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103.「コンプレックス」

 夜8時。

 太陽の家の近くにある、小さな公園。

 辺りはすっかり暗くなっている。

 小さな公園を、1つの街灯が薄暗い夜を照らす。



「ようシュドウ、おはようさん」

「もう夜だって太陽」

「ははは」



 太陽が約束の時間に来た。

 やはりこの前すっぽかしたのは、本当に忘れてしまっていたんだと思う。

 スマホのラインすら交換せず、石器時代そのままに原始的に直接口約束だけ交わしていた俺たち2人。

 太陽は何やらグローブを2つと、野球のボールを1つ両手に持っている。



「投げないかシュドウ?」 

「えっ?」



 太陽がグローブを1つ投げてくる。

 随分と使い古されたグローブ。



「太陽のグローブは?」

「こっちは新品。実はさ、この前約束忘れちまってた日あるだろ?」

「ああ、太陽にしては珍しかったよな」

「本当悪いシュドウ。あの日さ、ちょっと楓先輩から色々言われてよ。これ買いに行ってた」

「なんだよ、グローブ新調してたのかよ」

「まあ、な」



 楓先輩から色々。

 太陽、俺と待ち合わせしてた日、楓先輩から練習中に何か言われたのかな?


 太陽が投げてきて、受け止めた古いグローブ。

 グローブの裏側には「朝日太陽」の名前と一緒に、「克己心」という言葉が刻まれていた。



克己心(こっきしん)?」

「そう、克己心だな」

「なんだよそれ」

「おのれに徹して、人のために生きよってな」

「自分との戦いか?」

「う~ん、少し違うな」



 太陽曰く、中学生の時の野球の監督に教えられた座右の銘らしい。

 太陽は気持ちの切り替えが必要な時に、決まってこの言葉を胸に刻むと話す。


 キャッチボールを始める俺と太陽。

 平日の真夜中。

 2人でバカやってるって、俺も太陽も、絶対にそう思っている。


 ただ無性に嬉しかった。

 太陽が、ゆるくて、俺にも受け止められる程度の力で、ゆっくりとボールを投げてくれる。

 太陽が投げてくれるボールを俺は、太陽が使っていたグローブで受け止め、また太陽に投げ返す。


 ただそれだけ。

 このただのキャッチボールが、俺は、楽しくてしょうがなかった。



「ゆっくり投げろよ。また窓ガラス割ったらかなわねえからない」

「今度はお前が謝れよ太陽」

「あったり前だろ。俺は子供じゃないんだよシュドウ」

「はは、また窓ガラス割ったら、俺も一緒に謝ってやるよ」


 

