒に住みませんか?」
「うっ」
外堀を埋められている気がする。
詩織姉さんの優しさに触れる度、一緒に居たい衝動に駆られる。
このアパートに居続ける限り、詩織姉さんとは一緒に暮らせない。
「いつまでも待ってます」
「待って下さい姉さん」
いつも必要な事以外、多くを語らない詩織姉さん。
立ち上がると、そのままアパートを出て行ってしまった。
しばらく続いた詩織姉さんとの夏の勉強も、今日で本当に最後かも知れない。
突然いなくなった母さん、それと入れ代わるように現れた新しい家族。
姉さんと一緒に暮らしたい、この気持ちを抑えられそうにない。
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(ミ~ンミンミンミ~)
道路のアスファルトが今にも溶け出しそうな真夏の暑さ。
友人と待ち合わせをしていた。
「数馬、翔馬」
「こんにちは守道君」
「久しぶりやな守道~元気しとったか~」
「元気元気」
3人で待ち合わせをしていたのには訳がある。
引退された恩師、藤原宣孝先生。
今日は恩師の自宅、奈良を訪問する約束をしていた。
「先生のとこに行くんやったら、手土産の一つもいるんやないか?」
「和菓子なんてどうだい?」
「空蝉餅か、良いな数馬」
奈良に向かう前に、御所水通りにある和菓子専門店、空蝉に寄る事にする。
商店街を歩くと通りのお店の軒下にロープが吊るされ、白いギザギザの紙がついていた。
しめ縄、もうすぐ地元の夏祭りが始まる。
(チリ~ンチリ~ン)
店に到着。
軒先の風鈴が風に揺れ音を鳴らす。
真夏の暑さが、風鈴の音で幾分和らいでゆく。
「おこしやす~」
「おこしやす~」
「やあ」
「結城君」
「結城君」
割烹着姿の空蝉姉妹。
空蝉文音、空蝉心音。
可愛い看板娘2人の姉妹に出迎えられる結城数馬。
かたや産業スパイの婆ちゃんに出迎えられる俺。
「高木ちゃん~お越しやす~」
「来たよばあちゃん」
野球マネージャーの双子姉妹は、同じ野球部の数馬と見つめ合う。
そんな3人をおいて、翔馬と一緒に空蝉餅を注文。
藤原先生への良い手土産が出来た、ここのおはぎは間違いない美味しさ。
「高木ちゃん、明日夏祭りやね~」
「そうですね」
明日は夏祭り。
バイト先のコンビニに、しめ縄と呼ばれる白いギザギザの紙が飾られていた。
常連の婆ちゃんと雑談をして店を後にする。
店の前で双子姉妹が見送ってくれる。
「おおきに~」
「おおきに~」
2人同時に頭を下げられる、何度も来たくなる和菓子専門店。
手土産を手に、奈良へ向かうため3人で駅を目指す。
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電車に揺られ奈良に到着。
翔馬が控えていた住所を頼りに、藤原先生の自宅を目指す。
バスに揺られ最寄りのバス停で下車。
着いた先には一つの大きな家。
立派な門構え、和風の大きな一軒家。
事前に来る事は伝えていた。
氏家翔馬が呼び鈴を鳴らす。
(ピンポ~ン)
「ごめん下さい」
(「お待ち下さい」)
「ありゃ、この声どっかで……」
「どうした翔馬?」
「女性の声、英語の先生の声やねん」
「英語?」
翔馬が不思議な事を言い始める。
しばらくすると、門の扉が開けられる。
家の中から現れた白い着物姿の女性に、男子3人驚き目を丸くする。
「叶先生!?」
「あらあら、ふふっ」
翔馬の言っていた英語の先生の声、S1クラス担任の叶月夜先生。
夏の奈良、しかも引退した藤原先生の家になんで叶先生がいるんだ?
