117.「英雄の挫折」
夜8時。
太陽との待ち合わせの時間。
今日は太陽が神宮寺楓先輩に告白をすると決めていた日。
太陽は中学1年生の時から、この日が来るの
を夢見て練習につぐ練習を重ねてきた。
先に公園に到着する。
朝日太陽の姿はまだ無い。
『シュドウ……俺、実はお前に言えなかった事があったんだ』
この公園でかつて朝日太陽が、俺にだけ打ち明けてくれた本心。
『――私、朝日君の事が好きなの』
幼なじみの成瀬結衣の告白を断った動機。
あの時太陽の脳裏に浮かんだはずの、神宮寺楓先輩という大きな存在。
『結衣。俺はお前の気持ちには答えられない』
あの時、中学3年生だった俺は。
太陽が神宮寺楓先輩の背中を追って平安高校のスポーツ推薦で入学した事実を知らなかった。
俺が成瀬の顔ばかり見て、中学3年間を過ごしてきた事を太陽は知っていた。
俺との友情を優先して、太陽は成瀬の告白を断ったとすら考えてしまった。
あの時の俺たち3人。
俺が県下随一の進学校、平安高校の入試に挑戦する事が、俺たち3人の関係を繋ぎ止めるたった1つの希望だった。
入学して初めて出会った神宮寺楓先輩の、人としての美しさ。
太陽どころか、初対面の俺ですら憧れる美しい先輩だった。
スポーツ大会が終了し、俺は太陽に発破をかけた。
『楓先輩、さっき教室戻っていったぞ』
『マ、マジか?』
『あれ?呼び出す約束とかしてないのか?』
『するわけねえだろ』
太陽はいつだって俺の事を優先する。
今日は大事な日って分かってたはずなのに。
『俺さ、告白しようと思ってる』
今日告白すると決めていた。
だが太陽は、俺が保健室にいると知って会いに来てくれた時、まだ楓先輩と会う約束すらしていなかった。
とかく神宮司楓先輩の事となると、太陽は太陽で無くなる。
太陽の反応を見て、きっとウジウジして、声をかけられなかったのかも知れないと感じた。
太陽の熱い想いは今に始まった事ではない。
太陽はすでに3年以上もの間、楓先輩への想いを胸に秘めていた。
それなのに太陽の奴。
今日のスポーツ大会が終わったにも関わらず、なお楓先輩に声すらかけられていなかった。
あいつの事だ、俺がPK戦で退場食らったから機を逸したに違いない。
今日が大事な日だって忘れていなかった俺は、保健室で太陽に発破をかけた。
『いつするんだよ呼び出し』
平安高校に太陽が入学した理由は、1にも2にも神宮寺楓先輩に想いを告げるため。
太陽のその気持ちは、昨日今日の話じゃない。
中学1年生の時からずっと、俺にも打ち明けられない本心だったはず。
太陽は俺の一番の親友。
入学してもう2ヶ月。
5月のこの下旬まで告白を引っ張らせた事に、俺も責任を感じていた。
太陽が自分の事よりも、友達の俺が赤点取る事を心配してくれていたに違いない。
俺の中間テストの結果は赤点回避のトータル590点。
総合普通科への降格の危機を回避した。
だから太陽は、あのタイミングでああ言ったんだと俺は思う。
『シュドウ、機は熟した』
太陽にとってのタイミングが今日だったはず。
俺が中間テストで赤点回避出来た。
それがトリガーだったはず。
太陽は俺が藍色の未来ノートを使っている事を知らない。
本当の実力で、10科目1000点満点の中間テストを590点で乗り切れたと思っているはず。
俺が1人立ち出来たと思っているはず。
かりそめの、藍色の俺の実力を。
あの点数はまだ、俺の本当の実力と言うにはほど遠い点数。
太陽はいつも俺の事を優先してくれている。
自分の事よりも、いつもあいつは俺の事を気にかけてくれる。
その優しさが、太陽を俺に縛り付けてしまった。
『いつするんだよ呼び出し』
俺は太陽に発破をかけた。
俺の事を心配して、楓先輩への告白を決めていた日が流れてしまうのが嫌だったからだ。
公園の中に入る人影。
……来た。
太陽の……元気の無い顔。
「よ、ようシュドウ」
「太陽……ダメだったのか?」
「ま、まあ……な」
ダメと言う事は、そういう事。
想いは、届かなかったらしい。
いつものように男同士の話をする時は、公園のベンチに2人で座る。
夜の小さな公園を、街灯が1つ、薄暗い夜を照らす。
「そうか」
「ああ」
太陽にかける言葉が見つからない。
昨日今日楓先輩と出会った俺とは違う。
一目惚れしてから3年以上が経っている。
太陽が楓先輩にどんな話をしたのか、俺には分からない。
ちゃんと伝えられたのだろうか?