 くだらない、太陽と俺だけが知っている昔話。

 キャッチボールをしながら、太陽が俺に話しかけてくる。



「なあシュドウ。野球って1人でやるスポーツじゃないんだ」

「そうだな、たしかに」

「お前も勉強1人でやってるつもりだろうが、俺はシュドウの中間テストで大きな力をもらった」

「何にもしてないよ俺は」

「そうじゃない。1人でやってる事だって、他人に大きな影響を与えるんだ」



 おまじないのような精神論。

 ただ野球も勉強も通じるものはあると太陽は言う。



「シュドウ。人のために何かをしようとする力は、必ず大きな力になる」

「私利私欲じゃなくて、人が喜ぶような事してた方が良いって事?」

「シュドウ、お前は今、何のために勉強してる?」

「なにって」



 なんだろう。

 分からない。

 少なくとも中間テストは、藤原先生の事が頭をよぎって、自分の赤点の事なんてどうでも良いとすら考えてしまった。


 自分の事しか考えずに、平安高校の入試を受けた時とは違う考えを確かに抱いていた気がする。

 あの時、中間テストを受けるために必死に勉強していた俺は。



「太陽も数馬も、みんなが勉強教えてくれて。みんなを悲しませたくないって、そんな感じ」

「良いぞシュドウ。誰かのために勉強するってのはとても良い事だ」

「そんなもんかな」

「ああ、そうだ。俺が言うのもなんだがな」

「前向きだな太陽」



 そう。

 太陽はいつだって前向きに生きている。


 克己心。

 おのれに徹して人のために生きる。

 いい言葉だ。


 公園のベンチに座る。

 太陽にしては、神妙な顔。


 そういえばこの前、機は熟したとか意味分かんない事言ってたな。

 太陽が口を開く。



「シュドウ」

「ああ」

「俺さ、告白しようと思ってる」

「やるのか?ついに」

「ああ」



 ついにこの日が来たか。

 以前、太陽の本心は聞いている。

 タイミングが今だって、そう思ったに違いない。



「楓先輩に告白する」

「そうか」



 男の決断。

 神宮司楓に告白する。

 太陽は男だ。

 いつだってブレない、俺も憧れる男の中の男。

 あの成瀬結衣の告白すらも断った、ブレない太陽が追い求めてきた想い人。



「今度、夏の地区予選に向けたレギュラーを決める紅白戦が行われる」

「数馬が言ってたな。なれるのか1年で?」

「野手は正直厳しい。だがピッチャーなら芽はある。必ず1年生1人はベンチに入れる方針に変わりがねえ」

「言ってたもんな、迫田監督の方針」



 平安高校の野球部を名門校に育て上げた名将迫田監督。

 各学年、投手に関しては学年間のチームバランスを保つために、必ずレギュラーとして1名以上はベンチに入れる方針を貫いている。


 太陽はそれを中学1年生の時、しいては小学校のジュニアクラブの野球チームに所属していた時から分析していた事を俺は知っている。

 だから太陽は右投げの本格派ピッチャーを目指して、練習につぐ練習を重ねてきた。

 

