115.「俺に足りなかったもの」
「先生、ありがとうございました」
「お大事に」
(ガラガラガラ)
はぁ~。
俺らしい、微妙な最後。
1年生の俺のスポーツ大会は、保健室送りで幕を閉じた。
突然モテ始めたのは一瞬だけ。
スポーツ大会、サッカーPK戦での俺のモテ期は終了した。
わずか数分。
いや、下手すれば数秒。
女子たちからキャーキャー言われていたのはほんの一瞬の出来事。
昼間スポーツ大会があった校庭の騒がしいあの声が嘘のように、校舎内は静寂に包まれていた。
3年生の入る第二校舎の1階にある保健室を出る。
渡り廊下を歩いて第一校舎へ移動する。
今日は終日スポーツ大会。
ほとんどの生徒がすでに下校している。
一度パン研に顔を出す事にする。
太陽と待ち合わせをしているのは夜8時。
それまでまだ時間もある。
あそこに向かう事にした。
自習が出来る、俺のとっておきの場所。
スポーツ大会があったからといって、勉強をおろそかには出来ない。
俺は中間テストで、藍色の未来ノートの力を借りて特別進学部に残る事が出来た。
俺の成績が悪ければ、俺の事を思ってくれている周りの人を悲しませてしまう。
赤点を取れば、終わっていたはずの俺の人生。
あの入試は過去の話になってしまった。
俺は今、間違いなくこの平安高校特別進学部の生徒の一員だ。
責任を果たさなければいけない。
俺の背中には、入りたくても入れなかった受験生の人生がのしかかっている。
あいつらの背中を追って生きていきたい。
太陽だって、数馬だって、俺に勉強を教えてくれた大事な友達。
サッカー部の控えに甘んじる翔馬だって、悔しい想いを抱えながらバカ正直に前だけを見つめて生きている。
刺激を受けた。
友達の熱い生き方から学んだ。
結局最後は精神論なのだと知った。
『俺に足りなかったもの』
今日のスポーツ大会で、勉強に通じる確かな気持ちを知ることが出来た。
3年生の特別進学部、アスリート集団のSAクラスを撃破した。
俺たちよりも成績優秀な、1年生特別進学部S1クラスをも決勝戦で撃破した。
同じクラスメイトの、翔馬と数馬が背中で見せてくれたジャイアントキリング。
『俺に足りなかったもの』
それを確認できたのは、翔馬と数馬が俺を1発勝負の学年対抗トーナメント戦で優勝まで導いてくれたおかげだ。
1回戦の2年生特別進学部S2クラスとの試合に敗れていれば、俺はこの事に気づく事無く、いつまでもウジウジとした生き方をしていたに違いない。
今日から俺は、前だけを見て生きていく。
翔馬、数馬、S2のガリ勉男子がスポーツ大会で優勝だって出来たんだもんな。
不可能なんてものは、この世には無いのかもしれない。
勝手に俺は、自分が出来る事の限界を自分自身で設定してしまっていた。
勉強だって、頑張れば優勝できるかも知れない。
今日の俺は随分と興奮している。
俺の右手に残るボールの感触。
パンチングで弾いたボールの数だけの自信がみなぎっていた。
藍色の未来ノートが俺に教えてくれた事。
相棒が教えてくれた、自分への自信。
あのサッカーの弾丸シュート、これでもかと言う程のシュートをパンチングで地面に叩き落す。
歓声が上がる。
PK戦で、俺がパンチしてボールを弾く度に、みんなが俺を見て歓声を上げていた。
楽しかった。
みんなが俺を認めてくれているようで、あんな気持ちになれたのは初めての経験だった。
あんな風に周りが自分を認めてくれる瞬間を、俺は何度でも味わいたいとすら感じていた。
テストだって、きっと同じに違いない。
自分の力で物事を達成する快感。
俺はそれを知った。
自分の出した結果が周りに与える影響の大きさを。
サッカーの1点はとても重たい。
俺は、テストの1点を今までおろそかにしていた。
『1点も無駄にはできない』
この1点の差が、PK戦で大きな結果となって跳ねかえる。
数馬がPK戦のキックを外した時の、あの悔しそうな声と顔が今でも脳裏に焼き付いて離れない。
1点があれほど大事だと感じた瞬間は今まで一度も無かった。
俺は1点という数字に対して、これまでとても失礼だったような気がする。
無駄には出来ない、1点も無駄には。
たとえそれが、テストと言う名の勝負であったとしても。
第一校舎の1階奥、旧図書館にたどり着く。
たしかクラスメイトの岬と末摘さんが、俺のいる保健室に来た声がした。
まだいるかな2人とも?
