102.「不思議なエール」
1日の授業終わり、最後のホームルーム。
俺たちS2のクラス男子が来週控えるスポーツ大会の男子サッカーのクラス対抗戦、ポジション配置が行われた。
俺のポジションはゴールキーパーで決定。
S2の男子たちからプレッシャーをかけられる。
「守道、お前名前が守道だろ?」
「しっかり守れよ、俺たちのゴール」
「守れるかよ!?俺ずっと帰宅部だったんだぞ!?」
「あははは」
常にクラスで笑いを取り続ける俺。
名前が守道だからと言って、サッカーのゴールなんて守れるはずがない。
頼みのスポーツ関係の部活に所属する、サッカー部の氏家翔馬と野球部の結城数馬。
2人はフォワードのツートップ。
俺はクラスの一番後ろで、2年生・3年生、上級生たちとも対戦するかも知れないうえ、弾丸シュートを肉壁となって守る任務を与えられる。
マジかよ、死ぬ。
絶対外れクジだこのゴールキーパーというポジション。
今週の体育の授業は、明日からずっとサッカーの練習になるらしい。
中間テストの成績が発表され、俺は赤点回避を無事に果たした。
もちろん藍色の未来ノートの力のおかげ、ノートの力は大きかった。
それ以上に他の科目も得点源になったはず。
勉強の成果が出た結果だろう。
未来ノートに未来の問題が表示されなかった教科で、得点源として大きく貢献したのは、間違いなくまだ解答用紙が返されていない現代文と古文の2科目のはずだ。
あの2科目で点数を稼げたのは大きい。
各科目の得点は今はまだ分からないが、全10科目、1000点で590点の得点はほぼ6割。
S2クラスで最下位だったものの、今の俺が取れる限界の数字。
もっと言えば、1科目実力で26点だった俺にしてみれば上出来と言っていい。
藤原先生がどう言うか分からないが、きっと褒めてくれるに……違いない。
当然慢心できない、未来ノートを使い続ける限り。
1年生から2年生に上がる時は、S2クラスの下位2位は総合普通科へ転落する。
このまま中途半端に未来の問題が出続ける未来ノートに頼って赤点回避だけ続けていれば、俺は2年生に上がる時特別進学部から降格、総合普通科の生徒として2年生を迎える事になる。
苦手科目の克服が課題。
同じクラスのS2のクラスメイトは、例え数馬だろうが翔馬だろうが、岬れなすらライバルに他ならない。
特別進学部の生徒の宿命。
表では笑いあっていても、例え親友だったとしても、1年生最後の期末テストまでは、俺たちS2のクラスメイトはテストで真剣勝負をするしかない関係だ。
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「皆さ~ん、明日も元気に来るのよ~」
「先生さようなら~」
ホームルームが終了し、御所水流先生が教室から出ていく。
この後、美術部に向かうらしい。
顧問をしているから当然。
S2の担任として朝晩ホームルームに顔を出すだけでも大変だろうに、なんで御所水先生、先月あんな事があったS2クラスの担任を引き受けてくれたんだろうか?
学内の事情は俺には分からない。
この後、俺は職員室に一度寄りたいと考えていた。
藤原宣孝先生に会いたかったからだ。
先生が俺の中間テストの結果をどう思っているのか聞きたかった。
俺は今回の中間テスト、誰の為でもなく、藤原先生に辞めて欲しくなかったから頑張った。
俺のモチベーション、一番の理由、何よりもそれがモチベーションだった。
「ほな、またな守道~」
「行ってくるよ守道君」
「おう、翔馬、数馬、サッカーと野球頑張れよ」
氏家翔馬と結城数馬。
それぞれサッカー部と野球部の部活に向かっていく。
本当この2人、部活しながら一体いつ勉強してるんだろうな?
時間は俺と同じ時間しか与えられていない。
深夜か早朝しか勉強時間は残されていないはず。
あの2人がいつ勉強しているのか、今の俺にはよく分かる。
(ざわざわ)
「あれ」
「S1の空蝉さんたちよ」
ん?
