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旅回りのサーカス、七華一座の興行には大公演と小公演というものがある。
大公演とは、各地の神話や伝説を元にした物語仕立ての演目を2時間にわたって行う文字通りの大公演で、一座総出の公演となる。対して小公演は、演者の一部のみが稽古の合間に交代制で出演する、一回 20 分程度、路上や小劇場での昔話や笑い話を題材にした演目で、日に数回繰り返すというものであった。
その土地でどれだけの期間を過ごすかや、その土地の住人達の興味、財政状況によって、チケットの高額な大公演数回のみや、安価な小公演のみを短期間にたくさん繰り返すかなどを決めるのだ。
今回の森の国での公演は半年。そして住人達は魔石貿易によって比較的豊かであると推測される。
よって、今回の興行は、月に一度の大公演をそれぞれ別の脚本で計 6 回、そして大公演と大公演の合間に一日4回の小公演を隔日開催、という全力の興行形式だった。
第一回目の大公演を終えた翌日、ルシャは午前の稽古を終えると、街の大通り一等地にある王立冒険者組合を訪ねた。
「昨夜の公演は大変すばらしかった」
冒険者組合会長の、白髭の老人は機嫌良く笑った。
「さすが、世界一のサーカスと言われるだけはあるのう」
「いえ、私どもなど、まだまだ駆け出しの一座です」
ルシャはニコリと笑って軽く頭を下げる。
「改めて、この度は我々一座をお招き頂きありがとうございました。会長のご援助で、一等地の会場を押さえる事が叶っての昨夜の成功です」
ルシャの一座が森の国に興行に来たのは、他ならない、この会長の招致があってのことだった。
「いやいや。7 年前の国境紛争以来、ここしばらく何の騒ぎもない平和が続いていてな。それはそれで良い事なんじゃが、まぁ引き換えに大きな祝い事もないときた。そろそろ祭りが必要だと思っていたんじゃよ」
陛下も同じお考えでいらっしゃる、と会長はソファに座ったまま、窓の向こう見える王城を見上げる。
「なんでも南の〝航海の国〟の王家にも招致されて公演した〝世界一〟なんて、近頃ウワサのサーカス団だと言うじゃろ。それならウチだってと、負けじとお招きしてみた次第。陛下に〝ワシが呼びますぞ〟なんてドヤっちゃったし、断られたらどうしようかと思っとったけどね」
ほほほほ、と笑う好々爺に、ルシャもつられて軽く笑った。
(確か伯爵家の当主でいらしたな。貴族な上に、この国で一番利権が集中する冒険者組合なんて纏めてるから、どんな海千山千の妖怪が出てくるかと思ったけど)
冒険者組合の会長、ノルベルトは、思ったよりもずっと人当たりの良い老人らしかった。
「我々も、まだ結成して十年足らずの若い一座ですから。森の国で王家公認の公演をさせて頂けるとあらば、それはとんでもない箔が付く。この機を逃すわけには参りません」
たとえ世界の反対側にいてもやって来ましたとも、とルシャは言った。
「それはそれは。ありがたい。それこそ 7 年前に隣国に難癖付けて攻め込まれた時は、世界樹の騎士団の威光も陰ったかと思ったが。どうやら我が国、まだまだ有名みたいじゃの?」
振り向かれた背後の護衛二人は、そうですね、と無表情のまま頷いた。
親しみ易い好々爺の会長だが、その傍では、常に制服に身を包んだ威圧的な私設兵団の団員が護衛している。
(部屋の外にも 2 人立ってたし。中々警備厳重だな)
王立冒険者組合は、世界樹の森に渡る冒険者達を選抜し、管理すると共に守る。
例えば冒険者が、森で事故や災害にあった場合、帰還予定日を過ぎても戻らないという事が分かれば、冒険者組合が世界樹の騎士団や他の冒険者に探索要請を出してくれる。
あるいは冒険者が家族を遺して死んでしまった場合や、重い障害を抱えてしまい働けなくなった場合なども、見舞い金や年金を支給してくれる事があるのだ。
