118.「私の光源氏」
「キャハハハ」
「待てよ~」
5月、最終日曜日。
「マ・ジ・カ・ル・バナナ~」
「バナナと言ったらスベる~」
「滑ると言ったらスキー」
ここは平安高校の正門前。
「まさひこちゃん頑張るのよ。お母さん応援してるから」
「ママ~」
「頑張ってまさひこ~」
小学生ばっかじゃん!?
「お兄ちゃん」
「紫穂。間違いないないよな、ここ英語能力検定4級の会場だよな?」
「なに動揺してんのよ~平安高校の生徒でしょお兄ちゃん?」
「一応」
「平安の制服着てるんだからもっと堂々としててよ~」
平安高校、正門。
妹と一緒にたくさんの小学生たちと、その保護者の姿を眺める特別進学部の現役生徒。
「お母さんと一緒~」
「お母さんも頑張るわよ」
小学生から英語がすでに必修化されている。
子供と一緒に受験に挑む保護者も多い様子。
高校生の俺がその親子に交じって受験する。
「ママ、あそこに大っきいお兄ちゃんいる」
「指差しちゃいけません。平安高校の生徒さんですよあのお兄ちゃん」
恥ずかしい。
不審者扱いされないように制服を着て来たのが唯一の救い。
誰も俺が小学生たちに交じって受験するとは思っていないはず。
だがそれこそ間違い。
人生初の資格試験に挑む男、高校1年生、平安高校特別進学部現役バリバリ、高木守道。
「別に恥ずかしい事じゃないんだから、早く行こうよお兄ちゃん」
「分かってるよ」
「キャハハハ」
周り超小学生ばっか。
紫穂はまだ中2だし、小さくて可愛いからこの場になじんでいる。
高校1年男子の俺は平常心ではいられない。
俺のすぐ近くで騒いでいる小学生男子たち3人。
「俺ちょっと歯磨きハーミーしてくる」
「俺も」
「俺も」
「ギャハハハ」
妹の紫穂と一緒に中学生レベルの英語能力検定4級に挑む。
朝から別の級の英語能力検定が行われているらしい俺の通う平安高校。
今の時間帯は正門を通り抜けるたくさんのジュニアたちの姿で一杯だ。
蓮見詩織姉さんに申し込まれた資格試験。
嫌とは言えなかった。
詩織姉さんとの関係が微妙な今、無情にも試験日当日を迎えてしまった。
俺の持つ受験票には、ちゃんと今日の日付と俺の名前が印字されている。
時は待ってはくれない。
容赦なく時間は過ぎていく。
「シュドウ君!」
「うわっ!?いきなり出てくるなよ光源氏」
「えへへ」
神宮司葵、なんでこの子が。
あっ。
そうだよ、この子も同じ英語能力検定4級受けるとか言ってた。
この子がいるって事は。
今、会うのが一番微妙な関係の人がもう1人。
「守道君、ご機嫌よう」
「楓先輩」
ばつが悪い。
ついこの間、太陽がこの人にフラれたばっかりだって言うのに。
太陽の想い人、神宮寺楓先輩に出会ってしまった。
太陽は楓先輩への再アタックを計画している。
来週、レギュラー選抜の登竜門となる野球部紅白戦に挑む。
太陽も試合に登板し、ピッチャーとして実戦で投げる予定らしい。
神宮司楓先輩は、俺と太陽の関係を詳しく知らないはず。
太陽の告白失敗が、友人である俺に話しかける事の抵抗にはならないようだ。
日曜日なのに神宮司姉妹は制服姿。
さしずめ妹の受験送迎に同伴しているに違いない。
この子に引率者がいるのには訳がある。
「葵ちゃん、そっちは違いますよ」
「お姉ちゃん?」
「今日はスマホ置いてきたから離れないでね」
楓先輩が少し目を離した隙にさっそく迷子になる謎の同級生。
いつの間にかその場から消えかかる妹と手を繋ぐ楓先輩。
脱走パンダがすぐに捕獲される。
神宮寺楓先輩と神宮寺葵。
平安高校を代表すると言って過言では無い美人姉妹。
紫穂が目を丸くしてこちらを見る。
俺に近づき背伸びして、耳元でヒソヒソと話をする妹の紫穂。
「この綺麗な人たち誰?」
「ただの知り合いだって」
楓先輩が俺の妹を見ている。
紫穂の事はまだ楓先輩にちゃんと紹介していなかった。
勉強を教えてもらってる義理もある、楓先輩に妹の紫穂を紹介する。
「楓先輩、妹の紫穂です」
「紫穂です。兄がいつもご迷惑をお掛けしております」
「なんで迷惑なんだよ」
「お兄ちゃんの知り合いなら絶対迷惑かけてるに決まってるでしょ?」
「そうだよ」
「ふふっ」