教室に残る生徒が何か話してる。
俺のいるS2クラスは、第一校舎3階フロアの一番奥にあるS1クラスと。
そこから2つ手前にあるSAクラスの2つのクラスに挟まれている。
教室の前の入口が3階フロア一番奥のS1クラス側、教室の後ろの入口がSAクラス側。
ざわつきはS1クラスがある前の入口の方から。
後ろを向いて翔馬と数馬を見送っていた俺。
ざわつきに気づき、教室の前を向く。
『2つの殺気』
うわ。
いた。
なんか、こっち凄く見てる、双子の女子2人。
あの2人たしか、しばらく数馬にずっと引っ付いてた野球部のマネージャーだよな。
凄いガンを飛ばしてきてる。
マジかよ。
その光景を見ながら、S2クラスの窓側に座っていた岬と末摘さんの2人が近づいてくる。
「あんた、また敵作ったでしょ?」
「敵?あれ敵なのか岬?」
「ぶっ殺すって顔じゃん」
「嘘だろ!?俺、なんかしたか!?」
岬と末摘さんが俺の席に近づいてくると、S2クラスをのぞき込んでいた双子姉妹。
俺にガンを飛ばすのを止めて廊下へヒョコっと一瞬で消えていった。
次の瞬間2つの影が、数馬を追って行くかのように、SAクラスの先にある下へ降りる階段方面へと消えて行った。
眼鏡女子の末摘さんが声をかけてくる。
「あ、あのね高木君。良かった、赤点じゃなくて」
(グサッ)
「うっ」
「ご、ごめんなさい。そんなつもりじゃなくて、嬉しくて」
「サ、サンキュー。赤点じゃ無かったよ俺」
クラスメイトの女子から「赤点じゃ無くて良かったですね」と言われれば、鉄の心を持つさすがの俺も激しく傷つく。
なんだかんだ言って、あの日、あの5人だけの1限目を迎えたメンバーとは仲良くなれたような気がする。
この後、岬から驚きの事実を聞かされる。
「末摘さんがパンダ研究部に入った!?」
「リアクションでか」
「う、うん」
「どうやってダマされたんですか末摘さん!?契約書?」
「部長さんとても優しかったし、お菓子もたくさん貰えたから」
「悪い事は言わないんで、今からでも引き返した方が良いですよ」
「そんなヤバい部活みたいに言うなし」
何をダマされたのか、クラスメイトの眼鏡女子、末摘さんがパンダリサーチクラブに入部してしまったらしい。
これでパン研の契約書にサインをしてしまったS2クラスのメンバーは全部で3人。
10人に1人はパンダ研究部。
マジかよ。
どうでも良い会話が終了し、これからパンダ研究部に向かうと言う2人と別れる。
俺はパンダの観察をしている暇はない、藤原先生に職員室まで会いに行く必要がある。
ロッカーからカバンを取り出し、身支度をして向かう事にする。
カバンの中には藍色の未来ノート。
本当、マジサンキュー。
未来ノート、お前がいなかったら俺、今この場に立ててない。
俺、超頑張ってこれから勉強するから、ちゃんと出来る男になれる日まで、俺と付き合ってくれよ相棒。
俺の相棒は気まぐれ。
藍色の未来ノート、相変わらず問題が出たり出なかったりする。
だけど最近、たまに答えまで見せるようになってきた俺の相棒。
機嫌が良い日と悪い日でもあるのかな?
理由は結局分からない。
「シュドウ君!」
「うわ!?なんだよ光源氏かよ」
「えへへ」
「高木君」
「成瀬」
藍色の未来ノートをカバンに隠す。
隣のS1クラスから、神宮司葵と幼なじみの成瀬結衣が出てきたようだ。
「成瀬、2人は美術部?」
「わたしはそう。葵さんは……」
「わたし、お稽古あるから帰るよ」
「お稽古?」
相変わらず言ってる事がまるで分からないこの子。
御所水先生が顧問をする美術部に入部している女子2人。
神宮司葵だけはパン研と美術部の掛け持ちで幽霊部員。
俺もパン研の幽霊部員なので、神宮司の文句は言えない。
「お稽古って何だよ。空手でもしてるのか?」
「う~ん……そだよ」
「黒帯取ったら、俺がチロルチョコおごってやるよ」
「やった!」
「ちょっと高木君。葵さん空手なんかしてません」
「そうなのかお前?」
「そだよ」
相変わらず俺の言う事は何でもかんでも肯定してしまう神宮司。
どうやらチョコは好きらしい。
「ようシュドウ」
「太陽」
「結衣に、神宮司さんか」
3人で話をしていると、SAから朝日太陽が合流してくる。
と、その時。
太陽のいる方を向いていると、3階の廊下の生徒たちからざわつきが聞こえてくる。
(「神宮司先輩よ」)
(「素敵~綺麗~」)
美しい大人の雰囲気を漂わせる絶対的美少女。
制服を着た大和撫子、神宮司楓先輩だ。
太陽が固まる。
こいつ、超分かりやすいやつ。
「葵ちゃん」
「お姉ちゃん~」
(ダキッ)
感動の姉妹の抱擁。
毎日やってんのかこの2人?
