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130.「未来予想図」

 御所水商店街の入り口で結城数馬と笑顔で別れる。

 雨が降る6月。

 俺の手には空蝉屋で購入した腹切り饅頭。


 今日の美術Ⅰの授業で、せっかく成瀬が超綺麗な着物着てモデルになってくれたのに、俺の絵心はそれを表現しきれず成瀬を深く傷つけてしまった。


 過去美術部の成瀬の作品を酷評し続けてきた、過去の俺の分も含めてお詫びに伺うことにする。


 女心の分かる結城数馬。

 数馬の話では、女の子へのお詫びを怠ると時間が経つほどに憎悪(ぞうお)が膨らみ、いずれ(わざわ)いとなって我が身に降りかかるらしい。


 女心が分かっていない俺への忠告に身の毛がよだつ。

 早急に追加のお詫びが必要な事案と判断。


 今から成瀬の家に行って、着物を着たモデル成瀬を大変な姿にしてしまった俺の絵心を詫びる。

 結城数馬先生から、女心に関するレクチャーを受けている、プレゼントも準備万端。


 成瀬姫に追加の詫び入れるべく、切腹饅頭を持参する情けない俺。

 本当に腹を切る訳にはいかないので、気持ちを込めたお詫びの品をプレゼントすべく成瀬家へ到着。

 


(ピンポ~ン)

(「は~い」)


 

 この声、成瀬かな?



(ガチャ!)



「よう高木」

「真弓姉さん。成瀬います?」

「まだ帰ってないよ~美術部じゃない?」

「そうですか、じゃあまた来ます」

「上がって待ってなよ、渡したいものあったし」

「渡したいもの?」

「あれあれ。野球部で使ってる会計ソフト」

「ああ、そうでした。欲しいですそれ」



 そうだった。

 この前会計監査で生徒会室に呼び出し受けた帰り、真弓姉さんからパソコン用の会計ソフトをもらう話になっていた。


 成瀬家にあがらせてもらう。

 真弓姉さんの指示でリビングに待機。

 しばらくすると真弓姉さんが2階から降りてくる。


 手にはノートパソコンが持たれていた。

 そのままリビングのコーヒーテーブルの上で真弓姉さんから会計ソフトのレクチャーを受ける事になる。


 スマホも先日入手したばかりの俺。

 予習とバイトでスマホをいじる時間はほとんどない。

 パソコンのソフトの使い方を教えてもらうのは正直助かる。


 真弓姉さんがコーヒーテーブルの上にノートパソコンを置き、ノートを開いた瞬間。



「ああ!?」

「どうした高木?」



 ……俺の視線が釘付けになる。


 ……俺が偶然祇園書店で手にした同じ出版社の同じデザイン。


 ……しかも色が。



「し、白いノート……」

「あれ~これ私のじゃない。ゆいちゃんのかな」

「成瀬のノート?」



 真弓姉さんが2階から持って降りてきたノートパソコンを開くと、そこには白いノートが挟まれていた。

 白い色のノートを見るだけで、俺は心臓が飛び出るほど驚いてしまう。

 

 中学3年生の1月、祇園書店で偶然手にした白い未来ノート。

 瓜二つのデザインに見える。



「ね、姉さんそれ」

「ダメよゆいちゃんのノート勝手に見たら」

「ちょ、ちょっとだけ中を」

「女の子のノートをのぞいちゃいけません」



 真弓姉さんはノートパソコンに挟み込まれていた白いノートを取り上げる。

 ノートの中を見る事はもう無理。


 偶然。

 ただの偶然。

 白いノートなら世の中にたくさんある。


 俺は白いノートというだけで、なんでもかんでも未来ノートに見えてしまう。

 俺が、未来ノートの所持者だから。



「はい高木、ここクリックして」

「は、はい」



 余計な事は考えない事にする。

 あの白いノートはただの偶然。

 パソコン操作に不慣れな俺に、普段は厳しい真弓姉さんが優しくレクチャーしてくれる。


 パンダ研究部の会計担当を申し出ている俺。

 手書きの会計帳簿を覚悟していたが、このソフト1つあれば楽そうだ。



「便利だよこれ~管理も楽だし」

「これ無料ですよね?」

「当然。しっかり働きなさいよ高木~」

「なるほどですね」



 俺の天敵、真弓姉さんが優しくなる時は、決まって何か裏がある。

 このソフトを使って、しっかりパンダ研究部の会計頑張れと言いたいらしい。

 