確かに迷惑ばっかりかけてる気がしないでも無い。
自宅アパートには楓先輩からもらった現代文の問題集が山積み。
神宮寺妹には古文を教えてもらい、どうにかこうにか中間テストで赤点を回避する事が出来た。
迷惑かけてばかりの俺。
「守道君にはいつもお世話になっております」
「お兄ちゃんがお世話!?」
「楓先輩、俺なにもしてませんって」
「葵ちゃんがお世話になってます」
「なってます」
神宮司がお姉ちゃんの真似をして話す。
紫穂は楓先輩の話を驚いて聞いている。
先輩はいつも話が大げさだ。
俺に視線を合わせ近づいてくる楓先輩。
相変わらず先輩に見つめられるだけでドキドキさせられる。
上級生3年生のオーラは半端ない。
「守道君、ちょっとお願いが」
「えっ?」
楓先輩と俺の2人。
隣で手を繋ぐ脱走パンダに目が行く。
楓先輩が英語能力検定4級の試験を受けるはずがない。
「いつも成瀬さんに頼ってばかりで」
「成瀬が何かしてるんですか?」
「葵ちゃんの事」
「はい?」
成瀬にいつも頼ってるって……どういう意味だ?
今日成瀬いないよ。
「シュドウ君」
「なんだよ」
「今日結衣ちゃんは?」
「いるわけないだろ」
すでに英語能力検定準2級の資格を持っている成瀬結衣が、わざわざ4級の試験を受けるはずも無く。
下の子の面倒見が良い成瀬結衣。
俺の隣にいる2こ下の紫穂も、去年中学1年の時は美術部の先輩である成瀬先輩にお世話になった口。
「ねえお兄ちゃん」
「なんだよ紫穂」
「なんで朝日先輩と同じあだ名で呼ばれてるの?」
「俺が知るかよ」
「成瀬先輩とこちらの綺麗な先輩はお知り合いなの?」
「成瀬とこの子は同じS1クラスなんだよ」
「成瀬先輩と同じクラスなんだ~」
紫穂にとって成瀬結衣は平安高校に通う憧れの先輩。
神宮司葵と兄の関係に興味を持ったようだ。
姉である楓先輩も紹介する。
下の子の面倒見が良い成瀬結衣。
迷子癖のある神宮司妹が、迷わずS1クラス授業の教室移動をこなしているのは成瀬結衣の貢献が大きいはず。
俺は知ってる。
S1でクラスメイトの成瀬結衣が、いつも神宮寺葵の引率をしている事を。
「結衣ちゃんいないと、葵どこ行って良いのか分かんないよ」
「お前今までどうやって生きてきたんだよ光源氏」
姉の神宮司楓先輩が俺に視線を向ける。
「守道君」
「はい」
「葵ちゃん、すぐ迷子になっちゃうの……」
「そんな切なそうに言わないで下さいよ楓先輩」
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「紫穂は総合普通科の教室だな。2年生が入ってるのは第一校舎の2階だから、途中まで一緒に行こう」
「お願いしま~す」
「俺と光源氏は3階。1年生のS1クラス」
「お願いしま~す」
「お前が毎日行ってる教室だって」
この子は宇宙。
もう俺は何も驚かない。
「あっ!?そっち勝手に行くなって!」
「ほえ?」
目を離した隙に一瞬にして視界から消える神宮司葵。
見かねた妹の紫穂が、神宮司葵と手を繋いで歩き出す。
「シュドウ君の妹?」
「紫穂です」
「紫穂ちゃん可愛い!」
「そんな~」
精神年齢が近いらしい。
神宮司のお守りを紫穂に任せて前へ進む。
2人がキャッキャお話しながら、俺の歩く背中をついてくる。
正門から校舎までの石畳の1本道。
春には満開の桜が咲いていた並木通り。
「お兄ちゃん、この前ここの桜の絵を美術部のみんなで描きに来たんだよ」
「へ~そうだったのか。春の時期はここ解放されてるもんな」
地元では有名な桜並木の名所。
春に満開になる3月下旬からは、地元の住民に一般開放されている。
紫穂と神宮司の3人で、今は新緑に染まる5月の並木通りを歩く。
「シュドウ君」
「なんだよ」
「わたしもここ好き」
「お前んち近いもんな」
「お兄ちゃん、神宮司さんの家ここから近いの?」
「ああ、すぐそこだよ紫穂」
「すぐそこ」
すぐそこ。
正門から徒歩0分。
楓先輩は妹をちょっとそこまで連れて来ただけ。
俺に妹を託し、別れて行ってしまった。
第一校舎の下駄箱まで到着。
紫穂は持参したスリッパに履き替える。
第一校舎の1階にはたくさんの小学生たちや、引率の保護者の姿があった。