まるで1年ぶりに再会する姉妹のごとく、お姉ちゃんにベッタリと引っ付く神宮司葵。
「こんにちは楓先輩」
「結衣さんもご丁寧に。いつも葵ちゃんと一緒に居てくれてありがとう」
「いえ、わたしは別に。お友達ですから」
「結衣ちゃんお友達~」
成瀬結衣は最近、神宮司葵のお守りを始めたようだ。
確か光源氏、よく迷子になるんだよな。
さしずめ教室の移動とか、成瀬が神宮司と一緒に連れて行ってやってるんだろう。
中学3年間、美術部だった成瀬結衣。
中学の文化祭で、中3の時、美術部が作品発表してる美術部の教室に行った時。
俺の家の机にある、成瀬からもらったカラーコードの一覧配ってて。
成瀬、その時も美術部仕切ってて。
あの日も美術部で下の下級生とかの面倒見とか、凄く良かったのを覚えてる。
俺に英語の勉強教えるのも上手いし、そういうの才能あるんだろうな成瀬。
「わたし、御所水先生のところ行ってくるね」
「じゃあな成瀬、美術部頑張れよ」
「うん。葵さん、バイバイ」
「結衣ちゃんバイバイ~また明日ね~」
「はい、ふふっ」
成瀬は先に美術部へ向かう。
御所水流先生が顧問。
毎日楽しいはずに違いない。
楓先輩が妹を胸で抱きながら、俺に視線を合わせて声をかけてくる。
「守道君。中間テスト、よく頑張りました」
「楓先輩が渡してくれたあのノートのおかげです。現代文もかなり良い点取れたと思います」
「まあ、お役に立てて良かったわ」
「おいシュドウ。何だよノートって」
「あれ、言ってなかったか太陽?」
「知らないぞそれ」
ゴールデンウィーク。
5月の大型連休の1日。
あの日。
俺は楓先輩から渡された緑色のノート。
3年生の神宮司楓先輩が、特別進学部1年生の時の現代文。
授業のポイントを書き写した、とても、とても綺麗な字で書かれた緑色のノート。
そしてケースに満載された、楓先輩の鬼とも言える現代文の問題集と共に。
「偉いわ守道君」
「偉いわ」
楓先輩から褒められた。
俺、超ハッピー。
神宮司葵が、ふざけてお姉ちゃんの真似をして続けて同じ事を言ってくる。
神宮司姉妹は仲が本当に良い。
この子には古文をたくさん教えてもらっている。
俺、分かってる事が1つあって。
この子、古文の勉強で源氏物語レクチャーしてる時。
凄い楽しそうに俺に古文を教えてくる。
遊んでくれてありがとうなんて、俺は太陽にも成瀬にも言わない。
神宮司葵は、ただ俺と遊んでくれてるだけだって、俺は勝手にそう思ってる。
「神宮司」
「なにシュドウ君?」
「古文、サンキューな教えてくれて」
「源氏物語、続き読む?」
「ああ、またな」
「分かった」
全部で54巻もあるらしい。
彼女はその長編小説に、何がどこに書いてあるのか全部記憶している秀才。
遊んでいるだけ、彼女にとって。
俺に古文を教えるという行為そのものが、きっとそうに違いない。
今の俺にはそれが分かる。
「朝日君」
「は、はひ」
「おい太陽、なに緊張してんだよ」
「う、うるせえよシュドウ!」
太陽が憧れの神宮司楓先輩を前にして、完全に我を忘れている。
好きなら好きって早く言えば良いのに。
そういう女子との絡みは、不思議と小1の時からずっと無かった朝日太陽。
もしかして、本当は女子が苦手だったりするのかな太陽?
今まで気にもしなかったから、今度2人の時に聞いてみるか。
そういえば太陽。
緊張して野球部の練習では楓先輩に声をかけるものの、あんまり話は出来ていないとか言ってた。
屋上で2人で昼飯食べてる時に言ってたっけ?