さも自然に振る舞う白い着物姿の叶先生。
先生に先導され藤原先生の自宅に入る。
家の中には小さな庭園に池も見える。
叶先生の後ろをついて歩く3人。
「私がここにいた事は他言無用に」
「はい」
「ふふっ」
夏休みにS1クラス担任の叶先生の姿を見るとは思ってもいなかった。
普段の授業では白いスーツに身を包む綺麗な先生。
叶先生がここに居た事は、やんわりと口止めされる。
家の中を通され、廊下を進む。
「先生」
「入りなさい」
「失礼します」
藤原宣孝先生と久しぶりに再会する。
畳の部屋で向かい合う先生、和服の着物。
学校にいた時よりも表情が柔らかく感じる。
「先生、これ京都の土産です」
「空蝉餅ですね、これは嬉しい」
「先生」
「お願いします」
叶月夜先生がそっとそばに寄り、手土産に持参した空蝉餅のおはぎが入った木箱を手にする。
もうどこからどう見ても奥さんにしか見えない。
藤原先生が数馬に視線を合わせて話を始める。
「結城君、ケガの具合は?」
「順調です、もうすぐ練習を再開出来ます」
「大変結構」
近況を報告する結城数馬、続いて翔馬はサッカー部の部活の話を先生に話し始める。
「先生、俺最近試合にようさん出させてもろうとります」
「素晴らしい。今年はどこの高校が強いですか?」
「嵯峨高校と舞鶴です」
最近レギュラーとしてサッカーの試合に出るようになった翔馬。
数馬と翔馬の話を楽しそうに聞く藤原先生。
先生と話をしていると、部屋から手土産を持って出ていた叶先生がふたたび戻って来る。
空蝉餅のおはぎがお茶と共に配膳される。
「いただきましょう」
「はい」
叶先生も席に座り、綺麗な姿勢で正座。
空蝉餅を食べ終わる頃、藤原先生に声をかけられる。
「高木君、少し庭で話をしませんか?」
「は、はい」
藤原先生に誘われ庭へ出る。
小さな池、竹筒のかけひに水が溜まると、竹筒が石に当たりポンと音をたて起き上がる。
先生の日本庭園のような庭には、いくつもの木が植えられていた。
「高木君、期末テストよく頑張りました」
「ありがとうございます」
「勉強はおろそかにしない事」
「はい」
まるで詩織姉さんと同じような事を言う藤原先生。
夏休みのここ1カ月、部活とバイトを除き勉強漬けの毎日。
ここ最近の勉強や検定試験の受験を先生に報告する。
「先生、俺今度英語検定3級受けます」
「素晴らしい」
「漢字検定3級も受けるんです」
「頑張りなさい」
「毎日英語も勉強してます、それから」
「ははは、はいはい」
久しぶりに藤原先生に再会出来た事が何よりも嬉しかった。
先生に伝えたい事が山ほどあった。
「S1クラスに上がりたいって本気で考えてます」
「ほう、それは大きな目標だ」
「上がれたらまたここに来ても良いですか先生?」
「いつでも来なさい。良い話を期待しています」
「はい」
藤原先生は視線を合わせ、俺の話を最後まで聞いてくれた。
一通り近況を報告し終わると、先生が1つの木に視線を向ける。
「高木君、あれは柿の木です」
「はい」
「桃栗三年柿八年」
「ことわざですね」
「何事にも長い年月が必要です、勉強もまたしかり。これからも努力を惜しまないで下さい」
「分かりました」
期末テストで1度だけ良い点を取った俺。
天狗になるなと語りかけるような先生の重い言葉。
藤原先生の大きな家の庭には、平安高校の中庭にもある、桐の木も1本植えられていた。
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奈良で元恩師の藤原宣孝先生の自宅を訪ねた俺たち3人。
京都に戻る電車の車内。
「藤原先生、元気そうで何よりやったな~」
「そうだね」
奈良訪問を最初に言い始めた翔馬に感謝したい。
今日の先生の言葉が、S1クラスを目指す俺のやる気に火をともす。
「明日のお祭り行く?」
「行く行く~」
近くの乗客が明日の夏祭りの話題を話す声が聞こえてくる。
3人で夏祭りの話題になり、数馬から衝撃の事実が語られる。
「双子と夏祭り見に行く約束をした!?」
「今日成り行きでね」
「数馬、それ指摘だって指摘」
「ははっ、それは手厳しい」
奈良に来る前に双子姉妹と和菓子店で何やら話をしていたのは見えていた。
まさか明日の夏祭りでデートの約束をしていたとは思わなかった。
翔馬もお祭りを部活のみんなと見に行くらしい。
「俺はサッカー部のみんなで一緒に見に行くで~」
「へ~」
「守道は夏祭りどないすんねん?」
「守道君も姫とデートだろ?」
「うっ」
「ほんまか守道?」
夏祭りを一緒に見に行く約束をしてしまっていたのを、ここに来て思い出す。
神宮司と成瀬、姫を2人エスコートしなければいけない。
「守道、女と行くんやったらそのボサボサの髪どうにかしいや~」
「ヤバいかこれ?」
「守道君、印象は大事だよ。第一印象で全体の9割は決まる」
「なんだよそのテスト」
「守道、床屋ちゃうで。美容院や美容院」
「服もちゃんと選んだ方が良いよ」
「ちょっとメモ取るからいっぺんに言うなって」
「ははは」
普段冴えないさすがの俺も、自分の身なりに一抹の不安。
翔馬と数馬、京都駅につき次第2人が買い物に付き合ってくれる事になる。
デートのような、デートじゃないような女の子との約束。
明日の夏祭りはもう目の前に迫っていた。