 パンダ観賞用のモニターまであるパン研。

 無駄にハイスペックな機器が揃う謎の部活。

 部室にいくつかノートパソコンがあるので、部長席以外のパソコンを勝手に使えと指示される。



「来年新しい子が入ったら、ちゃんとあんたが指導しな」

「来年の今頃は僕消えてますよ姉さん」

「え~やっぱり~」

「冗談ですって。勝手にフラグ立てないで下さいよ」

「あはは」



 相変わらず明るい真弓姉さん。

 妹の成瀬結衣とはまったく正反対の性格。

 真弓姉さんは昔からずっとこうだ。



「ところで高木、あんた結城君と仲良かったよね」

「数馬です?ええ、それなりに」

「結城、わたしの事なんか言ってた?」

「なにって……」



 結城数馬の想い人だった真弓姉さん。

 さっき数馬から聞かされた話。

 想いを告げて、フラれたと数馬は話していた。



「やっぱり落ち込んでるか」

「数馬は良いやつなんですから、フラないでやって下さいよ」

「なんだ、色々聞いてるんだ。信用されてるね高木」

「ダチですよダチ。まあお2人の話なんで、俺がとやかく言う事でも無いですけど」

「分かってる~」

「知りませんよ」



 ラフな姉さん。

 どうやら数馬がフラれたのは本当の話のようだ。



「まあ付き合ってあげても良かったんだけどね~」

「なんすかそれ?他にいるんじゃ無かったんですか姉さんの好きな人?」

「高木」

「な、なんすか」



 真弓姉さんにグッと近くまで近づかれる。



「人の話を信用し過ぎ」

「え?」

「噂話は真に受けるな。あんたはいつも真に受けてるから痛い目見るの」

「どういう意味ですそれ?」

「私がいつから彼氏いるわけ?」

「だって数馬が……」

「ああでも言わないと(あきら)めつかないでしょ彼?」



 そこまで言われて初めて気づく。

 当の真弓姉さん本人から、俺は何も話を聞いていなかった。

 勝手に真弓姉さんには好きな人が別にいるものだと、噂話をうのみにしていた事に今さら気づく。



「そういう事です」

「え~」

「噂話を真に受けるな、バカ正直なあんたへの忠告」



 話のレベルが高すぎて、まるで俺はついていけない。

 人の話す事すべてが、真実であるとは限らない。

 バカ正直な俺に、真弓姉さんからの手痛い指導。



『辞めるつもりだよ藤原先生』



 あの言葉すらウソかも知れない?

 赤の他人の右京郁人の言葉をここにきて今さら思い出す。

 俺は、人のいう事をうのみにし過ぎていた気がする。

 俺は当の藤原先生本人に、あの時から今まで直接辞めるなんて話を聞いていない。



「言いたい事も聞きたい事も、直接本人に会って話しな」

「お、おっしゃる通りです」

「分かったなら宜しい」



 俺は周りに左右され過ぎる。

 人の言葉1つで、心が右にも左にもさまよっていた事に今さらながら気づかされる。



(「ただいま~」)



「ほら高木、ゆいちゃん帰ってきたよ」

「は、はい」

「それ、なに渡すつもり?」

「腹切り饅頭です」

「あはは、今度は何したあんた?」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「すまん成瀬、この通り」

「う~」

「あはは」

「お姉ちゃんうるさい」

「ごめんごめん。高木~あんたがうちに来る時はいっつもお詫びばっかりね~」

「そうですよ」



 成瀬家のリビングで追加の詫びを成瀬に入れる。

 俺が成瀬家に来るのは、決まってお詫びにくる事の方が多い。



「あはは、まあまあゆいちゃん。高木も精いっぱい描いたんでしょ?許してあげなって」

「だってあれはヒド過ぎます」

「悪かった。あれに関しては俺が全面的に悪い」

「あれだけじゃありません」

「それもう時効だろ成瀬?」

「う~」



 成瀬の言うあれ。

 やっぱり昔、コンクールの入賞作品ディスった時の話。

 真弓姉さんがお茶を持って成瀬に近づく。



「まあまあゆいちゃん、はい、お茶飲んで」

「どうも」



(ズズッ)



