1-8
ぎゃぁ、と悲鳴を上げる猿を踏み付けて地に落とし、その勢いで次の一匹の頭に乗る。そうすることで高い位置に浮いていた他の一匹を、手に持った片手剣で一刀両断。
そうしてまた、流れるように、次の一匹に飛び移り、別の一匹を、別の手に持ったマンゴーシュの柄で殴り落とす。
(猿がどこにどう動くかわかってる……未来でも見えてるみたいな……)
ルシャが思わずパチリと目を丸くする間に、男は次々に猿を退治した。
空飛ぶ敵を踏み台に、自分も空を飛んでいるかのように、スイスイと。
それは数分の、本当に流れるようにあっという間の出来事。
そうして最後の一匹を叩き落とすと、男はルシャを振り向いた。
ルシャと同じか、少し若い。重量のありそうな鉄の具足を履いた、黒髪に、菫色の瞳の男。
「お見事」
素直に拍手すると、元よりキツイ印象の目元を眇めて軽く首を逸らせる。
「テメェ、見慣れねぇ顔だな」
そう言って、得物を抜いたまま、男は半歩ルシャの方に近寄ろうとして。
「グレンだ!〝魔眼のグレン〟!」
「こらこら、グレン」
子供達の歓声と、それに搔消されかけつつも響く大人の男の声に、ピクリと、その足が止まる。
「〝魔眼のグレン〟?」
聞き覚えのあるサマナーの名前に、ルシャが目を瞬くと同時。
「グレン。初対面の相手に、最初に掛ける言葉はそうじゃないだろう」
ずい、と現れたのは長身の男だった。金髪に碧眼で、ルシャよりも十以上は年上に見える、壮年の男。
(兵士……いや、騎士か?)
帯剣していて、なおかつ、身なりが非常に良かった。立ち姿も堂々としていて、空気からして、そこらの兵士とは違う。
ルシャの視線に気付くと、その騎士はニッコリと微笑んで振り向く。
「すまない、ウチの番犬が失礼な真似を。怪我はないかな?」
「あ、いえ、とんでもない。お陰様で無傷です」
咄嗟に笑い返して会釈すると、騎士は愛想良く頷きを返して、それから子供達とコンラートのいる木の方を見た。
「君達も、無事かね?」
「ハロ隊長だぁ」
サーヤが最初に木の影から駆け出して、続いてジャン、ルールーも壮年の男の方へ駆け寄って来る。
「隊長、グレンと見回り?」
「ああ、王城で行き会ってね。久しぶりに積もる話もあるだろうと、一緒に散歩して貰っていたんだが……。いやはや、魔獣の襲来と被るとはねぇ、間が良いのか悪いのか」
騎士は子供達の頭を撫でて、さて、とルシャやコンラートに視線を戻した。
「君達は観光か商用の外国の人かな?はじめまして、私はハロルド。森の国の王家に使える近衛隊長、ハロルドだ」
「え」
「近衛隊長!?」
ルシャはパチリと目を瞬いて、コンラートはいつもより高い声音で聞き返す。
「近衛隊長様って……あの近衛隊長ですか、旦那……?」
森の国には、世界樹の騎士団とは別に、王家や街を守る近衛騎士隊と憲兵隊というものが存在する。
序列上は、世界樹の島を調査開拓し、冒険者を守る役目の世界樹の騎士団よりも近衛隊が上で、また、その隊長といえば憲兵達も統率する警察権の掌握者、いわば軍人というよりは貴族、為政者側の権力者だった。
それが、こんなに気軽に街中で遭遇できてしまうものなのか、と、ルシャもコンラートも困惑。
「ああ、あまり身構えないでくれ。なに、小さい国だからね。肩書は御大層だが、私と遭遇するのなんて、この国じゃ珍しくもないよ」
二人の驚きを読み取ったハロルドは、ふふ、と笑って子供達を示す。
「ほら、この子達にとっては、近所のオジサンくらいのものさ」
「隊長、この人達、サーカスだぜ!」
ジャンがハロルドの袖を引いてそう言った。
「んでもって、あの座長さん、強いんだ!」
「ああ、強いのは見たとも」
ニコニコと頷いたハロルドは、そうか、と呟く。
「サーカス……。ああ、七華一座の」
「ええ、お初にお目に掛かります、近衛隊長。座長のルシャです。あちらは副座長のコンラート」
我に返って、ルシャは自分とコンラートを示した。
(都市国家……なら、まぁ確かに、偉い大物の貴族がそこら辺歩いてるのを見ることもある……のか……?)
