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126.「パンダ研究部新入部員歓迎会(後編)」

 王子動物園はまもなく開園する。

 開園の列に並ぶパンダ研究部のメンバー6人。


 3年生の南部長。

 1年生S1クラスの神宮寺、S2クラス女子の岬と末摘さん。

 最後にS2男子の結城数馬と俺。


 顧問の姿はどこにもない。

 御所水流先生はただの名義貸し幽霊顧問。

 美術部で忙しい先生が王子動物園にくるはずもなく。



「皆さん~まもなく開園です~」

「は~い」



 すべて南部長による、南部長のための部活。

 謎のパンダリサーチクラブ。

 列に並びながら、岬と末摘さんがS2クラス筆頭のイケメン男子、結城数馬と仲良く会話している。



「あんた神奈川出身なんだ」

「そうだよ岬さん」

「結城君はここ来た事あるの?」

「神戸は僕も初めてだよ」


 

 入園待ちでテンションが上がっているのか、岬も含めてみんなおしゃべりに夢中。

 王子動物園で行われているパンダ研究部、新入部員歓迎会。


 みんながパンダ話で盛り上がる中、俺は順番待ち中に詩織姉さんの紫色のスマホを使ってラジオ英会話を聞く。



「はい皆さん、注目~」

「は~い」

 


 今朝から初めて頼りになると感じている、3年生の南夕子部長が声を出す。



「皆さんに入園チケット渡します~」

「は~い」



 部長がちゃんと部活を仕切っている。

 パンダの事になると真面目な部長の一面。

 意外に面倒見が良いと感じる。



「はい高木君」

「ありがとうございます。数馬のチケット俺が一緒に出すんで2つもらいますね部長」

「はいどうぞ~」

「すまない守道君」

「俺はお前の右腕だからな数馬」

 


 数馬が来たいと言ったから俺も参加を決めた。

 予習も大事だが、勉強する事以上に大切なものがある。


 入園間近。

 一度英会話レッスンを中止する。

 スマホに付けていたイヤホンを耳から外していると、列に並んでいた神宮司が声をかけてくる。



「シュドウ君のスマホ、紫色なんだね」

「ああ。そうだけど」

「あげる」

「何をだよ」

「スマホ、出して」

「スマホ?」



 神宮司がスマホを出せと言ってくる。

 何やらスマホを操作。

 俺のスマホに怪しいデータが送られてくる。



「これって……源氏物語か?」

「そだよ」



 スマホの通信で、神宮寺のスマホから源氏物語関連と思われる待ち受け画面のデータが送られてくる。



「シュドウ君は紫の上好きでしょ?」

「俺がさも好きみたいに言うなって」

「でも好きなんでしょ?」

「ああそうだよ」



 神宮司が送ってきたデータは 今風に表現された源氏物語のキャラクターたち。



「これね、ここ押して」

「どこ?」

「ここ」



 スマホを持ってまだ間もない俺。

 スマホの設定していなかったので、初期設定から変更、神宮司にもらった紫の上を待受画面に設定する。



「なるほどな、これで画面変えられるのか」

「そだよ」

「って、なんで紫の上にしてんだよ」

「好きなんでしょ紫の上?」

「だから俺がさも好きみたいに言うなって」



 すっかり源氏物語の読み友になってしまった俺。

 俺の推しメン、紫の上はスマホの待ち受け画面で光源氏が向かえにくるのを今か今かと待っている。



(ピンポンパンポ~ン)

(「本日は御来園いただき誠にありがとうございます~」)



 そうこうしていると王子動物園の開園時間になる。

 順番待ちをしていた列が進み始める。

 スマホの設定はそのままで、慌ててポケットにしまい込む。


 一斉に園内に入っていく大衆とは別に、パンダ待ちの列は少しずつ前へ進み始める。

 さしてパンダにあまり興味がない俺だが、列が進むと少しずつ高揚感が湧いてくる。



(「いよいよだね~」)

(「タンタン楽しみ~」)