「成瀬、まだあの時の事怒ってんのかよ?」

「怒ってません」



(ズズッ)



 蓮見詩織姉さんじゃあるまいし、成瀬のお茶がどんどん無くなっていく。

 まるで心を落ち着かせるかのごとく。



(ズズッ)



 超怒ってる。

 中学のコンクール入選作品ディスったの、絶対根に持ってる。



(ズズッ)



「今日は俺なりに精いっぱい描いたんだって。全力だったんだよ全力」

「知ってます」



(ズズッ)



 成瀬のお茶がどんどん無くなっていく。



「ゆいちゃん、お茶」

「どうも」



 真弓姉さんがお茶のおかわりを絶え間なく成瀬に供給していく。



「はい高木、あんたもお茶」

「ど、どうも」



(ズズッ)



「熱っつぁ!?」

「高木!?」

「ぷっ」



 真弓姉さんのお茶、超熱いじゃんよ!?

 おっ?

 なんか無表情で怒りに満ちていた成瀬の顔が若干緩む。

 チャンスだ守道。



「な、成瀬。俺、ちゃんとラジオ英会話毎日頑張ってるぞ」

「本当高木君?」

「異世界の聖女の話、水のクリスタルがあるベネチアまで来たぞ」

「大分進んだね高木君」



 良いぞ、何とかごまかせそう。

 表情に優しさが戻ってきた。


 成瀬姫のご機嫌うるわしゅう。

 ここが勝負所。



「ほら成瀬、これ食べてよ」

「なにこれ高木君?」

「腹切り饅頭」

「嬉しい、高木君が買ってきてくれたの?」

「そうそう」



 よしよし、姫のご機嫌が戻ってきた。

 姫のご機嫌メーターがマイナス圏内からプラス圏内に戻ってきた。

 腹切り饅頭の効果で一気に戻る。

 


「成瀬、昔の俺は分からなかったけど、今の俺なら成瀬の絵の良さが分かる気がする」

「本当?だって昔高木君、私の絵、地球外生命体……」

「ウソ!ウソ!あれはウソだって!俺がガキだったから分からなかったんだよ成瀬の良さが」

「そう?じゃあ……私の絵、見る?」

「うっ」



 意外な展開になった。

 美術部の部活から戻ってきたばかりの成瀬が、中学時代の作品を見るかと聞いてきた。


 正直そんなのどうでも……いや、ちょっと待て、思い出せ。

 女心マイスターの結城数馬先生の言葉を思い出すんだ。


 俺は今日ここに成瀬に謝りに来る前に、御所水通りで並んで歩く数馬先生から女心のレクチャーを受けている。


 

『守道君、困った時はとにかく話を合わせて』



「ぜ、ぜひ見たい」

「本当?」



 言っちゃったよ。

 真弓姉さんが俺と成瀬の話をニヤニヤしながら黙って見ている。


 下手な事を言って成瀬に泣かれたら、俺がこの場で真弓姉さんに半殺しにされてしまう。

 別に全然見る気無かったのに、今日美術Ⅰでモデル成瀬を地球外生命体に描いてしまった俺はとにかく姫のご機嫌を取る一手しか残されていない。



「こっち」

「お、おう」



 さすがマイスターの言葉は違う。

 なんかうまくいってる気がする。 


 姫に誘導され、リビングを出て家の2階に上がる。

 廊下には成瀬の描いた絵と思われる風景画がいくつか置かれていた。

 乾燥中かこの子たち?

 作品を一時保管しているらしい。




『守道君、とにかく褒めて』




「す、すごいなこれ。超綺麗じゃん」

「本当?」



 地獄絵図なんて言っちゃダメだ俺、風景画だよ風景画。

 マイスターの数馬に言われた事を思い出せ。



『女の子はとにかく褒められたい生き物なのさ』

『なるほど』



 俺は思いつく限りの誉め言葉を並べる。

 ここで成瀬に泣かれてみろ、1階にいる姉の野獣に俺は食い殺されてしまう。

 成瀬姫のご機嫌うるわしゅう。


 2階に上がると、入った事も無い部屋の前に案内される。

 成瀬の部屋じゃない。

 なんだよこの部屋。



「わたしが描いた絵がここにあるの」

「そ、そうか」



 中学時代3年間美術部だった成瀬画伯の作品集がこの部屋に眠っているらしい。

 ちょっと待て。

 ここに。

 まさかここに。

 あるのかよ全部、成瀬が描いた作品が。



「本当に見る?」

「うっ……ぜ、ぜひ」



 成瀬姫の顔が笑顔になる。

 大丈夫かこの部屋?