下駄箱を通過、紫穂と合流。
「お兄ちゃん、神宮司さんいないよ」
「マジか!?どこ行った」
「お兄ちゃんあっち!」
あらぬ方向の掲示板前にいた脱走パンダを発見。
「おい光源氏」
「シュドウ君、どこ行ってたの?」
「それはこっちのセリフだって。早く行くぞ」
向かっている先は、第一校舎3階の神宮寺葵の教室であるS1クラス。
事ここに至り、毎日彼女と一緒にいるS1クラスメイトである成瀬結衣の存在の大きさを痛感する。
「お兄ちゃん、神宮司さんあっち行ったよ!」
「マジか!?おい光源氏こっち!」
「え?」
なんで今日いないんだよ成瀬。
脱走パンダを引き連れて、第一校舎の2階まで階段で上がる俺と紫穂。
階段を上がって左奥は、特別進学部2年生の3クラス。
紫穂が今日受ける受験会場は、総合普通科の教室だから階段上がって右。
「紫穂は右。ここから2つ目の教室だな」
「ありがとうお兄ちゃん、わたし2階だからここで別れるね」
「おう、頑張れよ紫穂」
「お兄ちゃんも。不合格だったらお仕置きです」
「マジか」
「葵先輩も頑張って下さい」
『葵先輩』
『葵先輩』
『葵先輩』
「シュドウ君!シュドウ君!」
「なんだよ光源氏」
「わたし先輩だよ!」
「当たり前だろ。さっさと行くぞ」
「先輩、先輩だよ!」
「うるさいって」
妹の紫穂に先輩と呼ばれたのが余程嬉しかったらしい。
興奮するパンダを引き連れて、階段をさらに上がり3階に到着。
左に曲がると突き当たってさらに左に曲がる。
一番奥にある3クラスが、手前からSAクラス、S2クラス、最後に一番奥がS1クラス。
俺と神宮司はS1クラスで英語能力検定4級の試験を受ける。
S1クラスの前まで来ると、保護者が廊下で試験が始まる直前まで我が子に視線を送る姿が見える。
「まさひこちゃん~」
「ママ~」
まさひこちゃんのお母さんが、S1クラスの中で良い子して座っている我が子に手を振る。
受験生以外は入室禁止。
間もなく校舎内も、受験生以外は立ち入りが制限される。
「シュドウ君、わたしの教室」
「知ってるよ」
「入ろう」
「おう」
神宮司が自信満々に教室に足を踏み入れる。
S1クラスに入るのは俺はこれが初めてだ。
中には小学生らしき子供の姿が多いが、中には保護者で一緒に受験するのか、大人の姿もチラホラと混ざっている。
「シュドウ君、わたしの席あそこだよ」
「へ~成瀬は?」
「あそこ」
普段見る事がないS1クラスの光景。
クラスの中央付近。
成瀬結衣と、神宮司葵の座る席。
「空蝉さんがここで、空蝉さんがここ」
「どっちがどっちだよ」
「う~ん……分かんない」
「別に良いよどっちでも」
S1クラスの双子姉妹は並びの席らしい。
「右京君がここで」
「右京?右京って、あの右京郁人か?」
「うん」
右京郁人。
蓮見詩織姉さんと一緒にいる姿を幾度となく見てきた。
俺に親しげに話しかけてくるS1クラスの謎の男。
クラスメイトの神宮寺も当然知っているようだ。
S1クラスの教室前側の入口から、試験官が入ってくる。
もうすぐ試験が開始されるようだ。
俺はこの英語能力検定4級に、並々ならぬ準備を重ねて今日を迎えている。
成瀬結衣が叶月夜先生に頼んでプリントしてくれた過去問、過去5回分の試験問題をすべて消化したのが2日前。
さらに紫穂がアパートまで届けてくれた試験問題、同じく過去5回分の試験問題を消化したのが昨日の深夜。
5月中旬に実施された中間テストが終わり、次に控える大きな試験は7月の期末テスト。
今日は5月最終日曜日。
この先の事を考えれば、大きなテストの合間に試験に挑むのは悪い話ではない。
何より俺は、英語能力検定4級の過去問が簡単だとすら感じるようになっていた。
それは4月からラジオ英会話のレッスンを毎日聞き、普通のノートにテキストの英文を書き写す練習を毎日欠かさず行ってきた成果だと感じている。
蓮見詩織姉さんから渡された紫色のスマホとテキスト。
そこには去年1年分のラジオ英会話の音声データ。
そして成瀬結衣から渡された紫色のCDプレイヤー。
そこには2年前の異世界ラジオ英会話。
俺は2年分のラジオ英会話を毎日隙間時間で勉強を続けてきた。