旧図書館に足を踏み入れる。
奥から女子の声が聞こえる。
この旧図書館は今は利用停止になっている。
パンダ研究部の部員しか、この旧図書館には用がない。
(「――凄かったね」)
(「――は興奮し過ぎ」)
末摘さんと岬の声がする。
2人が部活動をしているらしい。
部活と言っても、せいぜい部室でマッタリする程度の話。
たいした活動はしていないはず。
部室のドアが開けっぱなし。
すでに部長の席がここから見える。
南部長が、パソコンのモニターを凝視している姿が目に入る。
「お疲れ様です~」
「あ~後輩君お疲れ。適当にしてって」
「うっす」
適当にしていって良いらしいので、適当に俺も返事をしておく。
モニターには2匹のパンダの赤ちゃんが動いている姿が見える。
まるで我が子を見るような南夕子部長の真剣な眼差し。
「あっ高木君」
「末摘さん部活お疲れ様です」
「あんた、もう動いて良いわけ?」
「あのまま保健室で泊れって言うのか岬?」
岬が俺と視線を合わせるなり、大胆に組んでいた足をほどいて立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。
まじまじと俺の顔を見るショートヘアの岬れな。
顔は随分とニヤついている。
「アホヅラ」
「誰がチャングンソクだって?」
「死ねし」
顔はニヤついたまま、元の席に座ってプリッツをポリポリ食べ始める岬れな。
末摘さんが入れ替わりに俺の近くに歩み寄る。
「高木君、高木君」
「どうしたの?」
「優勝おめでろう」
「お、おう」
「凄くカッコ良かったよ高木君」
『凄くカッコ良かったよ高木君』
『凄くカッコ良かったよ高木君』
『凄くカッコ良かったよ高木君』
俺が。
カッコ良い?
「ちょっと花。そいつすぐ勘違いするから言い過ぎ」
「そ、そんなつもりじゃ」
だ、だよな。
そんなつもりじゃないらしい。
おっと、危ない。
こんな事をしている場合じゃなかった。
明日からすぐに授業が再開される。
俺は相棒から、未来の問題の予告を受けていた。
『答えが浮かび上がっていない化学の小テストの問題』
すべての問題が出るわけでもない。
答えだって、出たり出なかったり。
俺の相棒は気まぐれ。
答えが無いなら無いで、問題集や教科書から調べるまで。
調べる行為もまた勉強になる。
分からない問題を調べるならなおさら。
最近気づいた事。
サッカーのゴールキーパーを素人が土曜日のたった1日だけ練習して気づいた結果。
『予習不足』
俺は予習が不足していた。
ゴールキーパーの練習、もっとやっておけば良かったととても後悔している。
楓先輩から、以前渡されて読んだ事がある、あの本の事が今の俺の気持ちを突き動かす。
失敗して思い起こす、とても大事な本の話。
『こころは必ず強くなる』
野球部のマネージャーを長年続けている神宮司楓先輩。
野球が好きな先輩らしい、俺に渡してくれた1冊の本。
あの本。
内容は何となく覚えているけど。
もう1度読みたいと思った。
一度読んだ本をもう一度読みたいと思うのは、俺にとって珍しい事だ。
「じゃあ末摘さん、俺行くわ」
「えっ?高木君どこ行くの?」
「隣」
「隣?」
「部長、図書館借ります~」
「あ~適当にしてって~」
南部長に図書館の使用許可を出す権利は無いが、一応部長に声をかけて置く。
パンダ研究部の部室を出て、俺は旧図書館の席に座り勉強を始める事にする。
図書館に1人。
自分との戦いが始まる。
まだ日の光が十分に入る窓側の席。
藍色の未来ノートの1ページ目を開く。
化学の問題。
やはり、答えは浮かび上がってはいない。
昼間は試合中で、1ページ目をマジマジと見る事は出来なかった。
もう答えは覚えていない。
調べるしかない、自分で答えを。
この図書館には、化学の小テストの答えを調べるための本がたくさん置かれている。
答えは自分で調べろ。
そういう事だろ、相棒。
化学の問題を解き始める。
最初の問題ですぐ分からなくなり、教科書を見ては問題を解く。
図書館にある問題集を見ては、類似の問題を探し答えを導く。
普段の俺なら絶対にやらない勉強。
次の化学の問題、あっ、これは授業でやったやつ。
授業で書き写したノートを見る。
未来ノートではない、普通のノート。
俺が化学の授業で書き写したノートに、未来の答えは書かれていた。
俺自身が、授業で書き写したノートには、沢山の答えが書かれていた。
無事に終わる。
ここまでの授業の復習テストのような小テスト。
明日の化学でテストが実施される可能性は高そうだ。
藍色の未来ノートは、俺に一体何をやらせようとしているのだろうか?