しかもサマナーであるグレンと一緒にいたというのだから、ある意味で、護衛は万全に付けていた、とも言えるだろう。
子供達の懐き具合を見ても、どうやらハロルドは市井にちょくちょくと降りてくる手合いの貴族らしかった。
「助けて頂いてありがとうございました。そちらの……サマナー、〝魔眼のグレン〟殿も」
為政者側とはいえ、市井に近いところにいるらしい相手ならば、そう堅苦しく緊張しなくてもよかろうと。気を取り直してルシャが頭を下げると、ざり、と視界の端でグレンが一歩下がる。
「助けた、じゃなく、横取りした、だろう」
得物をようやくと鞘に戻しながら、特に感情の籠らない視線でこちらを見るグレンと目が合った。
「……あの猿くらいなら、倍の数がいても全部自分で殺せるだろう、お前」
「倍いたらどうかはわかりませんが。旅周りの一座は、何かと腕っぷしも必要なので、多少の心得は」
はは、と笑ってみせたルシャを、二秒、菫色の目がジッと見詰める。
「……そっちの男もだろうな。いざとなれば、あいつも、あの猿くらいは殺せたはずだ」
「そもそも俺は猛獣使いですからねぇ、猿くらいは何とかしますよ」
話題を振られたコンラートがヘラリと笑うと、一瞬の間をおいてから鼻で笑い、鞘に納めた片手剣の柄をコツコツと指先で打つ。
「芝居は舞台の上だけにしろよ、三文役者共。てめぇら、本当にただの芸人か?」
怒鳴るでもない平坦な声音に、けれど、子供達が思わずのように顔を曇らせるような奇妙な重み。
コツ、コツ、と剣の柄を叩く音が、いやに響く。
「……まさか。ただのサーカス団員ですよ」
さりげなく子供達とグレンの間に出て、果たして納得はしないだろうなと思いつつ答えるルシャの前で。
「どの口が」
「グレン、誰が尋問をしろと言った?」
何かを言いかけるグレンに、ピシャリとハロルドが言い放った。
「彼等は我が国の客人だ。サマナーの品位を落とすような無礼は控えろ」
ある意味で、グレン以上に重みのある叱責の声だった。
思わずルシャでも居住まいを正す迫力に、けんか?とルールーがオロオロする。
「ハロたいちょう、グレンとけんかする?」
細い声に、こら、とジャンが慌ててルールーの肩を抑えた。しーっ、と大人達の空気を読んで幼いルールーに小声で注意するサーヤとジャンに、ハッと当の大人達が口を噤む間。
「いや、すまないね、ルールー。喧嘩じゃないよ」
やがて、ハロルドが元の穏やかな調子に戻ってそう笑った。
「グレンが悪いことをしたからね。めっ、したんだよ、ルールー」
「……グレン、めっ、された?おとななのに?」
不安げに視線を向けられたグレンは、一呼吸置いてから、仕方なさそうに額を押さえて長い溜息を吐く。
「……おう」
そう吐き捨てた声からは、重さが消えていて。
「あっはは、グレン怒られた!おとなのくせに!」
ふふ、と緊張が解けたジャンが笑い、サーヤも釣られたように、ふふ、と息を漏らした。
「……何が、めっ、だよ。イイ歳したジジィが」
「子供達に爺さん扱いされるならともかく、お前にジジィと呼ばれるほど年寄りではないよ」
グレンのジトリとした視線に、穏やかに肩を竦めたハロルドは、すまなかったね、と再びルシャとコンラートに視線を移す。
「グレンはサマナーだが、元々私の部下でね。見慣れないものには、ひとまず噛み付く癖がついているんだ」
悪く思わないでくれ、と明るく笑いながら。
「君達がどれだけ強かろうと、ひとまず現時点、怪しい行動をしない内は、我々近衛隊も捕まえたりはしないから、安心して欲しい」
その言葉に、ルシャはヒッソリとコンラートと目くばせする。
(ひとまず現時点……)
言い換えれば、将来的に怪しいと思えば容赦なくひっ捕らえるという宣言である。
(……旅回り一座って、他国の間諜の定番だしね。妙に腕っぷし立ちそうと思えば警戒はするか。……牽制なんだろうな、これ)
国家安全を守る身としては当然の警戒なのだろうけれど。しかし良い笑顔でサラリと牽制を打ってくるとは、なかなかどうして穏やかそうな物腰と裏腹、ハロルドからは曲者の気配がする。
(会長と言い……。森の国の偉い人って、皆こうなのか……?)