朝早く起きた時。
バイトの休憩中。
パンダ研究部がある旧図書館。
夜、自宅アパートで。
「受験生の方は席について下さい」
俺と神宮司も指定された席に向かう。
「シュドウ君頑張って」
「お前もな」
この子が合格して、俺が不合格ではシャレにならない。
紫穂が合格して俺が不合格では兄の威厳が地に落ちる。
負けられない、この戦い。
隣に座っていた小学生の子から好奇の視線が俺に注がれる。
「あっ、お兄ちゃんだ」
「指さしちゃいけません」
心を無にする。
平安高校の制服を着ているのがせめてもの救い。
高1男子、しかも特別進学部の現役生徒。
問題用紙と解答用紙が配られる。
試験官から注意事項。
筆記試験と、放送を使って全体で行われるリスニング問題。
高木守道。
小学生に混ざって、英語能力検定4級に試験に挑む。
「それでは試験を始めます」
小学生には負けられない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「試験止め」
(ガヤガヤガヤ)
(「楽勝?」)
(「あれ出来た?」)
試験開始前、S1クラスに入ってきた時には静かに緊張していた小学生たち。
試験会場の大半を占める小学生たちが、試験終了と共に一斉に騒ぎ出した。
ようやく試験も終わった。
正直楽勝。
2階で受けてる紫穂も上手く出来たかな?
さて、後は神宮司を楓先輩のところに送り届けて。
送り届けて。
送り届けて……。
『いない』
ウソだろあの子どこ行った?
(ガヤガヤガヤ)
(「お母さん~」)
(「まさひこちゃん~」)
廊下で我が子を迎えに来ていた保護者が、廊下から声をかけている。
テストが終わった子供たちが次々と教室から出ていく。
『消えた』
ヤバいよ。
楓先輩からあの子頼まれてんのに、もう迷子じゃんよ。
どこ行ったあの子?
もうS1の教室の中にはいない。
教室を出る。
隣にある俺のS2クラスを覗く。
いない。
もう1つ先にある、太陽のいるクラス、SAクラスを覗く。
やっぱりいない。
おかしい、どこ行ったあの子?
脱走パンダの足取りが分からない。
紫穂のいるところか?
さっき2人とも凄く仲良くなってたし、あるいは2階に。
(ガヤガヤガヤ)
試験が終わったばかりで、受験生や保護者がまだ密集している。
階段を受験生たちについていき、紫穂のいる2階へ降りる。
2階の階段の踊り場に、可愛い女の子、紫穂の姿を発見。
「お兄ちゃんお疲れ様です」
「おい紫穂、ずっとそこにいたか?」
「しばらくいたけど。あれ?葵先輩は?」
「降りてきてないか?」
「ううん、見なかったよわたし」
消えた。
脱走パンダを見失った。
マズイ。
楓先輩に怒られる。
「お兄ちゃん同じ教室で受けたんでしょ?」
「いつの間にかいなくなったんだよ」
「もう~こんなに人がたくさんいたら探しようがないでしょ?スマホは?」
「そうかラインすれば良いのか」
「お兄ちゃん葵先輩とライン交換してるの!?」
「うるさいな、良いだろ別に」
そうだよそう。
ラインすれば良いんだよあの子に。
カバンからスマホを取り出す。
俺は試験中、電源を切っていたスマホの電源を入れてラインメッセージを送る。
―――― 高木守道スマホ ライン ――――
既読 葵:『下にいるよ』
守道:『どこにいる光源氏?』
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「どうお兄ちゃん?」
「既読つかない」
「スマホ持ってないんじゃないの?」
「さすがに持って……」
そうだ。
さっき試験が始まる前。
楓先輩が試験あるから家にスマホ置いてきたって言ってた。
「も~葵先輩どうするの~」
「もう少し探すよ。あの子の家すぐそこなんだから、最悪1人でも帰れるって」
「本当?」
かなり怪しい。
言ってる俺がかなり不安に感じている。
「紫穂、下に降りて正門まで見てきてよ」
「お兄ちゃんは?」
「3階の試験受けた教室もう1回見てくる」
「そうね、戻ってるかも知れないし」
高木兄妹、光源氏の捜索開始。
二手に分かれ、2階から妹は階段下へ、兄は階段上へ向かう。
マズイ。
