125.「パンダ研究部新入部員歓迎会(前編)」
日曜日、朝。
パンダ研究部の朝は早い。
向かう先は神戸市立王子動物園。
京都駅前集合。
さすがに野球部もこんな早くから練習はやっていないはず。
久しぶりにフリーとなった日曜日。
「やあ、おはよう守道君」
「数馬、神奈川帰らなくて良いのか?」
「今日は特別な1日だからね」
「たいした1日じゃないぞ数馬」
数馬は怪我で野球部の練習に参加する事はできない。
負傷兵の数馬が行きたいと言ったので、俺も一緒に参加する事にした。
今日のパンダ研究部、新入部員歓迎会のパンダツアー。
「うっーす」
「お、おはよう結城君、高木君」
「おはよう岬さん、末摘さん」
「おはよう」
S2クラスの男子2人に女子2人。
なんだかんだで4人とも同じ部活の部員となる。
しばらくすると。
駅前に黒光りの車が一台走ってくる光景が目に飛び込んでくる。
(ブ~ン、キキーー!!)
超怪しい車が俺たちの近くに停車。
後部座席から1人の女子が降りてくる。
「おはよう皆さん~」
「南部長」
南部長、黒光りの車から社長出勤。
続いて降りて来たのは、美しい大和撫子の姿。
「おはよう守道君」
「楓先輩」
「葵ちゃんこっち」
「は~い」
楓先輩に続いて神宮司葵が降りてくる。
子供のようなしゃべり方と綺麗な容姿のギャップを激しく感じる女の子。
本当にこの子が、あと何年もしたら楓先輩みたいな大人びた女性に成長するとはとても思えない。
「シュドウ君おはよう」
「おはよう神宮司」
「昨日は楽しかったね」
「あ、ああ」
俺と神宮司が話をしていると、岬がそばに寄って来る。
「あんたら、昨日会ってたわけ?」
「う~ん……そだよ」
「S1の成瀬と一緒に勉強してたの」
「そうだよ、一緒に勉強してたの」
「ふ~ん、勉強……ね」
岬がジト目で俺を見てくる。
勉強だって勉強。
思いっきり怪しまれてる。
「シュドウ君これ」
「なにこのチケット?」
「藤原美術館の特別展示展のチケット」
「特別展?」
なに言い出したこの子?
楓先輩が俺に近づく。
「守道君、お願いがあるの」
「お願い……はっ!?ちょっと先輩、嫌ですよ俺」
昨日土曜日、映画鑑賞レッスン終了後。
神宮司が俺に不思議な事を言っていたのを思い出す。
『シュドウ君も行こうよ』
『何をだよ?明日行くの王子動物園だろ?』
『鳥獣戯画の特別展示、明日の日曜日でおしまいなの』
『何の話だよそれ?』
ちょっと待て。
今日行くの、動物園だけだよな?