楓先輩を球場で見つけて、先輩の背中を追うために3年間、野球も勉強も頑張ってきた事を。
「まったくダメな感じ?」
「ああ、まったくだな」
「ちゃんと伝えたのか?」
「何をだシュドウ」
「何をって、中1から毎日野球も勉強も頑張って続けてきたのは、今日この日のためにだろ?」
「あ、ああ。まあ、よく覚えてねえ」
相当ショックを受けている。
もう、何を聞いても太陽を傷つける事になる。
どんな告白をしたのか分からないが、想いが届かなかった事には変わりがない。
太陽の目標は、高校球児としての最大の目標、甲子園へ行く事。
それと同時に、神宮司楓先輩を甲子園へ連れて行く事。
太陽の目指す未来に、太陽の隣には、神宮司楓先輩の姿は無くなった。
「ごめん太陽。俺、なんて言ってやれば良いか分かんないよ」
「気にするなシュドウ。全部俺の力不足だ」
結果がすべて。
もう、諦めるしかないのか?
「はは、ど、どの道無理だったんだよな。俺なんかが、楓先輩とお付き合いしようなんてさ」
「太陽……」
俺にとって、太陽は憧れのヒーロー。
頭が良くて、スポーツも出来て、県下随一の進学校、その特別進学部のSAクラスに推薦入学を果たした。
成功を絵に描いたような男。
俺の親友、誰にだって自慢できる俺の一番の親友の挫折。
「クソッ。あと2年、あと2年早く生まれてたらな」
後ろ向きな発言、歳生まれた年のせいにし始めた太陽。
いつだって前だけを向いて進んでいた朝日太陽が、後ろ向きな事を言い始めた。
心が、完全に折れている。
後ろ向きな男。
こんなの、俺が知ってる太陽じゃない。
「太陽、諦めるなよ」
「えっ?な、なんだよシュドウ」
「1回失敗したからって、それで諦めるのかよ」
「だ、だってよ」
「前だけ向けよ太陽。下ばっかり向いて、お前らしくないだろ?」
「俺らしくない?」
「そうだよ。気合入れて前だけ向けって俺に言ったのは、お前じゃないかよ」
「そ、そうだけどよ」
「違うのか?」
「そうだよ!」
太陽が少しマシな顔になってきた。
とかく楓先輩の事となると、すぐに弱気になる朝日太陽。
「太陽、お前も俺と一緒で赤点だな」
「赤点?俺、赤点1回かシュドウ?」
「そうそう。知ってるか太陽、赤点2回連続で取ったら、完全にお陀仏だって」
俺が入学直後に学力テストで赤点取った話を引き合いに出す。
太陽の顔に、わずかではあるが笑みがこぼれる。
「は、はは。何だよシュドウ。赤点2回目までチャンスあるって事か?」
「そうだよ、そう。太陽、楓先輩に甲子園に連れて行くってちゃんと言ったのか?」
「言った、言ったさちゃんと」
「根拠が無いんだよきっと。俺は太陽の事ずっと昔から知ってるけど、楓先輩はお前のこれまでの努力を知らないだろきっと?」
「お、おう。確かに」
俺は知っている。
太陽が血のにじむような努力を重ねて、来る日も来る日も練習を続けてきた事を。
楓先輩だって、太陽は1年生かも知れないが、太陽のこれまでの努力を知れば振り向いてくれるかも知れない。
太陽の顔に元気が少しずつ戻ってきた。
俺が学力テストで赤点1回取って、真っ先にS2クラスにズカズカと入ってきて俺の事を奮い立たせてくれたのは、他でもない朝日太陽だ。
「まだチャンスはあるよ絶対。太陽、俺の中間テストの結果どうだった?」
「赤点じゃ無かった」
「うっ……そ、そうだよ。お前、本当はどう思ってた?中間テストの俺の点数」
「本当はかなりヤバいと思ってた」
「うっ……そ、そうなんだよ、そう」
「あっ、わ、悪いシュドウ。だってよ、4月のあの学力テストの点数から、よくあれだけ上積み出来たなって関心しちまってよ。中間テストの結果、奇跡だと思ったぜ俺は」
俺は太陽が大好きだ。
こいつはいつだって自分の心に正直だ。
ダメだと思っても、常に前だけ向いて生きていく。
困ったら気合と根性。
最後はいつだって精神論。
俺の中間テスト、本当はダメだと思っていたらしい。
当の俺自身が直前までそう思っていた。
それでも気合で何とかしようと、事あるごとに俺の背中を押してくれたのは朝日太陽だ。
今度は俺が背中を押す番。
いつも押されてばかりじゃ、太陽の親友とは言えない。
「数馬から聞いてるけど、今度野球部の1軍レギュラーを決める紅白戦があるんだろ?」
「ああ」
「そこでレギュラー取れたら、もう1度アタックだな」
「ほ、本当にやるのかシュドウ?」
「努力はウソをつかないって言ったのお前だろ?」
「そ、そうだよ、そう!」
太陽の顔に元気が戻ってきた。
次の挑戦に向けて、太陽のやる気の炎が燃え上がり始めた。
「ありがとなシュドウ」
「ああ、レギュラー取れそうか太陽?」
「1年生は正直厳しい。取れてピッチャーの1枠だな」
「だったら楽勝だろ太陽なら」
「いや、あいつがいる」
「あいつ?」
「数馬だよ」
結城数馬が、太陽の、最大のライバル。