このままあの子を迷子にさせたままでは、楓先輩から絶対怒られる。
中間テストに向けて勉強教えてもらった恩義もあるし。
しかもこの前フラれた太陽の事もある。
バカな俺はどうでも良いが、友達である太陽の印象まで悪くなるのは避けたい。
「この人たちダメね」とか思われる、絶対思われちゃう。
ここで信用の失墜は避けたい。
校舎3階奥、S1クラスに戻ってくる。
教室の中に一応入ってはみたものの、とっくの昔に試験官も受験生たちも全員帰っている。
教室はものけの殻。
スマホは……やっぱり既読つかない。
試験あるし、家すぐそこだから、やっぱり持って無いんだよあの子。
どうする。
すぐにいなくなるとか、あの子は気まぐれ過ぎるにもほどがある。
気まぐれな……相棒。
『未来ノート』
俺はカバンから、藍色の未来ノートを取り出す。
いつでも予習できるように常に持ち歩いている。
きまぐれな相棒のチェックは毎日欠かせない。
さっきスマホを取り出す時、カバンに入れていた未来ノートが視界に入っていた。
このノート、藍色だからバックから取り出す時に嫌でも目立つ色。
相棒の1ページ目を開く。
英語のテストと思われる問題。
紫色の答えが浮かび上がってる。
今はそんな事は良い。
相棒の最終ページ。
以前、翔馬と数馬たちS2クラスの全員で挑んだスポーツ大会直前。
突然浮かび上がった、サッカーゴールのシュートコースを思わせる藍色の答えが浮かび上がった最終ページを開く。
最終ページには、神宮司葵からもらった短冊が挟まれていた。
……なんだ。
また。
また未来ノートが壊れた。
浮かび上がってる。
藍色の文字が。
『右 右 下 下 下 下 右 右』
また未来ノートが壊れた。
サッカーゴールの次は暗号かよ。
分からない。
テレビゲームの必殺技のコマンドか?
そんなもの今は何の役にも立たない。
本当に俺の相棒は気まぐれ。
ノートを閉じて、カバンにしまう。
意味の分からないものはどうしようもない。
第一校舎3階の一番端にあるS1クラスの後ろの入口から外の廊下に出る。
右を向き、まっすぐ進む。
S2クラス、SAクラスを過ぎ、右手には階段。
もしかしたらあの子、3階のどこかにいるかも知れない。
階段を通り過ぎてまっすぐ進んだ先にある総合普通科の教室に向かおうとした時、先程の未来ノートの最終ページを思い出す。
『右 右 下 下 下 下 右 右』
ちょっと待て。
違う。
答えは右だ。
前じゃない。
ウソだろ。
いや。
そういう事だきっと。
S1クラスを出て右に行った。
次の分岐点は前に進むか右の階段に向かうしかない。
『次の答え、右の次は右』
右に進んで、階段を下に進む。
3階と2階の踊り場。
もう1つ下。
2階に到着。
さらに答えは下。
2階と1階の踊り場。
もう1つ下に降りろ、相棒がそう言ってる。
次第に歩みが早くなる俺。
相棒は気まぐれ。
問題も答えも出たり出なかったり。
未来の答えが変わる前に、答えの先にたどり着きたい。
『右 右 下 下 下 下 右 右』
1階に到着。
正面奥には下駄箱が見える。
紫穂が向かった先。
違う。
答えは右。
だからなんだよ。
いるのかあの子がこの先に?
右にまっすぐ奥まで進み、突き当りを右に向く。
この順路。
この方向。
このまままっすぐ進むと。
第一校舎、一番奥のある場所にたどり着く。
『旧図書館』
パン研の部室がある場所。
第一校舎の一番奥。
いるのか相棒。
探し物のお姫様がそこに。
旧図書館に到着する。
今日は日曜日。
ましてや新図書館がオープンして、ここには誰もいないはず。
足を踏み入れる。
(カツ カツ カツ)
し~んと静まり返る旧図書館。
俺の足音だけが、静まり返る旧図書館に響く。
旧図書館に人影は見えない。
校舎の外から、受験生や保護者の話声が聞こえる。
(ガタッ)
「誰?」
――透き通るような白い肌
――大事そうに胸に抱く1冊の本
――サラサラとした黒い髪が彼女の歩みと共に小刻みに揺れる
――凛とした彼女の雰囲気に思わず息をのむ
「ねえ」
「なんだよ」
「ずっと1人でいたの」
「今までどこにいたんだよ」
「探してたの」
「探したよ」
「私の光源氏様」