 パンダの列に順番待ちの誰もがハイテンション。

 国民的動物、動物園のアイドル、タンタン。

 日本人はみんな、パンダが好きなようだ。



「キャー」

「タンタン可愛いー」



 列の先から女子のかん高い声が響く。

 列がドンドン進んで行く。

 何をそんなに興奮して。



『超かわいい』



「キャー」

「動いてる~」



 ジャイアントパンダコーナーに到着。

 至近距離にパンダが一頭。

 さすがの俺も大興奮。


 バンダはどっしりお尻を地につけ、笹の葉を両手にむしゃむしゃ食べている。

 フラッシュ無しの撮影も大丈夫なようで、ガラス越しに至近距離でパンダの雄姿を眺められる。


 入園口から進み、パンダのエリアで列が2列に別れる。

 1列目の観覧者の後ろ、2列目の観覧者は一段高い階段を上がり視線を遮られずパンダを観賞できる。

 うちの部の女子4人は1列目を進み、俺と数馬は2列目からパンダを眺める。



「良いね~」

「だな」



 もうこれだけで大満足。

 パンダは座ったまま、くっちゃくっちゃと笹の葉を食べるだけ。

 もう何やっても可愛い。

 パンダは存在するだけで大スター。


 あの巨体を竹や笹だけで維持するためには一日中食べ続けないといけないはず。


 エサには困らないだろうが、赤ちゃんができたかできてないか、毎日全国ニュースに流れる彼らが本当に幸せなのかどうか俺には分からない。

 


「時間になりましたので、前の方からお進み下さい」



 王子動物園の職員から誘導の掛け声。

 前に進むとパンダが間近に見られたエリアから外に出る。

 南部長が名残惜しそうに、愛しの彼氏に別れを告げる。


 朝一番から並んで先ほどの特別エリアを堪能できた。

 俺の感動は微妙だが、女子3人の興奮ぶりは半端ない。

 

 今度は列に並ばなくてもパンダが見られるゾーンに出てきた。

 始めからここに来ても俺は良いのだが、パンダを一列目の至近距離から観察できたうちの女子たちの笑顔を見て、野暮な事は言うまいと心に誓う。



「11時からモグモグタイムだから、この最前列を確保しましょう」

「嘘でしょ部長。まだあと2時間もありますよ?竹とか今すでにむしゃむしゃ食べてますって」

「この後モグモグタイムでタンタンの大好きなリンゴが出るの。1日で1番活発に動くの」



 まさかのモグモグタイム2時間待ち。

 ただの場所取りなら……ゆっくり勉強もできそうだ。



「俺ここ確保してますよ部長。良かったらみんなで他見てきて下さい」

「高木君は?」

「勉強してます」



 観賞席が何段も横一列に並ぶ。

 うちの部員のカバンを置いて席を確保。

 一番前の席は小さい子専用らしく、2列目に2時間前から座る。



「守道君は良いのかい?」

「パンダで十分、俺キリン見てる余裕無いって数馬。守護神だからここキープしとくよ」



 ゴールキーパー守道はここでモグモグタイムの最前列をキープする。

 途中で止めたラジオ英会話の続きが出来て俺は好都合。


 まさか王子動物園で勉強する事になるとは夢にも思わなかった。

 今日は日曜日。

 太陽たちのいる野球部は、今頃どこかで練習をしているはず。


 実は今日の夜、太陽と会う約束をしている。

 男同士の話をする時は、決まって太陽の家の近くにある公園。

 楓先輩との現在地を今日は根掘り葉掘り聞いてやろう。



『私を甲子園に連れて行きなさい』



 恋愛経験値ゼロの俺には、楓先輩の言ったあの言葉の意味が理解し切れなかった。

 ただ1つ確かな事は、太陽は楓先輩を甲子園に連れて行くしか無くなった。

 太陽が野球の練習を再開したのは、楓先輩のおかげ。


 そして野球を少しお休みしている、別の友が俺のそばにやってきた。

 


「じゃあ守道君。僕はちょっと虎を見てくる」

「千里言って千里帰るって言いたいんだろ?」

「すぐ戻るよ守道君」

「それじゃあ勉強になんないだろ?ゆっくりしてこいよ数馬」

「ははっ、分かったよ。帰りの電車ではぜひ僕と日本史を語り合おうじゃないか」

「それはぜひ頼む」


 