 なんか開けたらここ、凄くヤバい部屋な気がする。



「開けるね」

「お、おう」





(ガラガラ~)





「はあぁぁぁぁ」

「高木君?」





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





 成瀬の家の玄関。

 俺は今、精も根も尽き果てる。



「じゃあね高木君」

「お、おう。じゃあな成瀬」

「今日は来てくれて嬉しかったよ」



 明日からガン無視されていたかも知れない幼なじみに笑顔が戻る。

 女の子を笑顔にするのは、とても努力が必要だと強く感じた。

 隣で笑う姉の成瀬真弓姉さん。

 妹への粗相のない対応にご満悦の様子。



「じゃあね高木、あんた頑張んなさいよ」

「何をです姉さん?」

「勉強よ勉強。来年さっさとS2クラス卒業して、S1のゆいちゃん迎えに来て欲しいわね」

「総合普通科降格の間違いでしょそれ?無理言わないで下さいよ」

「あはは、冗談よ冗談」



 成瀬も笑う真弓姉さんの冗談。

 S1クラス昇格は、S2クラスの上位2位までの総合成績が必須条件。

 今の俺には、とても届かない高い壁。


 成瀬家を後にして、自宅アパートまで戻って来る。

 疲れた。

 姫のお詫びに神経をすり減らした、疲労感半端ない。

 俺、女の子と付き合うとか絶対ムリ。


 とにかくお詫びを今日中に終わらせた。

 成瀬には5月の中間テスト前に勉強会に付き合ってもらった恩義もある。

 昔からの幼なじみ、むげにはできない。



(トン・トン・トン・トン)



 外階段を上がる時、トントンと歩く音がする。

 うちのアパートは今年築35年を超えるボロアパート。

 2階にあるこのアパートで、俺は生まれた時からずっとここで時を過ごしている。



(トントントン)



 ん?

 家に誰かいる?

 俺の自宅アパートの合鍵を持っているのは、妹の紫穂だけ。

 台所の換気扇が回ってる。

 どうやら紫穂がまた家に寄ってくれたようだ。


 たまにきては、勝手に掃除やら洗濯されてる事がある。



「ただいま~」

「お帰りなさい守道さん」

「詩織姉さん!?」



 ウソだろ。

 詩織姉さんが俺のアパートに来るのは初めての事。

 どうやって入った?

 そうか、紫穂が持ってる合鍵。



「ごめんなさい、勝手に入ったりして」

「いえ、姉さんですから」

「ごめんなさい」



 謝られる。

 制服姿の姉さん、台所に立ってお玉を持ってる。

 料理を作ってくれてた?

 なんで、どうして。


 部屋に入り、カバンを置く。

 いつも勉強している机に、学校から持って帰った荷物を出す。


 詩織姉さんは台所に立って料理を続けている。

 この家には俺しか住んでいない。

 ここで料理を作るという事は、そういう事。


 しばらくするとまな板の音がしなくなる。

 料理が終わったのか、机で勉強していた俺に詩織姉さんから声がかかる。



「守道さん、良いかしら?」

「は、はい」



 詩織姉さんと話すのは気まずい。

 ついこの間、生徒会室で以前会計担当をしていた姉さんの過去の会計監査を批判してしまっていたからだ。


 畳の居間に詩織姉さんと向かい合って座る。

 姉さんは正座、とても姿勢が良い。



「詩織姉さん、その……」

「ごめんなさい、今まで隠してて」

「いえ、俺も聞きませんでしたし」

「ごめんなさい」



 詩織姉さんが謝ってくる。

 隠してたというのは、生徒会の話に違いない。



「生意気な事言ってすいませんでした」

「いいえ、あなたの意見は立派だったわ」

「恥ずかしいのはうちの部の方ですよ」



 正直うちの部の会計はいい加減。

 これからは俺がちゃんとする。

 むしろ被害者なのは生徒会の方だとすら感じる。

 