いつも練習中に楓先輩眺めてばっかりだって言ってたし。
なんでだろ、普段こんな事絶対やらないのに。
突然そうしたいって思ってしまった。
せっかく憧れの神宮司楓先輩が目の前にいるのに、グジグジして何もしない太陽が悪い。
もう言っちゃえ。
「楓先輩」
「なに守道君?」
「太陽が先輩のファンなんです」
「お、お前何言い出すんだよ!?」
「あらあら、それはとても光栄です」
「楓先輩!?」
ほら見ろ。
楓先輩、凄い3年生美女のオーラ漂わせてるけど、話してみると凄く良い人なんだって楓先輩。
話もとてもしやすいし、美人で性格も良いし、おまけに優しいとか最強過ぎる。
それでいて今まさに妹に対してもそうだが、下の下級生の面倒見がもの凄く良い。
現代文の中間テスト対策、鬼のようにみっちり教え込まれた今の俺には分かる。
「こいつとライン交換してやって下さい」
「シュドウ!?お前なにを」
「良いわよ」
「ええ!?ま、かさ、し」
「なに宇宙語話してんだよ太陽。早くスマホ持って来いって」
「お、おう」
太陽がS2と同じく廊下にもある個人用ロッカーにダッシュで向かう。
相当慌ててる。
ガチャガチャ鍵がロッカーの穴に入らず、ロッカー開けるのに超手間取ってる。
楓先輩の事になると、太陽は太陽で無くなる。
「本当に良かったんですか楓先輩?ダメもとで聞いちゃいましたけど」
「ふふ。朝日君には野球部の練習、毎日頑張って欲しくて」
「ありがとうございます。あいつ、先輩の大ファンなんで、ラインメッセージたくさん送ってやって下さい。絶対勘違いして超練習頑張りますよ」
「ふふっ、男の子は面白いわね」
楓先輩から、太陽、男の子とか言われてるぞ。
完全に子供扱い。
この先こんなんで、大丈夫なのか太陽。
「せ、せせ、先輩」
「はい」
その後太陽は震える腕でスマホを差し出す。
手が震えまくってブレブレ。
しまいには楓先輩が太陽のスマホを操作してライン交換してくれる。
おもしろ過ぎるぞ太陽。
「じゃあ葵ちゃん行きましょう。朝日君」
「は、は、はい」
「わたし、葵ちゃんをおうちに送ってから行くから、少し遅れますって監督にお伝えいただけます?」
「う、う、うっす!!」
「うるさいよ太陽」
茫然自失でその場に立ち尽くす太陽。
神宮司葵を迎えにきた楓先輩。
楓先輩は胸の前で小さく、神宮司葵は大げさに大きく手を振りながら、姉妹は笑顔で階段へと消えて行く。
「おい太陽」
「……」
「おい太陽ってば」
「シュ、シュドウーー!!」
(ガバッ!!)
「うわ!?気持ち悪いから抱きつくなよ太陽!?」
「やった、やったぞ!お前なんて良いやつなんだよシュドウ!!」
「離れろって太陽!?みんなに勘違いされるだろ!」
太陽が壊れてしまった。
楓先輩とのライン交換を果たし錯乱している。
本当、気持ち悪いから離れろってこいつ。
しばらくして落ち着いた太陽が口を開く。
「はぁはぁ……シュドウ、機は熟した」
「なにが熟したって?」
「今晩、公園8時で良いか?」
「またすっぽかすなよ」
「シュドウ、スマホのライン」
「あっ」
「交換しとこうぜ俺たち。お前がスマホ無かったから、俺たち直接会うしか無かっただろ」
「それもそうだな」
自宅の固定電話すら俺のアパート。
会う時は常に直接。
コンビニで支給されたポケベルはまだ持っているが、肝心の太陽がポケベルを持っていなかった。
小1から10年目の付き合いになる大親友と、いまさらながらライン交換を果たす。
「よし、よし」
「なにがよしだよ。随分気合入ってるな太陽。この後練習あるだろ?」
「おう、おう」
「はは、頑張れよ太陽」
「おう。じゃあな親友」
「おう」
なんか太陽、凄い気合入ってるな。
機は熟したって、何言ってんだあいつ?
今夜は太陽の家の近くの公園で待ち合わせ。
どうせ男同士の話でもするつもりだろ。
しょうがない、聞いてやるか。
俺が中間テスト突破できたのは、他でもない、太陽のお陰だからな。
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第二校舎の3階で神宮司姉妹、朝日太陽と別れる。
向かう先は職員室。
俺は、どうしても会いたい人がいた。
「失礼します……藤原先生、いないな」
「Can I help you?『何かお探しですか?』」
うわ!?