そのかわりに、冒険者達は有事には国家のために兵役をこなし、さらに平時には森で得た利益の内の一定分を組合に納めなければならない。
この平時に冒険者から集められる莫大な利益、魔石を中心とした希少な世界樹の森の特産物こそが、森の国の王家、延いては国家全体の豊かさに繋がっているわけである。
王立組合であるが故に最終的には組合から国庫へと渡るそれらの富だが、直接的に冒険者から受け取り、管理している立場にあるのはこの会長。
また、冒険者への支給品や推奨装備、街の人々や国から出される〝クエスト〟と呼ばれる森での仕事の依頼仲介料なども、同じく最終的には国庫に入るといえ、冒険者組合という組織が生み出す利権となる。
従って、冒険者組合の会長というのは、森の国において国王に次ぐ重要人物なのだ。
(あるいは経済面で言ったら、実質的には国王以上かもなぁ)
それは警備も厳重になるな、とルシャがひとり納得していると。
「ところで」
会長はソファに座ったまま、手にした杖に両手を乗せて少し腰を曲げた。
「座長、噂に聞くところによると、平原の国の出身だとか?」
「はい」
コクリと頷いたルシャに、なるほど、とニコニコ微笑んだまま、会長は首を傾げる。
「平原の国も、十年ほど前じゃったか、大変だったのう。ほら、元々あの辺りの平原に暮らしとった遊牧民。それらが反乱を起こしたとか」
「ああ、騎馬民族の反乱ですか。ええ。私はその遊牧騎馬民族なので、よく覚えていますよ。実際、その戦で父から受け継ぐはずの家畜を殆ど失ってしまったので、旅芸人に転職したんですから」
ルシャは苦笑いして自分の胸に片手を当てる。
「我々は元々、季節の移ろいと共に平原を自由に行き来する民です。〝王〟の概念はありましたが、〝国境〟や〝定住〟の概念はありません。ですが私が十四歳の頃に、平原の定住民族との戦争に負けて。徴税のために自由な移動の禁止と、各々の居住区を定められたものですから……。まぁ、あの反乱は、定住生活に馴染めなかった結果、ですね」
「重税や奴隷としての人身売買、差別が引き金であった、とも聞き及ぶが」
「そうですね。そのようなことも都会ではあったようですけれど……。なにしろ私は田舎の方に住んでいたしがない羊飼いの倅なので。そもそも定住民族は、そんなド田舎にはいなかったものですから。税は確かに重かったですが、税金重くて貧乏がつらいなぁ、くらいの認識で、差別とかの実感はあまり……」
頭を掻いて答えるルシャに、そうかそうか、と会長は穏やかに頷いた。
「では、見たことないかのぅ」
「はい?」
「有名じゃろう、遊牧騎馬民族の英雄。反乱の折、五百の騎馬民族兵で三千の平原兵から砦を守り切った名将。反乱虚しく敗れた騎馬民族の王家と民を、しかし見事、隣国〝華の国〟まで亡命させ、辛くも民族の滅亡を防いだ、戦争の天才じゃよ」
なんと言ったかのう、と会長は白髭の生えた顎を摩り、首を傾げる。
「そう、確か……〝ルシャリーズ〟。そう、〝獅子駆のルシャリーズ〟じゃったな」
にっこりと微笑んで、会長はルシャをじっくりと眺めた。
「そう丁度、今生きておれば、お前さんと同じくらいの。大層若い将軍らしいじゃないか?見たことないのかのう?」
「……いえ、あいにくありませんねぇ」
ルシャは一瞬キョトンとして見せてから、笑って首を左右に振る。
「私も会えるものなら会いたいですが……。しがない羊飼いと将軍様じゃ、身分が違い過ぎます。名前が似ているから親近感はあって、実は結構な信者なんですが、残念です」
「ああ、確かによく似た名前じゃのぅ。はて、かの地の遊牧民には、よくある名前なのかの?」
「ええ、比較的に。〝ルシャリーズ〟というのは、我々の民族の、神話に出て来る半神の英雄の名前なんです。正義と戦の神と、遊牧民の巫女の間に生まれた英雄です。それで、特に私が生まれた頃は、星の巡りが丁度〝ルシャリーズの空〟と呼ばれる配置になる時期だったので。私の同年代には、特にこの名前が多いんですよ」