「守道君。王子動物園の隣に藤原美術館があるの」
「ちょっと待って下さい楓先輩。今日成瀬いないんですって」
「葵ちゃん……すぐ迷子になっちゃうの」
「そんな切なそうに言わないで下さいよ楓先輩」
野球部の部活がある楓先輩は、日曜日は1日部活で動けないとの事。
特別展示展で鳥獣戯画を楽しみにしていると話す神宮司葵。
同じ王子動物園と藤原美術館が隣接している事もあり、パンダ観察と抱き合わせで引率して欲しいとお願いされる。
「南先輩ならほら、そこにいますから先輩にお願いすれば良いじゃないですか」
「夕子ちゃん、パンダにしか興味ないの……」
「そもそも俺、藤原美術館行きませんから楓先輩。そうだ岬、お前一緒に」
「頼まれてるのあんたっしょ」
岬が俺のそばから離れていく。
面倒な事には首を突っ込まない彼女。
今日はパン研の部会。
美術部の成瀬が当然いるはずもなく。
「シュドウ君?」
「うっ、お、俺行かないからな」
「なんで?」
「なんででも」
神宮司には悪いが、行くなら南部長と一緒に行ってもらうしかない。
俺は勉強をしないといけない。
今日も行きの電車の中でラジオ英会話を聞く気満々の俺。
数馬がいるから俺は今日この場にいる。
移動中も勉強。
俺にパンダツアーも美術館ツアーも楽しんでいる余裕はまったくない。
うやむやのまま話は終わる。
俺たちはこれから神戸に向けて電車に乗る予定。
南部長と並んで立つ神宮司葵。
部長に声をかける。
「部長、この子も電車です?」
「そうよ、なに後輩君?」
「なに後輩君?」
神宮司がふざけて南部長の真似をして話をする。
黒光りの車が消えて行く。
運転席の女性は、いつしかの玉木さん。
南部長が点呼。
今日は朝から南部長の動きが良い。
「はい点呼。岬れなさん」
「うっーす」
「末摘花さん~」
「は、はい」
「神宮司葵さん~」
「は~い」
もはや保育園、いや動物園。
南部長には俺たちの顔が部費に見えているはず。
「結城数馬君~」
「はい」
「じゃあ行きましょう~」
「ちょっと部長、それわざとです?」
「冗談よ冗談~」
「ははは」
俺はこの場に立つ、いるんだけどいない幽霊部員。
さっそく笑いを取る幽霊。
全員で券売機へ向かう。
「交通費は部費から出ます~」
「わ~い」
さっそく部費を浪費するパンダ研究部。
引率の南部長が券売機で券を買っている。
「ねえシュドウ君シュドウ君」
「なんだよ光源氏」
「あれ何してるの?」
「電車の券を買ってるの」
「券買うの?」
「おい神宮司、お前電車のチケット買った事あるよな?」
「無いよ」
「聞いた俺がバカだったよ」
俺は昨日、同級生のこの子の会計に衝撃を受けた。
秘密のポッケから出てきた魔法のカードでお支払い。
この子のお財布事情は怖いのでこれ以上聞かない事にする。
パンダ研究部6名で、いざ王子動物園へ向けて地下鉄に向かう。
早朝、外はまだ暗い。
京都駅のホームから始発電車に乗り込む。
電車の中は空いており、おのおの座席に座る。
英会話レッスンを電車の中で聞く予定だった俺は、カバンの中から紫色のCDプレイヤーを取り出す。
「シュドウ君なにそれ?」
「ラジオ英会話聞くやつ。成瀬にもらったの」
「結衣ちゃんに?」
「そうだよ。成瀬英語得意だろ?これ聞いて勉強しろだってさ」
「結衣ちゃん偉い!」
「俺より何倍も偉いって」
英語が得意科目の成瀬結衣。
常に満点。
英語が得意な人から教えてもらった勉強法。
これが終われば、次は詩織姉さんのラジオレッスンをするつもり。
「シュドウ君」
「お前……それ源氏物語じゃんよ」
「そだよ」
今日は私服の神宮司葵。
肩から下げるショルダーバックから源氏物語を1冊取り出す。
「お前持ち歩いてんのかよ」
「えへへ。5巻」
「どうすんだよそれ」
「見るの」
「好きにしろよ」
「一緒に見よ」
「いいよ俺は」
「この前渡した問題集にもここたくさん載ってるよ」
「うっ」
この前渡した問題集。
自宅には楓先輩から貰っている現代文の問題集と合わせて、神宮司が使っていたという古文の問題集もたくさん積まれている。
「どっちにする?英語?それともわたし?」