 こいつは本当に頭が良い。

 そしてブレない。

 太陽が野球の練習をサボった日を俺は知らない。


 太陽のがっちりとした体つきがその証拠。

 その点では、結城数馬も同じ事が言える。



「来週、スポーツ大会あるだろ?」

「えっ?あっ」

「もう忘れてたのかよシュドウ?」

「ヤベ!?俺、ゴールキーパー任命されてたの忘れてたよ!」

「ははは、寄りにも寄ってゴールキーパーかよ。大丈夫かシュドウ?S2のゴール守れるのか?」

「無理、絶対無理」



 うわ。

 とんでもない事、今になって思い出したよ。



「それでなシュドウ、スポーツ大会。あれ、全学年参加だろ?」

「だな。当然、楓先輩も見てるよな」

「あれが終わったらな。呼ぶつもり」

「どこに?」

「第二校舎の中庭にさ、桐の木が1本植えてあるの知ってるか?」

「それって、噴水と小さな池があるとこ?」

「そうそう、そこそこ」



 あそこは曲水の宴で、毎日成瀬姉妹と神宮司姉妹がお茶やら和歌やらを詠んでる場所。



「知ってるも何も、あそこに呼び出されて俺、血祭りに上げられたんだからな」

「ははは、相変わらず面白い事やってんなシュドウ」

「笑えないって」



 太陽のやつ。

 あの桐の木の下で、神宮司楓先輩に告白するつもりのようだ。



「スポーツ大会終わったら呼ぶのか太陽?」

「野球部の先輩に聞いてる。あの大会終わったらすぐに生徒は解散になる。そこがチャンスだ」

「なんて言うつもりだよ楓先輩に?」

「それはだな、甲子園に連れて行きますって、そんな感じ」

「王道だな」

「そうだよ」

「それ連れて行けなかったらどうなるんだよ?」

「そうなんだよシュドウ、どうすりゃ良い俺?」

「俺が知るかよ」



 いつの間にか、恋愛相談になっていた。



「そんな回りくどい事言わずに、ストレート投げろよ太陽。つきあって下さいで良くね?」

「それで撃沈した先輩が俺の知る限り20は超える」

「嘘だろ!?全滅じゃん、生き残りはいないのかよ?」

「全員死亡した」

「マジか~って、それ野球部の先輩全部じゃないのか?」

「半分だな。ストレートはダメだシュドウ。変化球を織り交ぜないと、この試合は攻略できない」

「それムリゲーだって……それで甲子園の条件付きか?考えたな」

「まあ、な」



 理系男子の頭脳戦。

 3年間野球部のマネージャーをしている神宮司楓先輩。

 当然野球が大好きなはず。


 1年生でレギュラー取って、県予選の地方大会を優勝し、投手として自分の力で楓先輩を甲子園に連れて行く。

 太陽が楓先輩と初めて出会ったのが中学1年生の時。


 3年生の楓先輩は来年には卒業してしまう。

 チャンスは1度きり。

 3年がかり、太陽が野球人生をかけた大作戦だ。



「スポーツ大会の後か。俺もこっそり中庭見に行くな」

「絶対来るなよシュドウ!」



 想い積もり積もって3年もバカみたいに練習を続けてきて、昼間は想い人を目の前にして、ライン交換するだけであの騒ぎ。

 あっ、そういえば俺。

 太陽に1つ聞きたい事があったんだった。



「なあ太陽。お前さ」

「ん?なんだよシュドウ」

「昼間、楓先輩とライン交換しただろ?」

「あれはマジ助かった。本当サンキューなシュドウ」

「良いってあんなの。お前さ」

「なんだよ」



 あのロッカーすらまともに開けられなくなる慌てぶり。

 神宮司楓先輩を目の前にした太陽の慌てぶり。

 


「楓先輩とお付き合い出来たら、なにするの?デートか?」

「シュ、シュ、シュドウーー!!」

「うわ!?気持ち悪いから離れろよ太陽!?」

「どうすりゃいい?もしそうなったら、デートとかどこ連れていきゃ良いんだよ?」

「知らないよ俺が。図書館でも2人で行けば良いだろ?」

「図書館行って俺と先輩で何しろって言うんだよ!」

「タイタニックでも見れば良いだろ2人で?お前だけ沈めば良いんだよ」



 こと、ここにきて分かっていた事ではあるが。

 太陽も俺も、女子とお付き合いした経験が1秒も無い。


 

「あの図書館、私語禁止だろ?」

「だったら黙って手でも繋げばいいだろ」

「嫌われたらどうするんだよ?」

「知らないよ俺が。楓先輩が良いって言ったら良いんじゃないのかよ」



 恋愛偏差値ゼロ同士の男子2人で、告白に成功した後のシミュレーションを重ねる。

 時間があっという間に過ぎていく。

 最後は来週のスポーツ大会後の告白、甲子園出場条件付きのお付き合いでアタックする最終確認を交わした俺と太陽。


 告白成功率は算出不能。

 楓先輩が良いと言うかダメと言うか俺が分かるわけがない。



「分かってる分かってるって。結果がどうあれ」

「来週は8時」

「約束な」

「おう」



 公園で別れる事にする。

 太陽は大きく手を振り俺を見送る。


 朝日太陽。

 想い人のために命をかけて練習も勉強も頑張る、熱い心を持った俺の大親友。


 彼のグローブに刻まれる克己心という言葉。

 己に徹して、人の為に生きる。


 朝日太陽。

 自身のために毎日必死に練習しているだけじゃなくて、楓先輩という想い人を追って、それをモチベーションに生きてきた男。


 自分自身の事ばかり考えて勉強してきた俺は、目的にために前向きに生きる生き方を太陽から学んだ気がする。


 成瀬結衣の告白を断ってまで。

 本当、ブレないお前は神だよ神。


 俺はそんな親友の背中を見送り、振り向き、家に帰る事にする。

 帰ったら俺も勉強しないとな。

 

 俺もいつか、誰かの為に勉強頑張ってるって、太陽みたいに言える日が、いつか来るのだろうか。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