 これから南部長の王子動物園観覧ツアーが始まるようだ。

 女子たちの輪に入っていく数馬の背中を見送る。


 ようやく落ち着き、座って勉強できる。

 6月、梅雨の合間。

 昨日と今日は天候に恵まれた。

 明日月曜日はまた雨の予報、今日はこのまま天気が持ちそうだ。


 風が心地よい。

 外で勉強するのも悪くない。


 俺の前にいる檻の中のパンダ。

 この後この子が活発に動き始めるらしい。


 1人になったのでカバンの中からおもむろに相棒を取り出す。

 藍色の未来ノートのチェックは毎日行う。

 1ページ目を開く。

 未来の問題は……何も映し出されていない。


 勉強しろ、本を読め。

 相棒は無言のメッセージを俺に語り掛けている気がする。


 問題も答えも載っていない未来ノート。

 気まぐれな相棒。

 ノートを閉じカバンに戻し、ラジオ英会話のテキストを取り出す。


 中学時代の自分を振り返る。

 自分の勉強時間が大幅に長くなっている事実。



「あははは」

「ふふふ」



 見知らぬ人たちが動物園のパンダに夢中。

 俺の心は未来のテストへの焦りで常に不安に駆られている。


 割り切って楽しめない事情。

 それは、俺が頭が悪いから。


 中学時代は勉強をサボりにサボり続けた。

 そのツケを今まさに払わされている気持ちになる。


 太陽と成瀬。

 俺の幼なじみ。

 中学3年間、ずっと毎日勉強し続けてきたであろう2人。


 2人が勉強を続けていた横で、俺は勉強をサボり続けた。

 俺は今、2人の背中を追い始めたばかり。


 特別進学部、S2クラスで一番成績の悪い俺。

 ラジオ英会話の今日のレッスンを聴き終わり、ホッとする自分。

 勉強をする事で安心感を得られる。



「アホ面」

「なんだよ岬。もう帰ってきたのか?」



 気づけばパン研のみんなが、俺が待っていたパンダの観覧席に戻ってきた。

 手には売店で売られているであろうサンドイッチやポテトが持たれていた。



「後輩君お疲れ様。これ食べて」

「良いんですか部長?」

「シュドウ君、モグモグタイムだよ」

「俺はパンダじゃないって」

「ふふふ」



 少し早いお昼ご飯。

 パンダを見ながらモグモグして、この後のパンダのモグモグタイムに備えるらしい。



「虎いたか数馬?」

「レッサーパンダを見てきたよ」



 すぐ戻ってきたあたり、みんな千里も先には行かなかったようだ。

 パンダが気になったのか、俺が1人でいたからか。



「食べようか守道君」

「ペットボトル開けてやるよ数馬」

「すまない」



 つい先日グラウンドで走り回っていた数馬と王子動物園で食事をする。

 パンダに興味がない事もないが、気心の知れた仲間と集うのは悪くない1日。

 

 想像していたのとは大分違う部活動。

 パンダを前に楽しそうにおしゃべりしている女子4人の姿を見て、この部活で活動している事もまんざらでもない……そんな気持ちにさせられる。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「南先輩、いつまでパンダの観察続けるつもりですか?」