英語コミュニケーションⅠの先生、ローズ先生だ。
いきなりハードルの高い先生に捕まってしまった。
藤原先生を探していると、俺は英語で答える事にした。
ローズ先生は俺の英語の発言を聞いて、笑顔でこう答えた。
「You speak English better than before『あなたは以前より英語を上手に話せるようになってます』」
俺、なんかローズ先生から褒められてる?
俺はその後、ローズ先生と片言ではあるが英語でやりとりをする。
先月4月から、蓮見詩織姉さんと成瀬結衣から渡されたラジオ英会話の2年分。
散々毎日聞いてて、ノートにテキストの英文をひたすら書き写して、少しずつだけど英語が話せるようになっていた。
俺は恥ずかしい英語で、ローズ先生に最後にこう伝えた。
「Because talking in front of people is difficult for me『人前で話す事は、僕にとっては難しい事です』」
俺が英語で答える度に、ローズ先生の顔が笑顔になっていく。
とても恥ずかしい。
ローズ先生は俺をいじめて満足したのか、藤原先生のいる場所をようやく最後に教えてくれる。
いた。
職員室のコピー機のところに立ってる藤原宣孝先生。
藤原先生、俺、やりましたよ中間テスト。
褒めてくれるかな、怒られるかな。
かなり不安だけど、会いたい、話したい、藤原先生と。
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「hu~hu~」
「あらローズ先生、随分とご機嫌ですね」
「sure」
職員室。
高木守道と職員室の入口で偶然出会い、自分のデスクに戻るカナダ国籍と日本国籍を持つネイティブ、特別進学部、英語コミュニケーションⅠの先生、ローズ・ブラウン先生。
そのローズ先生のデスクの向かいに座る、S1クラス担任、叶月夜先生。
しばらくして、ローズ先生の席の後ろを、ある話題になっていた生徒が視界に入り、すぐに通り過ぎていく。
「あらあの子……ローズ先生、何かお話されたんですか?」
「Yes」
「どうでした高木君の様子は?」
「Now it is not so difficult for him to give a presentation『今では、彼がプレゼンテーションをすることはそれほど難しくありません』」
「あら、あらあら」
日本語が分かるローズ先生。
そのまま日本語で話しかける、英語担当教師、叶月夜先生。
2人の英語教師にとっての、日本語と英語を使って会話をする、遊びのようなやりとり。
普段から冷静沈着なS1クラス担任、叶月夜。
その叶月夜が珍しく驚きの表情を浮かべる。
(「少し、風向きが変わってきたかしらね」)
叶月夜が見つめる視線の先には。
藤原宣孝の背中に向かって歩いていく、1人の男子生徒の姿があった。
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職員室のさらに奥の部屋にある、応接室。
かつて学力テストで赤点を取って、担任だった藤原宣孝先生に連れられて来た部屋。
中間テストが終わって、結果が分かった今日。
俺は、藤原先生を尋ねた。
「高木君、良く頑張りましたね」
「はい」
白かった未来ノートを捨ててから、中間テストで赤点2回目を取って総合普通科に降格して、終わる未来しか考えていなかった。
藍色の未来ノートの力を借りて、俺は今、この場に藤原先生と向かい合っている。
藤原先生の顔は、満面の笑みだった。
俺は嬉しかった、褒めて欲しくてここに来たんだと思う。
それ以上に、先生の笑顔が見られて、俺はとても幸せな気持ちになった。
それと同時に後ろめたさもわずかに残る。
俺の中間テストの点数は、明らかに相棒の力で水増しされたもの。
本当の実力じゃない。
悔しかった。
思いっきり喜ぶ事が出来ない。
「高木君。慢心は人をダメにしてしまう」
「はい」
「勝って兜の緒を締めよ」
「はい」
俺の心に火をともす、藤原先生の言葉は、いつも俺の心に突き刺さる。
「次の目標を言ってみなさい」
「5月末に英語能力検定4級を受けます」
「素晴らしい」
「それから先生、来月6月末に漢字技能検定4級も受けるんですよ俺」
「大変素晴らしい、頑張りなさい。結果が分かり次第、すぐにわたしのところに来なさい」
「先生、それから俺、毎日ラジオ英会話も聞いてて、それで」
「ははは、はいはい」
俺は、とにかく藤原先生に褒めてもらいたかった。