 太陽と公園で別れ、自宅アパートに戻ってくる。

 どうやら太陽は、来週のスポーツ大会終了後、憧れ続けた神宮司楓先輩に告白するつもりのようだ。


 太陽はスポーツもできるし、俺に勉強教えられるくらい頭が良いし、こんなバカな俺に勉強教えようとしてくれるほど性格が良い男子。

 あるいはお前なら、いや、神宮司楓は無理かも知れないな。


 撃沈したら慰めてやるか。

 こんな時くらいしか、あいつの力になってやれないしな俺。


 自宅アパートに戻り、勉強するために机に向かう。

 そうだ、相棒、チェックしとかないと。


 俺の相棒は気まぐれ。

 たまに出ては消える、自転車の補助輪のようなやつ。


 この補助輪が厄介だ。

 自転車を操縦したて、自転車に初めて乗ろうとしている俺に、いきなり未来ノートと言う補助輪が現れた。


 この補助輪があれば、俺はいつまでも自転車をこぎ続けられると思っていた。

 考えが甘かった。

 入試が終わった途端、自転車の補助輪がいきなり消えてなくなった。


 俺の自転車は方向性を失って、迷いに迷った。

 4月の話だ。

 俺は出たり出なかったりする自転車の補助輪という名の、未来ノートに映し出される未来の問題に翻弄され続けた。


 俺は自立する。

 今はまだ自分一人の力では操縦できない自転車。

 超恥ずかしい、高1になって乗る補助輪付きの自転車から卒業してやる。


 俺の相棒、藍色の未来ノートはきまぐれ。

 未来のテストの問題が出たり出なかったりする。


 俺は中間テストで赤点を取りそうになった時、藤原先生とS2クラスのみんなの事を考えて、一度は捨てた白い未来ノートを、母校の小学校、桐の木の下から掘り起こした。


 表紙の色が変わってしまった未来ノート。

 そもそも未来ノートなんて、俺が勝手にそう言ってるだけのノート。


 このノートは、未来で俺が受けるはずのテストの問題が出たり出なかったりする不思議なノート。

 俺は中間テストの赤点を覚悟していた時。

 最後に、誰かを不幸にしたくないとすら強く考えたあの日。


 この藍色の未来ノートに願った。



『俺に未来を見せてくれ』



 あの日から、この藍色ノートは、俺と共に勉強する相棒になった。

 きまぐれな相棒に、すべてを頼る事はできない。


 全部は見せてやらないよ。

 未来ノートの1ページ目を開く。


 ほら。

 また真っ白。

 以前の表紙も裏も白かった未来ノートと何ら変わりはない。


 変わったのは表紙と裏も藍色に変わっただけ。

 そういえば、この藍色の未来ノートの最終ページ。


 あいつの短冊、挟んでたんだっけ。



――――――――――――――


由良のとを 渡る舟人 かぢを絶え 


ゆくへも知らぬ 恋の道かな


――――――――――――――



 長細い藍色(あいいろ)の紙。

 神宮司葵の短冊。


 まったく、何だよこの和歌。

 あれ?

 おい。

 どうなってんだよこの藍色の未来ノートの最終ページ。


 1ページ目にいつも印字されているテストの未来の問題と全く違う。

 俺はビックリして1ページ目をパラパラとめくり返す。


 ない。

 白紙。

 1ページ目の俺が未来に受けるはずのテストの問題はやはり出ていない。


 もう1度、藍色の未来ノートの最終ページに戻る。







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□□□□□□□□□□

□□□□□□□■■□

□□□□□□□■■□





 四角いゴールネットのようなものが印字されている。

 それになんだよ。

 この黒いとこ。


 また未来ノート壊れちゃったのか?

 藍色の未来ノートの最終ぺージには、同じような絵があと2つあった。






□□□□□□□□□□

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□□□□□□□□□□

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□□□□■■□□□□

□□□□□□□□□□





 う~ん。

 なにこれ?