「うっ」
ラジオ英会話はいつでもどこでも聞けるから便利が良い。
無料の家庭教師が目の前にいる。
古文の無料の家庭教師は、タウンページを開いても載っていない。
~~~~~末摘花視点~~~~~
「岬さん、高木君と神宮司さん。何か2人で本読んでるよ」
「あいつら2人で何読んでるの?」
「ははっ、あれだねきっと」
「結城君は知ってるの?」
「源氏物語だよ」
「バカじゃん」
~~~~~~~~~~~~~~~
神戸までは1時間以上かかる。
ラジオ英会話中止。
5月のゴールデンウィーク以来、神宮司葵との古文のレッスンが急遽始まる。
「眉のわたりうちけぶりはね~」
「ほんのりと美しいだろ」
「凄いシュドウ君!」
「この話……若紫か」
「紫穂ちゃんと一緒」
「はは、うちの妹が若紫ね。言えてる」
「えへへ」
源氏物語の第5巻。
若紫の章。
先日検定試験で妹の紫穂と打ち解けて話していた神宮司葵。
「お前わざわざそれ言うために5巻持ってきたのかよ」
「そだよ」
「物好きだな」
「続き」
「はいはい」
古文単語を理解し始めていた俺。
そこそこ読めるようになってきた古文の文章。
「つれづれなればはね~」
「これといってする事がないだっけ?」
「凄いシュドウ君!」
「夕暮れのいたうか」
「夕方だよ」
「そうだな」
いつしか源氏物語の第5巻を2人で読みふける。
古文が分からなかった頃の俺はもういない。
いつしか俺は、神宮司と同じレベルで古文が読めるようになっていた。
5月の大型連休、ゴールデンウィーク、中間テストに向けて猛勉強をしていた俺。
中間テスト、10科目590点を得点出来た1つの原動力。
「シュドウ君、若紫出てきたよ」
「そうだな。面白いよなここ」
中間テストの問題も答えも、藍色の未来ノートには映し出される事は最後まで無かった。
この子の渡してくれた問題集をたくさん解く事で、得点源となった古文のテスト。
古文が俺の、得意科目になりつつあった。
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「それじゃあみんな、張り切っていきましょう」
「お~」
「元気良いわね葵ちゃん。ちょっと後輩君、元気出して元気」
「う、うっす」
電車の中で1時間以上源氏物語を読み続けた。
やっぱりラジオ英会話にしておけば良かったと後悔。
朝から消耗、勉強は頭を使う。
無限の元気が続く神宮司妹。
日曜日。
王子動物園入り口。
S2の女子2人と会話を楽しんでいた結城数馬。
終始笑顔。
この状況を楽しんでいる様子。
「王子動物園楽しみだね守道君」
「俺は予習で余裕まったく無いんだって数馬」
「ははっ、本気でここで勉強する気かい?」
「あら、わたし毎週ここで勉強してるわよ結城君」
「へ~さすが部長」
「そこもっとツッコめよ数馬」
毎週王子動物園に来ていると豪語する南夕子部長。
さらに動物園内でパンダの観察をしながら勉強するらしい。
一体何をどうやっているのか不明。
俺は動物園でパンダを見ながら勉強している人を見た事がないので想像すら出来ない。
そういう俺も今日は待ち時間に勉強する気満々。
やろうとしている事が南部長と同レベル。
ちょっと嫌な気持ち。
「はいここにみんな並ぶ」
「嘘ですよね先輩!?これみんなパンダ待ちの列ですか?」
「これでも短い方。ラッキーだねみんな」
「わ~い」
「マジか」
この列は何だろうと思っていた行列。
2列存在し、右側の列が開園後パンダを見るための列。
左側の列が普通の入園待ちの列。
(ガヤガヤ)
パンダ待ちの人がなんと多い事か。
日本中のパンダ好きが集まっているに違いない。
「はい葵ちゃんポッキー~」
「パクッ、ペロン~」
「ははは」
無邪気にはしゃぐ神宮寺葵。
その様子を見て笑みを浮かべる数馬。
魔女が部費で買ったお菓子につられて、神宮司は南部長にべったり。
神宮寺葵、迷子にならずに無事王子動物園までたどり着く。
姉の神宮寺楓先輩は野球部のマネージャー。
南先輩に妹を任せるあたり、うちの部長への信頼の厚さを感じる。