 蓮見詩織姉さんは本当に生徒会副会長なのだろう。

 詩織姉さんに迷惑をかけてしまい、パン研の一員として申し訳なく感じる。


 別に姉さんが副会長だろうが、俺の姉さんには変わりない。

 むしろ最近、俺と会わなくなっていたのは生徒会の副会長である事がなにか関係があったのかもしれない。



「守道さん、大事なお話」

「ええ、おっしゃられてましたね」

「これを」

「ああ!?」

「守道さん?」



 俺の視線が釘付けになる。

 俺が偶然祇園書店で手にした同じ出版社の同じデザイン。

 心臓がバクバク鼓動する。



「し、白いノート」

「白がどうかしたの?」

「い、いえ。なんでもありません……」


 

 今日、白いノートを見るのは2冊目になる。

 俺はもう病気だ。

 白ければなんでも未来ノートに見えてしまう。

 姉さんが自分のカバンから、白いノートを取り出し、俺に開いて見せてくる。


 向かい合う姉さんが、畳の居間にある小さな机の上に白いノートを広げる。

 そのノートには……何かの順位のようなものが記載されていた。




――――――――――――


4月学力テスト


S2クラス 1位  結城数馬 438点

S2クラス 2位  岬れな  412点

       ・

       ・

       ・

S2クラス 最下位 高木守道 140点 赤点


――――――――――――





「あ、あの。詩織姉さんこれって」

「4月の学力テスト、私が控えてた守道さんのクラスの全員の点数」



 恥ずかしい。

 S2クラスで最下位、平均点にすら届かず赤点を取った時の点数。

 前5科目、500点満点のテスト。

 しかも詩織姉さん、俺のいるS2クラス全員分の点数をノートに控えていた。


 校舎前に張り出された点数は撮影禁止。

 生徒会の詩織姉さん、真面目にそのルールを律儀に守り、メモをしたのか直接書いたのか、全員分の点数をノートに記録していたようだ。



「守道さん、次」

「これって、中間テストの点数も」




――――――――――――


5月中間テスト


S2クラス 1位  結城数馬 814点

S2クラス 2位  岬れな  766点

       ・

       ・

       ・

S2クラス 最下位 高木守道 590点


――――――――――――





「詩織姉さん、なんでS1やSAの生徒が入ってないんですか?」

「わたしが知りたいのは守道さんのクラスだけだったから」



 いつも必要な事しか話さない詩織姉さん。

 分かるようで分からない話。


 ただ事実として、この白いノートには俺のいるS2クラスの生徒全員の氏名とテストの点数が控えられている。

 詩織姉さんは、S1クラスとSAクラスの特別進学部の生徒が混ざった順位は知る必要が無いと言っている。


 知りたいのは。

 俺のいるS2クラスの生徒の順位。


 1位から90位まで混ざって掲示されていたテストの点数が、詩織姉さんの綺麗な字でS2クラスの順位だけ抽出されて順位が表示されている。



「守道さん、宿題や課題は出してますか?」

「友達に手伝ってもらってますが、ちゃんと出せてます」

「そう、良かった」



 特別進学部の制度。

 2年生に上がる時に、S2クラスの下位2位は自動的に総合普通科へ降格。



「まだ間に合うわ」

「えっ?なんの話です?」

「S1へ昇格」

「ははっ姉さん、一体何を言って……」



 詩織姉さんが正座をしたまま、俺を直視する。

 力強いまなざし、とてもまじめな視線。

 冗談を言ってはいない、本気の視線。



「これを見て」

「これって……」



 白いノートの次のページをめくる詩織姉さん。

 そこには、俺が1年生の間に受けるべきテストがすべて記載されていた。


 今は6月、来月7月にさっそく行われる期末テスト。

 そして秋にある2学期10月の中間テスト。

 12月に期末テストがあり、来年3月に学年末の最後の期末テスト、3学期に中間テストは存在しない。

 残り4つの大きなテスト。



「全部で5500点満点」

「5500って、姉さんちょっと待って下さい」

「小テストも課題もしっかりこなして」

「詩織姉さん、俺赤点取らないだけで精一杯なんですって」

「聞いて守道さん!」

「姉さん!?」



 突然両手で俺の手を握ってくる詩織姉さん。

 姉さんの両手は、とても冷たくて、とても柔らかく胸がドキリとさせられる。



「下を見てはダメ」

「赤点取らないだけで本当精一杯なんです」

「上を目指して。あなたなら上がれる、私も応援します」

「上ってまさか、S1クラスの昇格条件満たせって言ってます?」

「見て」



 詩織姉さんがノートに視線を移す。



「今S2クラスで1位の結城数馬君が1252点」

「……はい」

「2位の岬れなさんが1160点」


 