「閉園まであと3時間しかないか……」

「マジかこの人……岬、お前も部長に何か言ってやれって」

「私もう少しパンダ見てく」

「嘘だろ岬」



 モグモグタイムはとっくに終了。

 先輩と岬はパンダの前から一向に離れる気配を見せない。

 どんだけパンダ好きなんだよこの2人。



「シュドウ君、私早く美術館行きたい」

「なんの話だよ」

「鳥獣戯画展」

「マジか」



 思い出した。

 そういえば今朝、駅前で楓先輩からお願いされてた。



『守道君、お願いがあるの』

『お願い……はっ!?ちょっと先輩、嫌ですよ俺』



「お前一人で……行かせたら二度と帰ってこないな」



『葵ちゃん……すぐ迷子になっちゃうの』

『そんな切なそうに言わないで下さいよ楓先輩』



「後輩君。葵ちゃんすぐ迷子になるからちゃんと付いててあげて」

「そんなフラグ立てないで下さいよ部長」



 パンダ以外に目的のあった神宮司。

 この王子動物園に隣接する美術館では、神宮司が見たがっていた特別展の展示をしている。



「守道君は美術館に行くのかい?」

「行かないよ数馬」

「行かないのシュドウ君?」

「うっ」

「ははっ。末摘さん、僕と一緒にフラミンゴ見に行かない?」

「えっ!?う、うん、見に行く」



 突然、数馬が末摘さんをフラミンゴ観察に誘い出す。

 末摘さんは同調。

 この2人、さすがにあと3時間もパンダは見てられないといった様子。



「シュドウ君、今日で終わっちゃうの」

「うっ」



 パンダ3時間に耐えられない源氏の少女がもう1人。

 この子には行きの電車で、散々古文のレクチャーを受けていた。

 勉強教えてもらっといて、俺はお前には付き合わないとは言いずらい。



「じゃあ17時前に入口で集合しましょう」



 閉園時間になったら南先輩と岬とは入口で待ち合わせる事にした。

 グループが3つに分かれる。

 自由過ぎるパン研。



「じゃあ守道君、そちらのお姫様は頼んだよ」

「マジか数馬、お前らも美術館一緒に」

「では、行こうか末摘さん」

「う、うん」



 イケメンボーイがクラスの女子を連れてキリンツアーに消えて行った。

 南部長と岬はパンダに首ったけ。

 もう完全にあっちの世界の住人になってしまった。



「シュドウ君、チケット今日までなの」

「なんで今日まで姉ちゃんと一緒に見に来なかったんだよ」

「お姉ちゃんもお父様も忙しいから。葵我慢してたの」

「我慢?」



 この子の言ってる事はよく分からない。

 パパの事情は知らないが、楓先輩は野球部のマネージャー。


 今朝になって楓先輩からも妹の事は頼まれている。

 迷子になられても面倒なので、仕方なく連れて行く事にする。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




 


「シュドウ君早く、終わっちゃう」

「焦らなくても大丈夫だって」



 

 今朝から特別展を早く見に行きたいのを我慢していたのか、美術館に向かって俺の手を引っ張る神宮司。

 この子は容姿に比して、本当に子供っぽさをとても感じる。

 この様子だと鳥獣戯画の展示をかなり楽しみにしていたはず。


 特別展の最終日まで見に来なかったのは本当らしい。

 彼女が俺の手を引っ張る力強さがそれを物語る。

 見たいのに我慢していた神宮司。


 見に来たいならそう家族に言えば良いと思うのだが、彼女の家の事情は俺にはよく分からない。

 彼女1人で都内まで来る事は無いはず。

 単にお姉さんとの都合が合わなかっただけかも知れない。


 理由は分からないが、楓先輩にも今日はこの子の事を任されている。

 俺は彼女に付き合って展示を見て、王子動物園まで送り届ける。

 俺の古文の勉強にも散々付き合ってもらった恩を返す事にする。


 王子動物園を出て隣接する藤原美術館へと向かう。

 立派な美術館。


 特別展の鳥獣戯画展は今日でおしまい。

 来週から古代エジプト展が開かれるらしい。



「シュドウ君どうしたの?」

「え?いや、なんでもないって」

「こっちの方が好き?」

「別に嫌いじゃないよ」

「一緒にまた来る?」

「来ないよ。勉強しないといけないからな」

「ふ~ん……そっか」



 毎日遊んでいては、あっという間に来月7月の期末テストを迎えてしまう。



「シュドウ君お勉強ばっかり」

「俺には余裕がまったく無いからな」

「ふ~ん……ふ~ん」

「ふんふん言ってないで、行くんだろ特別展」

「うん、行きたい」



 神宮司に言われてふと気づく。

 俺、女の子の誘いを断ってる?

 しょうがないだろ、勉強しないとテストで良い点取れないんだから。

 俺にはまったく余裕なんて無いんだからな。


 美術館、特別展示場。

 企画展の最終日である今日。

 鳥獣戯画展はたくさんの人で溢れていた。



「凄い~」

「神宮司、あんまり離れるなよ」

「うん。わ~」



 展示場内は薄暗く、ライトアップされた展示物が幻想的に展示されている。

 メインの展示物である平安時代の鳥獣戯画は、天井まで届く大きなガラスのケースに入る。

 進路に従って進みながら見る。


 大昔に作られた漫画と言えるだろうか?