パンダ研究部、新入部員歓迎会という名のパンダ観察ツアー。
世界はパンダを中心に回っている。
南部長が躍動、駅から王子動物園まで間違いない引率。
先輩にしては珍しく頼りがいのある一面を垣間見る。
うちの部長が頼りになると感じたのは今日が初めて。
歓迎会参加を検討の一言で濁し続けた俺。
数馬が来るから俺も参加したのが動機。
俺がパン研に入部した理由は、予習をするための自習室の確保が最大の目的。
日曜日にパンダを見に行くつもりなど毛頭なかった。
この部活の最大の魅力は、何を言っても旧図書館だ。
入部してからさっそく俺は、旧図書館の住人と化した。
意外だったのがクラスメイトの岬。
バイト先も一緒だったが、ついに部活まで同じパン研に入部した。
『ほら岬さん。パンダちゃんのモグモグタイム~』
『可愛い……』
岬は南先輩の指導により、部室でパンダの世界へ引きずり込まれていった。
俺が自習している旧図書館の席から、2人がパソコンを眺める姿が終始見られる。
最近は末摘花さんの加入で、ますますパンダの信者が増殖するパンダ研究部。
パン研の備品なのか、私物なのか分からないが、WiFiで繋いだインターネットを使って3人で楽しくパンダの世界に没頭している。
特に岬はスマホにパンダのストラップをぶら下げていたパンダ女子。
パンダの先輩こと、南部長の後を継ぐ後継者が現れたようだ。
「岬、お前部活に時間を拘束されたくないとか言ってただろ?」
「パンダは別」
「別なのかよ」
自分の欲望に常に素直な岬れなのブレない姿勢。
「岬さんプリッツ食べる?」
「食べます」
俺はそんな彼女に尊敬の念すら感じるようになっていた。
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南部長を先頭に、岬と末摘さん。
数馬と俺と神宮司のパン研部員6名が開門前の王子動物園に並ぶ。
パンダを見るための行列は、通常入場を待つ人の列とは別に並ぶ。
パンダ見るのに朝から並ぶ人の気持ちは俺には分からない。
行きの電車の中では源氏物語に没頭してしまった。
ラジオ英会話がまだ終わっていない。
成瀬から渡されている紫色のCDプレイヤーのイヤホンを耳に入れた瞬間、声をかけられる。
「あんたこんな時まで勉強すんの?」
「良いだろ別に?」
「真面目過ぎでしょ」
数馬と末摘さんが楽しくおしゃべりしている隣、岬から横やりが入る。
はたから見ればパンダの列に並んでいる合間にも勉強している努力家の学生。
俺は今パンダの観察ではなく、英語の勉強がしたい。
「あれ、神宮司さん戻ってくるの遅いね」
「えっ?いつの間に……数馬、あの子どこ行った?」
「あっちちょっと見に行くって言ってたんだけど」
「マジか。ちょっと探してくる」
ヤバいよヤバい。
俺がラジオ英会話聞こうとしてた時に、さっそくパンダが1頭行方不明になっていたらしい。
王子動物園周辺は、藤原美術館以外にも、ちょっとした遊園地の遊具まであるレジャースポット。
ちょっと見に行ってかなりの時間が経過していたようだ。
神宮司はどこへ行った?
今日は成瀬がいない。
楓先輩からお願いされてる。
迷子になられたら俺が一番困る。
いない。
コーヒーショップの人の列。
いない。
花壇の近く。
ベンチに座っているのも知らないカップル。
……いた。
王子動物園とは逆方向。
まだ営業してないお店の前でキョロキョロ辺りを見回している。
「こら」
「シュドウ君!」
「ぐはっ!?」
いきなり抱き付かる。
本気で迷子になっていたのか、神宮司の目が潤んでいた。
気になる物が目に留まり、戻るべき場所を見失ったようだ。
今になって俺の引率を強く主張した楓先輩が心配する気持ちが良く分かる。
知ってはいたがこの子を1人で外に放したら、地球の反対側まで行きかねない危うさを感じる。
「ほら帰るぞ。もうすぐ開門時間だから部長に怒られるぞ」
「うん」
「掴むなって俺の服」
「えへへ」
袖を掴まれ、離れまいとする神宮司。
不安そうにしていた顔から無邪気な笑顔がこぼれる。
俺は貴重な日曜日に、一体今なにをしている?