1ページ目といい、最終ページといい、気まぐれにもほどがある。
考えていても仕方がない。
化学の勉強は終わった。
別の科目勉強に移る事にする。
ふと。
2ページ目が気になり、1ページ未来ノートをめくる。
……英語の問題!?
マジかよ。
英語、長文問題、文法問題。
出題形式からして、ローズ先生の英語コミュニケーションⅠとは考えにくい。
明日の時間割を調べる。
明日は、1限目が化学の授業。
2限目に叶月夜先生が担当する英語の授業がある。
未来ノートの問題は、未来に俺が受けるテストの順番に1ページ目から映し出される事を、俺は経験則で知っている。
未来の問題を解く事にも、俺はもう躊躇しない。
この調べる行為すら勉強になる。
俺はこの問題を解いて、さらに図書館にある別の英語の問題集を演習する。
その次は数学、その次は日本史だ。
そのうち未来の問題が映し出されなくなる未来ノートは、俺に力を与えてくれる道具ではない。
なまけない、サボらない。
毎日ラジオ英会話も聞き続ける。
中間テストまで毎週金曜日に、俺が英会話レッスンをサボらないように見てくれていた2人の先生。
俺はもうすでに、誰かに言われなければ勉強をしない男では無くなっている。
蓮見詩織姉さん、成瀬結衣に渡された2年分のラジオ英会話のレッスンを、俺は毎日欠かさず聞き、テキストで読み上げられる英文を別のノートに書き写す毎日を続けている。
そしてもう1つ、2人の先生に言われた事。
英語能力検定4級の受験。
今週の日曜日。
神宮司葵も受験する。
保健室で渡された成瀬からもらった英語能力検定4級の過去問のプリント。
インターネットで公開されているらしい。
家にプリンターの無い俺に、わざわざ成瀬が職員室に寄ってプリントアウトしてきてくれた。
藍色の未来ノートの2ページ目に映し出されたこの英語の問題。
調べ終わったら、次は4級の過去問の演習をさっそく始め……。
……また。
またなのか相棒。
お前は本当にきまぐれ過ぎる。
化学の問題の答えは消えてしまったのに。
なんで。
なんでだよ。
藍色の未来ノートの2ページ目に未来の英語の問題。
空欄だったはずの解答部分に。
『紫色の答えが、浮かび上がっていた』
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「後輩君~もう図書館締めちゃうよ」
「えっ?もう閉めるんですか部長?」
「電気が消されちゃうのよ。もうパンダ見られなくなるからおしまいです」
パンダ研究部、相変わらず活動実態が不明。
こんな遅い時間までダラダラと女子3人で何をしていたのかは分からない。
岬が俺に話しかける。
「もう下校時間だっつーの。あんた、いつまで勉強する気?」
「分かったよ岬、もう片付けるって」
旧図書館に西日が差し込む。
しばらく勉強に没頭していた俺。
パン研の部員4人で帰る事になる。
校舎の中を移動中、話題は5月の大型連休の話に。
「部長たちみんなでゴールデンウィーク、パリに行ってたんですか!?」
「あんたは大げさ」
「みんなで何しにパリまで行って来たんです?」
「パンダ研究部なんだから、パンダを見に行ったに決まってるでしょ?」
「この部、海外遠征まであったんですか?パスポート無いですよ俺」
「あんたもパス取れし」
「そんな金ないよ岬。地球の裏側行かなくても、上野動物園に行けばパンダ見られるだろ?」
「そっちも今度行くっしょ」
「マジか」
世界をまたにかけるパンダ研究部。
パンダのグローバル化が止まらない。
第一校舎、下駄箱まで歩いてくる。
あれ?
俺の靴に。
また紫色の何か紙が挟まってる。
たしか以前も、同じ紫色の紙があったな。
靴を履く前に、その紫色の紙を手に取る。
紫色の紙の中には、手紙が1枚入っていた。
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優勝おめでとうございます。
あなたの事、応援しています。
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差出人が分からない。
とても綺麗な字で書かれた手紙。
まるで、俺を応援してくれているような。
不思議な手紙のエール。
この前にも一度会った、差出人の不明な手紙。
今日1日、スポーツ大会を頑張った甲斐があったらしい。
少なくとも校内の誰かなのは確からしい。
「後輩君~まだ~」
「はい部長、今行きます」
南部長が呼んでる。
俺は慌てて手紙をカバンにしまい込み、パン研の3人が待つ校舎の外へと小走りに駆け出した。