ただし、しがない羊飼いの倅がそのまま名乗るには大層な名前過ぎるから、自分の場合は縮めた形で名付けられたが、と。
ニコニコと答えるルシャを、会長は一瞬無言で見詰めた。
「……ほぉ。なるほどのぅ。神話の英雄。それはそれは」
やがて低く笑うと、なるほど、なるほど、と呟く。
「まぁ、ワシとしても遠国の将軍のことじゃから、そこまで気になるわけではないんじゃが」
こつんと、杖が軽く床を滑って音を立てた。
「そのルシャリーズ将軍、せっかく守った王家から……、七、八年前だったか、反逆の罪で追放されたそうじゃろ?」
「ええ。定住民族への反乱に敗れた王家の亡命先……華の国で、宮廷闘争に巻き込まれたとか。あるいは王から戦での功績を十分に評価されなかったとか、反逆の真偽や動機について色々と噂になりましたね」
「まぁ、どうであれ、ワシとしては、この国に影響がない限りは気にせんがのう」
ふふ、と笑う会長に、ルシャは深々と頷いた。
「ええ、それはきっと大丈夫でしょう。行方も知れない元将軍が、天下の森の国に何するものですか」
「ほほ。まぁ、同じ出身のお前さんが言うならそうなのじゃろうな」
そうして再び一瞬の沈黙があってから、会長はおもむろにソファーに座り直す。
「さて、では。世間話はここまで。この国に招いた時に、お前さんから貰った要望についてじゃが」
「はい」
「世界樹の島に入る資格が欲しい、じゃったな?」
どうやらルシャの故郷に関する世間話は終わりのようだった。やや居ずまいを正す姿に、ルシャも少し表情を引き締める。
「はい、ぜひ、資格を頂きたく」
そう頷いて、ひらりと片手を振った。
「我々は各地の神話や伝説を題材に演目を作りますので。この国での最後の大公演では、ぜひ、この国の神話を題材にしたいのです」
そのためには、この国の神話や伝説においてたびたび登場する世界樹の森について実際に見て知っておきたい、とルシャは続ける。
「やるなら徹底的に作り込むのが信条。世界一を名乗る我々の誇りですので。ぜひ、私と脚本家など、5 名ほど、島を見学させて頂きたく思います」
「ワシとしても、この国の神話伝説を題材にして貰うのは是非にと思うのじゃが」
会長はふむと首を傾げる。
「森の危険は、特に奥地となると、他国人の想像を絶するものでなぁ。命の責任はさすがにワシでもとれんから……」
「それでしたらご心配には及びません」
ルシャは軽く自分の胸を叩いた。
「旅回りの一座というのは、常に危険と隣り合わせです。盗賊、山賊、海賊。時には訪れた土地の争いに巻き込まれたり……」
我々はそれ越えてきた、と。キッパリと、誇らしげに主張する。
「サマナー達のように、とは申しませんが。私も、私の部下の団員達も、それなりに腕に自信がございます」
「ふむ……」
会長は少し悩むようにしてから、よろしい、と言った。
「では、軽い護身程度はできるか、体力検査や模擬試合を受けて頂こう。それに通れば、世界樹の騎士団のいずれかを護衛に付けて、滞在期間中のみの条件で仮の冒険者資格を発行しても良いじゃろう」
「ありがとうございます」
思いのほかあっさりと出た色良い返事に、ルシャが思わず頬を上げると、いやいや、と会長は再び髭を撫でる。
「なに、大したことではないよ。お前さん達に試験を受けさせ、仮にそれに合格して冒険者資格を与えても……」
ニッコリと微笑んで、老人は飄々と。
「〝何するものですか〟と言うからの、〝ルシャ〟殿よ?」
奇妙に圧の籠った声だった。
「時に」
取って付けたような、声音で。
「ご存知かな?ルシャリーズ将軍は、我ら大陸西方には、〝鋼の瞳〟と歌物語にて知られておるのよ。世界広しと言えど、かの騎馬民族にのみごくごく稀に生まれるという、珍しい瞳の色の将軍だ、と」
「……なるほど……」
「まぁ、ワシには関係ないがの。この国で、何か厄介でも起こされない限りは」
「……ハイ」
ああ、やっぱりただの〝世間話〟ではなかったようだ、と。
ルシャは頬を何とか上げたまま保ち、コクコクと頷いた。