内心やや穏やかでないルシャやコンラートを知ってか知らずか、当のハロルドは腕を組んで首を傾げた。
「まぁ、さてしかし、島から魔獣が出てくるなんて毎日あることでもないのに。君達も昨日は盛大な公演だったそうだし、疲れているだろうに災難だったね」
「ああ、いえいえ。公演は慣れてますから」
我に返ってルシャが首を左右に振ると、そうかい?とハロルドは笑う。
「世界一のサーカス団、すばらしい公演だったと聞いたよ」
近衛隊の中にも、昨夜の公演を見に行ったものが複数いた、と、片手を振って。
「それでね、近衛の詰め所で今朝から話題になっていたんだ。あのジスカが観に行ったそうじゃないか。それに、エドゥバルドもいたって聞いたね」
「え?」
パチリと、ルシャは目を瞬く。
「ジスカさんがいたのは、知ってましたが……」
「おや、エド……〝深淵のエドゥバルド〟には気付かなかったかい?彼も観に行っていたそうだよ。かわいらしい女性と一緒にいたとかで、カノジョじゃないかって特に話題でね。そうそう、グレン、エドって恋人いたんだね?」
話題を振られたグレンは、明らかに嫌そうな顔をした。
「知らねぇよ。何で俺があのクソ野郎の私生活を知ってると思うんだ、てめぇは」
「同じサマナーだろう。仲良くすれば良いじゃないか、せっかく年も近いんだから」
「お前、アイツと年の近い同僚だとして、仲良くするか?」
「はは、面白い冗談だ」
ニコリと深々否定されたグレンは、何とも言えない顔をする。
「……自分が嫌なことは他人にもしてはいけませんって考えはねぇのか」
「それはそれ、これはこれ。お前はお前、私は私」
その応酬に、ルシャは何となく両者の力関係を見た気がした。
「まぁ、ともかくサマナーの内で二人が観に行ったとあらば、我々もぜひ一度は見てみたいだろう?」
ハロルドはルシャに視線を向け、ニコリとする。
「次回の大公演は、ぜひ我々も観に行くよ。チケットも、それこそ今朝、予約してきたんだ」
「それはありがとうございます」
ルシャが答えると同時に、我々?とグレンが聞き返した。
「おい、ハロルド……、それはまさか、俺のことか?」
「ああ。お前とディートと、それから姫様だよ」
「……俺は行かねえ」
「もうチケットを予約した」
「誰か近衛を連れてきゃいいだろ」
頑なに拒否するグレンに、女性二人の荷物持ちは君しかいない、と涼しい顔で断言するハロルド。
「ふざけんなよ、ハゲジジィ」
「ジジィではないしフサフサだよ。フサフサ。すっごくフサフサ。それに、ふざけてもいない」
ぎゃぁぎゃぁと賑やかになる二人の会話を見ながら、あーらら、とコンラートが寄って来る。
「親子みたいすねぇ……」
「仲が良いのは、間違いないな」
はは、と苦笑いして頷き合う。
その横で。
「いいなぁ、隊長とグレン」
サーヤが、そう首を傾げた。
「私達も見たいけど、チケット、高いもんなぁ」
「仕方ねぇだろ。ウチの院はビンボーなんだから」
ジャンも残念そうに唸る。
「だから行かねえって言ってんだろ!毎回毎回、お前は俺を何だと思ってやがる!」
ついに怒号を上げるグレンの声を聴きながら。
(ふむ)
どうやらサマナー達については、特に営業せずとも来てくれるだろう、とルシャは思った。
(何かしら営業するなら、むしろ、それ以外のお客様かなぁ……)
子供達を横目に、ちょっとだけ、考える。