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境界の教会は、辺境にある街の意外と中央にありました。
有事の際に平民たちが籠城するために、多少良い立地になっているのでしょう。
五百年ほどの歴史がある古式ゆかしい——まあ素直に言えば古臭い建築様式の教会の前で、わたくし達の乗った馬車が停止します。
「お嬢様、それでは爺はこれで。時々様子を見にきますぞ」
「すでに住む場所が決まっているのね…」
「はい、旦那様のご好意で。小さな空き家を一つ紹介していただきました。レンガでできた、丈夫な家ですよ」
実の娘は教会の修道女生活に送り込んでおいて、引退した執事には随分と厚遇するのね。
わたくしが死んでしまったら、フレッドの次にお父様を祟りましょう。
お母様は最後にしてあげます。
自分用のトランクを一つ掴んで、爺が飄々と去って行きました。
お迎え目前の老人でも、人間が一人いなくなるとその場の温度は下がるのね。
肌寒くなってしまったので、二の腕をさする。
馬車の御者が荷物を下ろしているのを眺めていると、教会から中年の女性が出てきた。
服装を見るに、彼女はこの教会の修道女なのでしょう。
王都の貴族女性よりも、背が高くがっしりとしていますわね。
「まぁまぁ、いらっしゃいニコラさん。あなたが来るのを、今か今かと待っていましたよ」
修道女は並びのいい歯を見せ、にかっと笑いました。
随分と、開けっぴろげな所作ですのね。
マナーのなってない感じはあの女…シャーリーを思い出させますが、どうしてかこっちの方が好感度は高い。
まあ、こちらの女性は殿下にまとわり付いて潤んだ目で見上げたりしてませんものね。好感度は違って当たり前でしたわ。
「まずは荷物を運び入れましょう…随分持ってきたのねえ、部屋に入るかしら。あ、その大釜も荷物なのね?かしてちょうだい」
「あ、それは御者に…」
運ばせますわ、と言おうとしたときには、修道女はすでに馬車の後ろに積んでいた大釜を抱えてしまっていた。
何ですのこの強靭な女性は。
王都では見たことがありませんが、辺境では女性も屈強でないと生きていけないのかしら。
急に不安になってきましたわ。
わたくし、フィジカルにはあまり自信がなくて。
大釜を持たれてしまえば、わたくしの荷物はあと一つだけ。
幾らかの服と小物が入ったトランクのみ。
「御者」
顎でくいっと指示すると、御者は冷めた目で私をジロリと見た後馬に鞭を入れ馬車ごと走り去って行きました。
わたくしはトランクを持ちなさい、の意味で顎をくいっとしたのですけれど。無能ですわ。
仕方がないので、トランクは自分で持って修道女の後を追う。
錬金術をやっていてよかったわ。
窯をかき混ぜる腕力があればこそ、トランクを持って彼女についていける。
礼拝堂に繋がる扉ではなく、建物の裏回るとそこには畑のある庭があった。
お庭というのは花を植える場所だと思っていたのですが、辺境では違いますのね。
教会の裏には通用口があって、そこに入ると中庭がありました。
どうやら随分前に枯れたらしい噴水の周囲で、粗末な格好の子供達が追いかけっこをしているわね。
「修道女様、あの子達は?」
「いろんな事情で親がいなくなった子供を、ここで世話しているの」
「わたくしも世話に関わるのかしら」
子供は好きじゃないわ。
それも、小汚いのは特に。
「……ニコラさんには別の仕事をお願いするから、あまり関係はないでしょうね」
「まぁ!ほっとしましたわ!」
教会では過酷な仕事を延々とさせられると思っていたけれど、もしかして違うのかしら。
中庭を通りって回廊から、外働きの使用人が使うような扉を過ぎて階段を上がると、これまた粗末な扉らが廊下に連続してある場所に来た。
その中にある一枚の扉を修道女が開けると、中には寝返りも打てなさそうなベッドがあるだけの小部屋が広がっていた。
元我が家の、浴室より狭いわね。
「はい、ついた。これからはここがあなたの部屋ですよ。釜はここでいいかしら?」
頷くと、修道女はずしんと音を立てて部屋の角に大釜を置いた。
驚くべき馬鹿力ね。
そして荷物が全て運び入れられた後、修道女は私に彼女よりも若干格の下がる制服を渡してきました。
これは、修道女見習いの服ですわね。
縫製は荒いしデザインも野暮ったさの極みだけれど、今は素直に着るわ。
この修道女がやたらと強そうなのは、先ほど見たばかりだもの。
お気に入りのドレスを脱いで、粗末な修道服を着る。
この部屋に、鏡がなかったことを感謝するべきかもしれないわね。
こんな貧相な格好、まともに見たら気絶してしまうわ。
修道服を着たと扉の向こうに声をかけると、修道女が部屋の中に戻ってきた。
「よくお似合いですよ、ニコラさん。それでは、自己紹介から行きましょうか。私の名前はベロア。名字はありません。これからはあなたもそうよ。ここでは俗世での血筋も行いも関係はないの、だからあなたの家名もなくなります」
「あんな濁りきった節穴達と関係なくなるなんて、せいせいしますわ。それで、わたくしはここでどう過ごすべきなのかしら」
「いい意気込みです、朝は日の出と共に起き、夜には十の刻までに寝ます。寝起きするときには、主神へのお祈りを欠かさないように。最初のうちは、基本的には教会の掃除をお願いすることになるでしょうね。慣れてきたら、少しずついろんなことを任せようと思っていますよ」
なんということでしょう。
聞いてるだけで、嫌になってきたわ。
しかし、慣れてきたらいろんなことを任せるって言ったわね。
つまりそのうち、わたくしは下働きなどではなくこの修道女のように部下を指示する立場にもなれるということ。
仕方ないわね、適当に真面目にやって、さっさと出世してしまいましょう。
わたくしだって、甘やかされるだけの貴族ではありませんでしてよ。
お妃教育を受けていたのだから、この程度なんともありませんわ。
わたくしは明日から始まる修道女生活を思って、闘志を燃やしはじめました。
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