 全然、意味分かんない。


 俺の相棒。

 あの神宮司葵や、成瀬結衣と一緒で、宇宙過ぎて、全然意味分かんない。


 どうでもいいか。

 特に勉強には関係なさそうだ。

 俺は藍色の未来ノートを閉じて、古文の問題集の勉強を始めた。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




(キ~ンコ~ンカ~ンコ~ン)



 次の日。

 今日からスポーツ大会の日までは、体育が2限連続で行われる。


 女子は体育館でバスケットボール。

 男子は校庭でサッカー。


 もちろん、スポーツ大会で行われる、総合普通科のクラス、1年生から3年生の各クラスでガチンコ勝負をするトーナメントに備えた練習。



「みんなこちらへ」

「はい」



 このスポーツ大会が行われる期間中は、教師たちも教科に関わらず、総出で校庭や体育館にひっきりなしに駆け付ける。


 今日は特別進学部のS1クラス、S2クラスで合同の体育授業が2限連続で実施される。

 S1クラスの担任は女性の叶月夜先生。

 今は女子たちのいる体育館にいる。


 そしてS2クラスの担任は、同じく乙女の心を持った女子?の御所水流先生。

 理由は不明だが、俺たちS2クラスの担任は、女子たちが集う体育館に消えて行った。

 男子じゃないのかよあの先生?


 よってこの体育の授業。

 S1クラスとS2クラスの担任が2名とも不在のため、急遽応援に駆け付けたSAクラスの枕草子先生が仕切る。


 校舎の外にある大きな校庭。

 それをまず2分割する。


 本体の大きさは校庭全面を使って左と右にゴールが1つずつ設置される公式試合の大きさ。

 スポーツ大会では、決勝トーナメントまで校庭を2分割して、同時に2試合ずつ行われる予定。


 高校生ともなれば、中にはユースでプロのサッカーチームに入るやつまでいるサッカーの世界。

 校庭を2分割して、狭いエリアで激しい男たちのぶつかり合いが予想される。


 決勝トーナメントまで進んだクラスの試合から、校庭全面を使ったガチンコ勝負。

 聞くところによると、男子の試合は女子より進行が遅いらしい。


 この決勝トーナメントは、例年バスケの全試合が終了した体育館から女子たちが観戦に校庭へ集まると聞く。

 俺のいるS2クラスには関係のない話。

 そんな決勝トーナメントまで、ガリ勉の集まりであるS2が進むことはまずないんだけどね。


 俺の先入観にはわけがある。

 特別進学部、SAクラスの存在だ。


 朝日太陽のいるスポーツ推薦で全国から集まった運動神経抜群のアスリートたちが集うSAクラスに、俺たちS2の一般入試組がサッカーで勝てる要素はゼロと言っていい。

 マジでムリゲー。 



(「S2の連中なんかと一緒に練習できるかよ」)

(「こいつらといるとバカが移るぜ」)



 枕草子先生から今日の練習の概要説明が終わろうとするとの時。

 S1の男子の連中から、S2の男子をバカにする発言が聞こえてくる。


 右と左に1列になり、隣同士に並んで立っていたS1とS2の男子たちがにらみ合いを始める。

 S1の連中の文句の発端は、先月あった4月のあの事件。

 S2クラスに対する視線は、学内でまだくすぶっていた。



「では練習を始めて下さい」



 SAクラス担任の枕草子先生が練習始めの合図をするなり、隣同士で整列していたS1とS2の生徒の間で一触即発の事態が起こる。


 S2から聞こえてくる声の方を振り向く。

 サッカー部の氏家翔馬(うじいえしょうま)の声だ。



「レギュラーでもないお前がいるクラスが、俺のいるS1クラスに勝てると思うなよ」

「なんやと、喧嘩売っとんのか紀藤(きとう)

「お前のその身長、何とかしてから出直すんだな」

「ぐっ」



 2人の男子が何か言い争いをしてるのを見ていた俺。

 翔馬がすぐに言い返せなくなる。

 

 身長が低い事を揶揄(やゆ)してやがる。

 なに言ってんだよあいつ。

 なにも言い返さない翔馬を見て、俺はカッとなって2人の前に割って入る。



「おい、ちょっとお前なに言ってんだよ」

「背が低いやつがスポーツなんかしてないで、S2らしく勉強だけしてれば良いって言ってんだよ」

「ふざけた事言ってんじゃないよ」



(ピピピッ)