 ウサギやカエルが擬人化されて、狩りに出たり食事をしている。



「あのカエル、シュドウ君にそっくりだよ」

「あのビックリした顔のやつ?」

「マジかって言ってるよ」

「マジか」

 


 エサを盗まれたのか、鳥獣戯画のカエルが驚いた表情を浮かべる。

 今日の神宮寺は終始ご機嫌。

 笑顔一杯で展示物を眺める。



「これ漢文だよシュドウ君」

「お前読めるのかこれ?」

「ちょっとだけ」

「マジか」



 色々な展示物が混じる特別展。

 漢文……授業にも出てくる科目の1つ。

 中学校の国語と違い、高校では古文と漢文、そして現代文へと科目は派生する。


 漢文を勉強した事があるかのような言い方。

 というか、予習したんだろう。

 俺が中学3年間遊んでいる時に、この子はすでに勉強していたのかも知れない。

 そう、古文だってきっと。


 今目の前にある授業の科目しか勉強していない俺と違い、この子は俺が平安高校入学時点ですでに古文をマスターしていた。

 興味のあるものは何でも調べるし、テスト範囲でない科目もすでに勉強している。

 俺がS2クラスの毎日の授業で四苦八苦している隣、S1クラスにいるこの子は完璧な予習をこなして余裕をもって授業、そしてテストを迎えているに違いない。


 以前地球儀を見て首都の名前を調べた事があると言っていた神宮寺。

 結果彼女はテストで正しい解答を導く。

 

 彼女は俺の何周も先を進んだ勉強をこなしてきた同級生。

 俺が中学3年間勉強をしてこなかった裏で、毎日毎日勉強をこなし、必修科目でもない古文の勉強をすでに始めていたに違いない。


 S1クラスの生徒とは、完璧な予習をこなす生徒を指すのかも知れない。

 S1クラスとS2クラスの生徒の差をあらためて痛感する。


 少し離れたところを歩く彼女の背中。

 彼女の背中が、とても遠くに感じる。


 ふと。

 ある展示スぺースで立ち止まる神宮司。



「見て見てシュドウ君。凄い凄いよ」

「源氏物語絵巻……マジか」



 特別展の鳥獣戯画の一角に、まさかの源氏物語絵巻のコーナーが設けられていた。

 日本の四大絵巻と関連した展示。

 どちらも平安時代の作品らしい。

 規模感がまったく違う、地元にはない美術館の特別展。


 源氏物語絵巻の大きな大きな展示。

 レプリカなのか本物か。

 俺にはよく分からない。


 著した平安時代の紫式部。

 1000年前にこの光景を思い浮かべて小説として記した。

 その壮大な歴史の深さに、さすがに俺も感動する。



「ここから源氏物語の第1巻だな」

「そうだねそうだね」

「興奮するなって」



 大好きな源氏物語を発見し、テンションが最高調に上がる神宮寺。

 源氏物語絵巻には、俺が読んだ古典の風景が描かれていた。

 

 弓を装備した兵士の姿も見える。

 2頭の馬を連れる2人の兵士の姿。

 この辺はさっき見た鳥獣戯画のウサギたちに共通するものを感じる。


 平安時代の建物、中には十二単を着た女性たちの姿。

 十二単は様々な色が浮かび上がっている。



「シュドウ君知ってる?装束の色の違い」

「色?なんか違うのか色で?」

「紫色が一番凄いの」

「ふ~ん。数馬がそんな事昔言ってたな」



 服の色で紫色が最も高貴な身分だった時代があったらしい。

 いつしか結城数馬が言っていた話を思い出す。

 嘘か本当か、俺には分からない。



「男の子はね」

「男?男は着ないだろ十二単?」

「違うよ。太陽が一番輝く時の色が黄櫨染(こうろぜん)で、一番偉い男の人しか着られないの」

「どんな人が着るんだよそれ」

「う~ん……桐壺帝(きりつぼてい)?」

「光源氏の父ちゃんか」

「うん」



 桐壺帝(きりつぼてい)

 源氏物語、平安時代、始まりの(みかど)


 (みかど)の愛した妻、桐壺(きりつぼ)は物語が始まってすぐに他界する。

 幼い息子、光源氏を残して。


 ……あれ。

 どこ行った神宮寺?


 ちょっと目を放した隙に俺の視界からいなくなる。

 夢中で勝手に歩き回るから、まったくあいつは。


 ……いた。

 何かの絵巻の前でジっと絵を見ている。


 ふいに彼女が振り向く。


 彼女の小さな顔と白い肌が薄暗い展示室で際立って見えドキリとさせられる。

 後ろに見える絵巻に、十二単を着た女性の姿が描かれている。


 藍色の十二単を見にまとう、源氏物語絵巻の女性。

 その姿に、神宮司の姿が一瞬重なる。



「シュドウ君?」

「お、おう」

「迎えに来てくれたの?」

「そうだよ。お前すぐ迷子になるんだから離れるなよ」

「うん、分かった」



 そう言うと神宮寺は俺の服の袖を掴んできた。



「掴むなよ」

「離れるなって言った」

「ああそうだよ。変なやつだな」

「えへへ」



 残りの展示物を見る間、終始彼女は俺から離れる事はなかった。

 日曜日にパンダを見に来て、なぜこの子と2人きりになったのか未だにまったく分からない。


 展示物を見終わる頃には時間は16時を回っていた。

 集合時間の17時まで、残り1時間。


 展示場の最後。

 お土産コーナーの隣に記念撮影のエリア。

 撮影用の着物までご丁寧に用意されている。



十二単(じゅうにひとえ)