先生が俺の努力を唯一認めてくれる、この世界でたった1人の先生だとすら思うようになっていた矢先。
突然担任外れて驚いて。
でも辞めないって聞いて、S2のクラスメイトたちと同じ気持ちで嬉しくて。
御所水先生が担任になってくれるのも嬉しくて。
中間テストの結果が今日分かって、気持ちが今、グチャグチャになってて。
俺は話を続けた。
5月のゴールデンウィーク、大型連休はバイトも勉強も超頑張ったって、ひたすら話を続けた。
現代文も問題集を夜まで解いて、古文の問題集も超頑張って解き続けた。
みんながやってる、当たり前の予習。
藤原先生は多くを語らず、俺の話をずっとずっと聞いてくれた。
俺の話が終わる頃には、西日が職員室の応接室に射し込み始めていた。
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放課後。
3年生が入る第二校舎。
第二校舎の1階にある、職員室から出る。
西日が差す平安高校の校舎。
第一校舎と第二校舎とつなぐ、渡り廊下を歩く。
太陽と数馬、今頃野球部の練習頑張ってるんだろうな。
球児たちが練習を行う、平安高校敷地内にある常勝園グラウンド。
遠くに見えるグラウンドから、球児たちの大きな掛け声が聞こえてくる。
「イチ・ニ・サン・シ!」
「ゴ・ロク・シチ・ハチ!」
「ニー・ニー・サン・シ!」
「ゴ・ロク・シチ・ハチ!」
まあ俺はスポーツとは無縁の文化系男子。
俺はパンダ研究部に顔を出す事にしていた。
パンダの観察に興味はない。
俺がやりたいのは予習。
パンダ研究部は、第一校舎1階一番奥、旧図書館の一室にある。
あそこには、新図書館には劣るものの、辞書や問題集も豊富に揃っている。
来年第二校舎地下、蔵書保管庫の耐震工事が終わり次第、今ある本はすべて蔵書保管庫へ消えて行く運命。
図書館を1つ独占できる。
俺がパンダ研究部に入る動機の大きな1つ。
決して、神宮司楓先輩のデート商法に引っかかったわけではない。
契約書はあっさりサインしちゃったけど、あれはもう昔の話だ。
それともう1つ、パン研に向かう理由。
一応俺もパン研の幽霊部員なので、地縛霊となって南部長に一度顔を出しておく事にする。
ある理由があった。
『月に一度は顔を出して』
『何でです部長?』
『新人君、分かって無いわね。月一で部会やっとかないと、後で生徒会に出す活動報告書出せなくなるでしょ?』
『なるほど、部活やってるアリバイ作りってやつですね』
あのパンダ研究部は、3年生のパンダ先輩こと、南夕子による、南夕子のための部活。
俺はそのパンダの1つの駒に過ぎない。
そうこう考えているうちに、パンダ研究部が入る旧図書館に到着。
当然、図書館の利用者は誰もいない。
みんな今年リニューアルオープンした、第二校舎2階にある、新図書館を利用している。
旧図書館に入り、奥の一室、パンダ研究部に入る。
「おっす部長、高木来ました」
「あ~適当にしてて」
「は~い」
パン研入ってすぐのデスクの部長席。
南夕子部長は、明らかにスペックの高いパソコンを食い入るように見ている。
株のオンライントレードでもしてるのか?
この人ならやりかねない。
パソコンをシレっと覗き見。
株では無く竹、お約束のパンダだった。
パンダがコロコロ2頭動いてる。
マジで可愛い。
南先輩、自分の子供を見るような目でうっとりと観察を続けている。
幸せそうで何より、もう好きにしてくれ。
「うっす」
「こ、こんにちは高木君」
「岬、末摘さんもまだいたんだ」
「部活中、当然」
「お菓子ポリポリ食べてるだけだろ岬?なんだよそれ」
「プリッツ」
「太るぞ岬」
「死ね」
「あわわわ、け、喧嘩しないで2人とも」
「いつもこんなだし。あんたは気にし過ぎ」
俺と岬の世界についていけていない末摘花。
岬はいつも俺の事を粗大ごみを見るようなジト目で見る。
岬姫は今、パン研の部室にあるソファで足を大胆に組んでプリッツをポリポリ食べながらスマホをいじってる。
クラスメイトで、最近パン研に入部してしまった末摘花。
なにやら手に資料の束を持っている。
「末摘さん、なんですそれ?」
「これ、部長さんの活動記録」
「ありがとうございました、そのまま続けて下さい」
「うん」
末摘花の表紙には、南夕子の氏名が印字され、パンダのマークがデカデカと印字されていた。
大方察しが付く、分かりやすい活動記録集。
律儀に眼鏡女子の末摘花さんは、その資料集に目を通しているらしい。
なにしてんだパン研?