 SAクラスの枕草子先生が、俺たちの口論を聞きつけて駆けつけてくる。



「どうしました?」

「赤点男が俺に喧嘩売ってきたんです」

「喧嘩売ってきたのはそっちだろ」

「おい守道」

「良いのかよ翔馬、お前は言われっぱなしで……」



 氏家翔馬の目に、涙が浮かんでいた。

 とても悔しいはずなのに、事実を突きつけられて、我慢してこらえている。


 翔馬が大人の対応をしてる。

 怒鳴り返していただけの俺は、我慢している翔馬の姿を見て我に返る。

 枕草子先生が声をかけてくる。



「落ち着いたかな高木君?」

「はい」

紀藤(きとう)君、なにか意見は?」

「ありません」

「双方よろしいかな?」

「はい」



 枕草子先生、いつも冷静で、相手の意見をちゃんと聞いてくる。

 背が低い事を言われていた翔馬が、我慢して黙り込んでしまった以上、俺がこれ以上何も言う事はできない。


 相手はサッカー部のレギュラー取ってる、高身長のS1クラスの男子。

 対して翔馬は、正直俺より背が低くて、こいつにサッカーでとても勝てそうにない。

 この前授業合間に話をしている時、翔馬が口を濁した、レギュラーじゃないって言ってた発言。


 なんだかここで、合点がいったような気がする。

 氏家翔馬は、このS1でサッカー部のレギュラー取ってる紀藤(きとう)ってやつに、劣等感を抱いているように感じる。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






「さっきはありがとうな守道」

「良いのかよ翔馬」

「俺がレギュラーなれんのは分かっとる、こない背低いし」



 やっぱり氏家翔馬、背が低い事にコンプレックスを感じている。

 