「そうだな」

「えへへ」

「まさか着る気か?」

「ちょっと待ってね」



 展示場最後の記念撮影場所。

 撮影用であろう十二単を着始める神宮司。

 今さら引き留められない。 


 青でもない、紫色でもない。

 藍色の十二単を着た神宮司葵。


 彼女の白い肌に着物が恐ろしいほどよく似合う。

 楓お姉さんに良く似て、この子は間違いなく美人の女の子だ。


 当然カメラマンは俺しかいない。

 十二単を身に纏う彼女を撮影するため、スマホを彼女に向けて撮影を始める。


 顎を引いてジッとこちらを見つめられる。

 とても気恥ずかしい気持ちになる。


 単に展示物を見に来るものだとばかり思っていた。

 本当に何をやってるんだ俺は?


 彼女の大きな瞳がスマホを通して俺に向けられる。

 あまりに美しいその姿に、胸がとてもドキドキする。


 ここまで見たどの展示物よりも刺激的な光景。

 今日この時、この瞬間が、俺の貴重な思い出の1ページになりそうだ。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「後輩君、こっちこっち」



 夕方17時。

 王子動物園閉園時間まで結局バンダの観察を続けた南先輩と岬の2人。

 数馬はちゃっかり末摘さんとおデート。

 末摘さんは眼鏡越しに恥ずかしそうな表情を浮かべる。


 王子動物園の入り口前にあるお土産物を売る店を物色しながら待っていた4人に合流。

 数馬が俺にどうだったのかと聞いてくるが、俺は源氏物語だったとアバウトに答える。


 パン研の女子のグループに神宮寺も混じり、女子たちがキリンやバンダのお土産を見ている。

 中には明らかに王子動物園と関係ない、ゴリラの鼻くそや豚のヒズメも混ざっている。



「では今年度のパン研部員共通ストラップをここで買います」

「わ~い」

「ちょっと先輩。金どうするんですか?」

「もちろん部費から出すわよ」

「まだあるんですか部費?」

「部費」



 先輩の話では、部員の数に応じた活動費が毎年このパンダ研究部に付与されるらしい。

 数馬を是々非々でも部員に勧誘した南部長のダークサイド。

 数馬の加入で、部費は確実に増えたはず。



「このパンダストラップに決定しま~す」

「わ~い」



 部長の独断で全員分のパンダストラップが部費で購入される。

 ストラップと化した小さなバンダはどっしり座り、両手に持つ竹をむしゃむしゃ食べている。


 幽霊部員の真弓姉さんと楓先輩の分まで購入する部長。

 スマホに良し、カバンに良し。

 これで校内でも一発でパン研部員とバレてしまう。


「先輩。そう言えば王子動物園の年間パス持ってましたよね。あれって」

「部費だよ」

「昼間のポテトは?」

「部費。おごるわけないでしょ私が?」



 先輩がこの部をあんなに必死になって守ろうとした理由が段々と分かってきた。

 完全に私物化されたこのパン研は、早々に廃部になった方がこの学校のためかも知れない。



「今日は最後にメリーゴーランド乗って帰りま~す」

「わ~い」

「わ~いじゃないだろ、岬お前も何とか言えって」

「私は別に」

「良いのかよ」



 夕日に空が赤く染まる。

 女子たちに無理やり馬に乗せられる数馬と俺。

 顧問が同伴しない、部長がやりたい放題のパン研新入部員歓迎会。

 俺も部費を使い込んだ共犯者にされる。


 普段無表情な事が多い神宮寺は満面の笑み。

 ツンとした表情が多い岬も、いつもおどおどした末摘さんもハシュギながらメリーゴーランドを楽しんでいる。


 女子たちの笑顔輝くパンダ研究部。

 俺の想像と大分違う部活動。

 これはこれで……悪くない。







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