月一の出席の義理は果たした、ここにもう用はない。
「部長、図書館借りま~す」
「あ~適当に使って」
南部長に権限があるわけがない、パンダ研究部部室の外にある旧図書館を勝手に使う。
部長に権限があるのは、あくまでパン研の部室内だけの話。
俺は旧図書館の一角。
西日が射す席に1人で座る。
カバンから、蓮見詩織姉さんのスマホと、成瀬結衣に渡されたCDプレイヤーを取り出す。
今日はこれからラジオ英会話レッスンを2つこなす。
(レッツ・スピーク・イングリッシュ~)
まず去年のラジオ英会話1年分の5月号。
蓮見詩織姉さんに渡されたスマホの音源データを再生する。
詩織姉さん。
あの白かった未来ノートを捨ててから、忽然と交流が途絶えてしまった。
俺の事、嫌いになっちゃったのかな。
そもそも好かれていたと考える方がおかしい。
きっと紫穂と家では仲良くやってるはず。
俺の現在地。
中間テスト590点、S2クラス最下位の男。
ギリギリ赤点回避男、最下位の底辺男子。
あんな綺麗で、上品で頭が良くて、とても厳しくて、俺の事を本当の弟のように優しくしてくれた詩織姉さん。
忘れよう。
俺の憧れの詩織姉さんは、所詮、憧れの人に過ぎなかった1つ年が上の先輩。
『蓮見先輩、ようやく君の事を理解してくれたようだ。とても安心したよ』
『詩織姉さん……蓮見先輩が何だって?』
『もう君、最近会ってないはずだろ蓮見先輩と?』
『うっ』
右京郁人。
あいつ何者なんだ?
まるで、俺よりもずっとずっと昔から、蓮見詩織姉さんを知っていたような口ぶり。
ダメだ。
今は勉強に集中。
英語がちょっと話せるようになったからって、TOEIC最下位で大恥かいたのを忘れるなよ俺。
もう失敗は繰り返せない。
英語の勉強に集中だ。
この旧図書館は、誰もいないとても静かな場所。
勉強をするにはもってこいの場所。
俺は、太陽と数馬のように頭が良くて、カッコいいあの2人に少しでも近づけるように、とにかく勉強を毎日やるしかない。
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もう日がすっかり暮れてしまった。
パンダ研究部の3人は、南部長の引率で3人で集団下校するらしい。
俺は先に家に帰る事にした。
帰ったら、現代文と古文の問題集をやる。
勉強道具らしいものが何もなかった俺。
楓先輩から渡された緑色のキャリーバックには、1年かけてもやりきれないと思えるだけの大量の現代文の問題集やプリントが満載されている。
『お勉強、足りないかしら?』
うっ。
楓先輩の声が、俺の脳裏に響く。
先輩、俺もうお腹いっぱいです。
これ以上食べられません、お気持ちだけで結構です。
太陽でなくても、脳裏に焼き付いて離れない、男子なら誰もが憧れる神宮司楓先輩。
想像するだけで俺の頭の中を支配する。
どんだけ影響力あるんだよあの人?
第一校舎の一番奥、旧図書館から下駄箱まで歩いてくる。
さて、帰るか。
あれ?
俺の靴になにか、紫色の紙が挟まってる。
誰かのイタズラかな?
靴を履く前に、その紫色の紙を手に取る。
手紙。
紫色の紙の中には、手紙が1枚入っていた。
―――――――――――――――
中間テストおめでとうございます。
あなたの事、応援しています。
―――――――――――――――
差出人も分からない。
とても、とても綺麗な字で書かれた手紙。
まるで、俺を応援してくれているような。
不思議な手紙のエールを見て。
胸の鼓動が高鳴る。
とてもドキドキする。
誰だよ一体。
クラスで最下位の、こんなバカな俺に、こんな手紙出してくる人。
この学校に1人でもいるなんて、とても、とても信じられない。