「練習しようや守道」

「お、おう」



 俺は翔馬とペアになって、サッカーボールをお互いにけり合う。



「やべ、ごめん翔馬」

「はは、下手くそやな守道~。足のつま先を蹴りたい方向に向けんと、あさっての方向飛んでいくで~」

「悪い」



 翔馬が俺にサッカーボールの蹴り方を教えてくれる。

 俺、まともにサッカーなんて練習した事1度も無い。


 俺が蹴りたい方向に蹴られず、何度も正面にいる翔馬の左右にバラバラに蹴ってしまうのに。

 翔馬は笑いながら、やれ足の向きが違うだの、俺の方を向けだのサッカーを教えてくれる。


 俺と翔馬のペアの2つ隣のペア。

 結城数馬はポンポンボールを蹴ってる。


 全然弾道がブレずにまっすぐ相手の方にボールが向かってる。

 やっぱり数馬は、運動神経が超良い。


 ペアの練習が終わり、練習のフリータイム。

 フォワードを担当する2名。

 氏家翔馬と、結城数馬。

 それに俺の3人で固まる。


 数馬が口を開く。

 さっきのS1男子との口論の事だ。



「ひどいねさっきの」

「ま、まあな」

「偉かったよ翔馬君。あそこは手を出した方が負けだった」



 手を出した方が負け。

 そんな事、全然思いもせず、ついカッとなってしまった。

 分かっていたから耐えた。

 氏家翔馬の方が、俺よりもずっと大人だった。


 口論の相手となったのは特別進学部S1クラス、紀藤光(きとうひかる)という名の男子。

 1年生にして、サッカー部のレギュラーを取った実力者らしい。


 翔馬が感じているコンプレックス。

 背が低い事を揶揄しやがって、あいつ、嫌な奴だ。


 しかも俺たちがカッとなって。手を出す事を誘発しようとしたフシがある。

 頭の良いやつの考える事に、ますます嫌気がさしてくる。



「守道君は、本当に良い人だね」

「なんでだよ。短気だろ俺?」

「ははっ、僕は正直あそこで言い出せなかったよ。あんな状況で翔馬君の援護に入れる守道君は凄いと思ったよ」

「なんせ俺ゴールキーパーだからな。しっかり肉壁出来てただろ?」

「ははは、守道、お前最高やな」



 翔馬の顔に笑顔が戻る。

 俺は何度同じ場面になっても、友達があんな事言われてて黙って見てる事なんて出来やしない。

 昔から余計な一言ばっかり言って、損ばっかりしてきたバカな俺。

 笑顔になった翔馬が俺に声をかけてくる。




「よっしゃ守道。お前ゴールキーパーやろ?俺が練習つけたる」

「ええ!?立ってれば良いんじゃないの?」

「それやとただの肉壁やろ?ちゃんと動く壁やらんと」



(バッシューー!!)



「うわっ!?早すぎるって翔馬!」

「ははは、これでも随分加減しとるで守道」




 サッカー部、氏家翔馬の弾丸シュート。

 早すぎるって今の玉。


 あれ?

 このシュートの軌道が右下。

 なんだっけ。

 なんかこのコース、俺、覚えてるような。




□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□

□□□□□□□■■□

□□□□□□□■■□





「次いくよ守道君」

「ちょっと待てって数馬!?」



 翔馬に続いて、数馬がボールを蹴ってくる。



(バッシューー!!)




 シュートの軌道が、左下。

 おかしいな。

 俺、なんか、見た事ある軌道なんだけど。





□□□□□□□□□□

□□□□□□□□□□

□■■□□□□□□□

□■■□□□□□□□






 いやいやいやいや。

 ウソだろウソだろ。


 ウソだって絶対。

 あの藍色の未来ノートの最終ページ。

 俺の相棒、なんて未来の問題の答え出してきちゃってんだよ。


 きまぐれにも程があるっての。

 じゃあ何か?

 次に氏家翔馬が蹴るのか、結城数馬が蹴るのか知らないけど。


 次のシュートコースの弾道って、まさか。






□□□□□□□□□□

□□□□■■□□□□

□□□□■■□□□□

□□□□□□□□□□








 ど真ん中。






「いくで守道」

「お、おう。こい翔馬」



 動き出した翔馬。

 俺は一歩も動かない。

 ここにいれば、絶対防げる。




(バッシューー!!)




 きた!





□□□□□□□□□□

□□□□■■□□□□

□□□□■■□□□□

□□□□□□□□□□






(バシッ!!!)



「痛ってぇーー!?」

「ようやった守道!止めれたで」

「痛いって翔馬!」

「凄い凄い。あははは」



 サッカー部の氏家翔馬、強烈な弾丸シュートが、俺の読んでいたゴール真正面に向かってボールが飛んできた。


 シュートコースを塞ぐように肉壁となってゴールを守る俺に、容赦なくサッカーボールが体に直撃する。

 そもそも受け止める術を知らない、俺と言う名の肉壁で全面ガード。



「凄いよ守道。よく俺のシュートコース読み切ったね」

「まぐれだよ、まぐれ。痛ってぇーー!救急車呼べって翔馬」

「あははは」



 ウソだろ俺の相棒。

 どうなってんだよあの藍色の未来ノートの最終ページ。


 サッカーボールのシュートコースを事前に教えてくれてる?

 ふざけるなって。

 きまぐれにも程があり過ぎる。


 どこに飛んでくるのかあらかじめ分かってたら、全部じゃないけど体のどこかに当たりさえすれば、防げるぞ、相手のシュートを。


 でもこれじゃあ精度が悪すぎるし、そもそも俺、雷イレブンじゃないっての。

 痛くないようにボールを止める方法が知りたい。

 マジで痛い、マジ死ぬ。


 

「守道、お前ゴールキーパーの才能あるで。今度パンチングから教えたる」

「パンチラが何だって?」

「パンチングやパンチング。あははは」

「ちょ、ちょっと待てって翔馬!」

「行くで守道」




(バッシューー!!)




 

 俺の友人、S2クラス、サッカー部の氏家翔馬(うじいえしょうま)から、弾丸シュートの嵐が止まらない。


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