 姉さんが計算式をすでにノートに書きこんでいた。

 4月の学力テスト、5月の中間テストの俺の合計点数は、140点たす590点、合計730点。


 この2カ月の大きなテストの2つだけで、S2トップの結城数馬と、実に522点もの差がついていた。

 1位が数馬で、2位が岬という事実も今さら把握する。


 校舎に張り出された掲示板。

 結果ボードの下ばかり見ていた俺は、上の順位の人間をまったく把握していなかった。



「戦いましょう」

「えっ?はは、姉さん、一体何と戦うって……」

「私と一緒に、あなたなら大丈夫」

「姉さん、俺には……ひっ」



 詩織姉さんに両手で手を引っ張られる。

 倒された俺の体は横になり、地面の畳につくはずの俺の頭は畳の地面にはつく事は無かった。


 仰向あおむけの体。


 頭の後ろに、やわらかい感触。


 この世で一番柔らかい枕。


 視線の先にあるはずの家の天井は、詩織姉さんの優しい顔で隠れて見えない。



「戦えますか?」

「友達なんです2人とも。数馬も岬も、俺よりS1クラスにふさわしい生徒だと思います」

「戦えますか?」

「ダメだと思います。今のままの俺じゃあ絶対に」

「戦えますか?」

「……はい」



 詩織姉さんの言う事は、問答無用ですべてイエス。

 姉さんの膝枕の上で、俺は戦う事を強要される。

 この人には絶対に、逆らえない。


 詩織姉さんは、S1クラス昇格条件をこれから満たせと俺に迫る。

 戦いなんて大それた言葉。

 ただの勉強、されど勉強。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「姉さん、もう良いですよ」

「ご褒美」

「これがです?」

「嫌?」

「最高です」



 詩織姉さんの膝枕は、殺人的な柔らかさで意識が吹き飛びそうになる。

 この人は俺の本当の姉さんになる人。

 ただの家族。

 分かってる、分かってるんだけど。


 詩織姉さんに言われて気づく。

 英語能力検定4級のご褒美が、どうやら今の状況らしい。

 いくらお金を出しても買えない、詩織姉さんの膝枕。



「耳かきとか、母さんにしてもらって以来です」

「ごめんなさい私なんかで」



 もうすぐ夕方になる。

 詩織姉さんと2人きりの静かな時間がただ流れる。


 この人に出会ってから俺は、身の丈を遥かに超える高校に入学して。

 今まで経験した事の無い人生を、今こうして歩んでいる。



「とても苦しいかも知れません」

「分かってます、頑張ります」

「来月の期末テストは10科目で1000点満点」

「はい」

「少なくとも合計で800点以上」

「8割!?マジっすか!?」

「こら」

「すいません……」



 来月7月の期末テスト。

 詩織姉さんからの衝撃的な目標。


 不意に。

 姉さんの膝枕中、頭を優しく撫でられる。

 耳かきが終わり、仰向けになり上を見上げる。


 詩織姉さんは、笑顔で俺の顔をのぞき込む。



「上だけを向いて」

「向いてます」

「待ってます、あなたが来るのを」

「2年生の詩織姉さんがですか?」



 意味が分からない。

 どうして1歳年上の詩織姉さんが、S1クラスを目指せと、待っているなんてどうして俺に言い始める?



「上だけを向いて」

「向きました」

「いつまでも待ってます、あなたが来るのを」




(トン・トン・トン・トン)



 ん?

 アパートの階段を上がる外からの音。

 2階の隣に住んでいた外国人は最近どこかへ引っ越したはず。



(ガチャ!)



「お兄ちゃん、詩織お姉ちゃんこっちに来て……キャーーーーー!」

「あ」

「あ」

「わ、わ、わ、わたし、帰りまーーーーす!」

「ちょっと待て紫穂!!」



 詩織姉さんが持ってきた白いノートがヒラヒラとめくれる。


 蓮見詩織姉さんの未来予想図。


 その白いノートには、次の来月7月の期末テストで、俺が10科目1000点満点のテストで800点以上を得点する、詩織姉さんの綺麗な字が書きこまれていた。

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